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5.アンダワ
しおりを挟む星が消え、灯りはエリカが杖先に灯した小さな光だけ。
しんとした暗闇の中で、ずっと話をしていた。家族の話がほとんどだった。
喉の渇きを覚えるころ、ふと、どちらともなく黙って耳を聳そばだてた。
―――――足音がする。
「……そこにだれか、いるのですか? 」
問いかけてきたのが淡々とした子供の声だったので、ぼくらは困惑して互いに手を強く握り返す。
「ここはどこですか? 」
「……ああ、よかった」感情の色がしない子供の声は不気味だ。電話案内の音声に似ていて、心から『よかった』と言っているような感じはしない。
「……ついてきてください。ここには誰もいないのです。ぼくが気が付いてよかった」
ガサガサと草が動く気配がする。声の主が先導して移動を始めたのだ。
エリカがぼくの袖を引いた。
「行きましょう。……たぶんここは、まだ『本の国』の中よ」
「『どこか』じゃあないの? 」
「『本の国』には、外からの攻撃を防ぐために結界が張ってあるんですって。異世界人の侵入を防ぐ結界よ。扉をくぐったとき、いつもと少し違ったわ。きっと、その結界ってやつに当たったのだと思う。理論的に考えて、わたしの力で管理局の結界を破れるわけがないもの」
「じゃあここは、管理局所有の施設のひとつってことかな」
「……その通りです」
「ギャッ! 」
「エリカ!? どうしたの! 」
「なんでそんなに近くにいるの! さっきまであっちにいたじゃない! 」
「……ごめんなさい。ついてきていないようだったので……でも、ほんとうに、ここにはぼくしかいないんです。ぼくと離れたら帰れなくなります。ぼくは、あまり人と会ってはいけないのです。ここから出てもらわないと、ぼくはとても困ります。あなたたちも、きっと怒られると思うのです。困ります……」
「あまり明かりをこちらに向けないでください。音を頼りにぼくのあとをついてきてくれると助かります」
そんな不思議な指示に従って、杖明かりを足元に向け、ぼくらは先導者の姿を見ないようにして歩き出した。
足が埋まるほどよく繁った草の影のおかげで、相手のかかとすら見えない。ぼくらは指示通り、前方の足音と気配を頼りにあとを追った。
二百歩ほど歩いて行き止まりに辿り着く。それが広いのか、思っていたよりも狭いのか、ぼくにはまだ判断がつかない。
『……少し、ここで待っていてください。具体的には四十秒ほどです』
ふいに目の前の壁の一部が、淡い緑色に発光した。誘導灯だろうか。しばらくぶりに隣のエリカと目をあわせ、首をかしげる。
「誰もいない……どこに行ったんだ……? 」
「待ちましょう。……ちょっと不気味だけど」
どこかにあるスピーカーが咳払いをするように唸り、あの『声』がする。
『お待たせしました。どうぞお入りください』
プシュ、と目の前のライトがスライドして、ぼくらへ四角い口を開ける。
「通路を明かりに従って進んでください」
内部は人工的な白い壁面がまっすぐ続いており、扉にあったのと同じ薄緑の誘導灯が、ラインになって伸びている。
踏み入れてすぐに植物と土の香りが消え、人工物の中にいるという実感がする。微かな空調の駆動音。適温に保たれた清潔な空間。ここは、隅々まで管理しつくされた建物だ。
明らかに外よりも長く廊下を歩かされた。道はひたすらまっすぐで、後ろを振り返ると小さく入口が見える。
ようやくたどり着いた扉は、入口と全く同じつくりだった。
プシュ
扉が開く。
薄緑に照らされた薄暗い室内だった。壁が楕円を描き、吹き抜けのある二階構造になっている。中心に、貯水槽に似た円柱型の物体があった。その上に、今度は分かりやすくスピーカーがあり、あの声がする。
『……おつかれさまでした。管理局の渡航管理部門に連絡したところ、あなたがたの身元の確認も終えています。エリカ=クロックフォードさん、ニルさん。迎えが来るまで、もう少々お待ちください』
手が早い。
いや、あの爆発だ。あちこちに連絡がまわっていた可能性もある。
ぼくはあの塾の生徒だし、彼女はあの塾が目的地だった。管理局側が探していたとしても、何もおかしくない。
「すこし訊いてもいいかな。ここって、どういう施設なんですか? 」
『管理局の訓練実験施設です。人が多い都市部ではできない実験をするため、郊外にあります』
道案内のときと違い、回答がよどみない。ほんとうに案内音声のようだ。スマホの音声認識の人工知能も、たしかこんなふうな喋り方をしていた。
『いまは施設内に危険物はないので安心してください。実験もおこなっていません』
「そんなところで、あなたは何を……あ、いや、すみません」
『いいえ。かまいません。質問してください。答えられないことはあまりありません。ここはいま、ぼくが、ひとりで暮らしています。寝室兼学校で、ぼくはイレギュラーです。訓練をしないと、外に出ることができません。ぼくは、おとうさんとおかあさんと、おにいさんと離れて、ひとりでここで暮らしています。ほかの人がいると、訓練ができないので』
「じゃあ……ぼくらは訓練の邪魔をしてしまったんだね」
『いいえ。ぼくの訓練は、ふつうの生活を送ることです。こういったトラブルを、できる範囲で解決することも、ぼくの訓練になります。ぼくは、ほかの人と顔を合わせてふつうの生活をできるようにならないと、家族と暮らすことができませんから』
「名前を聞いても? 」
『…………』
スピーカーが沈黙した。
「……ごめん。聞いてはいけないことだったんだね」
『……いいえ。違います。ぼくの姿を見ると、あなたはおそらく、経験上、あまり良い気がしません。それで』
「名前を言うのも憚られる? 』
『……はい。そうです。ぼくの名前を、あなたが知っているかはわかりません。でも、きっと、会うのはこれで最後だとおもいます。あなたが嫌なきぶんになることは無い』
「ねえ、いいかしら。その『あなた』というのは、ここにいるニルだけを指しているのではなくて? 」
沈黙してぼくらの会話を聞く体制だったエリカが、天井を見上げて言った。
『はい』
「なら、嫌なきぶんに『なるかもしれない』のはこの人だけってことでしょう? わたし、恩人の名前も知らないのは嫌です。マナー違反だわ」
腰に手をあてて、ふんぞり返るようにも見える恰好で彼女は言う。
「ちょっと、エリカ……」
「それに、この人だってそうよ。嫌なきぶんになるかもしれないのは、貴方がわたしたちを助けてくれた恩人だってことと、なんの関係もないことよ。不快に思ったとしても、この人は失礼な態度を取ったりはしないと誓うでしょう。違うかしら」
「まあ、そうだけど……マナーとしては、そりゃあ、ぼくらはお礼を言う立場だから」
「そうよ。その通り。わたしもイレギュラー。外から来た人間です。そこは貴方と同じです。名前が駄目ならお年は? おいくつなの」
『……ことしで13歳です』
「ねえニル、貴方、12歳って言っていなかった? わたしはもうすぐ9歳になるわ。お兄さんね」
「うんそうだね。って、あのね、エリカ。人には事情というものが」
「事情? ここにはひとつの事情しかないわ。わたしは貴方にお礼が言いたい。そして、恩人の名前を死ぬまで覚えておきたい。魔女は約束を違いません。恩は死ぬまで忘れず、必ず返す。これもわたしの事情ですわ。ですから、そう……わたしには、名前を教えてくださらないかしら。できればお顔を見てお話もしたいけれど」
「あ、あのねぇ! これは―――――」
「残念ながら、わたしまだこの世界のマナーは修めていません。無礼でしたら、多めに見てくださるとうれしいわ。でもわたし、ここで一人でも味方がほしいの。9歳の女の子が一人、うまくやっていくには、まずお友達をほしいのね。ニル、貴方が一号。目の前にはもう一人、お友達になれそうな人がいるわけよね。お友達になるには、お話するときにお互いを呼び合う必要があるわね。わたしはエリカ。貴方はニル。それで貴方は恩人さん。……ねえそれって……。ああ、何を言いたかったのかしら。そう、わたしは魔女のマナーなら完璧なの。それによると、恩人の名前は死ぬまで覚えておかなくては。ニル、もちろん貴方もよ。わたしのこと、庇って逃げてくれたもの。あれはすごかったわ。とても心強かったもの」
「エリカ、論点がブレブレだよ。それじゃあ屁理屈だ」
「あら。そう? そうでもないわ。論点は、『どうすれば恩人の名前を握れるか』だもの」
「にぎ……っ!? ブレるどころか脱線してるじゃあないか! 」
「あら。魔女だからって、誓って恩人に名前を握って呪いをかけたりはいたしませんわ。感謝の気持ちに、簡単なおまじないはするつもりだけど。貴方にもするわよ。それが魔女のマナーだもの」
『マナー……そう、そうですね……』
ぼくの耳に、何かの前置きのようにしてスピーカーが口を開く。
『……そうですね。マナー……。それを考えていませんでした。助けたほうにも、マナーはありますよね。あなたたちは、顔も見えないぼくのあとを、信じてついてきてくれた。……そうですね。ぼくは訓練ばかりで、勉強不足だったようです。気が利かなくてすみません』
「あの……無理強いするつもりは無いんです。顔や名前を知られたくないのは察しています。そりゃあ、顔を言ってお礼を言えたらこっちはスッキリするけど、きみが不快に思ったら、それはお礼になりません」
『……いいえ』
語尾が揺れていた。
……笑っている?
『もうすぐ、お迎えが到着するそうです。その前に、顔を合わせて自己紹介させてください』
そう言って、スピーカーはぶつんと音を立てて沈黙した。
貯水槽に似たその物体は、『彼』の私室だったようだった。円柱の上部のランプが回転し、軽い音を立てて扉が横にスライドする。軽やかにいくつかの段差を降りてくる華奢な体には、『本』の装束を纏っていた。
真っ白な髪の下、血の気の無い白い貌の中、輝くように青い両眼が、緊張したようすで上目遣いにこちらをうかがっている。13歳には見えなかった。
「名前は……その。……ビス=ケイリスクと申します」
ぼくは、その顔をした人を知っていた。
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