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しおりを挟むその後のことは、ぼんやりとしか覚えていない。ハンナが心配そうに部屋へ入って来て、フード付きの外套をかけてくれて、ダニエルが家まで送ってくれたのは覚えている。いつも、あんなに騒がしいダニエルが、気遣わしげに話しかけてくれて申し訳なかった。
発情したままで身体は疼くけれど、自分を慰める気にもならなくて、ベッドの中で、自分の身体を抱きしめながら目を瞑っていた。うつらうつらとしながら、発情の熱が静まらないまま、気がついたら夜が明けていた。
こんな姿では、仕事にも行けない。職場のみんなにも迷惑をかけてしまう。頭では思うのに、身体がとても重く感じて、ベッドから動けずにいた。
扉を叩く音で目が覚める。知らない間に寝てしまったみたいだ。仕事を無断で休んでしまったから、パウラが様子を見に来てくれたのかもしれない。気怠い身体を、ゆっくりと起こす。昨日、ハンナが貸してくれた、フード付きの外套を被り、重い足取りで玄関へと向かった。扉を開け、顔を上げると、
青い目が、真っ直ぐにララを見ていた。
「っ、ララさん、突然来てしまい、申し訳ありません」
レオンの顔が赤く染まり、サッと目線を逸らされる。疑問に思い、自分の姿に目をやると、いつもの部屋着、ではなかった。襟ぐりの開いた下着用のスリップドレスが、ハンナに借りた外套の下に見える。発情の熱が静まらず、身体が熱くて、寝ている間に部屋着を脱いでいたことを思い出す。慌てて外套の前を掻き合わせた。
「す、すみません!」
「い、いえ、女性の家に、前触れもなく来た私が悪かったです。ララさんの同僚の方に、一緒に来て頂くべきでした」
「きょ、今日は、どうされたんでしょうか?」
「……昨日、ララさんに、酷いことを言ってしまったので、謝ろうと」
「酷いこと、ですか?」
「……ダニエルに、触れさせるのか、と」
その言葉が、酷いこと、だろうか。
「……ララさんの尊厳を傷つける様な言い方をしました。許されることではないかもしれないですが、謝らせて下さい」
「えっ、いえ、大丈夫、そんなこと……」
「そんなことじゃない。いつもララさんは、周りの軽率な言動で、深く傷ついています」
「っ、そんなこと、ない」
そんなことでいちいち傷ついていたら、生きていけない。
「……そうだったとしても、レオンさんには、関係のないことです」
「迷惑ですか? 私が、こうやって、ララさんのことを気にかけるのが」
「……迷惑、です」
レオンが、傷ついた顔をする。思ってもないことを、口にしてしまった。
でも、もうこれ以上、心の中に入ってこないで欲しい。今までは、一人でも大丈夫だったのに。大丈夫だと、思っていたのに。
「…………分かりました。もう、余計なことはしないようにします。…………もう一つ、ララさんに謝らなければいけないことがあります。先日、アナマリア嬢が、ララさんに会いに来たと上司から聞きました。私事で、ララさんにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
「ご存知だったんですね……」
アナマリアにも、もう会ったんだろうか。あの、可愛くて天真爛漫でお喋りなお嬢さんと。
「……素敵な方でした。お話上手で可愛くて、素直で、レオンさんに、とてもお似合いな方だと、思いました」
「……ララさん?」
「今日は、わざわざ来て下さって、ありがとうございます……こんな格好ですし、おもてなしもできる様な状態ではなくて。せっかく来て頂いたのに、すみません」
外套を掻き合わせたままの手を、ぎゅっと強く握る。
「ララさんと、話がしたいです」
「……いま、話して、います」
「私は、ララさんのことが知りたいです。私のことを知って欲しいです。そうやって、人と会話をすると良いと、ララさんが教えて下さいました。駄目でしょうか? 私がララさんのことを知りたいと思うのは。自分のことを知って欲しいと思うのは」
「っ、だ、だって、レオンさんは、あの、可愛い貴族のお嬢様と、きっと会ったら、会話も弾んで、楽しくて、周りからも祝福されて、幸せになります。だから、私のことを知りたいと思うのは、たまたま、私が、お話しできたから。初めから必要なかったんです。私が、あんなことを言い出さなかったら、変な誤解もされずに、何の憂もなくきっと出会えたのに。ごめんなさい、私が、レオンさんの、声を聞きたいと思ってしまったから」
アナマリアの美しい姿が頭の中に浮かぶ。自分は、こんな格好で何を言っているのだろうか。レオンに今の自分を見られたくなくて、フードに隠れる様に顔を下に向けた。
「声、ですか?」
レオンが、不思議そうな声を出す。
「ララさんは、私の、声が好きですか?」
好きです。大好きです。優しい青い目も、清潔に切り揃えられた短い黒髪も、大きな手の平も、長い指も、全部。
――何よりも、丁寧な言葉で、優しく紡がれる、あなたの声が。
「好き、です」
「……良かった」
レオンが、ホッとした様に声をだす。
「……ララさんに、好ましいと思ってもらえる所があったんですね……。ララさんには、自分の情けない部分ばかり見せてしまっていて……安易にララさんに触れてしまったり、感情的になってしまうことも多くて……だめなことばかりしている気がして」
「……それは……私がお願いして触れてくれて、私が酷いことを言われて怒ってくれたり……レオンさんに、だめな所なんて」
「そうですか……なら、良かった。嫌われている訳ではなかったんでしょうか」
「な、ないです! なんで」
「……ララさんが、ダニエルと一緒に帰っているというのを知った時、ダニエルなら良くて、私は駄目なのかと酷く落ち込みました……昨日、扉を開けては駄目だと言われた時、私は、ララさんに……嫌われたと、思いました」
それは、だって、会ったら、頭から離れなくなってしまうから。今も、こうやって話していては、だめなのに。
「嫌われてないなら、良かった」
レオンが、少し困った様な顔で、笑う。
「……嫌いになんて、ならない、です」
「そうですか……」
レオンが、嬉しそうに笑い、目が合い、ハッとして、また困った顔をする。
「お休みされていたのに、突然来て、話を長々としてしまい申し訳ありません。ああ、しかもお見舞いも何も持たず来てしまいました」
珍しく、レオンがオロオロしている。礼儀正しいこの人が、そんなことも忘れるくらいの気持ちで、ここへ来たのだろうか。
どうして。
ああ、もう、何もかもどうでも良い。
この人の声がもっと聞きたい。
もっと近くに来て、触れて欲しい。
そんなことしか、考えられなくなる。
ララは、目の前の、レオンの服をぎゅっと握り締め、顔を埋めた。
「ララさん?」
レオンの胸に、顔をぎゅうぎゅうと押しつける。フードがぱさりと落ちて、ララのふわふわした耳が露わになった。
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