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第一幕
第三十六話 狂劇の饗宴
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――夕食
待ちに待った舞台の幕開け。
主演はアズールとザディラ。
さて、彼らはどのような道化を見せてくれるのか?
俺は食事の席で大仰に業績を誇示しているザディラと、その姿を目にしてニヤつきを抑えられず、口元を片手で隠し続けるアズールを見つめる。
宴もたけなわ、ザディラが報告を終えると同時にアズールは大きな拍手を以って兄を褒め称えた。
「あははは、さすがは兄さんだ。実に素晴らしい業績を披露してくれる」
普段、何かにつけて対立している弟からの突然の褒め口上。
そのあり得ない光景にザディラは戸惑いを見せる。
「アズール、どうしたんだ?」
「いえね、僕もザディラ兄さんに負けないくらい素晴らしい報告があって、この場を借りてそれを披露しようとね」
彼はぱちりと指を跳ねる。
すると、アズールの後方に控えていたマギーが数枚でワンセットになった用紙を全員に配り始めた。
用紙の内容はザディラの会社とその関連企業の業績を記したもの。
彼はその写しを家族全員分作ったようだ。
用紙を目にして俺は、一瞬だけアズールへ視線を送った。
その視線を彼はニヤついた顔で受け取る。
これは返したはずの書類が彼に渡っていたことへの驚き、という演技。
そんなことも知らずにアズールは鼻の穴をひくひくさせて得意気な顔を見せる。
彼はこちらから視線を切り、ニヤついた顔をザディラへ向けて、次に満面の笑みを父セルガへ見せて、声を張り上げた。
「この書類には、ザディラ兄さんの不正の証拠が記載されています!」
すぐさまザディラが反論を行う。
「何を馬鹿なことを!? 不正だと!? この書類らに何の問題がある!? アズール! 貴様、数字もわからないのかっ!?」
「あははは、わかっているよ。ここに書かれている数字に何の問題もない。ええ、数字だけを見ればね。だけど……流れを見るとどうなるかなぁ、にひひひ」
「ぬぐぅ」
歪んだアズールの笑い声を前にして、ザディラは喉奥から音を搾り取られたかのような呻き声を上げた。
ザディラもまたゼルフォビラ家の人間。
抜けてはいるが、この短い会話で自分の不正がアズールに看破されたことを感じ取ったようだ。
それでもザディラはあがく――だが、それを絶対者によって止められた。
「くだらない妄言に付き合っていられないな! 父上、どうやらアズールは功を焦るあまり――」
「ザディラ、口を閉じろ。アズールの話を最後まで聞け」
「あ、が……」
がくりと頭を落とすザディラ。その姿を醜悪な微笑みで見つめるアズール。
アズールは大きく手を振り芝居掛かった様子で書類を掲げつつ、それをパンっと手の甲で打った……ザディラもそうだが、こいつら調子に乗ると芝居掛かる家系なのだろうか?
アズールは書類を高々と掲げてひらひらと振りながら、次兄ザディラの不正を挙げていく。
「この書類はザディラ兄さんとその関連企業に関する決算報告書。これには、兄さんが粉飾決算を行っていた証拠が記されている!!」
そう、ザディラは粉飾決算(※不正な会計処理を行い財政状況を会社の都合に合わせる事)を行っていた。会計監査院の監査を潜り抜けて……。
それをどう行っていたのかをアズールは鼻息荒く説明をしていく。
「単独報告書では問題ない。だけど、関連会社の報告書を合わせて見ると、そこに粉飾決算の証拠がある。ここを見てくれ!」
彼はザディラの会社と、二つの企業の数字を指差す。
「ここに記載されてある香辛料に関する部分を見て欲しい。兄さんの会社はこの商品を別会社に卸し、その別会社がまた別の会社に卸し、そして兄さんの会社に戻ってきている。つまりこれは――循環取引だ!!」
循環取引……架空の売上を計上する不正会計。
例を次に記す。
A社がB社に〇〇商品を100万で販売。
B社はC社に110万で販売。
C社はA社に120万で販売。
と、一つの商品を複数の会社でぐるぐる回す取引のこと。
これらは主に帳簿上のみで行われ、実際の商品は全く動いていないことが多い。
これにより、A社は売上高の水増しが可能となる。特に、決算期に売り上げノルマをクリアできる。
B社やC社もまた売り上げと利益の水増しが行われ、帳簿上の売り上げと利益を架空計上することができる。
これらを行う利点は――
・繰り返しになるが売上の水増し。
売上ノルマ未達成の時に行う。
・利益の付け替えが可能――株価や融資審査に対して悪影響を発生させないために、他の会社から利益を付け替えて損失を隠すことができる。
・短期的な運転資金の確保
架空取引での売上代金を手形で入手して、金融機関で割り引くことにより、短期的な運転資金確保が可能。
これらが主な理由だが、ザディラの視点から何故行ったのか? 何故行えたのかを語ろう。
まずは何故行ったのか? 理由は二点。
一つ・業績が芳しくないことを父に悟られないため。
二つ・手応えは感じているが、現状では業績が芳しくないため、好業績になるまで誤魔化そうとした。
彼は一度原野商法詐欺に引っ掛かり失敗している。これ以上の失敗は許されない。
そこで起死回生とばかりに新たな事業に乗り出すも、即座に良い報告を行えるような状態ではなかった。
これでは父に見限られてしまうのでは?
今すぐにでも、父へゼルフォビラ家を背負う才を見せつけなければ!
このような不安と焦りがザディラを追い詰める。
そして彼はこう思った。
『香辛料の取引に間違いはない。だが、その売り上げが軌道に乗るまで時間が掛かる。その時間を埋めなければ』と。
それを埋めるために循環取引に手を出した。商売が軌道に乗るまで父の目を誤魔化すために……。
次に不正が行えた理由を説明しよう――それは会計監査院の制度の存在。
会計監査院は癒着を防ぐために複数のチームに分かれて業績の監査を行い、横とのつながりを絶っている。
ザディラはこの制度に注目した。
循環取引を行っている企業が別チームよって監査されれば、そのからくりを見つけられない。なぜなら、書類に記載された数字に問題はないからだ。
数字の本当の流れは縦割りによって断たれている。
その思惑はうまくいき、今日まで見つかることはなかった。
アズールの説明を聞いていたザディラは小さな呻き声を上げながら机を覆う真っ白なテーブルクロスを握り締めてぐしゃぐしゃにしていく。
アズールは哀れな兄の姿をにやにやと見つめていた。
緩む笑みを止められないアズールへ、父が尋ねる。
「どのようにして気づいた?」
「ふふふ、兄さんの香辛料の取り扱い方です。兄さんは取り扱い方が未熟ですし、それらを扱う料理人たちもダルホルンではまだまだ少ない。そうだというのに業績が好調とはおかしな話です」
「ふむ、続けなさい」
「はい、父上! 疑念を抱いた僕が自ら会計監査院に訪れて探ってみたら案の定……書類を目にしてすぐに気づいたのですよ。その後、港にある関連企業と兄さんの会社の倉庫を探ったら、そこに大量の香辛料が山積みになっていて、動いている様子はない。そこで確信に至りました。兄さんは循環取引を行っていると、にひひひ」
「そうか、見事だ」
アズールはセルガに説明を行いつつも、苦悶の表情を見せる兄を笑い、俺に視線をちらりと送った。
視線の意味は蔑み。
この書類を見て循環取引に気づかず、ザディラを絶賛し、あまつさえ彼を危機的状況に追いやった愚かな姉を見下す視線。
俺は僅かに眉をひそめ後悔を演出する。もちろん、心の内は違う。
(自ら出向いて、か……馬鹿なガキだ。手柄を誇張したおかげで、ますます俺の影は消えた。それにわざわざ倉庫まで確認しに行ったとは。もっとも、アズールが確認しに行くように仕向けたんだが)
中庭で詫び状を読んだアズール。
そこにはこう書いてあった。
―― 書類を通しても兄の業績は好調のようでした。『香辛料を扱うたくさんの倉庫』があるというのも納得できますわ、と――
会計監査院で院長コギリから、港にいくつも倉庫を持っているという話を聞いた時に、そこに売れ残った香辛料が保存されていると予想できたが、それを俺自ら確認するわけにはいかなかった。
それを行えば、俺がザディラを探っていたことが丸わかりになる。
だから、アズールを動かしたというわけだ。
(ククク、天才と呼ばれていてもまだまだガキだな。だが、頭が回るのは本当ようだ。ちらりと書類を目にしただけで循環取引に気づき、さらには香辛料の取引量に違和感を抱いていたようだしな)
これは俺も感じていたこと。
料理長から扱える者が少ないという話を聞いて、好調な業績とどうしても結びつかなかった。
だからこそ彼の会社にお邪魔して尻尾を掴もうとしたのだ。
会計監査院の存在のおかげで会社に行く必要はなかったが。
アズールもそこに違和感があったようだが、放置していたところを見ると、そこから循環取引まで繋げられなかったようだ。
これは俺とアズールの才の差というよりも、大人と子供の経験値の差だろう。
俺はこちらを小馬鹿にするアズールの視線から瞳を避けて、誰にも気づかれないようにセルガへ小さく瞳を振った。
セルガはこれら全てを知っていた。
だが、あえて傍観している。兄弟を争わせて、ゼルフォビラ家の椅子に座る者が誕生するまで。
そう、全て……本来、俺の手柄であることを知っていて、目の前で行われる事象のみで判断し、アズールを評価した。
彼の引退理由はわからないが、少なくとも当主を産み出すために個を殺すことのできる人物のようだ……やりにくそうな相手だが、同時に傍観者であり続けることが証明されたのは重畳。
俺がゼルフォビラ家に仇なさないかぎり、彼が介入してくることはない。
セルガはテーブルの上で両手を組み――ザディラを切り捨てた。
「アズール、今年の商工会の催事の主宰はお前に任せる。期間も短く、引継ぎも混乱するだろうが、できるか?」
「え!? は、はい、もちろんです父上! 必ずやご期待に添えて見せます!!」
これには苦悶の表情を見せていたはずのザディラがたまらず大声を上げた。
「ち、父上! それはいくらなんでも!!」
「黙れ、ザディラ! 貴様はやってはならぬことを行ったのだ。取引において数字に対する信頼とは絶対でなければならぬ。それを穢した貴様に任せられるはずもない」
「あ、う、それは……」
「謹慎を命じる。貴様の会社はしばらくの間、私の部下に任せる。わかったな」
「そん、あ、クッ……わかり、ました」
ザディラは今にも床に倒れそうなくらい真っ青な顔で全身を虚脱する。瞳は薄っすらと涙に濡れる。
彼は世継ぎレースに敗れたのだ。
だからこそ、最上級の絶望を見せる。
しかしだ、そこから再びレースに復帰する道筋を俺が差し出す。
闇に閉ざされた彼はそこに含まれた奸計に気づかずに俺の腕を必ず掴む。
俺はザディラを神輿に担ぎ、弾避けにして、さらに彼の持つ人脈を根こそぎ奪い取り、それを後ろ盾としてゼノフォビラ一族に戦いを挑むつもりだ。
その準備が整うまでは精々利用させてもらうとしよう――愚かなお兄様。
そう、愚かなお兄様。本当に愚かだった……俺は年相応の知識があるだけの常人。
常人には、賢者の思考など理解できない。愚者の思考もまたしかり。
俺は、愚者が時に、常人では及ばぬ行動を取ることを失念していた。
ザディラは俺の想定を大きく飛び越えて、とんでもない事件を起こすことになる――。
――舞台の終幕後
ザディラは零れたワインの赤が染みる白いテーブルクロスを睨みつけながら、誰にも聞かれることのない心の声を発し続ける。
(アズールめ、アズールめ、アズールめ!! 兄を虚仮にするとは……おのれ~、絶対に、絶対に許さん!)
待ちに待った舞台の幕開け。
主演はアズールとザディラ。
さて、彼らはどのような道化を見せてくれるのか?
俺は食事の席で大仰に業績を誇示しているザディラと、その姿を目にしてニヤつきを抑えられず、口元を片手で隠し続けるアズールを見つめる。
宴もたけなわ、ザディラが報告を終えると同時にアズールは大きな拍手を以って兄を褒め称えた。
「あははは、さすがは兄さんだ。実に素晴らしい業績を披露してくれる」
普段、何かにつけて対立している弟からの突然の褒め口上。
そのあり得ない光景にザディラは戸惑いを見せる。
「アズール、どうしたんだ?」
「いえね、僕もザディラ兄さんに負けないくらい素晴らしい報告があって、この場を借りてそれを披露しようとね」
彼はぱちりと指を跳ねる。
すると、アズールの後方に控えていたマギーが数枚でワンセットになった用紙を全員に配り始めた。
用紙の内容はザディラの会社とその関連企業の業績を記したもの。
彼はその写しを家族全員分作ったようだ。
用紙を目にして俺は、一瞬だけアズールへ視線を送った。
その視線を彼はニヤついた顔で受け取る。
これは返したはずの書類が彼に渡っていたことへの驚き、という演技。
そんなことも知らずにアズールは鼻の穴をひくひくさせて得意気な顔を見せる。
彼はこちらから視線を切り、ニヤついた顔をザディラへ向けて、次に満面の笑みを父セルガへ見せて、声を張り上げた。
「この書類には、ザディラ兄さんの不正の証拠が記載されています!」
すぐさまザディラが反論を行う。
「何を馬鹿なことを!? 不正だと!? この書類らに何の問題がある!? アズール! 貴様、数字もわからないのかっ!?」
「あははは、わかっているよ。ここに書かれている数字に何の問題もない。ええ、数字だけを見ればね。だけど……流れを見るとどうなるかなぁ、にひひひ」
「ぬぐぅ」
歪んだアズールの笑い声を前にして、ザディラは喉奥から音を搾り取られたかのような呻き声を上げた。
ザディラもまたゼルフォビラ家の人間。
抜けてはいるが、この短い会話で自分の不正がアズールに看破されたことを感じ取ったようだ。
それでもザディラはあがく――だが、それを絶対者によって止められた。
「くだらない妄言に付き合っていられないな! 父上、どうやらアズールは功を焦るあまり――」
「ザディラ、口を閉じろ。アズールの話を最後まで聞け」
「あ、が……」
がくりと頭を落とすザディラ。その姿を醜悪な微笑みで見つめるアズール。
アズールは大きく手を振り芝居掛かった様子で書類を掲げつつ、それをパンっと手の甲で打った……ザディラもそうだが、こいつら調子に乗ると芝居掛かる家系なのだろうか?
アズールは書類を高々と掲げてひらひらと振りながら、次兄ザディラの不正を挙げていく。
「この書類はザディラ兄さんとその関連企業に関する決算報告書。これには、兄さんが粉飾決算を行っていた証拠が記されている!!」
そう、ザディラは粉飾決算(※不正な会計処理を行い財政状況を会社の都合に合わせる事)を行っていた。会計監査院の監査を潜り抜けて……。
それをどう行っていたのかをアズールは鼻息荒く説明をしていく。
「単独報告書では問題ない。だけど、関連会社の報告書を合わせて見ると、そこに粉飾決算の証拠がある。ここを見てくれ!」
彼はザディラの会社と、二つの企業の数字を指差す。
「ここに記載されてある香辛料に関する部分を見て欲しい。兄さんの会社はこの商品を別会社に卸し、その別会社がまた別の会社に卸し、そして兄さんの会社に戻ってきている。つまりこれは――循環取引だ!!」
循環取引……架空の売上を計上する不正会計。
例を次に記す。
A社がB社に〇〇商品を100万で販売。
B社はC社に110万で販売。
C社はA社に120万で販売。
と、一つの商品を複数の会社でぐるぐる回す取引のこと。
これらは主に帳簿上のみで行われ、実際の商品は全く動いていないことが多い。
これにより、A社は売上高の水増しが可能となる。特に、決算期に売り上げノルマをクリアできる。
B社やC社もまた売り上げと利益の水増しが行われ、帳簿上の売り上げと利益を架空計上することができる。
これらを行う利点は――
・繰り返しになるが売上の水増し。
売上ノルマ未達成の時に行う。
・利益の付け替えが可能――株価や融資審査に対して悪影響を発生させないために、他の会社から利益を付け替えて損失を隠すことができる。
・短期的な運転資金の確保
架空取引での売上代金を手形で入手して、金融機関で割り引くことにより、短期的な運転資金確保が可能。
これらが主な理由だが、ザディラの視点から何故行ったのか? 何故行えたのかを語ろう。
まずは何故行ったのか? 理由は二点。
一つ・業績が芳しくないことを父に悟られないため。
二つ・手応えは感じているが、現状では業績が芳しくないため、好業績になるまで誤魔化そうとした。
彼は一度原野商法詐欺に引っ掛かり失敗している。これ以上の失敗は許されない。
そこで起死回生とばかりに新たな事業に乗り出すも、即座に良い報告を行えるような状態ではなかった。
これでは父に見限られてしまうのでは?
今すぐにでも、父へゼルフォビラ家を背負う才を見せつけなければ!
このような不安と焦りがザディラを追い詰める。
そして彼はこう思った。
『香辛料の取引に間違いはない。だが、その売り上げが軌道に乗るまで時間が掛かる。その時間を埋めなければ』と。
それを埋めるために循環取引に手を出した。商売が軌道に乗るまで父の目を誤魔化すために……。
次に不正が行えた理由を説明しよう――それは会計監査院の制度の存在。
会計監査院は癒着を防ぐために複数のチームに分かれて業績の監査を行い、横とのつながりを絶っている。
ザディラはこの制度に注目した。
循環取引を行っている企業が別チームよって監査されれば、そのからくりを見つけられない。なぜなら、書類に記載された数字に問題はないからだ。
数字の本当の流れは縦割りによって断たれている。
その思惑はうまくいき、今日まで見つかることはなかった。
アズールの説明を聞いていたザディラは小さな呻き声を上げながら机を覆う真っ白なテーブルクロスを握り締めてぐしゃぐしゃにしていく。
アズールは哀れな兄の姿をにやにやと見つめていた。
緩む笑みを止められないアズールへ、父が尋ねる。
「どのようにして気づいた?」
「ふふふ、兄さんの香辛料の取り扱い方です。兄さんは取り扱い方が未熟ですし、それらを扱う料理人たちもダルホルンではまだまだ少ない。そうだというのに業績が好調とはおかしな話です」
「ふむ、続けなさい」
「はい、父上! 疑念を抱いた僕が自ら会計監査院に訪れて探ってみたら案の定……書類を目にしてすぐに気づいたのですよ。その後、港にある関連企業と兄さんの会社の倉庫を探ったら、そこに大量の香辛料が山積みになっていて、動いている様子はない。そこで確信に至りました。兄さんは循環取引を行っていると、にひひひ」
「そうか、見事だ」
アズールはセルガに説明を行いつつも、苦悶の表情を見せる兄を笑い、俺に視線をちらりと送った。
視線の意味は蔑み。
この書類を見て循環取引に気づかず、ザディラを絶賛し、あまつさえ彼を危機的状況に追いやった愚かな姉を見下す視線。
俺は僅かに眉をひそめ後悔を演出する。もちろん、心の内は違う。
(自ら出向いて、か……馬鹿なガキだ。手柄を誇張したおかげで、ますます俺の影は消えた。それにわざわざ倉庫まで確認しに行ったとは。もっとも、アズールが確認しに行くように仕向けたんだが)
中庭で詫び状を読んだアズール。
そこにはこう書いてあった。
―― 書類を通しても兄の業績は好調のようでした。『香辛料を扱うたくさんの倉庫』があるというのも納得できますわ、と――
会計監査院で院長コギリから、港にいくつも倉庫を持っているという話を聞いた時に、そこに売れ残った香辛料が保存されていると予想できたが、それを俺自ら確認するわけにはいかなかった。
それを行えば、俺がザディラを探っていたことが丸わかりになる。
だから、アズールを動かしたというわけだ。
(ククク、天才と呼ばれていてもまだまだガキだな。だが、頭が回るのは本当ようだ。ちらりと書類を目にしただけで循環取引に気づき、さらには香辛料の取引量に違和感を抱いていたようだしな)
これは俺も感じていたこと。
料理長から扱える者が少ないという話を聞いて、好調な業績とどうしても結びつかなかった。
だからこそ彼の会社にお邪魔して尻尾を掴もうとしたのだ。
会計監査院の存在のおかげで会社に行く必要はなかったが。
アズールもそこに違和感があったようだが、放置していたところを見ると、そこから循環取引まで繋げられなかったようだ。
これは俺とアズールの才の差というよりも、大人と子供の経験値の差だろう。
俺はこちらを小馬鹿にするアズールの視線から瞳を避けて、誰にも気づかれないようにセルガへ小さく瞳を振った。
セルガはこれら全てを知っていた。
だが、あえて傍観している。兄弟を争わせて、ゼルフォビラ家の椅子に座る者が誕生するまで。
そう、全て……本来、俺の手柄であることを知っていて、目の前で行われる事象のみで判断し、アズールを評価した。
彼の引退理由はわからないが、少なくとも当主を産み出すために個を殺すことのできる人物のようだ……やりにくそうな相手だが、同時に傍観者であり続けることが証明されたのは重畳。
俺がゼルフォビラ家に仇なさないかぎり、彼が介入してくることはない。
セルガはテーブルの上で両手を組み――ザディラを切り捨てた。
「アズール、今年の商工会の催事の主宰はお前に任せる。期間も短く、引継ぎも混乱するだろうが、できるか?」
「え!? は、はい、もちろんです父上! 必ずやご期待に添えて見せます!!」
これには苦悶の表情を見せていたはずのザディラがたまらず大声を上げた。
「ち、父上! それはいくらなんでも!!」
「黙れ、ザディラ! 貴様はやってはならぬことを行ったのだ。取引において数字に対する信頼とは絶対でなければならぬ。それを穢した貴様に任せられるはずもない」
「あ、う、それは……」
「謹慎を命じる。貴様の会社はしばらくの間、私の部下に任せる。わかったな」
「そん、あ、クッ……わかり、ました」
ザディラは今にも床に倒れそうなくらい真っ青な顔で全身を虚脱する。瞳は薄っすらと涙に濡れる。
彼は世継ぎレースに敗れたのだ。
だからこそ、最上級の絶望を見せる。
しかしだ、そこから再びレースに復帰する道筋を俺が差し出す。
闇に閉ざされた彼はそこに含まれた奸計に気づかずに俺の腕を必ず掴む。
俺はザディラを神輿に担ぎ、弾避けにして、さらに彼の持つ人脈を根こそぎ奪い取り、それを後ろ盾としてゼノフォビラ一族に戦いを挑むつもりだ。
その準備が整うまでは精々利用させてもらうとしよう――愚かなお兄様。
そう、愚かなお兄様。本当に愚かだった……俺は年相応の知識があるだけの常人。
常人には、賢者の思考など理解できない。愚者の思考もまたしかり。
俺は、愚者が時に、常人では及ばぬ行動を取ることを失念していた。
ザディラは俺の想定を大きく飛び越えて、とんでもない事件を起こすことになる――。
――舞台の終幕後
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数えきれないほど転生をし続けた伝説の大魔導師の最後の転生物語をどうぞお楽しみください!
こちらは『小説家になろう』で千五百万PⅤを獲得した作品を各所変更し、再構成して投稿しております。
また『1×∞(ワンバイエイト)経験値1でレベルアップする俺は、最速で異世界最強になりました!』という作品が、アルファポリス社より刊行されています。既刊第四巻まで発売中です。またコミカライズもされており、こちらは第二巻まで発売しています。あわせてよろしくお願いいたします!
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
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前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える
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夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。
主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。
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