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しおりを挟むむっとする草いきれが鼻をくすぐった。
むせかえりそうになったアロウィンは、むくりと身を起こした。
湿り気を帯びた風が頬をなぶる。空気はねっとりとしていて、喉にからみつくようだった。
アロウィンは、ようやく何があったか思い出した。
〈彼〉の力はものすごかった。いきなり目の前が真っ白になったかと思うと──。
だが、どうやら自分は生きているようだ。
いったい、ここはどこだろう。ライランや〈彼〉はどうしてしまったのか。
周りに、砂漠を思わせるものは何もなかった。びっしりと生い繁げる原生林が陽射しをさえぎっている。どこもかしこも目にしみるような緑。驚いたことに、大きな木の葉の合間からのぞく空さえもが明るい緑色だ。
「ライラン」
むしょうに心細くなり、アロウィンは彼の名を呼んだ。もう一度、
「ライラン!」
返事はなく、ただ森の静寂ばかり。
と、アロウィンは内臓がひっくりかえりそうな地響きを耳にして身をすくめた。
だんだんこちらに近づいてくる。
そう思ったとたん、太い木の幹の間から、ぬっと顔を突き出したものがある。
アロウィンは、あやうく悲鳴をあげそうになった。
見上げるほど巨大なとかげの頭が、こちらを見下ろしていた。
アロウィンは、蛇ににらまれた蛙さながら、その場に凍りついた。
そいつは目を細め、アロウィンの前に長い鼻面を差し出した。
それをつたって、一人の敏捷そうな少年が姿を見せた。
腰布ひとつで、年は十二三ぐらい。黒い髪は生まれてから一度も切ったことがないにちがいない。一つにたばねてはいたが、腰を覆うほどに長かった。
しかし、アロウィンが驚いたのはそんなことではなかった。彼の頭には、一本の真珠色の角が生えていたのだから。
角の生えた少年は顔をほころばせ、二言三言アロウィンには理解できない言葉を口にした。害意を持っていないことは確からしい。
アロウィンは首を振り、ひきつった笑を返した。
「サアァク!」
その時、別の声が聞こえてきた。
少年の側に現れたのは、背の高い赤毛の男だった。やはり腰布一つで髪は長かったが少年にはおよびもつかず、何より角が生えていなかった。
彼の顔に憶えがあった。アロウィンは、はっとした。
そうだ。〈彼〉が目覚めて幻惑鳥が飛び立ったあの時、幻の中で確かに見た。
「さぞかし驚いているだろうね」
彼は若々しい声でそう言い、にっと笑った。
「いささか、わたしも驚いている」
「あなたは、わかるんですね。ぼくの言葉」
「ああ、わたしもウェストファーレンの住人だったからね」
「あなたは?」
「アクオヌ。ここではそう呼ばれているよ。角なし、といった意味さ」
彼は少年の肩に腕をまわし、アロウィンをさしまねいた。
「さあ、行こう。きみの仲間が待ってるよ」
「ライラン!」
「そう」
アクオヌはいたずらっぽくくすりと笑った。
「わたしと同じ赤毛のね」
「わからないんです」
恐竜の背にアクオヌと並んでしがみつきながらアロウィンは言った。
「ここはどこですか。ぼくたちは、どうしてここに?」
「説明するのは、ちょっとばかりむずかしいな」
アクオヌはうなずいた。
「ここは、ウェストファーレンとは違った空間世界さ。ウェストファーレンばかりがひとつの世界じゃない。様々な空間、様々な世界が重なり合って存在しているんだ。世界と世界の間を越えるにはかなりの〈力〉を必要とするが、時にはきみたちのように予期せず時空を飛び越えてしまうこともある。たぶん、〈彼〉とぶつかりあった〈力〉が、空間にひずみを作ったんだろうけどね」
「なぜ、〈彼〉のことを?」
「悪いと思ったが、ライランの夢を見させてもらったんだよ」
「ああ」
アロウィンは微笑んだ。
「ぼくは、あなたがほんとは誰なのか、わかったような気がしますよ」
アクオヌは、明るい笑い声をたてた。
「この世界ではただの角なしさ。気にするなよ、坊や」
しばらく行くと密林が開け、大きな湖が現れた。
陽差しを弾き返してきらめく湖のほとりには、草ぶきの集落があり、長髪で角の生えた人々の姿が見られた。アロウィンの乗っている恐竜の仲間らしいものが何頭も、集落のまわりをうろついたり、湖で水浴したりしている。
アクオヌは、恐竜から下りるとアロウィンをとある小屋に導いた。
しきつめた草の上に、ライランがむっつりと座り込んでいた。
「アロン!」
アロウィンを見るなりライランは叫んだ。
「あんた、どこにいたんだい」
「ここから離れた密林さ。きみは?」
「あの湖の中だ」
そういえば、ライランの髪はまだ濡れている。
「あやうく、おぼれるところだったよ」
「だけど、〈彼〉はどうしたろう」
互いの無事を確かめ合うと、不安が急に襲ってきた。
「まだウェストファーレンに残っているとしたら」
アロウィンはアクオヌに向き直った。
「ぼくたち、こうしちゃいられません。ウェストファーレンに帰る方法はありませんか」
「わたしの〈力〉できみたちを帰すことはできるよ」
「それじゃあ、すぐに」
その時、さっきの少年が小屋の中に駆け込んで来た。彼はアクオヌに近づくと、早口で何かをまくしたてた。
「〈彼〉もこの世界に来たんだ」
アクオヌは顔を曇らせ、立ち上がった。
「おいで、二人とも。〈彼〉に会いに行こう」
〈彼〉は湖の側の草原に横たわっていた。
角のある人々が彼を遠まきにして、てんでに何かをささやきあっていた。彼らの側には一頭の恐竜がおとなしく後足で座っており、すまなそうに人間たちを見下ろしている。
〈彼〉は目を見開いていたが、その身体は生きているのが不思議なほどねじ曲がっていた。白い毛並みの半分が血に染まっていた。翼は二つに折れ、うつぶせなった横腹からは、はみだした内臓が見えた。その身体に、時々ひくひくと弱い痙攣がはしった。
「空間にひずみができた時」
アクオヌはいたましそうにささやいた。
「きみたちはこの世界に投げ出された。アロウィン、きみは密林に、ライランは湖に、そして〈彼〉は恐竜の足の下に」
アクオヌは〈彼〉の前にかがみ込んだ。
〈彼〉はアクオヌをにごった目で見上げ、口を開きかけた。
それよりも早く、アクオヌは彼の耳に顔を近づけ、何かをささやいた。
〈彼〉の表情が緩むかに見えた。
〈彼〉は目を閉じ、静かに最後の息を吐き出した。
「〈彼〉に、何を?」
アロウィンは尋ねた。
「夢をね」
アクオヌは悲しげに微笑した。
「夢を見させてやったんだ。草原で思い切り手足を伸ばして風に吹かれている夢を」
「イムラによろしく。そうあの人は言ってたよ」
アロウィンは言った。
「ぼくたちをここに帰してくれる時に。あの人は、風の王だったんだね、イムラ」
「どこにいるのかと思っていたら」
イムラは、こらえきれないように、声をたてて笑い出した。
「別の世界だなんて考えもしませんでしたよ。昔からとっぴょうしのないことをする人でしたが」
イムラはレヴァイアに戻らなかった。
アロウィンたちにいとまを告げ、ふらりとどこかに旅立った。
アロウィンとライランはクラウトの力を失っていた。
〈彼〉とまみえた時、すべてを使いはたしてしまったらしかった。
ハリスラムはアロウィンに王座を空け渡した。
ジュダインはそれから三年生きた。
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