雨はやさしく嘘をつく

黒崎優依音

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第四章 選んだ道

不安とささやかな夢

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若草色から金色へと変わりつつある庭の芝を踏みしめながら、ユリカは洗濯籠を抱えて空を見上げた。
秋の淡い陽射しが、透き通るような青空と紅葉しかけた木々を優しく照らしている。
涼やかな風が頬を撫で、どこからか金木犀の甘い香りが漂ってきた。

「……気持ちいいな」
思わずそう呟く。

縁側へ歩み寄り、籠を置いて腰を下ろすと、ゆっくりとした時間の流れが全身を包み込む。
妊娠中のせいか、秋の心地よい空気のせいか、瞼が重くなっていく。

「少しだけ……」と目を閉じると、そのまま眠りに落ちてしまった。

「ユリカさん……」
静かな声に意識が浮上する。

顔を上げると、庭先に立つシェイが穏やかに微笑んでいた。

「お仕事お疲れ様です」
「はい、ただいまでした」
そう言って縁側に腰掛け、彼はユリカの隣に座る。

「すみません……こんなところで寝てしまって」
「いいんですよ。今日は特に気持ちがいいですから」

そのまま、シェイはほんの少し身を寄せ、縁側から庭を眺めた。
「風も穏やかで、過ごしやすいですね」
「ええ……」

短いやり取りの後、また静けさが訪れる。
秋の縁側。
金色に染まった庭を横目に、ユリカはぽかぽかした陽気と、そっと寄りかかった先のぬくもりに負けて、静かに目を閉じた。


sideシェイ

「……ふふ」

すぐ隣から、低く笑う気配。
シェイは本を開いたまま、まったく読んでいない。
視線はずっとユリカの横顔に落ちたままだ。

目元が細くなり、口角が上がる。
これは本人なりに「隠しているつもり」らしいが、完全ににやけ顔である。

(この距離感……悪くない。いや、かなりいい)

わざわざ言葉にしなくても、膝に頭を乗せてきた相手の体温が心地よくてたまらない。
髪に触れる指先も、自然と優しくなる。

「……あらあら」
廊下の奥からミーナが掛け物を手に現れた。

目の前の光景に、年長者らしい余裕の笑みを浮かべる。

「仲睦まじくて、よろしいことで」

「……静かにお願いします。今いいところなんです」
悪びれもせずに言うシェイに、ミーナはくすくすと笑いながら掛け物をかけてやる。

風が一つ、庭を抜ける。
色づいた葉が、ふたりの間にひらりと舞い落ちた。


sideユリカ

お腹が少しずつ目立ち始めた頃、シェイが買い物を提案した。


着いた場所は、大通りから少し離れた場所にある、大きなショーウィンドウを設えたマタニティウェアの専門店だった。
店内には優しい光が差し込み、ベビー服やぬいぐるみなど、あたたかな色合いの品々が並んでいる。

慣れない場所に戸惑うユリカの横で、彼はことあるごとに「妻」「奥さん」という言葉を口にし、そのたびに嬉しそうに笑った。

「こちらの色合い、奥さんにとてもお似合いですよ」
「確かに。うちの妻の優しい雰囲気にぴったりです」

軽やかに囁かれるたび、彼女の頬は赤く染まった。
ガラスのショーケースに映る自分たちの姿は、まるで絵本の一場面のようで、どこか現実味のない不思議な感覚をユリカは覚えていた。

試着を重ねるうち、シェイは「これも素敵ですね」「あれも似合う」と、花を摘むように次々に服を手に取った。
淡いピンクや水色のワンピース、柔らかなニットなど、彼の選ぶ服はどれも彼女の雰囲気に合っている。

買い物かごはあっという間に山になった。

「そ、そんなにあっても……限られた時期しか着られないんですよ!」

ユリカが思わず彼を制止すると、そばにいた店員がにこやかに口を挟んだ。

「奥様、この服は作りがしっかりしているので、三人目、四人目まで着回せましたというお客様も多いんですよ」

その言葉に、ユリカの頬は一気に熱を帯びた。

何を言い出すの、この人は、と。

一方で、隣のシェイは妙に嬉しそうに頷いていた。

「それはいいですね」
柔らかな声でそう返す彼の横顔に、ユリカの胸の奥がざわめいた。
ふと、彼の足元に視線を落とす。

(お腹の子は、彼の子ではないのに)

まるで将来、彼の子どもたちに囲まれている自分を想像してしまったかのようで、ユリカは苦しくなった。
彼女は慌てて視線を逸らし、試着室のカーテンを強く握りしめた。

その生地のざらりとした感触だけが、唯一の現実だった。

(……私はまだ彼を忘れられない。
 でも――シェイさんがこうして笑っているのを見ると、心が少し揺れてしまう)

ふいに、左手の細いリングが指に触れた。温かいのに、少し痛い。

(私が守られたいと願って選んだ形が、誰かを縛ることになる。)

――その事実が、胸の奥で軋んだ。


sideユリカ

雪の降る日は、糸の手触りがいっそう心地よく感じられる。
編み針を動かすたび、毛糸が指の中をすべっていく。
赤ちゃん用の小物を編む合間に、膝の上にはもうひとつ、濃いスカイブルーと黒の毛糸玉。

「シェイさんに似合いそうな毛糸って、なかなか見つからないんですよね」

そう話したのは、数日前のこと。
市場に出かけるミーナに頼んで探してきてもらったのが、この毛糸だった。

「いい色でしょう?冬空みたいで」
差し出された糸を指先で確かめると、ふわりと温かい。

「……あの人に?」
「はい。クリスマスに、渡せたらいいなって」
ユリカは小さく笑って針を動かす。


sideミーナ

こんなに思い合っているのに、当の本人たちは夫婦であっても恋人ではないと思い込んでいる。

――シェイ様にはシェイ様のお考えがあるのでしょうから。

そう心の中で呟き、ミーナは言葉を飲み込んだ。
ただ、黙って見守ることしかできない。

「きっと、似合いますよ」
そう言って、ミーナは微笑んだ。
その笑顔の奥に、ほんの少し切なさを滲ませながら。


sideユリカ

窓の外は一面の雪。暖炉の火がぱちぱちと音を立て、部屋をやわらかく温めている。
夕食後、ユリカは包みを抱えて立ち上がった。

「これ……よかったら」
差し出したのは、濃いスカイブルーと黒のマフラー。

「……僕も、渡したいものがあるんです」

シェイは、少し照れたように小箱を差し出した。
二人同時に笑う。

「渡すつもりじゃなかったんですけど」
「考えること、同じでしたね」

箱を開けると、プラチナの細い鎖に、淡いアクアマリンが揺れていた。
宝石は彼の瞳に似た色で、冬の光を閉じ込めたように透き通っている。

「……綺麗ですね」
「似合うと思ったんです」

首に巻かれたマフラーは、柔らかくて、じんわりと温かい。
首元で光るネックレスは、そっと繋ぎ止められているような不思議な感覚を残す。




寝室の灯りを落とす前、窓の外の雪を眺めながら、ユリカは教会へと思いを馳せた。
クリスマスイブの今日は、あの人の誕生日だった。

――今年も忙しくしているのかな……お誕生日おめでとう、ルアルク。

廊下を歩く足音がして、ふとユリカの耳に小さな声が届く。

(誰かとお話している……?)

ユリカが顔を出すと、シェイが剣を片手に立っていた。
彼らしくない複雑な表情で、心なしか頬が赤い。

「……この剣ったら、今日はやけに饒舌で」

「え?」

「お喋りなんですよ、この剣」

冗談とも本気ともつかない笑顔に、ユリカは思わず笑ってしまった。

――こんな顔を見られるのは、きっと自分だけだ。




夢を見た。

黒い髪の子と栗色の髪の子が、庭の石畳をくるくる回っている。
朝の光が白すぎて、瞳の色はわからない。

けれど――黒髪の子がふっと笑ったとき、目の造作と口元の線が、なぜだか胸を締めつけた。

誰かの面影が、陰影の中だけに浮かぶ。

栗色の髪の子は、軽い段差に足をとられて、つんのめって、それでも笑って立ち上がる。
黒髪の子は一拍遅れて近づき、ずれていた石を無言で揃え、相手の袖に手を添えた。

――その、整えてから支える手つきが妙に大人びていて、どこかで見た癖に思えた。

どうしてだろう、二人とも“男の子”だと、彼女は勝手に思い込んでいた。

(変な夢)

目が覚めても、心だけが少し夢の中に置き忘れられたままだった。
雪は年が明けても止む気配を見せなかったが、その日の風は穏やかだった。


澄んだ空気が、二人の吐く息を白く染めた。


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