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44.あの夜の月
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――深夜。
『陽光の宮』と呼ばれるこの美しい宮殿も、今はすっかり静まり返っていた。
あたりには、しんとした空気が張り詰めている。
俺は部屋を抜け出し、人気のない廊下をひとり歩いていた。
この宮の中を、少しでも多く自分の目で見ておきたかった。
――いかなる時も、自分の置かれた場所の状況を、すみずみまで探知し、把握しておけ。
幼い頃から何度も叩き込まれたその教えが、今でも無意識に俺の行動を支配している。
この宮は、王宮の南東に位置しているという。
もともとは王族の静養用に使われていたらしく、厨房から使用人たちの部屋、浴場、書庫、薬草庫にいたるまで、ここだけで生活が完結できるよう造られている。
広大な庭園には池があり、小さな森のような区域まである。まさに『王宮内の離宮』と呼ぶにふさわしい場所だ。
現在、この『陽光の宮』で生活しているオメガは、おそらく数十人はいる。
それだけの人員を抱えたまま、宮全体を結界で覆っているアレクシの魔力――そのスケールは、改めて尋常なものではないと感じさせられた。
俺は、結界の境界と思しき場所まで歩を進め、そっと手を伸ばしてみる。
そこは一見、何の変哲もない空間に見えた。
だが、一定の距離を越えようとすると、見えない膜のような粘性のある抵抗が全身を包み込み、内側に押し返されてしまう。
――やはり、この結界を俺一人で突破するのは無理だ。
ため息をついたそのとき、かすかな音が聞こえ、俺は思わず身をかがめて物陰に身をひそめた。
――誰かいる……。
息を潜めて耳を澄ますと、やがて静寂の中に、小さな声が届いた。
「……父上、母上……」
か細く消え入りそうな声だった。
俺はそっと顔を上げ、音のした方を探る。
月明かりが差し込む中庭の向こう――回廊の端に、小さな人影が立っていた。
それは、白い夜着をまとったヴェリオスだった。
ヴェリオスは背を伸ばし、窓辺に寄り添うように立ち、静かに夜空を見上げていた。
銀の髪が月光に照らされ、淡く光っている。
その姿に、俺は思わず立ち上がり、ヴェリオスに駆け寄っていた。
「殿下、こんな夜更けにどうされたのですか?」
俺に気づいたヴェリオスは、袖でぐいと頬をぬぐう。
――泣いていたのか。
涙には気づかないふりをして、俺はヴェリオスの手を取った。
「夜は冷えます。お部屋にお戻りに」
「月を、見ていただけだ」
見上げると、夜空にはぽっかりと満月が浮かんでいた。
青白い、その月。
――あの夜のような、月だった。
俺はヴェリオスを私室まで送り届けた。
おとなしくベッドに入ったヴェリオスに、掛布をかけてやった俺は、あたりを見回した。
豪華な部屋。そして、子どもにはあまりに広すぎる部屋……。
「ソル、行かないで」
下がろうとした俺の手を、ヴェリオスが掴む。
「殿下……」
「一人にしないで。お願い……」
そのあどけないまなざしに、俺の心は締め付けられる。
俺はヴェリオスの、小さな手のひらを両手で包み込んだ。
「わかりました。殿下がお休みになるまで、おそばにいます」
『陽光の宮』と呼ばれるこの美しい宮殿も、今はすっかり静まり返っていた。
あたりには、しんとした空気が張り詰めている。
俺は部屋を抜け出し、人気のない廊下をひとり歩いていた。
この宮の中を、少しでも多く自分の目で見ておきたかった。
――いかなる時も、自分の置かれた場所の状況を、すみずみまで探知し、把握しておけ。
幼い頃から何度も叩き込まれたその教えが、今でも無意識に俺の行動を支配している。
この宮は、王宮の南東に位置しているという。
もともとは王族の静養用に使われていたらしく、厨房から使用人たちの部屋、浴場、書庫、薬草庫にいたるまで、ここだけで生活が完結できるよう造られている。
広大な庭園には池があり、小さな森のような区域まである。まさに『王宮内の離宮』と呼ぶにふさわしい場所だ。
現在、この『陽光の宮』で生活しているオメガは、おそらく数十人はいる。
それだけの人員を抱えたまま、宮全体を結界で覆っているアレクシの魔力――そのスケールは、改めて尋常なものではないと感じさせられた。
俺は、結界の境界と思しき場所まで歩を進め、そっと手を伸ばしてみる。
そこは一見、何の変哲もない空間に見えた。
だが、一定の距離を越えようとすると、見えない膜のような粘性のある抵抗が全身を包み込み、内側に押し返されてしまう。
――やはり、この結界を俺一人で突破するのは無理だ。
ため息をついたそのとき、かすかな音が聞こえ、俺は思わず身をかがめて物陰に身をひそめた。
――誰かいる……。
息を潜めて耳を澄ますと、やがて静寂の中に、小さな声が届いた。
「……父上、母上……」
か細く消え入りそうな声だった。
俺はそっと顔を上げ、音のした方を探る。
月明かりが差し込む中庭の向こう――回廊の端に、小さな人影が立っていた。
それは、白い夜着をまとったヴェリオスだった。
ヴェリオスは背を伸ばし、窓辺に寄り添うように立ち、静かに夜空を見上げていた。
銀の髪が月光に照らされ、淡く光っている。
その姿に、俺は思わず立ち上がり、ヴェリオスに駆け寄っていた。
「殿下、こんな夜更けにどうされたのですか?」
俺に気づいたヴェリオスは、袖でぐいと頬をぬぐう。
――泣いていたのか。
涙には気づかないふりをして、俺はヴェリオスの手を取った。
「夜は冷えます。お部屋にお戻りに」
「月を、見ていただけだ」
見上げると、夜空にはぽっかりと満月が浮かんでいた。
青白い、その月。
――あの夜のような、月だった。
俺はヴェリオスを私室まで送り届けた。
おとなしくベッドに入ったヴェリオスに、掛布をかけてやった俺は、あたりを見回した。
豪華な部屋。そして、子どもにはあまりに広すぎる部屋……。
「ソル、行かないで」
下がろうとした俺の手を、ヴェリオスが掴む。
「殿下……」
「一人にしないで。お願い……」
そのあどけないまなざしに、俺の心は締め付けられる。
俺はヴェリオスの、小さな手のひらを両手で包み込んだ。
「わかりました。殿下がお休みになるまで、おそばにいます」
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