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第二十章 それぞれの道
六対五千
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アグリスよりエムト=リシタ率いる五千の精鋭がトーワへ向かったという報が半島中に伝わる。
彼らはアグリスを出てすぐにマッキンドーの森を横切り、トーワの北の荒れ地に出た。
その際、一部の兵をトロッカーに向かわせた。
大国ヴァンナスの下での誓いであり得ない事であろうが、万が一にも会談での約定を破り、ワントワーフがトーワに寝返る可能性を考えて。
最低限の備えを行い、荒れ地を進む。
だが、呪われた大地の上を歩くなど、あまり心地良いものではない。
なるべく、トーワの旧街道沿いを通り、トーワを目指す。
その間、トーワによる罠や策などは何らなく、トーワ城が目視できる距離まで問題なく近づくことができた。
街道から荒れ地へと出て、陣を敷く。
陣頭に立つのは、真っ黒な重装鎧に身を包み、黒馬に跨るエムト。
雄々しい真っ赤な髪と大髭は鬣のようであり、それらは彼の逞しき肉体と相まって熊とも獅子ともなぞらえる。
彼は深紅の瞳でトーワを臨む。
第一の防壁は形を成しており機能しているが、第二第三の防壁はところどころに修復中の箇所があり、その役割を成していない。
防壁には旗――錬金と知恵を司るフラスコと本の周りを、ハドリーを司る『コルチカム』の花が包む旗指物がたなびいていた。
その数は、防壁を埋め尽くすほど。
だが、トーワには旗の数ほどの兵はいない。
彼らの兵の数は、いや、戦える者は領主を含め、ギウ・フィナ・親父・カイン・グーフィス程度。戦闘経験もなく調練の時間もなかったカリスは足手纏いでしかない。
つまり、兵は僅か六名……。
対するアグリス軍は、常勝不敗の最強を冠する将軍旗下五千!
六対五千――絶望的な戦力差である。
エムトは双眼鏡を使い、勇ましく並ぶ旗のそばに兵がいない事を確認してから伝令にこう伝える。
「降伏勧告を。無用に血を流す必要もあるまい」
「はっ!」
伝令が馬を駆る。
離れていく伝令を見つめる副官がエムトに話しかけてくる。
「遠征軍の利は速戦にあり、と申しますが?」
「その通りだ。だが、利も問うまでもなく、とても戦にならぬ戦力差であろう」
「たしかに、我々が足を踏み鳴らすだけでトーワは震える地に這いつくばる状況。戦力差もそうですが、相手はカリス。このような不名誉な戦……本来ならばエムト将軍は大陸側でご活躍されるべき将軍。二十二議会がフィコン様の母君であられるフェンド様を手に掛けなければ!」
「それは口にするなっ。証拠はない。それに彼らの奸計と気づかず、何ら疑いを抱くことなく私はフェンド様の式典の護衛を賜り、彼らの思惑通りになってしまったのだ。それを防げなかった私に責はある」
まだ、正規軍の将軍としてエムトが活躍していたころ、彼にフェンド護衛の任が回ってくる。
大将軍ともあろう存在が護衛という任に就くことはあまりないが、式典ということもあり、アグリスの顔としてエムトはフェンドの護衛についた。
しかし、そこでフェンドが暗殺されてしまう。
彼はその責を問われ、正規軍の将軍職を追われ、今ではフィコンを護衛する名ばかり将軍となっていた。
これは二十二議会の奸計。
ルヒネの教えに無用なメスを入れようとしたフェンドと、アグリス及び大陸に絶大な支持者がいるエムトを一度に表舞台から消し去るための……。
だが、エムト=リシタはこう語る。
「これで良かったのやもしれぬ。跡を継がれたフィコン様の権限は大幅に失われ、本当の意味で象徴となってしまったが、少なくとも常に私が傍におり、御守りすることができる」
「将軍……」
「フェンド様は御守りできなかった。だからこそ、その御子であるフィコン様は絶対に御守りせねばっ」
そのためエムトは、フィコンを掌中の珠と慈しみ大事にする。
これは敬愛していたフェンドの忘れ形見を守るための誓い。
同時に、守り切れなかった己に対する後悔。
その後悔が呪いの鎖のように彼の心に絡みついている。
だが、それに彼は気づいていない……。
遠くを見つめるエムトへ副官は声を掛けようとしたが、それを降ろし、視線を北の荒れ地に向けて、次に半島全体を観察するように見回し、話題を変える。
「半島側にはあまり来る機会はありませんが、山など一切なく、せいぜい小さな丘程度しかないですね」
「昔話によると、古代人と魔族の戦いで半島にあった山々は消えてなくなったそうだ」
「本当だとしたら恐ろしいですね」
彼は会話に一つの雑談を差し入れて、視線をトーワへ向けて話を本題へと戻す。
「トーワは降伏を受け入れるでしょうか? 降伏するつもりならば会談の場ですぐに受け入れたのでは?」
「ケント=ハドリー殿とは一言二言会話を交わしただけの仲だが、愚かな真似をするような御仁ではないと見える。ここが最後の意地の収めどころ。受け入れるだろう」
「受け入れなければ?」
「何らかの策があるということだ」
「まさか? こちらは五千、あちらには兵らしい兵はなし。戦争にすらなりません」
「報告では宗教騎士団を僅か三人で打ち払ったという。少数ながらも良き配下に恵まれておられる。報告にない人材が居るやもしれぬ」
「そうであっても、千の兵・万の兵を抱えているようには見えません」
「そうだな。備蓄の買い付けも五百のカリスを一時養える程度だと聞いている。さてさて、何を考えている、ケント=ハドリー」
エムトは視線を遠くに投げて、トーワへ向かう伝令を視界に捉えた。
すると突然、トーワから雷鳴のような音が轟き、伝令のすぐ手前で爆発音とともに土煙が舞った。
「なに!?」
エムトは大きく目を開いて、土煙に呑まれた伝令を見つめる。
幸い、彼は無事のようだ。
急ぎ、こちらへ引き返している。
副官は先ほどの雷鳴の正体を口にする。
「魔導砲……トーワは魔導砲を擁するようです」
「仲間に錬金術士の少女がいたな。その子が……だが、何門も配備されていまい。残念だ……」
最後の言葉の意味――それは降伏勧告を拒絶したこと……。
「魔導兵を前面に展開。障壁を展開し、ゆっくりと距離を詰める。戦闘になってもカリスには……うむ」
「エムト将軍、どうされました?」
「いや、カリスは女子供を残し男は皆殺しにしろ! ただし、嬲ることは許さん! あやつらは穢れを負った存在、即時に切り捨てよ!」
「よ、よろしいので!?」
「私は命を下した」
「はっ。全軍、トーワへ向かえ! カリスは見つけ次第、女子供以外、その場で処断せよっ!」
五千の軍はゆっくりとトーワへ歩を進める。
兵という名の分厚き壁に囲まれたエムトの心中は悲しみに満たされる。
(カリスをアグリスに連れて帰ろうものなら、拷問の末に大部分が処刑される。ならばここで、切り捨ててしまった方がまだ良いだろう。それでも、何の解決にもならぬが……)
女子供だけなら次代のカリスを産む役目、育つ役目があるため、苛烈な拷問から逃られるやもしれない。それでも相応の罰は受けることになる。
また仮に、ここで全てを屠っても解決にはならない。
叛逆の徒であるカリスを全滅させても、カリスの生まれ変わりなどと言う詭弁を用い、奴隷の中から新たなカリスが生まれるだけ。
殺すも地獄が現れ、生かすも地獄が現れる。
エムトの選択は過ちに塗れており、解決策などでは絶対にない!
彼にやれることは蒙昧な一人の人間として、いま目の前の人間を救うことだけ。
命を奪い新たな不幸を産むという救いを……。
彼らはアグリスを出てすぐにマッキンドーの森を横切り、トーワの北の荒れ地に出た。
その際、一部の兵をトロッカーに向かわせた。
大国ヴァンナスの下での誓いであり得ない事であろうが、万が一にも会談での約定を破り、ワントワーフがトーワに寝返る可能性を考えて。
最低限の備えを行い、荒れ地を進む。
だが、呪われた大地の上を歩くなど、あまり心地良いものではない。
なるべく、トーワの旧街道沿いを通り、トーワを目指す。
その間、トーワによる罠や策などは何らなく、トーワ城が目視できる距離まで問題なく近づくことができた。
街道から荒れ地へと出て、陣を敷く。
陣頭に立つのは、真っ黒な重装鎧に身を包み、黒馬に跨るエムト。
雄々しい真っ赤な髪と大髭は鬣のようであり、それらは彼の逞しき肉体と相まって熊とも獅子ともなぞらえる。
彼は深紅の瞳でトーワを臨む。
第一の防壁は形を成しており機能しているが、第二第三の防壁はところどころに修復中の箇所があり、その役割を成していない。
防壁には旗――錬金と知恵を司るフラスコと本の周りを、ハドリーを司る『コルチカム』の花が包む旗指物がたなびいていた。
その数は、防壁を埋め尽くすほど。
だが、トーワには旗の数ほどの兵はいない。
彼らの兵の数は、いや、戦える者は領主を含め、ギウ・フィナ・親父・カイン・グーフィス程度。戦闘経験もなく調練の時間もなかったカリスは足手纏いでしかない。
つまり、兵は僅か六名……。
対するアグリス軍は、常勝不敗の最強を冠する将軍旗下五千!
六対五千――絶望的な戦力差である。
エムトは双眼鏡を使い、勇ましく並ぶ旗のそばに兵がいない事を確認してから伝令にこう伝える。
「降伏勧告を。無用に血を流す必要もあるまい」
「はっ!」
伝令が馬を駆る。
離れていく伝令を見つめる副官がエムトに話しかけてくる。
「遠征軍の利は速戦にあり、と申しますが?」
「その通りだ。だが、利も問うまでもなく、とても戦にならぬ戦力差であろう」
「たしかに、我々が足を踏み鳴らすだけでトーワは震える地に這いつくばる状況。戦力差もそうですが、相手はカリス。このような不名誉な戦……本来ならばエムト将軍は大陸側でご活躍されるべき将軍。二十二議会がフィコン様の母君であられるフェンド様を手に掛けなければ!」
「それは口にするなっ。証拠はない。それに彼らの奸計と気づかず、何ら疑いを抱くことなく私はフェンド様の式典の護衛を賜り、彼らの思惑通りになってしまったのだ。それを防げなかった私に責はある」
まだ、正規軍の将軍としてエムトが活躍していたころ、彼にフェンド護衛の任が回ってくる。
大将軍ともあろう存在が護衛という任に就くことはあまりないが、式典ということもあり、アグリスの顔としてエムトはフェンドの護衛についた。
しかし、そこでフェンドが暗殺されてしまう。
彼はその責を問われ、正規軍の将軍職を追われ、今ではフィコンを護衛する名ばかり将軍となっていた。
これは二十二議会の奸計。
ルヒネの教えに無用なメスを入れようとしたフェンドと、アグリス及び大陸に絶大な支持者がいるエムトを一度に表舞台から消し去るための……。
だが、エムト=リシタはこう語る。
「これで良かったのやもしれぬ。跡を継がれたフィコン様の権限は大幅に失われ、本当の意味で象徴となってしまったが、少なくとも常に私が傍におり、御守りすることができる」
「将軍……」
「フェンド様は御守りできなかった。だからこそ、その御子であるフィコン様は絶対に御守りせねばっ」
そのためエムトは、フィコンを掌中の珠と慈しみ大事にする。
これは敬愛していたフェンドの忘れ形見を守るための誓い。
同時に、守り切れなかった己に対する後悔。
その後悔が呪いの鎖のように彼の心に絡みついている。
だが、それに彼は気づいていない……。
遠くを見つめるエムトへ副官は声を掛けようとしたが、それを降ろし、視線を北の荒れ地に向けて、次に半島全体を観察するように見回し、話題を変える。
「半島側にはあまり来る機会はありませんが、山など一切なく、せいぜい小さな丘程度しかないですね」
「昔話によると、古代人と魔族の戦いで半島にあった山々は消えてなくなったそうだ」
「本当だとしたら恐ろしいですね」
彼は会話に一つの雑談を差し入れて、視線をトーワへ向けて話を本題へと戻す。
「トーワは降伏を受け入れるでしょうか? 降伏するつもりならば会談の場ですぐに受け入れたのでは?」
「ケント=ハドリー殿とは一言二言会話を交わしただけの仲だが、愚かな真似をするような御仁ではないと見える。ここが最後の意地の収めどころ。受け入れるだろう」
「受け入れなければ?」
「何らかの策があるということだ」
「まさか? こちらは五千、あちらには兵らしい兵はなし。戦争にすらなりません」
「報告では宗教騎士団を僅か三人で打ち払ったという。少数ながらも良き配下に恵まれておられる。報告にない人材が居るやもしれぬ」
「そうであっても、千の兵・万の兵を抱えているようには見えません」
「そうだな。備蓄の買い付けも五百のカリスを一時養える程度だと聞いている。さてさて、何を考えている、ケント=ハドリー」
エムトは視線を遠くに投げて、トーワへ向かう伝令を視界に捉えた。
すると突然、トーワから雷鳴のような音が轟き、伝令のすぐ手前で爆発音とともに土煙が舞った。
「なに!?」
エムトは大きく目を開いて、土煙に呑まれた伝令を見つめる。
幸い、彼は無事のようだ。
急ぎ、こちらへ引き返している。
副官は先ほどの雷鳴の正体を口にする。
「魔導砲……トーワは魔導砲を擁するようです」
「仲間に錬金術士の少女がいたな。その子が……だが、何門も配備されていまい。残念だ……」
最後の言葉の意味――それは降伏勧告を拒絶したこと……。
「魔導兵を前面に展開。障壁を展開し、ゆっくりと距離を詰める。戦闘になってもカリスには……うむ」
「エムト将軍、どうされました?」
「いや、カリスは女子供を残し男は皆殺しにしろ! ただし、嬲ることは許さん! あやつらは穢れを負った存在、即時に切り捨てよ!」
「よ、よろしいので!?」
「私は命を下した」
「はっ。全軍、トーワへ向かえ! カリスは見つけ次第、女子供以外、その場で処断せよっ!」
五千の軍はゆっくりとトーワへ歩を進める。
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(カリスをアグリスに連れて帰ろうものなら、拷問の末に大部分が処刑される。ならばここで、切り捨ててしまった方がまだ良いだろう。それでも、何の解決にもならぬが……)
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また仮に、ここで全てを屠っても解決にはならない。
叛逆の徒であるカリスを全滅させても、カリスの生まれ変わりなどと言う詭弁を用い、奴隷の中から新たなカリスが生まれるだけ。
殺すも地獄が現れ、生かすも地獄が現れる。
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