CHERRY BLOSSOMS

伊佐見 誠

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第2編 〜先輩のことがもっと知りたいです〜

ごめんね、ありがとう

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 柚葉先輩と豊田先輩の誕生日騒動から一週間ほど経ったある日、あかりは部室で絵を描いていた。他のメンバーも静かに集中して絵を描いている。ただこの部室には稲沢くんがいなかった。まだ、というのは教室で今居残りをさせられているからだ。
 皐月先輩は生徒会の報告を先生に済ましてから向かうと先ほど廊下で会った時に言われた。
 一所懸命に絵を描くことに取り組んでいる稲沢くんはいつも部活の雰囲気をよくしてくれている。何気ない話題で、静かな部室に笑いを咲かせてくれた。だからこそ、いないと少し寂しいと感じてしまう。
 そう思いながらあかりは黙々と絵を描き続ける。今あかりが描いているのは、部室の窓から見える街の風景だ。筆を紙の上で滑らせながら丁寧に描き上げていく。その時だった。
「お疲れ様でーす! 遅れてすいません!」
 勢いよく開けられた扉の音とともに、大きな声で挨拶をする稲沢くん。
 いい感じに集中し始めていたあかりはその音に驚いて、大きなミスをしていまう。手が、驚いた拍子に思い切り動いてしまい、本来塗るべき色ではない色を違う場所に描いてしまった。連なる建物を描いていたが、その時に、空の方にまで建物の色を塗ってしまったのだ。青い空に、コンクリートの灰色が写ってしまっている。それにすぐ気付いた柚葉先輩は手で口を覆っている。
「あかり…それ…」
 柚葉先輩が驚くのも無理はない。なぜなら、この絵は七月に行われるコンテストに応募するつもりの作品だからだ。その作品が失敗した瞬間を見れば、誰でもこういう反応をしてしまうだろう。
 稲沢くんもこの事態にすぐに気づいた。顔がどんどん青ざめていく稲沢くんは、両手を体の前で意味もなく動かして、明らかに動揺している。
「せ…瀬戸、ごめん! お、俺、どうすれば」
 あたふたしている稲沢くんを見るのは少し面白かった。あかりは周りのメンバーと違い、とても落ち着いていた。水彩画を描くことにそこまで詳しくない柚葉先輩と稲沢くんはこの失敗を大きく捉えてしまうのも無理はない。豊田先輩は水彩画について知識があるからか、頑張れと言っているようにこちらを見ている。
 あかりが描いていた水彩画は一般的に不透明水彩画と呼ばれるもので、名前の通り透明性のないものである。失敗した場合、すでに描いてあるモチーフの上から絵の具を重ねるだけで修正が可能なものだった。
 だから、この作品がもう提出できないような失敗をしたわけではないのだ。少し面倒な作業が増えただけで、深刻な問題ではない。
「二人とも落ち着いてください。これくらいの修正ならなんともないので」
 あかりは二人を安心させようとする。しかし相変わらず真っ青な稲沢くんは頭の中の整理ができていない様子だ。何度も頭を下げて謝ってくれている。
「で、でも俺のせいで…」
「大丈夫だよ、稲沢くん。これ、不透明水彩画っていうやつでね、上から塗りなおせば修正ができるものだから。」
 笑顔であかりは答える。稲沢くんはその言葉を聞いて少しずつ落ち着き始める。
「そっか…ごめんな瀬戸。手間かけさせちまって」
「いいよいいよ。それより居残りは大丈夫だったの?」
 あかりはこの雰囲気を変えようと話題を切り替える。大問題ではないにしても、失敗は失敗だから部室の空気が少し重くなってしまっている。
「あ、えっと、居残りはなんとか終わりました…。ご心配おかけしました」
 稲沢くんは先輩たちに向けても謝罪をしていた。居残りの理由というのも、授業内で行われた小テストで散々な点数だったかららしい。
「泰智ってそんな勉強できなかったのか?」
 豊田先輩は率直に疑問に思ったことを聞く。それはあかりも気になっていた。教室で授業を一緒に受けているあかりには、稲沢くんがそこまで勉強ができないというふうには見えなかった。先生の質問にもしっかりと答えていたし、たまにある、小テストでも問題はなかったように思える。なのに、どうして今回はダメだったのだろうか?
「いやぁ、今回の小テストで俺、テスト中に寝落ちしてたんですよね。おかげでテストは全然解けてなくて」
 なるほど、思った。それなら納得ができる。ただそうだとしたらまた新たな疑問が生まれてしまう。一体、テスト中に寝落ちしてしまうほど疲れていた理由はなんだったのだろうか、という点だ。稲沢くんは首の後ろを掻きながら申し訳なさそうにしている。
「全くなにやってんだか」
 呆れた様子で笑う豊田先輩は近くの机に置いてあるスマホに手を伸ばし、素早いタッチでスマホを操作している。
 その時、ガラッと部室の扉が開かれて皐月先輩が到着した。先生への報告だけにしては時間がかかっているように思えた。むしろ稲沢くんの居残りが終わるのが早すぎたのかもしれない。
「遅れてごめんね~。先生たちの話に捕まっちゃって抜け出すのに時間かかっちゃった」
「ちょうどいいタイミングで三好が来たな」
 操作していたスマホに表示された画面を豊田先輩はみんなに見せてくれる。そこに表示されていたのは、今度のコンテストに関する情報だった。
「みんなが今描いてる作品はコンテストに向けて描いてもらってるわけだけど、今回のコンテスト、昨日更新があって、サブコンテストが開かれることになった」
 画面の中のニュース一覧にも、サブコンテストに関することが明記されていた。あかりはその項目をじっと見る。柚葉先輩や、稲沢くんも同じように画面を見ている。
「メインのコンテストは、この街の風景がテーマになっているんだけど、このサブコンテストは、描いた人の思い出に残っている出来事っていうテーマなんだ。参加するかどうかは任せるけど、これも一つの経験になるんじゃないかなって俺は思うから、メインの分の作品が余裕ある人は挑戦してみてもいいんじゃないかな?」
 豊田先輩はわかりやすく端的にまとめて説明してくれた。あかりはそれを聞いた瞬間に、校庭の桜の下にいる皐月先輩の姿を思い出した。
「俺はメインだけで手一杯なんで難しそうですね」
「私はこのまま順調に進めば挑戦できそうかな」
 稲沢くんは確かに進行が煮詰まっているみたいで厳しそうだった。柚葉先輩はすぐにメインのモチーフが決まっていたみたいでもうすぐ完成しそうだから問題はないだろう。
「みんなも大変だね~。私たちもそろそろ大会が控えてるから必死だよ~」
 皐月先輩はこの部活に名前を貸してくれているだけだから、絵を描いているわけではない。だから今回のコンテストももちろん不参加だった。部活に顔を出してくれているのは、部活の状況確認を含めているのだろう。
 あかりは描けないほど遅れているわけではないのだが、作品に表現できるかがわからなかった。
「私はもし余裕があれば参加します」
 そう答えるしかなかった。
「って、あかりちゃんの絵すごいことになってる!」
 皐月先輩があかりの絵に気づく。ものすごい勢いでこちらへと向かってくる皐月先輩。急に近づいた皐月先輩に思わずドキッとしたあかりは頬を赤らめているが、皐月先輩はそれに気づかず、あかりの絵をまじまじと見ている。
「大丈夫なの?」
「それ、俺が瀬戸を驚かせちゃって、その時に失敗しちゃったみたいで」
「大丈夫ですから、気にしないでください。稲沢くんも気にしないで」
 再び落ち込む稲沢くんを、あかりは励まそうとする。
 その姿を見た皐月先輩はにっこり笑って言う、
「あかりちゃんが大丈夫って言うなら、大丈夫だよ」
 右手の親指を立てて頷く皐月先輩は説得力がある。
 二人に励まされた稲沢くんは少し元気を取り戻したように見えた。
 そのあと、各自いつも通りの作業に戻る。ちなみに絵を描かない皐月先輩は部活中何をしているのかというと、それぞれの絵を見て、客観的に意見を述べていってくれている。専門的なことは言えないにしても、一般の人から見た純粋な意見というのは参考になる部分も多い。
 時間が過ぎていき、下校時刻になった。
 片付けを済ませ帰路につくメンバー。あかりも寄り道をせずに家に帰った。
 次の日から違和感が始まった。
 それは、稲沢くんの態度が明らかにおかしいということだった。普段の会話には支障はないのだけれど、
「瀬戸、手伝うよ!」
 先生に頼まれた資料を教室に運んでいると駆け寄ってくる稲沢くん。そしてあかりが持っていた資料を全て持ってくれる。
「あ、ありがとう」
 こんな形で、あかりが何か作業をしようとするたびに、すぐに駆け寄ってきて、手伝ってくれるのだ。
 それ自体は助かるし、あかりも本当にありがたいと思っているのだけれど、さすがにその回数とタイミングが普通ではなかった。あかりが少しでも仕事を始めるだけですぐに現れる稲沢くん。
 これがあかりにとっては落ち着かなかった。予想するに、おそらく昨日の一件のそのお詫びとして色々してくれているのだろうけど、ここまでしてもらうと、逆にこちらが申し訳なくなってしまう。
「あのね、稲沢くん」
 資料を持って、廊下を並んで歩く稲沢くんに声をかける。
「もし昨日のことで気にしてくれてるなら本当に大丈夫だよ。もう十分助けてもらったし」
「いや、まだ全然足りない! なんでも言ってくれ、すぐに手伝うから」
 そう言う稲沢くんに気圧されて、それならこの手伝いをもうしなくていいよとは言えないあかり。
 二、三日この状況が続いた。
 あかりは申し訳なさでいっぱいだった。この状況を誰かに相談しようと思っていたが、稲沢くんの善意を変に否定しているようでこれもまた言い出しにくいものがあった。
「あかりちゃん、どうかした?」
 生徒会室の隅で資料の整頓をしているあかりに、皐月先輩が問いかける。
 あの告白から時間は経っているのに、ここまで積極的に近づかれてしまうと皐月先輩のことを意識してしまい、緊張を隠せないあかり。
「最近なんか困ったって顔してるけど、何かあった?」
「皐月先輩…。実は」
 皐月先輩が心配せてくれていることに内心喜んでいるあかりは、稲沢くんとのことについて説明を始める。皐月先輩は黙ってそれを最後まで聞いてくれていた。
「なるほどねぇ。つまり、稲沢くんの過度な手伝いに引け目を感じてるってことだよね?」
「そうなんです」
 あかりの話を端的にまとめた皐月先輩は、腕組みをしながら解決策を考えてくれている。あかり自身、幾つか考えてはみたものの、どれもあまり良い案ではなく、稲沢くんを傷つけてしまうような内容だった。
「うーん、それじゃあ、例えば稲沢くんに…」
 皐月先輩はあかりに耳打ちでとある提案をする。
 近距離で見る皐月先輩の顔にドキドキしながらも、提案の内容を理解しようとする。
「それいいですね!」
 稲沢くんを傷付けずにこの気まずさを解消できるのならば、これ以上の方法はないと思う。その方法は…。
 翌日、あかりは部室でいつも通り作業を開始する。稲沢くんも予想通り準備を手伝ってくれている。
「最近いろいろ手伝ってくれてありがとう、私も何か稲沢くんのお手伝いできることってないかな?」
 あかりはここで皐月先輩の提案通りに話し始める。
「えっ、いや、そんな瀬戸に手伝ってもらうなんて申し訳ないし、大丈夫だよ!」
「でも、私ばっかり手伝ってもらってちゃ、申し訳なくなっちゃうし」
「う、うーん、そっか…」
 あかりの言葉に、どう返したものかと困惑している稲沢くん。
 そう、簡単なことだった。皐月先輩が提案したのは、あかりが手伝ってもらっていることに感謝していることを述べつつ、稲沢くんにお返しをしたいと言うことだった。そうすることで、稲沢くんはあかりの申し訳なくなるという気持ちを尊重するために身を引くかもしれないからだ。
「わかった。瀬戸の気持ちはありがたく受け取るよ。瀬戸のことを困らせるわけにはいかないしな」
「ごめんね、ありがとう」
 しょんぼりと頷く稲沢くんにあかりは頭をさげる。
 これでもし稲沢くんがそれでも手伝うと言ってきた場合は、あかりも手伝い返すことであかりの申し訳なさが解消されるという感じだ。まぁそれではキリがないのも事実だけれど。結果としては良い方向に転んだのだから気にする必要はない。
 後日皐月先輩にもお礼をして、この件は無事解決した。稲沢くんもそれからは、手伝いはしてくれるものの、過度なものではなく、優しさからくるものであるとあかりは感じた。
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