海辺の光、時の手前

夢野とわ

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ふたたび夏へ

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大家の三上由紀子に、家賃を払った。無愛想な、大家はだまって僕のお金を受け取った。何も興味がない、と言うよりも、家賃の受け取り以外、何も興味をしめしていない様な表情だった。
元のアパートへと帰った。そして、僕は部屋の中に座りながら、色々な考えを整理していた。有紀の言ったことは、さっぱり分からない。と言うよりも、分かることが難しかった。有紀は、この札幌の地で、何かをつかんだ。そして、有紀の言葉を使えば、「動かせる」様になった。そういうことだろう。しかし――。何よりも考えなければならないのは、僕は新見高校に戻らなければならない。そのためにも、有紀に戻してもらわなければならない。果たして有紀は、それが出来るのだろうか。スッと、身体から力を抜いて、部屋の地面に横たわる。僕は生きている。そんな当たり前のことを思う。ここは夏ではない。そう冷たい札幌の――。そこまで考えると、急に不安におそわれた。
 僕は一体ここで何をしている? 僕は望んで来たわけじゃない。動悸がしはじめる。しかし、僕は――。視界がかすむ。誰かの、意思を感じる。誰かが、僕のために「動かそう」としている。そのまま僕は、地面に意識を失って倒れ込んだ。
 どこか遠くから、人のさわぎ声がする。白いカーテンが揺れている。視界が、暑い。目を覚ますと、そこは保健室だった。そう、夏の新見高校の。


「高梨幸人くん、お熱を測ってください」と、保健室の秋田先生が言った。
「はい」と言って、僕は体温計を脇にはさむ。
「しばらく目を閉じて、休んでいて下さい。高梨くんのお母さんも、直にいらっしゃいます」と、秋田先生が言った。
「わかりました」と、言って僕は静かに目をつむる。
 鈍い夏の光が、窓の外に揺れている。一つ、白球を打ち上げる、「コーン」という小気味良い音がする。僕は、戻ってきたのだ。視界の外に走っている、あの姿は、僕の友達の広人だろう。そう、僕はまた戻ってきたのだ。
 ガラガラと言う、保健室の戸を開く、音がする。
「高梨くん、気分はいかがですか」と、秋田先生がにっこりとして聞く。
「大丈夫です。でも――。あの」と僕が言った。
「少し顔色が良くなったみたい。何かあるかしら?」と、秋田先生が僕に聞いた。
「大丈夫です」と、僕が言った。

グラウンドを、歩いて行った。南条広人がいる。広人が、野球部の練習をしているのだ。広人がいて、野球部が野球の練習をしていて、僕はグラウンド前の、花壇の隅に座っている。どうしてだろうか。僕は、また戻って来たのだ。
 花壇の前に座っていると、遠くからコツコツという足音が聞こえてきた。ふと目を上げると、僕の母親の、高梨多代子だった。
「お母さん」と、僕が言った。
「幸人くん」と、母が僕に言う。
ズボンの裾のホコリを払って僕は立ち上がった。母親が大事そうに僕を見つめている。僕が、新見高校で倒れたと連絡があってさすがに心配しているのだろう。実際は――。しかし、それは「言うべきこと」じゃない。僕は思考の整理がつかなかった。
「帰りましょう。お腹はすいていない?」と、母が青白い表情に、笑みを浮かべて言う。
「少し。実はかなり」と、僕が言った。
「帰りましょうね」と、母は同じことを言った。
僕はうなずいた。
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