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第三章

義兄嫁・蜃夫人

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(たくさん、話が聞けたな。皇后のことも勉強になったし、話せて良かった)

 詩音が怜皇太后の部屋を出た時、何気なく庭園に目をやると、誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。
 階段を降り、その人のそばに駆け寄る。

「どうしました?  大丈夫ですか?」

 しん夫人だった。
 蒼白い顔をして、口元を押さえている。

「立てますか? ちょっと、そこの日陰まで行きましょう」

 蜃夫人の背中に手を回し、少しでも涼しい場所へ誘導する。

「うぅ.....」
「どこか、痛みますか? 怪我は?」
「いや、ない...」

 ちょうど昼食の時間に差し掛かり、部屋子へやごたちはそれぞれ準備に忙しく、付き添えなかったようだ。
 炊事場から、米を蒸すような匂いが漂い、肉を焼く音が聞こえてくる。

「っ、悪い」

 蜃夫人が咄嗟に横を向き、茂みに向かって戻してしまった。

(.....これって)

 詩音はゆっくりと背中をさすった。

「気持ち悪いですか? お部屋に戻って休みましょう」
「あ、あぁ.....だが、」

 立てないのかもしれない。
 蜃夫人は、詩音よりもかなり小さい。詩音は160cm以上あり彼女を見下ろせる程だから、恐らく150cmもないだろう。細身だし、このくらいだったらいけるだろうと思った。

「私の背中に乗ってください。2階まで、上がれないでしょう?」

 詩音は強引に蜃夫人をおんぶして、彼女の部屋に向かった。
 羽のように軽い。一体普段何を食べてるのだろうか。

 おぶっている時、詩音の抱えている彼女の足が、ものすごく小さいことに気がついた。小柄なことを差し引いても、さらにもっと小さい子供みたいな足だ。靴を履いているから、はっきりとはわからないが。

 誰かいるか、と詩音が蜃夫人の部屋の前で問いかけると、中で食事の支度をしていた部屋子が扉を開けた。

「蜃夫人が、具合が悪いそうなの。今すぐ寝かせさせてもらうわ。着替えと飲み水を多めに用意して貰える? それから、お医者様を呼んで」

 詩音は早口でそれだけ言うと、つかつかと部屋の中へ入っていって、夫人を寝台へ寝かせた。
 部屋子はついていけていない様子だったが、その背におぶわれている蜃夫人を見て、詩音に従った。

「すまない」
「いえ、お気になさらず。ちょっと失礼しますね」

 半ば強引に、彼女の服を緩める。かなりきつく帯が締められており、驚いた。

「あの、こんなにきつくしちゃダメですよ。もし妊娠してるんだったら、緩い服にしないと」
「え?」

 蜃夫人の反応に、早とちりしてしまったか、と詩音は焦った。

「……申し訳ありません、さっきの症状から、てっきりそうなのかと」
「いや、わらわは子供はできない身体じゃからの」

 やってしまった。なんて失礼なことを言ってしまったのだろう。

「そ、それは失礼しました。体調を崩されたのは、今だけですか?」
「いや、ここ一週間くらい続いておる。どうも眠くてだるくて、食事の匂いが辛いのじゃ。さっきも少し調子が良かったから外の空気を吸おうと出たのだが。悪かったな」

(いやでもやっぱり、妊娠した友達が言ってたような感じだなぁ)

 月のものは予定通り来ているかと尋ねると、そういえば数週間くらい遅れているとの返事が返ってきた。ますます詩音が不思議に思っていると、部屋子が宮殿付の医者を連れてきた。
 夫人に代わって詩音が今聞いたことを医者に説明すると、少し離れているようにと言われた。医者は薄いカーテンのようなものを引いて周囲から見えにくいようにし、力を抜くように夫人に言ってごそごそとした後、優しい声で告げた。

「おめでとうございます。ご懐妊です」

「! そんなはずは。私は、不妊なのだぞ」
「何を根拠にそうおっしゃるのです?」

 狼狽える夫人に医者が問うと、彼女は気まずそうに答えた。

「前の夫との間には、二年子供ができなかった。それで周りからも責められていたし」
「同じ夫君の他の妻は、懐妊されていたのですか?」
「いや、他に妻はまだいなかった。これから側室を迎えようとしていたところだったが」

 その先は、蜃夫人は言葉を濁した。
 以前に遥星から聞いた話によれば、彼女の元夫は佑星によって侵略され殺されたということだろう。

「それは、貴方のせいではなかったということでしょう」

 医者がそういうと、蜃夫人は心底驚いた顔をしていた。
 この世界の常識というか社会通念として「不妊は女側に原因がある」と考えられているのか、あるいは蜃夫人が極端に世間知らずなのかはわからないが、それで驚くことに詩音は驚いていた。

「とにかく、しばらく安静に。動き回ったり重い物を持ったりしてはなりません。食事は、食べられるものだけ食べれば、今は良いでしょう」

 蜃夫人が涙ぐんでいるのを見て、詩音はある考えがふと頭をよぎった。

(昨日、睨んでるように見えたのも、単に気分が悪かったからなのかな? それに、あの足……素早く歩けるものなのかな)

 それからしばらく着替えを手伝ったり水を飲ませたりしていると、佑星が部屋へ飛び込んできた。

「蜃! 倒れたって聞いて……大丈夫か!?」

 医者が彼女の懐妊の事実を告げると、彼は夫人の手を取って飛び跳ねんばかりに喜んだ。夫人が、詩音がここまで運んでくれて助けてくれた、ということを話すと、そこで振り返ってようやく詩音の存在に気付いたようだった。
 彼と目が合い、以前のことを思い出して複雑な気持ちになる。

「あぁ、詩音ちゃんが助けてくれたの? ありがとう!」

 詩音に近づき、手を取って礼を述べる。その直後、小声で「この前は悪かった」と他の人に聞こえないように呟いた。

 
 あのことがあってから、佑星と直接顔を合わせる機会は今までなかった。だが、何か心境の変化でもあったのだろうか。あるいは、自分の妻を助けたからか。この人には理不尽な目に遭わされたし、そのこと自体を許す気は毛頭ないが、もうこれで今後はこの件については何も言えないな、と思った。

 涙を流し喜びを共有する二人を眺め、詩音はそっと部屋を出た。


 単純に、羨ましかった。
 体調を崩したら飛んできてくれて、妊娠がわかったら一緒に涙を流して喜びあって。
 妻として愛されるっていうのは、ああいうことを言うのだろう。

 それを妬ましいと思ってしまったことと、また自分も同じように愛されたいと望んでしまったことに気づく。

 比べたって、仕方ないのに。
 相手の行動の変化を望んだって、届かないのに。

 最近の詩音は、遥星に何かを「して欲しい」ばかり考えてしまっている。
 そんな自分が情けなくなり、ぎゅっと服の裾を握りしめた。
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