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第二十章 それぞれの道

遠望の瞳

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――戦後・港町アルリナ(ケント)


 私、ケントはエムト軍と降伏の取り交わしのため、ノイファンの屋敷を借りて降伏文書の調印式を行った。
 アグリス軍・常勝不敗の獅子将軍・エムト=リシタが降伏文書に署名。
 これで、ひとまずの戦争は終えた。

 まだ、こまごまとした雑務が残っているが、それらはエムトではなく、アグリス側の官僚たちとの話し合いとなる。
 

 私はそれについてポツリと言葉を零し、これに親父が呆れた声をぶつけた。
「どんな形であれ勝利。賠償金の要求もできるか? できれば、吹っ掛けたいところ」
「旦那、そういうことは後でこっそり呟いてくださいよ。まだ、将軍がいらっしゃるのに」
「あ、聞こえたか。申し訳ない、将軍。配慮が足らずに」

「ふふ、敗軍の将、兵を語らず。配慮など無用、と言いたいが、部下たちの中には今回の敗北に納得していない者たちがいる。ですので、部下の前で語るのは遠慮願いたい」
「でしょうな。これはいくさではない。ただの言葉遊び。こちらも誇れるようなことではありませんから」


 私は将軍に小さく頭を下げた。
 その彼は、鼻から大きく息を抜く。

「ふ~、勝者から頭を下げられては立場がないな。我らは敗者、これ以上の言葉は恥の上塗り。黙して去るとしよう」
「そうですか。では、次はもっと穏やかな場で会いたいですね」
「ふふ、残念ながら次はないだろう」


 彼は諦観を言葉に乗せて立ち去ろうとした。
 部屋から出ていこうとする黒く広い背中に、私はどんよりとした闇が宿る瞳を見せて一言。

「次はありますよ」
「なに?」
「あなたのような謹厳実直な方には是非ともアグリスにいてもらいたい。私はそう願う」
「だが、私は……」

「ふふ、二十二議会があなたを弾劾する? それはありえません」
「何故だ?」
「私が望んでいない。そして、フィコン様が望んでいないからです」
「ん?」
「全てはアグリスに戻ればすぐにわかるでしょう。では、また」


 私は深く頭を下げる。
 エムトはというと、よくわからないといった表情で会議室から出ていった。


――会議室前

 扉を閉じて、エムトは最後に見せたケントの瞳について考えていた。
(あの男の瞳に宿る、闇。底知れぬ欲望の塊のような。あれは為政者が抱く野心……何を企んでいる? それにフィコン様が望むだと? いくらフィコン様でも、この敗北を処断なしに庇うことなどできまい。庇えば、議会に付け入る隙を与えてしまう。だが……)

 ケントの銀の瞳に宿る闇。そこからさらに深い場所にある光を思い起こし、エムトは戦場ですら抱いたことのない冷たさを背中に走らせる。

(あれはフィコン様の瞳。遠望の瞳。凡俗では見えぬ何かがケントには見えているのか? それは一体……?)

 ケントが語った言葉。見ているもの。
 フィコンが望むもの。行おうとしているもの。
 それらはエムトがアグリスへ戻り、すぐに理解することになる。



――アグリス


 エムトは最低限の武装以外、矢も槍も馬も奪われた敗軍の行列を率い、アグリスへ帰還した。
 歯車が重なり合う門が開き、次に訪れるのは罵声であろうと覚悟していた。
 だが、彼らに降り注がれたのは怒声――二十二議会を罵る怒声であった。

「将軍! 悔しかったでしょうね!」
「議会のせいで、常勝不敗の将軍に恥をかかせることになるなんて!!」
「あいつらのせいでえあるアグリスは!!」
「普段からフィコン様やエムト将軍を差し置いて威張り腐ってやがるくせに、今回ばかりは許せねぇ!」


 エムトは予想だにしなかった街の様相に、副官へ疑問をぶつける。
「一体、何が起こっている?」
「わ、私にもさっぱりです。すぐに調べてきます」

 そう副官は声を返すが、調べるよりも早く、民衆が街の中央広場へ訪れるようにとエムトたちを促し、彼らがそこに訪れると、広場には衝撃的な光景が広がっていた。


「こ、これは……二十二議会の一人、エナメル=アメロブ=トーマ……」

 エナメル=アメロブ=トーマ――通称エメルと名乗っていた金髪で四角顔の血色の悪い男。
 その男が中央広場にできた台の上で縛り首になっていた。
 エムトは物言わぬ彼に問いかける。

「何故、貴様が縛り首に……?」
 そこでようやく情報を集めてきた副官が答えを返した。

「今回の敗戦の責は議会の一人、エナメル=アメロブ=トーマ様にあるそうで」
「何故だ?」
「アルリナでの会談の場で、戦争の規約を取り決めたのはエナメル様。故に、敗戦の責はエナメル様に」

 
 アルリナ・マッキンドー・トロッカーの行動を受諾したのはエメル。
 そのため、エムト将軍率いるアグリス軍は為す術もなく敗北した。
 そういった言葉が敗戦の報と同時にアグリス中に広がったそうだ。

 エムトは思う。
(同時に? 馬鹿な、ありえない! それに細かな取り決めを民衆が知るはずもない。とすれば、これを広めた者がいる! それはっ!!)


――あなたのような謹厳実直な方には是非ともアグリスにいてもらいたい。私はそう願う――

(ケント=ハドリー! そしてっ!)


――ふふ、二十二議会があなたを糾弾する? それはありえません。私が望んでいない。そして、フィコン様が望んでいないからです――

(フィコン様!!)


 エムトはまっすぐとエメルの死体を見つめ、自身の外側で行われていた策謀に怒りと恐怖を表し、沸騰した脳漿で戦争の裏を見つめていく。


 
――アグリス

 二十二議会はこのエムトとフィコン様を引き離し、その間にフィコン様に残った僅かな権限を押さえようとした。もちろんそれを知る私は反対したが、フィコン様は私に出征するように命じた。
 それはフィコン様が蒙昧であったためではない。
 
 あの時点ですでに、戦争の敗北を予見し、その責を議会に背負わせる工作を考えていたからだ。


――トーワ

 ケントはフィコン様と繋がっていたわけではない。
 繋がることなくとも、フィコン様の御心を理解していた!
 この私には理解できなかった御心を!

 フィコン様は今回の敗北を良しとし、トーワへ勝利を譲った。
 トーワはフィコン様のアグリスにおける勢力拡大に手を貸し、勝利を受け取った。

 全てはアグリスで最大の権力を持つ議会の力を削ぐために!!


 問題は、フィコン様には議会の力を削ぐ理由はあるが、ケントにはないということだ。彼はなぜ、議会の力を削ごうと……? テプレノの恨みを晴らすため? 馬鹿な、そのようなことっ!

 
(待て……アグリスにおいて、フィコン様と議会の不和が決定的なものになれば、得をするのは敵対勢力。つまり、ケント=ハドリーは!!)

「副官! ケントは半島以外で交流を持っている者たちはいるか?」
「え? たしか、ビュール大陸側の勢力と手紙でのやり取り程度は行っていたかと」
「なんてことだ! 私はすぐに調べの車しらべぐるまの塔に戻り、フィコン様と拝謁する。あとは任せた!」
「は、はっ!」


 エムトは馬を駆る。
 激しく上下に揺れる馬上で、彼は恐ろし気なシナリオを思い描いていた。

(此度《こたび》の戦争で、変則的ながらもケントは力を示した! それも、アグリスの勇名を誇る私をやぶり! 今回の件で多くの者の注目を浴び、奴は大きな評価を得た。それは半島だけではなく、アグリスと対立する敵対勢力からも!)

 彼は手綱を強く握りしめ、自身の敗北がアグリスを必殺の危機へ陥れることになるかもしれないと強く後悔する。


(半島にはもはや味方なく、大陸も敵ばかり。四方を敵に囲まれ、それらは全てケントを評価している。これは、これはっ、これらは全て! ケントのアグリス盗りに繋がるっ!!)
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