少年Cの終末目撃証言

陸一 潤

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急 異端者Mの望み

魔女Mは未来を変えたい

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 その日を待ち、エムは病院はずれの雑木林で夜を待った。
  月の明るい夜だった。

  雑木林では、陽のあるうちでも生ぬるく粘ついた空気が漂っていたが、陽が落ちると、とたんに闇の気配が厚みを増す。
  闇夜に蠢くものは、エムが歩を進めると道を譲るように飛散した。こうした小さなものたちのほうが、エムの『正体』に敏感だ。
  雑木林の奥。エムが知っている未来と同じなら、そこにはあるものがあるはずだった。記憶を辿りながら進んだ獣道の先が、唐突に開けてその建物が現れる。
  それは塔のある、小さな館だった。蔦絡む土塀造りは日本家屋のもので、洋の形をしているが、和の形式で建てられていることが分かる。エムはその広い玄関の扉の前に、一人の少女が立っていることに気が付いた。

  ちょうど、純と同世代の少女である。着ているのは白いワンピース。夜風に幽玄を思わせるほど白い肌をさらしている彼女は、エムと同じ赤い瞳で、眼下の黒猫を見返している。交した視線に、エムは自分の体が痺れるほど震えたのが分かった。
  彼女は何も言わず、扉を押し開けてエムを出迎えた。
  和洋折衷は内装にも表れている。先導する娘のあとを追い、エムは黒猫のままで廊下を進む。最奥の窓のない部屋に、彼女はいた。

  少女が出ていく。足音が遠ざかっていくのを待って、エムは女の姿を取り、その女に礼を取った。
 「はじめまして。魔女ソフィ」
 「はじめまして。わたしの孫……あなたの方は『はじめまして』ではないのでしょうが」
 「ええ……おばあさま。いいえ、申し上げます。始祖の魔女よ。マリアとお呼びください。貴女がわたしにつけた名前です」
 「マリア……そう。未来の自分の頭ほど、予想のつかないものはありませんわね」
  祖母のすべてを見透かす紫の瞳が、エム……マリアは苦手だった。十六を数えるマリアと、妙齢の若々しい姿を保つソフィは、まるで姉妹のように見える。魔女の姿を知るものが見たのなら、そのルーツを察することは容易いくらいだ。

  ソフィはマリアにソファを勧め、自身は向かいの椅子に足を組んで座した。いつのまにか湯気の立つカップが目の前に出されている。カップの淵を唇でなぞったソフィは、目を細めてマリアを観察しながら口を開いた。
 「マリア、手始めにこちらの好奇心に付き合いなさい。自分より幼い母親の姿を見て、どう思ったの? 」
 「おばあさま。同じ質問を、二十年後のあなたにも尋ねられたわ。答えは二十年後にとっておきましょう」
 「ふふ。そうね。今はあなたが質問する時だわ」
  マリアはカップを手に取る。中身を半分ほど喉に流した。


 「魔女ソフィ。あなたは今、誰に付いているの? 」
 「魔女とは問われたら答えなくてはならない。そういうものよ。今は誰にもついていないわ。この知識は、もうアランと娘のためにしか使っていない」
 「でも、あなたは今日、病棟に現れたでしょう。チェシャー猫はどうしたの」
 「同じ答えを二度言うのはいやだわ」
 「……つまり、あなたは誰にもついていない。だから美嶋純に取りついたチェシャー猫のことも、何もせず放置している。そういうことで、いいのかしら」
 「そうね。言い訳をすると、あの場に行ったのはあなたの姿を見てみたくなっただけなの。混乱させたのなら申し訳なかったわ。美嶋純には何もしていないから、安心しなさい」
 「『今は』誰にも付いていない。そう言ったわね? 」
 「そうね。言ったわ」

 「『今は』ということは、最後にいつ、誰にどう手を貸したの? 」
 「問われれば答えなければならないわね。そうね。最後に手を貸したのは十四年前。美嶋陽子という娘を、匿ってあげたことかしら」
 「純の母親……」
 「そうよ」

 「なぜ? なんの見返りも無いはず。どうして手を貸そうと思ったの」
 「わたくしの行動理念はひとつだけ。『その方が興味深い』」
 「……貴方にも未来は見えるのね」
 「彼……美嶋純は、この惑星にとっては取るに足らない。けれど彼の存在が作用するものは多い……それだけは知っていました。――――アリス、坂上大陽、辻聖、あなた……そして、わたくし。わたくしは人類に期待しています。すでにわたくしの『実験』は、わたくしが手を加える余地はない。その結果を予知で知るのは、つまらない。ですから、未来はわたくしが知るものとは大きく変わっているはず。わたくしは未来が興味深くてたまらない……」
  魔女は自らの肩を抱き、静かに体の奥を震わせた。静謐を保った顔が、どこか笑っているようにも見える。


 「純は何」
 「実験体306。キメラ材料はネコ型。アリスの伴侶の候補に上がったキメラ実験体」
 「……純が、アリスの伴侶候補だった? 」
 「あら、あなたの父親はそこまでは教えてくれなかったのね。そう、美嶋純という実験体は、チェシャー猫こと実験体312と並んで、アリスの伴侶に選ばれた実験体だった。材料はほぼ同じ。ある意味で兄弟と言えるでしょう。母体になった女が違うだけ。美嶋陽子らが連れ出したのが実験体312だったなら、『チェシャー猫』になったのは、実験体306だったかもしれない」
 「………」
 「美嶋純には、キメラとしての能力を抑える処置を施してあるわ。とても強力で、原始的な封印……ある時まではね。その封印が解ける刻限が近づいている。だから彼は、監視をつけることで、この街に住むことを許された」

 「監視? 誰が純を監視しているの? 」
 「この街にいる『神様』の眷属たち」

  マリアは、チェシャーが口にした『神官』という単語を思い出した。
 「美嶋親子は、この街に隠れ住んだのね……でもアリスが力を増し、『精神干渉』の能力を得、暗殺され……彼女が死の刹那に、逃亡するためのかりそめの肉体を『検索』したことで、アリス側に『実験体306こと美嶋純』は発見された」

 「わたしはかつて、ジェイムズに言った。『アリスが魔女になることは極めて難しい』と。わたしたちが人間に取りつけた感情や意志は、情報を効率的に捕食するためのシステムでしかない。知識、記憶、経験……魔女の子は、あらゆる情報を捕食して成長する。アリスは今回のことで、死の経験を得た。死の情報とは、どの子供たちよりも隔絶した差だわ。これで、条件はほぼ揃ったことになる」
 「……それは何の条件? 貴女は何をしようとしているの……」

 「賢いマリア。わかるでしょう? 」

  魔女は甘い甘い、猫撫で声で言った。

 「わたくしが仮定した『アリス』が完成する条件よ。わたくしの実験は、それにより新たな段階へ到達する。興味深い『未知』が始まるわ……」
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