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第2話 悪夢の始まり
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すべての始まりは8年前のことーー。
「そんなっ! 到底承服できませんっ! お姉様が、あのマリユス・ロルジュと婚約だなんて!」
当時24歳だった敬愛する姉ーー、シャンタルの突然の縁談に、俺は激高していた。
燃えるような赤毛とエメラルドの瞳を持つ姉のシャンタルは、その美貌で「社交界の赤い薔薇」として、貴族社会にその名を轟かせていた。
そして……、その時の俺はすっかり信じ込まされていたのだ。その妖艶な容姿とは裏腹に、その内面は清廉潔白・貞淑な乙女であるというシャンタルの芝居を。
姉のシャンタルと俺は、腹違いの姉弟。シャンタルの母親は、今も数々の逸話が残っているほどの恋多き女性だった。伯爵である俺たちの父親は、必死に口説き落として結婚することはできたが、やはり退屈な生活に耐えきれなかったのか、その母親は生まれたばかりのシャンタルを残して新しい男と姿をくらましたまま、今も行方知れずとなっているらしい。
そして、そのことを人生の教訓とした俺の父親は、今度はどこからどう見ても真面目一辺倒である俺の母親を後妻に迎えた。
俺が生まれてからは、俺を間違った道に進ませないようにと、俺の両親は伯爵家の長男である俺に対して非常に厳しく接し、俺はいわば箱入り息子として育てられた。
そう、実のところ、俺の父親も、母親も気づいてはいなかったのだ。
人間は、純粋培養ではいけないのだということを。
世間知らずの温室育ちの子どもは、ちょっとした拍子にとんでもない悪の道に転がり込んでしまうということを……。
「ジュールは本当に心配性ね。大丈夫。マリユス様はとってもいい方よ」
紅茶の入ったカップを手に、シャンタルは優美に微笑んだ。
「でもっ! あの男は稀代の女たらしと評判ですっ!」
俺は立ち上がり、テーブルの上のポットを揺らす。
「そんなの単なるうわさ話よ。マリユス様はとってもおモテになるの。きっと振られたご令嬢のやっかみよ」
「しかしっ、あの男は二度目の結婚というではありませんか! 先妻の忘れ形見の子どもまでいるとか! しかも子爵ではありませんか!
お姉様とは釣り合いが取れませんっ!」
「ジュールはまだ子どもだから、なにもわかっていないのよ。そうだわ! 一度ジュールをマリウス様とのお茶に誘うことにするわ。
あなたもマリユス様にお会いしたら、きっとマリユス様のことが好きになるわ!」
「私はもう18歳です! 子どもではありませんっ」
そう反発した俺だったが、シャンタルの思惑通り、その後、マリユスと会った俺はまんまとマリユスのことが好きになった。
だがその「好き」は、シャンタルの考えていた「家族愛」とは、遥か彼方にあるような生臭い感情であった……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーーこの世にはこんなに綺麗な男がいるのか……。
俺は、目の前に悠然と座るマリユス・ロルジュをチラリと盗み見る。
シャンタルは、約束通り、次の二人のお茶会に俺を招いていた。
マリユスは、俺が想像していた、いけ好かないタイプの女たらしとは全く違っていた。
鏡のように光るつややかな黒髪に、温かみすら感じさせる深緑の瞳。
手足は長いのに均整が取れており、細身に見えているが、おそらく服の下には鍛え抜かれた筋肉があるのだろうと想像できた。
物腰は柔らかく、その低い美声はベルベットの手触りを想像させるものだった。
「会えて嬉しいよ。ジュール。実を言うと、シャンタルがなかなか君に会わせてくれないからやきもきしていたんだ」
「だってジュールは本当に汚れを知らない、まっすぐな子なんですもの。マリユス様、あまりジュールをからかわないでくださいね」
社交界の薔薇と評されるシャンタルと並んでも全く遜色がない美貌。いや、どちらかというと美しさではマリユスの方が上かもしれない。
「ははっ、からかったりなんて、するもんか。すごく嬉しいんだ。こんな可愛い弟ができるなんて!
私は一人っ子だから、ずっとジュールみたいな弟と一緒に遊ぶのが夢だったんだ!」
優しく見つめられると、男の俺ですがドギマギしてくるから不思議だ。
きっとたくさんのご令嬢が、この魔力のような美貌に吸い寄せられてしまうのだろう。
「あのっ、俺……っ、私はっ、姉には絶対に幸せになってもらいたいんです!」
頬がかあーっと赤くなるのがわかる。マリユスの圧倒的な魅力の前に、俺は信じられないほど緊張していた。
「ふふっ、シャンタルは本当に幸せものだね。こんなに可愛いナイトがいるだなんて!
大丈夫だよ。ジュール。君のお姉さまは、私がきっと幸せにするからね!」
「……」
何も言えなくなった俺に、マリユスとシャンタルは目を見合わせて微笑んだ。
こうしてみると、たしかに見た目はこれ以上なく似合いの二人だった。
そして今思い返してみても、確かに二人は「割れ鍋に綴じ蓋」といった表現がぴったりの夫婦となった。
だが……、
お茶会を終えた俺は、家に戻ったとき、ポケットに何かが入っていることに気がついた。
そこには折りたたんだ小さなメモが入っていた。
『シャンタルとの婚姻のことで、大切な話がある。
明日の夕方、当家まで来られたし マリユス』
走り書きのようなメモ。
愚かな俺は何もわかっていなかった。
これが、俺がその後の不幸のどん底に落とされることになる、悪の道へと続く入り口であったことに。
「そんなっ! 到底承服できませんっ! お姉様が、あのマリユス・ロルジュと婚約だなんて!」
当時24歳だった敬愛する姉ーー、シャンタルの突然の縁談に、俺は激高していた。
燃えるような赤毛とエメラルドの瞳を持つ姉のシャンタルは、その美貌で「社交界の赤い薔薇」として、貴族社会にその名を轟かせていた。
そして……、その時の俺はすっかり信じ込まされていたのだ。その妖艶な容姿とは裏腹に、その内面は清廉潔白・貞淑な乙女であるというシャンタルの芝居を。
姉のシャンタルと俺は、腹違いの姉弟。シャンタルの母親は、今も数々の逸話が残っているほどの恋多き女性だった。伯爵である俺たちの父親は、必死に口説き落として結婚することはできたが、やはり退屈な生活に耐えきれなかったのか、その母親は生まれたばかりのシャンタルを残して新しい男と姿をくらましたまま、今も行方知れずとなっているらしい。
そして、そのことを人生の教訓とした俺の父親は、今度はどこからどう見ても真面目一辺倒である俺の母親を後妻に迎えた。
俺が生まれてからは、俺を間違った道に進ませないようにと、俺の両親は伯爵家の長男である俺に対して非常に厳しく接し、俺はいわば箱入り息子として育てられた。
そう、実のところ、俺の父親も、母親も気づいてはいなかったのだ。
人間は、純粋培養ではいけないのだということを。
世間知らずの温室育ちの子どもは、ちょっとした拍子にとんでもない悪の道に転がり込んでしまうということを……。
「ジュールは本当に心配性ね。大丈夫。マリユス様はとってもいい方よ」
紅茶の入ったカップを手に、シャンタルは優美に微笑んだ。
「でもっ! あの男は稀代の女たらしと評判ですっ!」
俺は立ち上がり、テーブルの上のポットを揺らす。
「そんなの単なるうわさ話よ。マリユス様はとってもおモテになるの。きっと振られたご令嬢のやっかみよ」
「しかしっ、あの男は二度目の結婚というではありませんか! 先妻の忘れ形見の子どもまでいるとか! しかも子爵ではありませんか!
お姉様とは釣り合いが取れませんっ!」
「ジュールはまだ子どもだから、なにもわかっていないのよ。そうだわ! 一度ジュールをマリウス様とのお茶に誘うことにするわ。
あなたもマリユス様にお会いしたら、きっとマリユス様のことが好きになるわ!」
「私はもう18歳です! 子どもではありませんっ」
そう反発した俺だったが、シャンタルの思惑通り、その後、マリユスと会った俺はまんまとマリユスのことが好きになった。
だがその「好き」は、シャンタルの考えていた「家族愛」とは、遥か彼方にあるような生臭い感情であった……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーーこの世にはこんなに綺麗な男がいるのか……。
俺は、目の前に悠然と座るマリユス・ロルジュをチラリと盗み見る。
シャンタルは、約束通り、次の二人のお茶会に俺を招いていた。
マリユスは、俺が想像していた、いけ好かないタイプの女たらしとは全く違っていた。
鏡のように光るつややかな黒髪に、温かみすら感じさせる深緑の瞳。
手足は長いのに均整が取れており、細身に見えているが、おそらく服の下には鍛え抜かれた筋肉があるのだろうと想像できた。
物腰は柔らかく、その低い美声はベルベットの手触りを想像させるものだった。
「会えて嬉しいよ。ジュール。実を言うと、シャンタルがなかなか君に会わせてくれないからやきもきしていたんだ」
「だってジュールは本当に汚れを知らない、まっすぐな子なんですもの。マリユス様、あまりジュールをからかわないでくださいね」
社交界の薔薇と評されるシャンタルと並んでも全く遜色がない美貌。いや、どちらかというと美しさではマリユスの方が上かもしれない。
「ははっ、からかったりなんて、するもんか。すごく嬉しいんだ。こんな可愛い弟ができるなんて!
私は一人っ子だから、ずっとジュールみたいな弟と一緒に遊ぶのが夢だったんだ!」
優しく見つめられると、男の俺ですがドギマギしてくるから不思議だ。
きっとたくさんのご令嬢が、この魔力のような美貌に吸い寄せられてしまうのだろう。
「あのっ、俺……っ、私はっ、姉には絶対に幸せになってもらいたいんです!」
頬がかあーっと赤くなるのがわかる。マリユスの圧倒的な魅力の前に、俺は信じられないほど緊張していた。
「ふふっ、シャンタルは本当に幸せものだね。こんなに可愛いナイトがいるだなんて!
大丈夫だよ。ジュール。君のお姉さまは、私がきっと幸せにするからね!」
「……」
何も言えなくなった俺に、マリユスとシャンタルは目を見合わせて微笑んだ。
こうしてみると、たしかに見た目はこれ以上なく似合いの二人だった。
そして今思い返してみても、確かに二人は「割れ鍋に綴じ蓋」といった表現がぴったりの夫婦となった。
だが……、
お茶会を終えた俺は、家に戻ったとき、ポケットに何かが入っていることに気がついた。
そこには折りたたんだ小さなメモが入っていた。
『シャンタルとの婚姻のことで、大切な話がある。
明日の夕方、当家まで来られたし マリユス』
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