少年Cの終末目撃証言

陸一 潤

文字の大きさ
26 / 29
終 見えざる手

猫が笑った夜①

しおりを挟む
 ◎◎◎◎◎

 闇から零れたような冷たい雨が降っていた。
  チェシャー猫はそれを眺めながら、ジッと、体を包むほの暗い穴の中に背中をつけた。金の瞳が、油断なく木の洞の中から光っている。
  荒れた指が握りしめるのは、ちょうどチェシャーの手のひらに収まるほどの、円柱型の金属だった。
  一見して太めのボールペンか、それに準ずる役割の文房具のように見える。この二晩ほどでもはや慣れた手つきで、メタリックな輝きを放つそれの下部を一回、ノックした。
  ざわざわと、遠くの雑踏のような雑音が、それの中から流れ出す。
 『――――! おい、繋がったか? 返事をしろ! “羽の生えた猫“! 』
  雑音の中からはっきりと浮かび上がってきた男の声に、チェシャーは応えず、『それ』を油断なく見つめて、またノックしてスイッチを切った。雑音は消え、金属は沈黙する。
  見慣れないその小さな機械は、どうやら通信機器のようだった。スイッチを入れるとどことも知れぬ場所に繋がり、チェシャーにはよく分からない単語を告げる。
  告げるのは決まった男の声色だ。不思議とチェシャーは、その声を聴いて、金髪で緑色の男を思い出す。

  チェシャーの右手は、自然と再びスイッチを入れていた。
 『―――――おい、またランプが付いてるぞ! 応答しろ“羽の生えた猫”! 今の状況はどうなってる。帰還は可能か? ……おい! 』
 「……てめえの名前は、エリス・キャンベルか? 」
 『――――はあ? おまえ誰……』
  通信機の向こうの声が、困惑に濁った。チェシャーは一度、強く奥歯を噛み締めると、飲み込んだ息を吐き戻すように単語を繋げていく。

 『――――こう言えば、わかるのか? おまえは『帽子屋』……だな? 』
  雑音が遠くなる。

  通信機の向こうは、少しの沈黙を挟んで応えた。
 『……なんでお前がその通信機を持っている? 』
 「てめえこそ……! これはあの魔女の、異世界人のものなんだろう! てめえはなぜ、『そちら側』にいる! やっぱり裏切っていたのか! 」
 『……どうやら多大な誤解とすれ違いがあるようだな』
  『……ハア』と、覚えのある響きのため息を吐き、通信機越しの帽子屋は言った。肩をすくめて眉間にしわを寄せた様子が浮かび上がるようだった。

 『俺は約二十年後の帽子屋だよ。チェシャー猫。お前たちから見れば、有り得るかもしれないパラレルワールドの『帽子屋だった男』だ。『そっち』の俺は、今ごろ全部忘れて故郷にでも帰ってるんだろう』
 「……異世界人に与したのか」
 『ンッとまあ、俺たちにも二十年いろいろあったのさ……ただ言えンのは、こっちの世界のアリスと、マ……いや、“羽の生えた猫”は、共通の目的があるってことだ。だから俺が、ここでお前と話している』
 「なんでアリスを刺した。いつから操られていた? 俺たちは」
 『おっと、落ち着けよ……本当にお前が用があるのは『そっち』の俺だろ。違うか?それはそっちの俺を見つけて聞いてくれ。……なあ、チェシャー。餓鬼のおまえと、こうしてもう一度話せるとは思わなかったぜ。ハハハ。そんな泣きそうな声、今じゃあ聞けねエからなあ』

  その気安い響きは、聴き慣れた仲間の声そのものだ。
  チェシャーは苦い唾を無理やり喉に押し込んだ。
 「帽子屋……俺は、まだアリスを見つけられていない。知らないか? ……何か」
  可笑しそうに笑う機械越しの帽子屋は、さらに言葉を繋げる。
 『こっちの俺はよ、だいぶ不自由なんだ。そっちにはどうしたって行けねえし、言えることも限られてる。でも、そっちにはそっちの俺がいる。そっちのアリスがいる。お前の仲間がいる。忘れんじゃアねえぞ』
 「……俺の、仲間」
 『そう。その世界でただ一人、アリスの仲間のチェシャーはおまえだ。出来れば俺のほうも、きちんと探してさっきの質問をぶつけてやってくれ。悲しいことに、帽子屋おれはお前たちに見つけてもらえなきゃ帽子屋おれには戻れねえ。俺が帽子屋に戻るには、お前たちに見つけてもらう未来しかない』
 「……帽子屋。おれは、どうしたらいい」
 『自分で決めろよ。今までもそうしてきただろ。これからもそうだ。俺たちは、繋がっているんだよ……』
  短い通話だった。
  チェシャーはしばらく通信機のスイッチをいじってみたが、断ち切られたように沈黙した通信機は、僅かな雑音すらもう溢さない。

 「アリス……」

  闇から零れたような冷たい雨が降っていた。金色の瞳が、黒い雨と森を睨んだ。
  チェシャー猫は、緩慢に、しかし地面を踏みしめて立ち上がる。


 「……話は終わりまして? では、いきますわよ」
 「……ああ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

それは思い出せない思い出

あんど もあ
ファンタジー
俺には、食べた事の無いケーキの記憶がある。 丸くて白くて赤いのが載ってて、切ると三角になる、甘いケーキ。自分であのケーキを作れるようになろうとケーキ屋で働くことにした俺は、無意識に周りの人を幸せにしていく。

処理中です...