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第一章 崩れ行く日々
迫り来る恐怖
しおりを挟むsideユリカ
朝の礼拝堂は、まだひんやりと静けさを保っていた。
誰もいない木のベンチに腰を下ろし、手を組む。
けれど、目を閉じても祈りの言葉が浮かんでこない。
胸の奥は落ち着かず、何度もちらちらと扉の方に視線を送ってしまう。
(……神様、ごめんなさい。)
(私、今日も祈りよりも、彼に会いたくてここに来ました。)
そっと目を開けたその時、軽やかな足音が響く。
扉がわずかに開いて、朝の光が床を滑った。
影の向こうで視線がふっと重なる。
一瞬だけ、互いに微笑む。
(――きっと、誰にも気づかれていない。気づかれてはいけない)
「おはようございます、ルアルク様」
思わずそう口にしてしまい、すぐに小さく息を呑む。
彼はふっと眉を寄せて、困ったように笑った。
「だから、“様”はもうやめてって、何度も言ってるのに」
その声はいつもより少し拗ねたようで、でも、優しかった。
「……じゃあ、ルアルク……さん?」
「“さん”もいらないよ。昔みたいに、呼び捨てでいいんだから」
懐かしい温度が、心を撫でる。
そういえば、子どものころは当たり前に名前で呼んでいた。
まだ教会に入る前、彼と一緒に庭を走り回っていた頃――
「覚えてる?ユリカ、昔よく転んで泣いてたんだよ。僕が絆創膏を貼ってあげる係だった」
「……それ、私じゃなくて、あなたの方だった気がするけど」
「確かに、僕は泣き虫だったね」
ふふっと笑い合う。こんな時間が、ずっと続けばいいと思った。
でも、きっとそれは叶わない願い。そうわかっているから、余計に大切に感じてしまう。
彼と交わす言葉はほんの少し、朝のわずかな時間だけ。
約束を交わしたわけでもないのに、同じ時間にここに来て、同じように笑い合っていた。
声が聞けるだけで、藍色の瞳に見つめられるだけで、その日一日を生きる力をもらえた。
(神様、今日も祈りより彼に会いたかった――いけないと知っていても、止められない。)
彼と別れたあと、礼拝堂の静けさにひとり残された。
けれどその時間は長く続かない。
扉の方から複数の足音が近づき、低い囁き声が混ざって聞こえてきた。
「また来ていたのか……魔力も持たぬ娘が、直系の傍にいるなど」
「神に仕える者の傍にいる資格はないはずだ」
小さな嫌味は耳慣れたものだった。
面と向かっては言わずとも、陰で囁かれる声は日常に溶け込んでいた。
わかっている、“居てはいけない”存在なのだと。
けれど、別の声もあった。
「エレディアの血を継ぐ子だからこそ、ここに置かれているのだ」
「かつて直系に近かったあの方の孫……不思議ではない」
そう言われるたびに、彼女の胸の奥はざらついた。
祖母のことを彼女はよく知らない。
それなのに、その血が理由で優遇されるのは、まるで彼女自身には何の価値もないと突きつけられるようで苦しかった。
唯一、育ててくれたシスターだけが時折、彼女を気にかけてくれる。
「無理はしていない?」と声をかけてはくれるけれど、表立って庇うことはない。
あの人なりに守ってくれているのはわかる。
だから、これ以上を望むのはわがままなのだと自分に言い聞かせてきた。
――それでも。
彼だけは、彼女を“魔力の有無”ではなく“ユリカ”として見てくれる。
ルアルクの藍色の瞳に映るのは、直系でもエレディアの孫でもない、ただのユリカ。
そのことが、何よりも心を揺らした。
次の日の朝も、ユリカはまた礼拝堂の扉をそっと開けた。
今日こそ祈ろうと心に決めていたのに、やっぱり扉の音に耳を澄ませてしまう。
彼が現れたのは、それからほんの数分後だった。
「おはよう、ユリカ」
「おはよう、ルアルク」
彼が微笑んでくれるのが嬉しくて、
つい頬がゆるんでしまう。
「……あ、これ。庭に咲いてたんだ」
そう言って差し出されたのは、小さな白い花だった。
名前も知らないその花を、彼は「可愛いと思って」とだけ言って渡してくれた。
受け取った指先がほんの少し触れて、胸の奥がふわっと熱くなる。
嬉しいのに、何も言葉が出てこなくて、ただ「ありがとう」と小さく呟くのが精一杯だった。
ほんの些細なやり取り。
でも、それだけで一日中心が弾んでしまう自分に――
ああ、やっぱりもうずっと前からこの人が好きだったんだ、と思い知らされる。
……そんな朝が、気づけば日々の一部になっていた。
会えるかどうかもわからないのに、ユリカは毎日、祈りと称して足を運ぶようになった。
神様よりも彼に会いたい――その気持ちは、日に日に強くなっていった。
窓の外に目をやると、空はすでに沈んだ灰色に染まり、雨脚はさらに強まっていた。
屋根を打つ雨の音が、妙に耳に残る。
何かを訴えるように。
「……また、あの時みたい」
ぽつりと、独り言がこぼれた。
祖父が亡くなったあの日と同じ――じめじめとした空気、湿った匂い、そして心の奥にまとわりつく不穏な感覚。
あれから幾度も雨は降ったのに、なぜか今日だけは別だった。
(気のせい……だよね)
わかっている。
今の家は、あの日よりもずっと安全な場所にある。
地盤の調査も済んでいたし、町の人たちも心配して補強を手伝ってくれた。
けれど、それでも……胸の奥で、何かがささやいていた。
(このまま、ここにいて大丈夫なのかな)
言葉にできない不安が、体温の下にじわじわと広がっていく。
灯りをつけて部屋は明るいはずなのに、ひとりの夜がやけに心細く感じられた。
(また、あの日みたい……いや……っ!)
立ち上がりたいのに膝が震える。
何も掴めず、床に座り込んでしまう。
手が冷たくなっていくのが分かる。
裏山の方角、土の匂いが濃くなった気がした。
(動けない……怖い……っ!だれか――)
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