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第二章 命を告げるとき
小さな鼓動
しおりを挟むsideユリカ
指定された期日、国家治安局――通称ガーディアン本部。
無機質な取調室の椅子に座って、どれくらいが経っただろう。
四角いテーブルと白い壁だけの空間は、時間の感覚さえも鈍らせてくる。
ユリカは背筋を正していたが、体は確実に疲弊していた。
熱っぽさが抜けず、喉が渇く。
胃のむかつきは、さっきから何度か波のように押し寄せてきている。
(……流石に、体力が落ちてる。あんなことがあった後だから当然よね)
ただの疲れ。
そう言い聞かせて、両手を膝の上に置いたときだった。
扉がノックもなく開いた。
ユリカの視線の先に立っていたのは、見覚えのない男だった。
黒髪に、どこか軽さを帯びたスカイブルーの瞳。整った顔立ちに、上質な生地の装い──にもかかわらず、なぜか「軽い」という印象が先に来る。
きちんとした身なりなのに、髪の毛の先だけ妙に自由で。
人の手によって整えられたはずの髪は、ところどころ気まぐれに跳ね、本人の性格すら現しているかのようだ。
だが、その「軽さ」は不思議と場の緊張を和らげていた。
威圧とは正反対。
場を軽くするためだけに選ばれた、計算された明るさ――そんな印象だった。
「ユリカ・エレディアさんですね。はじめまして」
男は、部屋の前でぺこりと軽く頭を下げた。
「国家治安局直属・ガーディアン本部より参りました、シェイフィル・ラファリス・ナーバです。
どうぞ、シェイで気軽に呼んでください」
その名乗りは、明らかに格式張っていた。
けれど本人はそれを気にしていない様子で、ユリカの様子を見て少し眉を下げる。
「……緊張させちゃったかな。びっくりしたよね。
えっと……本当はお茶でも持ってきたかったんだけど……」
彼の手元には、袋入りの菓子が覗いていた。
けれどその匂いに、ユリカの胃がきゅうっと収縮する。
唐突に、吐き気がこみ上げてきた。
「……っ」
顔をしかめて前のめりになるユリカを、彼はすぐさま支える。
「わ、ごめんごめん!平気?
無理しないで、ちょっと横になる?」
慌てるでもなく、けれど躊躇いもなく差し出された腕に、ユリカはすとんと体を預けてしまった。
(……知らない人なのに)
そう思いながらも、拒む気力もなかった。
そして、彼の腕の中に感じたのは不思議な安心感で──けれど、その理由を問う余裕はなかった。
sideユリカ
室内の空気は静かで、ほんのわずかに紅茶の香りが漂っていた。
だが、ユリカはその香りすらも受けつけられず、思わず口元を押さえる。
「……顔色、あんまりよくないね」
シェイが穏やかな声でそう言いながら、そっと彼女の額に手を添えた。
一瞬、ユリカは驚いて肩をすくめたが、彼の手のひらから伝わる熱が心地よくて、動けずにいた。
「少し熱があるみたい。ずっとこんな感じ?」
「……体がだるくて、ちょっと胃がむかついて。ここ最近、ずっと……」
言葉にしてしまえば、それは一時的な疲労ともとれるような症状だった。
けれど、ユリカ自身も感じていた。
“これはただの疲れじゃないかもしれない”と。
「ちゃんと食べてる?寝てる?」
「無理にでも食べてはいます。
眠れなくて……でもそれは……いろいろ、ありましたから」
「うん。……それは、そうだよね」
一瞬、シェイの目が静かに細められた。
彼女の様子を観察するように、けれど威圧感は一切なく、まるで風がそっと頬を撫でるような眼差し。
「――ユリカさん、君って……魔力を抑えてる?」
「……?」
唐突な問いに、ユリカは戸惑いながら首を横に振る。
「いえ。私、魔力は……持ってないって、ずっと言われてきました。
教会でも、そう診断されて」
「そっか」
シェイは一度だけ頷いた。
「じゃあ……僕の勘違いかもね。うん、そういうことにしておこう」
そう言って、彼はふっと笑った。
軽く肩をすくめたその仕草は、どこか“からかい”のようでもあって、ユリカは返す言葉を見つけられずに黙り込む。
「医師免許はあるから初期対応はできるけど、判断は先生の領分だよ。
これくらいの症状、単なる疲れって片づけがちだけど――」
「無理はさせたくない。
念のためでいい、一度先生に診てもらおう」
「……でも、どこに……?」
「ちゃんとした専門のところだよ。君の体の状態を丁寧に見てくれる。
そこなら、“教会のような価値観”を押しつけられることはないから」
その言葉の端々に、ユリカ自身もかつて味わった居心地の悪さが滲んでいた。
「無理にとは言わない。
でも、君の体は、君だけのものじゃないかもしれないよ」
その一言が、静かに胸を打った。
けれど、ユリカはまだ気づいていなかった。
自分の体に芽生えつつある、新しい命の存在に――
◇
待合室から名を呼ばれ、ユリカは少し遅れて立ち上がった。
「ユリカ・エレディアさん、どうぞ」
一歩一歩が重く、眩暈がしそうな足取りだったが、シェイが自然に隣を歩く。
診察室の中は簡素で清潔だった。白衣の女医が優しい表情で迎える。
シェイは小さく一礼して、柔らかい声で言った。
「僕の紹介で来てもらった彼女です。すみません、ちょっと急だったんですが」
「ええ、大丈夫。彼女の体調について、詳しく診てみましょう」
血圧、脈拍、そして簡単な問診のあと、女医は静かに言う。
「症状から見て、つわりのようですね。
胃の不快感、嘔吐、熱っぽさ……。
おそらく妊娠初期に起きる悪阻の一種でしょう。
状態としては少し重めです」
ユリカは返事をしなかった。
ただ、目を伏せたまま、声にならない思考の中でもがいていた。
診察台に上がるよう促され、そっと身を横たえる。
画面に、小さな影が映った。
医師が優しい声で告げる。
「小さくて、まだはっきりとは見えないけど……心臓は、ちゃんと動いていますよ」
モニターから機械の音が「トクトク、トクトク」と一定のリズムで響く。
ユリカは、その小さな点滅から目を逸らせなかった。
涙は出なかった。
けれど、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。
ほんの少しだけ、握りしめた指が震えた。
ああ、本当に……そこにいるんだ。
でも、どうして自分はこんなにも遠く感じてしまうのだろう。
診察を終え、女医は静かに椅子に戻り、カルテに何かを書き込んだ。
「このままだと、体への負担がかなり大きいです。
できれば、入院をおすすめします。
点滴で栄養と水分を補って、体力の回復を図るのが先決ですから」
シェイが口を開いた。
「お願いします。入院の手続き、すぐに進めてもらえますか?」
医師は軽く頷き、再びユリカに視線を戻す。
「あなたの体は、魔力の循環が見られません。
通常であれば、母体がある程度、胎児の魔力を受け止められるのですが……今のままでは、かなり負担が大きい。
根本的な対処をしていかないと、リスクが高まります」
その言葉の意味を、ユリカはまだきちんと理解できていなかった。
ただ、今は、ただ目の前の現実に追いつくだけで精一杯だった。
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