元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~

雪野湯

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第二章 子どもたちの目指す道

第33話 徒花

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――アデルはすべてを語り終えた。 


 彼の声は、一語たりとも零すことなく、盗賊たちの耳奥を越えて、鼓膜のさらに奥、胸底むなぞこに深く焼きついた。 
 その一人がか細く、ぽつりと呟く。

「すげぇ……」

 それは、あまりにも粗野で、どこまでも野暮ったい称賛であった。 
 だが、実に盗賊という生業なりわいに相応しい、率直にして偽らぬ言葉でもあった。 

 彼らは皆、剣を志す者たちではないが、剣というもののことわりは知っている。
 ただ振るうだけで斬れるものではない。ただ鋭くあればいいのではない。 
 生半可な腕では、肉を裂けても、骨を断ちきるには至らぬ。 


 だが、今宵、彼らが目の当たりにしたのは、そうした低き次元の戦いではなかった。 


 まばたききよりも遥かに短く、砂粒よりも細微さいびな時のあや ――その中で、アデルという少年は破られた予測を即座に繕い、剣だけではなくジオラスの心までも打ち破った。 

 剣をもってして、勝利というはるけき境地に辿り着いた。 

 それは凡人、凡庸なる者、常ならざる者でさえ踏み込むことあたわぬ、剣の高み。 
 彼ら盗賊にとっては、遠く仰ぎ見ることしかできない異界の域 ――それでも、見上げることはできた。 
 ただ見上げた、その高さに、彼らの胸から自然と、言葉が零れ落ちたのだ。 


 しかし、その高みに立つはずのアデルは、いまだ表情に悔しさを滲ませたまま。
 勝利の叫びも、歓喜の声もなく。 
 
 その姿に、敗れた男――ジオラスは、苦笑とも溜息ともつかぬものを心中に洩らす。 
(はぁ、贅沢のガキだぜ。てめぇが勝鬨かちどきひとつ上げねぇと、こっちの引き際も決まらねぇだろうが……ったく、敗者に砂までかけやがって。しゃあねぇな )

 勝者が黙すならば、敗者が言うしかあるまい。 
 ジオラスは一言、こう言った。

「オレの負けだ……」
 

 大将同士の一騎打ち――これにて、今宵の勝負は決した。
 四千対十七という、戦史においても稀にみる対峙であり、決着、勝利――――いや、有り得ない……このようなものは常識の埒外。荒唐無稽――。

――なぜならば、四千の盗賊は無傷でいる。まだ戦える。
 当然、その思いは彼らにあった。
 たとえ、先刻の剣戟に心を奪われていようとも――戦意は尽きていない。 
 
 だからこそ、声が上がる。

「負け? 負けのはずがない。こんなのおかしいだろ。なぁ! そうだろ!! ジオラス!!」

「……黙れ」

「黙らねぇよ!! てめぇが負けておしまいだ? 上品な剣士様の真似事かよ!! 俺たちゃ、盗賊なんだぜ! さぁ、命令しろよ!! ガイウスもガキどもも八つ裂きにしろって、いつもみてぇに言えよ!」

 一人の盗賊の叫びが、他の者たちを我に返らせた。 
 あちこちからつかを鳴らす音が響き、遠くでは弦が張られ、矢の息吹が闇を裂こうとしていた。 

 ガイウスとアスティはそれぞれ槍と剣を構え、フローラは治療を一時中断し、魔導杖まどうじょうを手にして、冠の蒼き魔石に魔力を集め始めた。


 しかし、アデルは動かず、ただ静かにジオラスを見つめるのみ……。

 ジオラスは首元に添えられていた刃を掌でずらし、その場で大の字になって地面へ寝転ぶ。
 そして、先ほど叫んでいた盗賊へこう告げた。

「アデルだけじゃねぇ。こいつら全員、つえぇ~ぞ~」
「関係ねぇよ。こっちには数があんだ。これだけの数がいれば――」
「ああ、勝てるだろうよ。へへへ」

 ジオラスは笑う。その笑みにはもはや、かつての獰猛な牙はない。 
「だけどな、その『勝ち』には、お前も含めて、ここにいる連中の命が全部、上乗せされてるぜ 」

「――――グッ!」
「それにだ、ここでこいつらをぶっ殺しても、そのあとのデルビヨ攻略はどうするよ? お前が指揮を執るのか?」
「それはあんたがやればいいことだろ!」


 この言葉に、ジオラスは両足を上げて振り下ろし、よっと起き上がるとその場で胡坐をかき、どこか力なく言う。
「オレはもう、終わったんだよ……」
「終わっちゃいねぇ! 一度負けただけだ! まだ――」
「いいや、終わったんだ。そう、オレはもう……」

 ジオラスの瞳は空を仰ぎ、深い夜の星々を映す。その灰色の瞳に、一筋の光が滲んだ。   
 あれほどまでに狂気と野心に彩られていた男から、毒気が抜け落ちる。

 それは彼の核であり、彼を突き動かしていた何か……。

 たとえ薄汚れていようとも、熱を帯び、脈動していた情熱。
 それが今、彼の中から、音もなく零れ落ちていく。 
 

 だけど、盗賊の男は、それをどうしても受け容れることができなかった。
「ふざけんなよ! ジオラス! てめぇは俺たちに語ってくれたじゃねぇか!! 俺たちは奪われるばかりだった。だからこれからは、奪われる側に回るってよ。奪って奪って、奪いつくして! 俺たちの居場所を作るって語ってくれたじゃねぇか!」

「…………わりぃ」

「謝るなよ! てめぇはそんなできた人間じゃねぇだろ! クッソ最低で頭を下げるなんて絶対にしねぇ。なぁ、ジオラス? まだ終わっちゃいねぇんだ。デルビヨの町が手に入れば、王国だってそう簡単に手出しできねぇ。なにせ、交易の要で、街道を封鎖すりゃ十万の軍だって動きが鈍る! そう簡単には――――」

「……すまねぇ」
「だから謝んなよ! ふざけるなよ、ふざけるなよ! 俺たちは……奪われるだけだった俺たちは、ようやく目標を見つけたんだぜ。お前のおかげでよ! そいつがどんなに穢れた夢でも、俺たちの、生きる理由が !!」


 盗賊の男は、叫びながら涙を零す。叫びながら、嘆きながら、それでも尚、かつての頭目を奮い立たせようと必死だった。 

 だが――ジオラスは、ただ穏やかに、どこか寂しげで、それでいて満ち足りたような笑みを浮かべた。 
「どうやら、オレの物語はここでしまいのようだ。夢ばかり見ていた偽物のクソガキは盗賊に転げ落ちて、希望に満ちた本物の少年に負けたとさ、ちゃんちゃんってな」


 おどけてみせるジオラスの姿を目の当たりにした盗賊の男は、闇をも切り裂かんばかりの咆哮を放った。 
「ふざけんなって言ってるだろうがぁぁあ!! お前の夢に魅せられて、俺たちはここにつどったんだよ。それを、てめぇ一人の胸先三寸で終わらせていいと思ってんのか!!  ああ、終わらせねぇ。ジオラス、てめえの物語はここでおしまいなんかじゃねぇ。お前らぁぁぁ!!」


 男は剣を高く掲げ、森を埋め尽くす四千の盗賊たちの耳と心へ声を届かせんと、喉奥から血反吐を交えた叫びを上げる。 

「ジオラスの目を覚まさせっぞ!! このガキどもを――」
「ラッカーレッドの滝だ!!」

 前触れもなく、怒声をかき消すほどの凄烈せいれつな一声――ジオラスの声が空気を裂いた。
 虚を突かれた盗賊の男は、言葉を失い、その場に言葉ごと立ち尽くす。 

 胡坐をかいていたジオラスは、どっかと立ち上がると、四千の盗賊へ最後の演説を始めた。


「ラッカーレッドの滝の裏に洞窟がある!! そこにはオレ様がしこたまため込んだお宝が眠っている! そいつを、お前らにくれてやる!!」


 思いがけぬ一言に、盗賊たちの間にざわめきが走る。 
 その様を見て、ジオラスは口角を持ち上げ、次いで腹の底から大笑いを響かせた。 

「クク、ククク、あ~はっはっはっは!! こいつは俺からの餞別ってやつだ。さぁ、早い者勝ちだぜ! ほら、どうした? お宝の場所は聞いただろ! さっさと行かねぇと独り占めされちまうぞ。こいつがオレが盗賊としての、実らぬ夢に殉じた男としての――あだの花道ってやつよ! は~はっはっはっは!!」


 剣を抜きかけていた盗賊たちは、その宣告に動揺を覚え、動きを止める。 
 隣にいる者と目を交わし、あるいは独りごちるような呟きが漏れ始める。 

「ど、どうするよ? かしらのお宝ってことは相当……」
「でもよ、こんな状況で行っていいもんなのか? 」
かしらのお宝……隠し財産……ってことは、一生遊べるくらいは」
「盗賊なんてしなくても、十分に食っていける。酒も女もやりたい放題……」

 
 盗賊――それは、ただの殺しをたのしむ者たちではない。中には、いくさよろこぶ異常者もいただろう。 

 だが、多くは生きるため、追われる日々を抜け出すため、貧苦の果てに盗賊へ身を沈めた者たちだった。 
 命を懸けて剣を振るうよりも、安全と黄金とを天秤にかければ、答えはおのずと明らか。 


 一人が、逡巡の末に足を引き 。
 一人が、ためらいながらも背を向け。 
 一人が、目を伏せて歩き出す。 


 それを見た誰かが、馬に飛び乗る。 
 別の誰かがそれを奪おうと飛びかかり――馬を得た者は笑い声と共に森の奥へと駆けてゆく。 
 
 その奔流が起これば、もはや誰にも止めようはなかった。
 意志という名の炎は掻き消され、皆は欲望に飲み込まれ、宝を目指して森の外へと雪崩れ込んでいく。  
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