IRREGULAR~異世界人しか出てこねえ異世界モノ~

陸一 潤

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9.ピースサイン

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 ※※※※


 冷たい金属に蛙のように張り付きながら、女は笑う自分を自覚した。
 素肌の上を通る空気は、けして温かいと言えるものではなかった。
 ふくよかな胸や腹の脂肪が床との間で潰れている感覚すら、頭の斜め後ろをついてくる視点にすぎない。

 快楽に染められた意志にとって、この肉体は端末だ。彼女の欲望を発散するために動く。
 頭の中で数えるカウントダウンにあわせて足裏を折り畳み、拳の中に握られた『糸』の束を握りなおす。
 舌が上唇を舐め上げ、乾燥に割れ始めた唇のささくれを噛み、下腹部をうずかせる予感に、女は歯を見せて薄闇の中で破顔した。


 轟音とともに床が揺れた。

 ビスはとっさに、ひどく転ぶ前に自分から床に膝をつくことができた。上げた視線の先で、ミゲルが頭を抱えて悪態をついている。転んで打ったらしい。ハック=ダックの姿が見えない。

「――――なんで今時ケーブル式なんだよ! 」
 エレベーターの扉をこじ開け、奥を覗き込んだハック=ダックが叫んだ。
 昇降機(エレベーター)のケーブルが切られて落されたのだ。500㎏まで難なく運ぶことができる大型の昇降機は、合金でできたワイヤーを束ねて本体を支えているはずだった。それが、ぶっつりと切れて
 縦穴を覗き込む男の頭上でぶらぶら揺れている。
 次の瞬間、ハック=ダックは、のけぞるように後ろへ下がった。
「‼ 」
 それでも足りず、足裏から衝撃波のようなものを発射してエレベーターホールから飛び去る。空中に出現した『線』としか謂いようのない白銀の糸が、ハック=ダックの胸元を掠めた。ピアノ線よりも細い、髪の毛ほどの糸は、床をゼリーのように切り裂いて四角い闇の奥に巻き戻っていく。
 男は手のひらと両足で危なげなく着地した。舌打ちする。濃緑のジャケットの胸元が、ばっくりと横一文字に斬れて落ちる。遅れて、厚い胸板から青い人工血液がぷつぷつと噴き出したのだ。

「ミゲル! 二人で下がってろ! 」
「言われなくてもそうする! 」

 ハック=ダックの刃金色の眼に、縦穴を落ちていくブロンドの髪が煌めいた。鍛え上げられた動体視力が、ひるがえった髪の隙間でこちらを見て笑う女の貌を見止める。白い裸体から、いくつも伸びた糸を羽衣のようになびかせ、女は奈落へ消えていく。
 二人の大人(片方は今幼児だが)は、それぞれ逆の方向へ駆け出した。ミゲルはビスの手を引き、さらに壁際へ。ハック=ダックは、再び足裏の衝撃波を使って、糸使いが落ちて行った縦穴へ向かっていく。

 この玄関ホールの惨状はブラフだった。ミゲルを片付けた糸使いの女は、どうにかしてあの扉を突破し、昇降機の縦穴の中に潜んでいたのだ。
 その『どうにかして』の部分も、すぐに知れることになった。
 縦穴の前に、小柄な白い姿が現れる。いまにもその暗闇に身を投げようとしていたハック=ダックは、瞬時に横跳びにそれを避けた。

 何が起こったのか分からないまま、ビスはふらつきながらも、どうにか後ろではなく前側へ倒れるようにしてへたりこんだ。背後には、地下30mまで続く奈落が覗いている。

 ミゲルは、首筋に添えられた冷たい感触に呻いた。
 ミゲルの肩にまわされる腕は、子供のそれのように短い。分厚い雪上迷彩の表面には、真新しく溶け切らない雪の破片が張り付き、見上げた頭には、ヘルメットとゴーグル、マフラーが巻き付いている。小さな手に収まるほどのナイフには、凶悪な返しがいくつもついていた。
『糸使い』ではない。新手だ。

「転移能力者(テレポーター)か」

 なるほど。転移能力者が共に侵入するのなら、侵入するのに支障はなく、装置を破壊しても問題はない。
 一連の事件が、糸使いの女の単独犯のわけがないのは、捜査を聞きかじっただけでも察するだろう。塾の襲撃だけならば単独犯で可能でも、そこから偶然にもこの施設へ跳んだエリカたちを追いかけるには、少なくとも管理局の内部にいて、この世界中に張り巡らされた結界の作動状況を知らなければならない。それには誰でもいいというわけではない。専門の知識とふだんから休みなく観測し続けている経験が必要だ。また、この施設に辿り着くにも、物理的な障壁が立ち塞がる。
 どんな高性能な道具や機械が相棒でも、無理がありすぎる膨大にして多岐に渡る仕事量である。
 管理局職員であるハック=ダックとミゲルでなくとも、組織的な犯行を示唆されたうえに、身内に一連の事態を指揮している者がいると考えると、眩暈がする。

 相対するハック=ダックの体が、湯気のような水色の光を漂わせる。
「……すぐに終わらせるぞ。子供たちが危ない」
「こんどは丁寧な仕事をしろよ」
 ミゲルは眉間に深い谷を刻み、唇だけで笑って見せた。

 テレポーターはハック=ダックが動くよりも僅かに早く、ミゲルから腕を解きその背中を蹴りつけて跳んだ。傍らの壁に足を付け、三角跳びで宙へ舞い上がり消える。倒れ込んだミゲルの後頭部すれすれを、青い光線となったハック=ダックが飛ぶ。
 壁を穿ち足場としたハック=ダックは、すぐに直線に飛んだ。ピンボールのように、ハック=ダックは青い帯を描いて現れては消えるテレポーターを狙う。
 防戦一方のテレポーターの攻撃のチャンスは、ハック=ダックが着地して再び跳ぶその一瞬しかない。しかしそれは、ハック=ダックがわざと与えたチャンスであった。

「軽いッ! 」
 厚底で刃の仕込まれた雪原用軍用ブーツの蹴りを上腕の小さな挙動で跳ね上げ、ハック=ダックは叱りつけるように吠えた。
 銃器、ナイフ、白兵戦―――――動きは獣のように軽く、鮮やかに取り出してはふるう武器の技術は訓練を重ねたそれなりに玄人のものだ。しかしその攻撃力は、見た目通りの体重の威力しかない。何度繰り返してもそれは同じ。いや、むしろ格上相手の焦りで刃は鈍りつつある。
 テレポーターがハック=ダックに対抗するには機動力しか武器が無く、攻撃の手が無いのは明らかだった。

 第四部隊の前線兵士――――それは、管理局職員として戦闘において先鋭であるということ。なかでもハック=ダックは、個人で対軍兵器となる『機能』と実力を持つ。そもそもメイドイン・ワンダー=ハンダー『機械生命サウンド=ハック』は、ナイフや銃弾で傷つくような肌をしていない。
 足止めに残すなら、その胸に傷をつけた糸使いのほうにするべきだったのだ。

 手は知れた。
 最低限確認するべきことは完了したと判断し、ハック=ダックは猫の子にするように、テレポーターの背中を掴んだ。その頭を包めるほど大きな青い手のひらにかかれば、襟首を掴んだまま、いくつかの指が額にまで包むようにまわる。服だけを掴んで、中身が逃げられてはたまらない。
 ヘルメットごとむしり取ったゴーグルの下から、白い肌と銀髪、灰色交じりの青い瞳が現れる。マフラーの下で、苦しそうに幼い喉が呻いた。

「やはり子供か」

 躊躇したりはしない。ミゲルのように、外見で中身は判断できないからだ。首を指先で揺らすと、その小さな体の意識が落ちる。慎重に装備を確認しながら剥がすと、ワープゲート装置の傍らに寝かせた。

「どうするミゲル。テレポーターの拘束は面倒だぞ。ここにその準備は無いだろう」
「ワープゲートが破壊されたんだ。じきに後続の職員が来る」
「そいつらが、こいつ側だったら? 」
「こんど来るのは、間違いなく『ダイモン』だ。それまで眠らせときゃいい。問題は糸使いの女だろう」
 ミゲルはそう言って、露わになった少年兵の顔を見た。

「……知ってるやつか? 」
「いいや。おれの知る限りには」
 ミゲルは、勤務歴三十年を超す、情報統括局である第二部隊所属の職員である。管理局に所属している職員の外見などは、基本情報としてミゲルの脳内にもファイルされている。

「まあ、それはいい。あとで調べりゃいいことだ」
「そうだな。ちょっくら『下』に行ってくる。ビス、おまえはどうする」
 ハック=ダックは、険しい表情で歩み寄ってくるビスに問いかけた。
「つれて行ってください。ぼくにしか、開けられない扉があります」
「よし。そう言ってくれると思ってたぞ。この施設のほとんどはもうおれの知っていた設備じゃあないからな。おまえがいなけりゃ、開かない扉をぶち抜く羽目になってた」
 そのやり取りに、ミゲルがため息をついて肩をすくめた。

 人形のようにビスを片腕の上に座らせて抱え、縦穴に消えていったことを確認したミゲルは、ゆっくりと銀髪の少年兵へと歩み寄った。
 頬を叩き、水をかけ、ようやく少年兵は白い瞼を開ける。

「おいガキ。下手ァこいたな」
 笑い交じりに、ミゲルは声をかけた。少年兵は立ち上がろうとして腰が立たず、ずり下がるようにして、ワープゲート装置の残骸に背中をつける。
「おいおい。逃げるのはナシだぜ。こっちは一度死ぬ思いをして、この作戦に参加したんだ」
「……協力者か」
 少年兵は、警戒の色を消さないまま訊ねた。
「あんたらの協力者はおれのボスだ。おれはそうじゃあない」
 ミゲルは笑顔を消して、その腕を掴んだ。少年は威嚇するように歯を剥いてそれに抵抗する。弱弱しい抵抗だった。
 ミゲルは言い聞かせるように、強く腕を引いて子供の顔を覗き込んだ。睨むような視線は、少年ではなく、その向こう。彼をここに差し向けたものに向けられている。

「昔、さんざん嫌なモンを見る機会があってな。おれは、ガキがこうして使い捨てにされンのが、死ぬっほど、大ッ嫌いだ」
「……それが、私と何の関係がある」
「てめえの組織はろくなもんじゃねえ。それがおれには無視できねえ。分かってんだろう? ガキを何人殺そうがどうでもいい連中だ。おまえも今回そうなりそうだった。自覚はあるはずだぜ。それとも気づかないふりか? ンならいい機会だ。てめえを殺す無能じゃなく、おれの言葉に従え。そうすれば逃がしてやる」
「………」
 ミゲルは、瞳が揺れたのを見逃さなかった。

「機会を伺って『情報屋アンブレラ』を目指せ。そこに行けば、東シオンに会える。奴には伝手と借りがある。直接『ミゲル=アモの借りを返しに来た』と言えば、奴は喜んでおまえを保護するだろう。いいか? シオンに直接だぞ。おまえには優秀な技術と能力がある。逃げることに特化した能力だ。やろうと思えばできるだろう? 」
 悔しげに少年兵の顔が歪んだ。淀んでいた灰色の瞳が潤み、青く澄む。
「……僕のほかにも、助けたい子がいるんだ。僕一人じゃ、逃げられない」
「逃げる理由はあるんだな? よし。おまえは賢いな。でもまだガキだ。割り切るか、そいつと逃げる期を伺うか。それともまた死ぬ思いをするか。それはお前の自由だ。おれもこちらで動く。うちのボスは特記してクソだが、管理局にはおまえみたいなのこそ助けたいやつも多い。何をしてもいい。生き延びろ」
 ミゲルは掴んでいた腕を離した。少年兵はよろよろと立ち上がり、悔しげに袖で顔を拭う。頭を振って頬を叩いたあとの姿には、もう涙の跡はない。冷徹な仮面のような無表情があった。

「……信用してもいいのか」
「もういい。言いたいことは言った。時間がない。はやく行け」
「ミゲル=アモ。御助言、感謝する。僕はエルディア=エルバート。あの子の名前は『リュー』。私はあなたとまた会えることを我が信ずる神に願っている」
 少年兵は、流れるような敬礼をして背中を向けた。スキップするように軽く足踏みをして駆け出し、ふわりと融けるように消える。
 ミゲルはがりがりと坊主頭を掻き、置き土産の銃を拾い上げた。中にしっかりと弾薬が入っていることを確認し、それを自前の弾と入れ替える。

「……あ~あ。やっちまったなァおれ。そうだよこれこれ。管理局にいるからにはよォ、こういうガキ一人に命をかけるような、大人の仕事ってのをしたかったんだ。クックック……」

 ミゲルは薄笑いが消えないまま、あんぐりと口を開けて銃口を咥え、確実に脳が爆発四散する角度に調整して、目を閉じた。
 『こんどは丁寧な仕事をしてくれよ』その言葉を、ハック=ダックがきちんと覚えていることを期待して。


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