23 / 24
22
しおりを挟むむっとする草いきれが鼻をくすぐった。
むせかえりそうになったアロウィンは、むくりと身を起こした。
湿り気を帯びた風が頬をなぶる。空気はねっとりとしていて、喉にからみつくようだった。
アロウィンは、ようやく何があったか思い出した。
〈彼〉の力はものすごかった。いきなり目の前が真っ白になったかと思うと──。
だが、どうやら自分は生きているようだ。
いったい、ここはどこだろう。ライランや〈彼〉はどうしてしまったのか。
周りに、砂漠を思わせるものは何もなかった。びっしりと生い繁げる原生林が陽射しをさえぎっている。どこもかしこも目にしみるような緑。驚いたことに、大きな木の葉の合間からのぞく空さえもが明るい緑色だ。
「ライラン」
むしょうに心細くなり、アロウィンは彼の名を呼んだ。もう一度、
「ライラン!」
返事はなく、ただ森の静寂ばかり。
と、アロウィンは内臓がひっくりかえりそうな地響きを耳にして身をすくめた。
だんだんこちらに近づいてくる。
そう思ったとたん、太い木の幹の間から、ぬっと顔を突き出したものがある。
アロウィンは、あやうく悲鳴をあげそうになった。
見上げるほど巨大なとかげの頭が、こちらを見下ろしていた。
アロウィンは、蛇ににらまれた蛙さながら、その場に凍りついた。
そいつは目を細め、アロウィンの前に長い鼻面を差し出した。
それをつたって、一人の敏捷そうな少年が姿を見せた。
腰布ひとつで、年は十二三ぐらい。黒い髪は生まれてから一度も切ったことがないにちがいない。一つにたばねてはいたが、腰を覆うほどに長かった。
しかし、アロウィンが驚いたのはそんなことではなかった。彼の頭には、一本の真珠色の角が生えていたのだから。
角の生えた少年は顔をほころばせ、二言三言アロウィンには理解できない言葉を口にした。害意を持っていないことは確からしい。
アロウィンは首を振り、ひきつった笑を返した。
「サアァク!」
その時、別の声が聞こえてきた。
少年の側に現れたのは、背の高い赤毛の男だった。やはり腰布一つで髪は長かったが少年にはおよびもつかず、何より角が生えていなかった。
彼の顔に憶えがあった。アロウィンは、はっとした。
そうだ。〈彼〉が目覚めて幻惑鳥が飛び立ったあの時、幻の中で確かに見た。
「さぞかし驚いているだろうね」
彼は若々しい声でそう言い、にっと笑った。
「いささか、わたしも驚いている」
「あなたは、わかるんですね。ぼくの言葉」
「ああ、わたしもウェストファーレンの住人だったからね」
「あなたは?」
「アクオヌ。ここではそう呼ばれているよ。角なし、といった意味さ」
彼は少年の肩に腕をまわし、アロウィンをさしまねいた。
「さあ、行こう。きみの仲間が待ってるよ」
「ライラン!」
「そう」
アクオヌはいたずらっぽくくすりと笑った。
「わたしと同じ赤毛のね」
「わからないんです」
恐竜の背にアクオヌと並んでしがみつきながらアロウィンは言った。
「ここはどこですか。ぼくたちは、どうしてここに?」
「説明するのは、ちょっとばかりむずかしいな」
アクオヌはうなずいた。
「ここは、ウェストファーレンとは違った空間世界さ。ウェストファーレンばかりがひとつの世界じゃない。様々な空間、様々な世界が重なり合って存在しているんだ。世界と世界の間を越えるにはかなりの〈力〉を必要とするが、時にはきみたちのように予期せず時空を飛び越えてしまうこともある。たぶん、〈彼〉とぶつかりあった〈力〉が、空間にひずみを作ったんだろうけどね」
「なぜ、〈彼〉のことを?」
「悪いと思ったが、ライランの夢を見させてもらったんだよ」
「ああ」
アロウィンは微笑んだ。
「ぼくは、あなたがほんとは誰なのか、わかったような気がしますよ」
アクオヌは、明るい笑い声をたてた。
「この世界ではただの角なしさ。気にするなよ、坊や」
しばらく行くと密林が開け、大きな湖が現れた。
陽差しを弾き返してきらめく湖のほとりには、草ぶきの集落があり、長髪で角の生えた人々の姿が見られた。アロウィンの乗っている恐竜の仲間らしいものが何頭も、集落のまわりをうろついたり、湖で水浴したりしている。
アクオヌは、恐竜から下りるとアロウィンをとある小屋に導いた。
しきつめた草の上に、ライランがむっつりと座り込んでいた。
「アロン!」
アロウィンを見るなりライランは叫んだ。
「あんた、どこにいたんだい」
「ここから離れた密林さ。きみは?」
「あの湖の中だ」
そういえば、ライランの髪はまだ濡れている。
「あやうく、おぼれるところだったよ」
「だけど、〈彼〉はどうしたろう」
互いの無事を確かめ合うと、不安が急に襲ってきた。
「まだウェストファーレンに残っているとしたら」
アロウィンはアクオヌに向き直った。
「ぼくたち、こうしちゃいられません。ウェストファーレンに帰る方法はありませんか」
「わたしの〈力〉できみたちを帰すことはできるよ」
「それじゃあ、すぐに」
その時、さっきの少年が小屋の中に駆け込んで来た。彼はアクオヌに近づくと、早口で何かをまくしたてた。
「〈彼〉もこの世界に来たんだ」
アクオヌは顔を曇らせ、立ち上がった。
「おいで、二人とも。〈彼〉に会いに行こう」
〈彼〉は湖の側の草原に横たわっていた。
角のある人々が彼を遠まきにして、てんでに何かをささやきあっていた。彼らの側には一頭の恐竜がおとなしく後足で座っており、すまなそうに人間たちを見下ろしている。
〈彼〉は目を見開いていたが、その身体は生きているのが不思議なほどねじ曲がっていた。白い毛並みの半分が血に染まっていた。翼は二つに折れ、うつぶせなった横腹からは、はみだした内臓が見えた。その身体に、時々ひくひくと弱い痙攣がはしった。
「空間にひずみができた時」
アクオヌはいたましそうにささやいた。
「きみたちはこの世界に投げ出された。アロウィン、きみは密林に、ライランは湖に、そして〈彼〉は恐竜の足の下に」
アクオヌは〈彼〉の前にかがみ込んだ。
〈彼〉はアクオヌをにごった目で見上げ、口を開きかけた。
それよりも早く、アクオヌは彼の耳に顔を近づけ、何かをささやいた。
〈彼〉の表情が緩むかに見えた。
〈彼〉は目を閉じ、静かに最後の息を吐き出した。
「〈彼〉に、何を?」
アロウィンは尋ねた。
「夢をね」
アクオヌは悲しげに微笑した。
「夢を見させてやったんだ。草原で思い切り手足を伸ばして風に吹かれている夢を」
「イムラによろしく。そうあの人は言ってたよ」
アロウィンは言った。
「ぼくたちをここに帰してくれる時に。あの人は、風の王だったんだね、イムラ」
「どこにいるのかと思っていたら」
イムラは、こらえきれないように、声をたてて笑い出した。
「別の世界だなんて考えもしませんでしたよ。昔からとっぴょうしのないことをする人でしたが」
イムラはレヴァイアに戻らなかった。
アロウィンたちにいとまを告げ、ふらりとどこかに旅立った。
アロウィンとライランはクラウトの力を失っていた。
〈彼〉とまみえた時、すべてを使いはたしてしまったらしかった。
ハリスラムはアロウィンに王座を空け渡した。
ジュダインはそれから三年生きた。
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる