教育係を任された美形の新入社員に情緒を毎日ぐちゃぐちゃにされているアラサー平凡受けの話

只野 唯

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第3章

【番外編】もう、俺のもの


 橋本さんの部屋で、たまたま見つけた。棚の奥に、少しだけ埃をかぶって置かれていたマグカップ。

 白地に、小さな苺の柄。妙に可愛らしくて、ここには似合わない。橋本さんの部屋は、基本的に質素だ。無地の皿、無地のカップ、無地のタオル。機能があればそれでいい、みたいな選び方をしている。

 だから、分かる。
 これは絶対、橋本さんが選んだものじゃない。

 指先で持ち上げる。軽い。底の縁に少しだけ擦れた跡がある。使われていないわけじゃない。でも、今はもう使われていない。

 棚の奥にしまわれていたのは、大事にしているからじゃない。ただ――忘れていただけだ。

 分かる。分かるのに。胸の奥が、じわっと熱くなる。誰のだ。言葉にならない問いが、頭の中で浮かぶ。

 橋本さんの元恋人?
 いつの?
 昔の誰か?

 別に聞けばいい。橋本さんなら、普通に答えるだろう。でも、過去のことはお互い詮索しないと約束した。

 それに、俺の知らない人と橋本さんの時間を知るのが嫌だ。その思い出が、ここに残っているのが嫌だ。

 マグカップを持つ手に、少しだけ力が入る。陶器は簡単に割れる。床に落とせばいい。それだけだ。ぱきん、って音がして、欠片になって、それで終わる。

 そんなこと、いくらでも出来る。衝動的に、壊したくなった。指先に、力が入る。

 ――そのとき。

「瀬名?」

 後ろから声がした。びくっとして振り向く。橋本が、キッチンから顔を出していた。

「何してんだ?」

 瀬名は一瞬だけ黙る。それから、いつもの顔を作った。

「マグカップ、見てました」
「それ?」

 橋本は少し首を傾げる。

「懐かしいな」

 あっさりした声だった。瀬名の胸の奥で、何かがきしむ。

「誰のですか」

 思わず聞いてしまう。思ったより低い声が出た。橋本さんは少しだけ考えてから言う。

「昔、後輩がくれたんだよ」
「後輩?」
「うん。女の子」

 胸の奥が、ぎゅっと縮む。橋本さんは気づかないまま続ける。

「なんかコンビニのくじで当たったとかでさ。
 “橋本さん苺好きそう”って。俺、苺好きって言った覚えないんだけどな」

 くすっと笑う。その笑い方が、妙に柔らかい。
瀬名の指先に、また力が入る。簡単だ。今落とせば、終わる。

「でも、なんとなく捨てるのもな」

 橋本が言う。

「可愛いだろ?」

 その一言で。瀬名の衝動は、すっと消えた。代わりに、別の感情が湧く。可愛い。橋本さんがそれを、可愛いと思う。

 それが、嫌だ。

 瀬名はゆっくりマグカップから手を離した。

「橋本さん」
「ん?」

 瀬名は振り返って、にこりと笑う。

「これ、使いましょう」
「急に?」
「はい」

 少しだけ近づく。

「俺が使います」

 橋本は不思議そうに眉を上げた。

「お前が?」

 瀬名は頷く。

「はい」

 苺のマグカップを、もう一度手に取る。今度は、壊すためじゃない。奪うために。

「え、それ気に入ったの?」

 橋本さんは、本当に何でもない顔で聞いてきた。悪意も、探る気配もない。ただの、軽い疑問。だから困る。

「そうですね。気に入りました」

 俺はそう答えて、苺柄のマグカップを持ち上げる。白地に、小さな苺。丸みのある形。

 どう見ても、可愛い。男の手には似合わない。俺の指は長いし、骨ばっている。こういう甘い柄とは、まるで釣り合わない。それでも構わない。

 だって、これはもう――俺のものだから。
 橋本さんは少し笑う。

「意外だな。そういうの好きだったっけ?」
「今、好きになりました」

 さらっと言うと、橋本さんは「ふーん」とだけ返した。深くは追及しない。この人は、こういうところがある。誰かが何かを気に入ったなら、それでいいと思ってしまう。

 だから俺は、マグカップを指でなぞる。苺の絵柄の上を、ゆっくり。これをくれた誰かのことなんて、もうどうでもいい。

 棚の奥で忘れられていたもの。誰にも使われずに残っていたもの。それを今、俺が手にしている。それで十分だ。

「これ、俺が使いますね」

 そう言うと、橋本さんは肩をすくめる。

「どうぞ」

 本当にあっさりした返事。
 瀬名は小さく笑った。

 可愛いマグカップ。似合わないことも分かっている。
 
 でも――

 これはもう、俺のものだ。どう扱おうと、俺の勝手。だから明日から、この部屋でコーヒーを飲むときは、必ずこのカップを使う。橋本さんの目の前で。いつも。

 そうすればきっと、そのうち――
 橋本さんの中でも、
「苺のマグカップ=俺」になる。

 それでいい。いや。それがいい。
 瀬名はマグカップを持ったまま、静かに笑った。

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