マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯

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第三章 合縁奇縁と重なる誤解

初クエスト・清掃活動(ドブさらい)

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 早朝、太陽の光が窓から差し込む頃に目覚めて、一階へ降りていく。
 トルテさんから朝食をご馳走してもらい、仕事先までの地図をもらった。
 朝食を食べ終えて、出勤……体が重い、気が重い、働きたくない。

 そこはお金のため、生活のためと、何度も暗示をかけるように心の中で呟き、諦めさせる。

 地図に記された場所は道の入り組んだ裏通り。
 表通りの整然とした雰囲気と違い、裏通りにある道や建物は雑然としている。
 
 依頼主が待っている場所に到着……そこには一跨ぎで越えてしまえそうな小さな橋があり、橋の上には腹周りの立派な中年の女性が立っていた。
 おそらく彼女が依頼主だろう。


「あの~、すみません。清掃のお仕事で来たヤツハと言いますが~」
「あら、あなた? 若い女の子と聞いてたけど、えらく別嬪さんね」
「はぁ、ありがとうです」
「こんな別嬪さんには申し訳ない仕事なんだけど。大丈夫なの?」
「まぁ、収入がないと今日のご飯も食べられないから、文句言える立場じゃないんで」
「そう、大変ね。じゃあ、さっそくお願いしようかしら。道具類は用意してあるからね」

 柄の部分が木で先端が金属でできたシャベルと、段ボール大ほどの木箱を渡されて現場に案内される。
 仕事場に到着し、ドブ掃除が必要な場所に顔を向けて、俺は激しく後悔した。

 
 ドブさらいと聞いて、道沿いの小さな側溝程度の大きさを想像していたが、現場は全く違った。
 側溝ではなく、まごうことなきドブ川。
 川幅は俺の身長程度はあり、側面から飛び出したパイプからは汚泥が流れ出ている。
 これではドブさらいではなくて、下水掃除だ。

 俺は錆びれた人形のように首をキシキシと動かしておばさんを見る。
「こ、これを一人で、全部のドブをさらえと?」
「まっさか~、そんなことあるわけないじゃないの。多少のドブは取ってもらうけど、流れが止まらないようにゴミを取り除いてもらうだけよ。ほら、パイプのところに引っかかている枝や、ドブのコブに引っかかてるゴミが見えるでしょ?」
「ああ、そういうことか」

 しかし、ゴミの除去だけとはいえ、結構な量がある。
 一人でやるとなると、かなりの重労働だ。
 どうりでトルテさんが心配するはず。

 ま、いまさら文句を言っても始まらない。
 俺はドブ掃除の準備に取り掛かる。
 靴を脱いで、服に手をかける。
 靴も服も一張羅。それをドブに浸すわけにはいかない。
 シャツの下の部分を掴んで一気に脱ぐ。つもりだったのに、おばさんが慌てた声を出してきた。

「ちょ、ちょっと、何やってるのっ?」
「いや、ドブで服が汚れないように。これしか持ってないんで。下着は諦めるけど」
「何を馬鹿なことを。あなたみたいな若い娘さんを下着姿で働かせられるもんですか。少し、待ってなさい」

 
 おばさんはドタドタと派手な音を立てながら、どこかへ駆けていった。
 程なくして、脇に何かを抱えて戻ってくる。

「ほら、作業用の服と靴だよ。もう捨てる予定のものだったから、遠慮しないで使いなさい」
「あ、すみません。わざわざ」
「それとリボン。これで後ろ髪をまとめなさい。せっかくの綺麗な黒髪が汚れたら大変だからね」
「ありがとうございます」
 
 靴と赤いリボン。そして、くすんだ白い服を受け取る。
 靴は革靴ではなくて、木靴だった。

「木靴?」
「ドブ川には何が埋まっているかわからないからね。怪我でもしたら事だから」

 言われてみればそうだ。
 あんなところに素足で入ったら、何を踏むかわかったもんじゃない。

 おばさんは貸した服と靴は返さなくていいと言ってくれた。
 去ろうとするおばさんに再度礼を述べて、いよいよ仕事にかかる。


 後ろ髪をリボンでまとめて適当に結び、作業着に着替えて、近くにあった階段から川に降りる。
 川の上からも匂っていたが、そばに来ると匂いのレベルがさらに上がり、鼻が痛いくらい臭い。
 
「くっさ。そういや、子どもの頃は大人から怒られるのに、平気で濁った川や池とかに入ってたなぁ。さすがにドブ川には入らなかったけど」
 
 あの頃の自分は、今の自分が嘘かと思うくらい活動的だった。
 
 子どもの好奇心が充実していた時代とはいえ、きったない川に入ったり、何がいるかわからない藪の中に突撃したりとよくできたもんだ。
 最近だと、カエルを触るのも躊躇するのに……。
 

 思い出を振り返るのはここまでにして、灰黒く粘度の高いドブに木靴を纏った足を乗せる。
 ぬぷりとした感触が伝わり、ズブズブと足が埋まっていく。
 ドブが足首の少し上のところまでくると、地面らしき場所に足がついた。

 
「うえ~、きっもい。絶対、イトミミズとかいるから。やだなぁ~。おっと、ダメダメ考えるな。掃除のことだけ考えろ」
 
 なるべく、ドブの中にナニがいるかなんて想像しないようにしよう。心が折れる。
 とにかく今は仕事だ。
 
 まずはパイプにあるゴミから除去しようと思い、木箱を手に持ち、足をドブに取られながらも慎重に足を運び近づいていく。
 もし、転んだりしたら、泣くどころでは済まない。

 パイプへ到着。ゴミを見る。ヘドロが纏わりついて、ぐちゃぐちゃ。
 これを素手で触らないといけない。

「せめて、手袋があれば……しかし、これも金のためだ。仕方がない」
 手に伝わる、にゅるりとした感触。
「うえ~、うわ~、もういや~、おえぷっ」
 何とかパイプからゴミを引きずり出して、木箱に放り込んだ。

 こうして、嗚咽を漏らしながら、パイプのゴミや川の流れを堰き止めそうなゴミを取り除いていく。
 大変、気が滅入る仕事……だけど、気持ち悪くて仕方なかったのは最初だけ。お昼を回る頃には慣れてしまい、意外と平気になっていた。

 また、仕事と割り切った部分もあり、一度慣れてしまえば、臭いのもヌメヌメもどうでもよくなってくる。
 理由があれば、大抵のことができることを学んだ。理由付けの偉大さを感じる。

 
 川の清掃が一段落を終えて、腰を押さえつつ、背を逸らす。

「あ~、腹減った」
 ドブ匂いが充満する中だというのに、食欲は全く失われない。
 慣れというのは、本当にすごい。
「でも、金ないしなぁ。夕方まで我慢しないと」

「おい、こらぁ、ふざけたことぬかすなよ!」

「なんだ?」
 どこからか男の怒鳴り声が聞こえてくる。
 耳を澄ますと、声の数は二つ。
 二人の男がどこかで罵り合っているようだ。

「ったく、馬鹿どもが。周りの迷惑考えず大声上げやがって。死ねっ!」

 空腹の苛立ちを込めて、ストレートな悪態を男たちにぶつける。
 多少の鬱憤が払えたところで、シャベル片手に作業に戻ろうとしたが、男たちの言い争いはエスカレートしているようで、騒がしい声がずっと聞こえてくる。

「はあ~、うっさいなぁ。誰だよっ、喧嘩するなら人気ひとけのないところでやれよ……チッ、くそがっ」
 俺はシャベルをドブに突き刺し、男たちに一言二言文句を言ってやろうと思い、声の聞こえる方向へ向かっていった。
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