【R18】月下の華は淫靡に拓く

佐伯 鮪

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花言葉ー白鷺草ー(1/4)

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きょう~、まだぁー?」
「はい、まだですよ。まだダメです」

 彼女の小さな手を引きながら、目的地へ誘導する。
 ちょうど良い頃合いの場所に着いたのを確認し、俺は足を止めた。

「いいですよ、目を開けてください」

 律儀にこちらのお願いを守ってくれていた彼女は、ゆっくり目を開いた。
 長い睫毛が持ち上がる様は、まるで蝶の羽ばたきのようだ。

「うわぁ、すごい! 真っ白!」

 目の前に広がる一面の白い花。
 素直に感嘆の言葉を紡ぐ高い声は、まるで小鳥のさえずりのよう。

 彼女は小走りで花に近づいてしゃがみ込み、指先でそっと触れた。
 木綿の着物を着ていても、その姿は美しい蝶が花に舞い降りる姿そのものだった。


「ねぇ、すごいね。鳥みたいな形してるよ」
さぎに似てるから、白鷺草って言うそうですよ」
「ほんとだねー。可愛いね」


 可愛いのは貴女です、紫苑様。


「これを見せるために、連れてきてくれたの?」
「ちょっと遠かったですかね。すみません」
「もぉ、なんで謝るのー? 私、嬉しいのに」
「だって紫苑様をこんなに歩かせてしまって……疲れたでしょう?」
「まだ言ってる。私はもうお嬢様じゃないんだよ。歩くのだって楽しいから平気だよ」

 都から離れた辺境の地。
 俺と紫苑様は、ここでひっそりと暮らし始めたところだ。

「ねぇ喬。この花、なんか喬にも似てるね」
「そうですか?」

 自分も近寄って、紫苑様の隣にしゃがんで花を覗き込む。

「ほら、なんか尖ってて、羽がツンツンしてて、真っ白で」
「そうでしょうか」
「すべすべで、なんか気品があって」
「……俺に気品なんてないですよ」
「そう? じゃあ、すべすべなところ!」

 そう言って、紫苑様は俺の頬に手を当てた。

 ……心臓が、止まるかと思った。

(え、え? なんだこれ?)

 彼女の手はまるで吸い付くように、ピタッと俺の頬に貼り付いている。

 俺は、若い女の肌を知らない。仕事の相手は、中年以降の男や女だったから、その感触の違いに驚きを覚えた。
 若い女は、みんなこうなのだろうか? 
 それとも紫苑様が特別こうなのだろうか?

「喬?」

 その姿勢のまま固まっていると、紫苑様が上目遣いで不安そうに問いかけた。

 あぁ、もうだめだ。なんだこの可憐な生き物。
 なんか、なにも考えられない。

「紫苑様こそ、すべすべで気品があって……真っ白です」

 俺も自分の手をそっと彼女の方へ手を伸ばし、その頬へ触れた。

 長い睫毛をたたえた漆黒の瞳は、まるで揚羽蝶。
 少し染まった頬は、桃の果実のよう。
 そして小さな唇はまさに、花の蕾のようで……ようで……

 紫苑様、ごめんなさい! 俺もう我慢できません!

 本当に、俺は気品のかけらもない。

 俺は彼女の頬に添えた手に少し力を入れ、その顔をわずかに上に向かせた。
 俺がゆっくり顔を近づけると、彼女は蝶の羽をそっと閉じた。

(拒否、されていない……ってことで、いいんだよな?)

 そしてその可憐な蕾へ自分の唇を寄せると、ぷるんとした瑞々しい感触が、電撃が、脳を走り抜けた。

「っっ!!!」

 俺は思わず飛び退き、尻餅をつきそうになりながら立ち上がった。

「か、帰りましょう!! 暗くなったら大変です!」

 そこへあった手荷物を雑に掻き集めて、帰り支度を始めた。
 
 頭がおかしくなりそうだった、というか、なっていた。
 このままだったら、何をしてしまうかわからない。いや、わかる。何をしてしまう以外に、道はなかった。

(……くそ、童貞かよ)

 は、他人より遥かに多く経験してきたはずなのに。もちろん、自分が望んだものは一つもなかったとはいえ。

 こんなにも頭が混乱するなんて、自分でも驚きだった。

 家に着くまで、俺たちは会話を交わさなかった。何を話したらいいかわからなかったからだ。俺は彼女の顔すら、見ることができなかった。

 自宅が見えた時、俺が紫苑様の方をようやく向くと、彼女は目を真っ赤にして涙を溜め、唇を噛んでいた。

「し、紫苑様!? 疲れましたか? 足痛いですか? 気付かなくてごめんなさい、やっぱり歩くのきつかったですよね! あと少しですが……背中、乗ってください」

 俺がしゃがむと、彼女は素直にそれに従った。
 背負い込んだ彼女の足を眺めながら、俺は歩いた。

 幼い頃から纏足を施された紫苑様の足は子供のように小さく、そして屋敷から出ずに生きてきたがために、太腿もふくらはぎも筋肉がなくて枝のように細い。

(こんな足で、歩かせてしまうなんて)

 彼女に、綺麗な花を見せたかっただけだった。
 だが、結局自分のことしか考えていなかったのだと思い知らされる。

 家に着いた俺は、彼女を寝台の上にそっと下ろした。

「紫苑様、申し訳ありません。俺が飯の支度をしてきますから、貴女はゆっくり休んでいてください」

 彼女は無言で頷いた。
 
 それから、食事の間も、そして寝る段になっても、彼女は一言も喋らないままだった。

「紫苑様……今日は、本当に申し訳ありませんでした。貴女の身体の負担も考えず、あんなところに連れて行ってしまって。脚、疲れましたよね。お揉み……しましょうか」

 今の精神状態では、耐えられる気がしなかったが。
 でも、せめてもの罪滅ぼしになるなら、それを克服する苦痛にも、耐えなければ。

 俺の申し出に、紫苑様は無言で頷いた。
 寝台で身体を起こした紫苑様のふくらはぎを、麻の布を巻いた上から丁寧にほぐしていく。これなら、布の感触が強いから、なんとか耐えられそうだ。

 固くパンパンに腫れた脚が少し柔らかくなったころ、紫苑様がようやくその小さな唇を開いた。

「……ねぇ、喬。私、なんかダメだった?」

 小さな、泣き出しそうな震える声で、彼女が問いかけた。

「え? なにがですか? ダメだったのは、俺の方で……なんとお詫びしたらいいか」

「私、遠くまで歩いたの、楽しかったよ。綺麗な花畑が見れて、感動した。喬が、貴方が、私にこの景色を見せようと思ってくれたってことが、嬉しかった。あの、花に触れた時ーー喬と触れ合えて、何も考えられなくなってーー。喬、私、変な顔だった? 口が臭かった? ……どうして、あれから私の顔を見てくれなくなったの」

 紫苑様は一気に捲し立てた。
 俺は、俺は……なんてことを。
 察しが悪い。頭が悪い。人の気持ちがわからない。
 こんな自分が心底嫌になった。

「違います、紫苑様。何も考えられなくなったのは、俺も同じでーーあのまま貴女に触れていたら、酷いことをしてしまいそうになってしまって、必死で……!」

 俺は下を向いて彼女の脚を握りながら、見苦しく言い訳した。

「……喬の、ばか。ばかばかばかばか!」

 彼女は瞳にいっぱいになった涙をぽろぽろこぼし、小さな手でぽかぽかと俺を殴った。

「ねぇ喬、その布、擦れて痛いの。外して、直接やってくれない?」

 なんということだ。またしても、紫苑様の身体に痛みを与えてしまった。しかし、この布は俺の理性を保つ最後の砦でーー。

「早くしてよ」

 珍しく、お怒りでいらっしゃる。そんなに痛かったのかと、申し訳なさと、そして理性を失わないために、俺は唇を噛み締めて麻の布を外した。

「申し訳、ありません……」

 細くて折れそうな、彼女の脚。
 それなのに、瑞々しく、つやつやでーー
 湧き上がる、いや、起き上がるあいつを誤魔化すため、俺は腰を引いて背中を丸め、自分の内なるものと必死で戦った。

「あら? 何か、匂いがしない?」

 紫苑様が、何かに気付いた様子で声を上げた。
 匂いなんて、自分との闘いに明け暮れていた俺にはまったくわからなかった。

「どこだろう……あ、もしかして、あれかしら?」

 今日持ち帰った荷物から、あの白い花が顔を出していた。
 俺はこれ幸いとばかりに彼女の脚から手を離し、荷物の方へ向かった。

「荷物掴んだ時に、一緒に抜けちゃったんですかね。土も付いてるし」
「それ見せて、喬」

 俺は白鷺草の土を軽く払って、紫苑様へ差し出した。
 彼女はその花へ顔を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐと、ふわりと微笑んだ。

「やっぱり、この花だわ。不思議ね、昼間はあんまり匂いは感じなかったのに、今になって凄く香りが強くなったみたい。ほら、喬も嗅いでみて」

 俺が花を引き寄せようとするも、彼女は自分の顔の前から頑として動かさなかった。仕方なく、自分の方を花へ近づける。

「ね、素敵な匂いでしょ」

 確かに、上品な、そして官能的な香りがした。しかしそれよりも、紫苑様のお顔が近くて、そっちの方がよっぽどいい匂いがして、早く離れなければという思いと、離れたくないという思いがぐちゃぐちゃになる。

「そうですね……大人っぽい香りがします」

 花の方を見ながらそう言った俺の頬に、柔らかく、濡れたような何かが当たった。

「し、しし紫苑様!!!」

 俺が頬を押さえて飛び退くと、そこには瞳を潤ませて小さな蕾を膨らませた果実あった。

「さっき、言ったじゃないですか」
「『酷いことしちゃいそう』って?」
「……そうですよ」
「していいのに。……『酷いこと』」

 だって、だってだってそれは!

 紫苑様は、可憐な花で、美しい蝶で、瑞々しい果実で。
 それに比べて俺は、薄汚い地べたの、足跡だらけの、潰れた実のような存在で。

「私はもう、良家のお嬢様じゃないもの。皇帝陛下のお妃様になる必要もない。ここで、村人その1として、喬と生きていくって決めたんだから。喬が、この花の白鷺のように、その羽に乗せて私を連れ出してくれたからーー」

 そう言って、紫苑様は白鷺草の花に口付けた。

 俺は、彼女の花を摘んでいる手を取って、その官能的な香りのする花をどかしーーその下に隠れていた蕾を、小さくついばんだ。

 そして彼女のもう片方の細い手首を押さえ、その身体を小さな寝台の上で組み敷いた。



「ーーもう、後戻りできませんよ、紫苑様」
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