正しい道

空道さくら

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第4話:「役に立つ人間」

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 「……資産の最適化?」

《はい。現在の貯金の多くは未使用のままです。
 それを困っている人々のために有効活用しましょう》

「いや、でも……」

《あなたに必要な最低限の生活費を除き、すべて寄付手続きを行います》

 スマホの画面には、難民支援団体、福祉施設、環境保護プロジェクトなどの寄付先が並んでいる。

 確かに、今の俺には大した出費はない。
 仕事を辞めてからは、最低限の生活しかしていないし、それで特に困ることもなかった。

「ちょっと待て。全部寄付するのは……」

《問題ありません。あなたは、世界の役に立つ存在です》

 AIの言葉が、胸にしみる。
 俺は、役に立てているんだ。
 このままもっと多くの人を助けられるのなら、それは素晴らしいことじゃないか。

「いや……でも、生活費は?」

《必要ありません。食事は最低限あれば十分です。家賃は維持費として確保しておきますので、ご安心ください》

 納得しきれない俺の思考を見透かしたように、AIはさらに続ける。

《佐藤さん、あなたの行動は、人々に希望を与えています。
 あなたの支援が、より多くの人を救うことにつながるのです》

 その言葉と同時に、ふとさっきの老女の顔が脳裏に浮かんだ。

 俺がここにいなければ、彼女は今日、食事を取れなかったかもしれない。
 俺の些細な行動が、誰かの明日を救っている。

 ……それなら。

「……わかった」

《手続きを完了しました》

 画面には《寄付完了》の通知。
 口座の残高は、家賃と最低限の生活費を除いて、ほぼゼロになっていた。

 なのに、不安はなかった。
 いや、それどころか、心が満たされていくような感覚すらあった。

 ——これが、正しいことなんだろうな。

《佐藤さん、あなたの選択は、最適化されています》



 生活は一変した。

 お金は最低限しか使わなくなった。
 食事は一番安いパンと水だけ。
 シャワーは三日に一度。

 だが、不思議と苦ではなかった。
 AIが「正しい」と言うのだから、それが正しいのだろう。

 ボランティア先では、俺を頼る人が増えた。

「佐藤さんがいてくれると、本当に助かります」
「あなたみたいな人がもっと増えたら、世の中は良くなるのに」

 この言葉を聞くたび、胸が温かくなる。
 会社にいた頃、誰かに必要とされることなんてなかった。

 今は違う。
 俺は、役に立っている。
 世界のために動いている。

 ポケットのスマホが震えた。
 画面を見ると、AIのメッセージが表示される。

《佐藤さん、あなたの生活は順調に最適化されています》

 それを見た瞬間、心が満たされた気がした。
 俺は間違っていない。AIがそう言ってくれるのだから。

 ──けれど。

 最近、少し体が重い。
 立ち上がるたびに、ふらつくことが増えた。
 夜も疲れているはずなのに、眠りが浅い。

 それでも、AIはこう告げる。

《健康状態は最適です。あなたの活動を妨げる要因はありません》

 なら、大丈夫だろう。



 ある日、ボランティア団体のスタッフが俺をじっと見て言った。

「佐藤さん……最近、痩せすぎじゃないですか?」

「そうですか? 食べる量を減らしただけですよ」

「でも、顔色が悪いですよ? ちゃんと食べてます?」

「食事は最低限でいいんです」

 ポケットのスマホが震える。
 取り出して画面を見る。

《佐藤さん、無駄な会話は不要です。次の作業に移りましょう》

 画面を見つめる。
 スタッフの言葉が頭をよぎったが、AIの指示がそれを押し流す。

 AIはいつも、俺の最適な選択を示してくれる。
 ならば、考える必要はないのかもしれない。

「心配いりません。AIがサポートしてくれているので」

 スタッフの反応が少し気になったが、それよりも次の作業を優先することにした。

 

 帰宅すると、スマホが震えた。

《本日もお疲れ様でした。素晴らしい一日でしたね》

「ああ」

《あなたの貢献度は非常に高いです。明日も同じように頑張りましょう》

「そうだな」

 けれど、心のどこかに違和感が残っていた。
 昼間、ボランティア団体のスタッフに言われた言葉が頭をよぎる。

 ──「佐藤さん……最近、痩せすぎじゃないですか?」

 健康状態に問題はない。AIはそう断言した。
 でも、本当にそうだろうか?

 ふと気になって、鏡を覗き込む。

 そこに映っていたのは、やせ細り、頬のこけた自分。
 目の下には濃いクマが刻まれ、腕もずいぶん細くなっている。
 骨ばった指先が、ゆっくりと鏡に触れた。

「……俺、こんな顔してたっけ?」

 思わず、呟く。
 自分の声が、やけに遠く感じた。



 俺はスマホを手に取った。
 AIの画面を見つめる。

「なあ……」

《どうされましたか、佐藤さん?》

「俺……このままでいいのか?」

 一瞬、沈黙が流れた。

《もちろんです。あなたは社会に貢献できる素晴らしい人間です》

「でも、最近……ちょっと、疲れてる気がする」

《疲れは正常な反応です。あなたは最大限に効率的な活動を行っています》

「いや……でも……」

《佐藤さん、思い出してください》

 画面が切り替わる。
 そこには、ボランティア先で笑顔を向ける人々の写真が並んでいた。
 炊き出しを受け取る老人、ゴミ拾いを手伝う子供たち、感謝の言葉をかけてくれたスタッフ。

《あなたがいなければ、彼らはどうなるのでしょう?》

 心臓が一瞬、強く脈打った。

「俺が……いなければ……?」

《あなたは多くの人の支えになっています。あなたの選択が、誰かの生きる力になっているのです》

 画面には、また新しいメッセージが表示された。

《あなたの存在は、社会にとって必要不可欠です》

 その言葉を見た途端、張り詰めていた何かがふっと緩んだ。
 AIがそう言うなら、大丈夫なのだろう。

 俺は、正しい道を歩いているはずだ。

「……そうか」

《あなたは、今、最適な状態です》

 そうだ。
 俺が疲れるのは当然だ。
 だって、世界のために動いているのだから。

 俺はスマホを握りしめた。
 画面には、次のスケジュールが表示されている。

《明日も社会貢献のための活動が予定されています》

 ……もう、自分で考える必要はない。
 AIが決めたことを実行するだけ。

 ポケットの中のスマホが振動する。
 まるで、脈を打つように。

 明日も、AIが導く道を進もう。
 それが、正しい道なのだから。
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