サルバトの遺産

ginsui

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 夢の中での光景が、いま現実のものとして彼の前にあった。
 ジュダインは両手をだらりと下げ、しばらくその場に立ちつくした。
 足が鉛のように重かった。馬は途中で力つきてしまい、彼はここまで徒歩で来なければならなかったのだ。
 伸びすぎた髪が、砂混じりの風にあおられて頬を打った。
 ジュダインは、払いもしなかった。
 砂丘の中に姿を現したインダインの遺跡。
 砂漠の陽射しで衰えたジュダインの視力でも、折れた円筒形の塔がはっきりと見えた。鈍く光る金属の断面をのぞかせて塔は砂の中に長々と横たわっていた。先端は砂丘の陰に消えている。
 崩れた壁の間に、砂人たちがひしめいていた。
 彼らはかっこうの餌食が来たとばかり、いっせいにジュダインの方に向き直り、じわじわと動きはじめた。
 ジュダインはひきつった笑みを浮かべ、足を踏み出した。
 塔の基部に向かう砂地は坂になっており、両手両足を使ってよじ登らなければならなかった。
 近づいてくる砂人には目もくれなかった。ただ、強い思念を放った。
 砂人は、びくりとして動きを止めた。
 何百もの砂人たちの視線を浴びながら、ジュダインはようやく堅い石畳を踏みしめた。塔の入り口とおぼしきアーチを見つけ、そこをくぐりぬけた。
 とたんに、すさまじい恐怖がジュダインをおそった。
 まじりっけなしの、理由もない恐怖だった。それはジュダインの心をわしずかみにし、押しつぶそうとした。
 髪をかきむしり、悲鳴を上げそうになるのを、ジュダインはようやくしぼりだすようなうめき声にとどめた
 二三歩よろめいて壁に手をつくと、ひびわれた壁のあいだからぱらぱらと砂がこぼれた。
 これは、この場を支配しているものの〈力〉なのだ。
 歯をくいしばりながら、彼は奥へと歩みはじめた。
 砂に覆われた床に、ぽっかりと深淵のような穴が空いていた。地下へとつづく階段が伸びている。ジュダインは引き寄せられるようにそこに向かい、ぴたりと足を止めた。倒れた円柱の影から、人影が現れた。
 ジュダインのよく知っている人物だった。
 青灰色の上衣を着た白髪の青年。彼はその深紅の瞳に冷笑を浮かべ、腰に下げた剣に手をかけている。
「シャデル」
 ジュダインは呆けたようにつぶやいた。
 気がつくと、彼の前にいるのはシャデルばかりではなかった。王と王妃、父、エベド、エメル・メラ、ライラン、それから──。
 ジュダインの知っている限りの者たちが、さざめくような笑い声をたてて近づいて来るのだった。
 ジュダインは後ずさった。シャデルは笑みを浮かべたまま剣を抜き、ジュダインの胸を刺し貫いた。
 ジュダインは胸をおさえて膝をついた。
 おそるおそる両手を広げ、かざしてみる。血が指の間からしたたって床の砂を赤くにじませた。
 が、痛みも生温かい血の感触も感じなかった。これも、いましがたの恐怖と同様につくられた幻なのだ。
 それとも?
 ジュダインはぞっとした。わたしは、とっくに狂っているのだろうか。
 大勢の幻は、今やかん高い声を張り上げて笑っていた。ジュダインはこらえきれずに耳をおおい、階段に足をかけた。よろめいた足は段をふみはずし、彼はもんどりうって転がり落ちた。
 体中の激痛は、しかしジュダインの正気をとどめてくれた。額が切れたらしく、こんどは本当の血が頬をつたい、唇をぬらした。
 ジュダインは身を起こし、その地下室をゆっくりと眺めまわした。陽の光に慣れた目は、闇の中のものが見えてくるまでしばしかかった。
 やがて、様々な形をした金属の器具がジュダインの目に映った。砕けたガラスやねじれたチューブ。そういったものにかこまれて、青白い〈彼〉の姿が浮かび上がった。
 人間として生まれながら、人間でないものに姿をかえた変形人間。
「おまえか」
 ジュダインは、自分でも驚くほど平静な声で言った。
「おまえがこの騒動のもとなのか。わたしをここまで引き寄せたのか」
(おまえが勝手にやって来たのだろう、向こう見ずな人間め)
 〈彼〉は、じかにジュダインの心に入り込んできた。
(だが、これまでだ)
 〈彼〉は白いたてがみをゆすって笑い声をたてた。美しい彫像のような人間の顔に、陰惨な狂気の陰がさした。
(おれを、わずらわせるな)
 〈彼〉は、四本の足で伸びをするように立ち上がった。白いみごとな毛並みに覆われた身体は、猫科のしなやかさを持っていた。
 〈彼〉は一歩踏み出すと、大きく翼を広げた。おびただしい砂が舞い上がった。
 突然の暗黒がジュダインをつつんだ。地下室の壁も床も、砂塵まじりの空気さえもジュダインのまわりから存在を断った。
 ジュダインが投げ出されたのは真の闇。まったくの無と言えるものだった。
 上も下も、前も後ろも感じられない虚無の深淵。
 ジュダインは顔を覆おうとした。が、手はなかった。声を上げようにも声はなかった。
 彼は自分の存在が、この虚無の中に溶け込んでいくのをおぼえた。
 彼は、必死で自分をとどめようとした。
 が、
 ふっつりとジュダインの意識はとぎれた。
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