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第五章 すれ違う想い
二人の選択
しおりを挟むsideルアルク
その次の約束の日。
シェイから招かれて、刻限どおりナーバ家の門をくぐった。
応対に出たミーナが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「シェイ様のご指示でして……お庭は結界の内側ですからご安心ください」
案内されて木陰に視線をやったとき、銀の髪と小さな影が目に入った。
膝に眠る幼子をそっと抱き寄せるユリカ。
(……偶然だ。彼女に会う段取りはされていない)
(けれど屋敷の内側なら、彼の管理下だ――だから招いたのだ、と腑に落ちる)
息を整える。声をかけるべきか――ほんの一瞬だけ、迷った。
sideシェイ
その日、任務からの帰途。
思いのほか長引いた仕事に、帰りは約束の時刻をとうに過ぎてしまっていた。
急ぎ屋敷の門をくぐろうとしたとき――
(今日は任務が伸びる可能性も見込んで、ルアルクさんには『庭で待っていてもらって構わない』と通してある。偶然顔を合わせることも……想定のうちだ)
皐月の陽に若葉がきらめく庭の木立の向こうに、見覚えのある横顔が見えた。
栗色の髪。
白い法衣ではなく、落ち着いた私服姿のルアルク。
彼の前には、木陰の椅子に腰掛けたユリカ。膝には眠ったリシェリアがいる。
足を止め、木立の影から様子をうかがう。
距離があるせいで、声までは届かない。
ただ、互いの表情と仕草だけが目に映った。
ルアルクが何かを告げる。
ユリカの視線がわずかに揺れ、口が「結婚」という形をつくったように見えた。
そして彼女は小さく俯き、何かを返す。
その頬がわずかに色づき、どこか恥ずかしげに笑ったのが見えた。
(……あの表情は、なんだ)
ルアルクが一歩近づく。
ユリカは避けない。
むしろ膝の上の娘を包むように抱き、彼を正面から受け止めて――
二人は娘を間に抱いたまま、しばらく離れずにいた。
(……想定外だったのは、その距離感だけだ)
胸の奥が重く沈む。
まるで、自分が大切にしてきたものすべてを、静かに奪われていくような感覚。
(……何を話していたんだ)
知りたくない、と思う自分と、目を逸らせない自分。
その間で揺れながら、シェイは木立の陰から静かに視線を外した。
――家族ごっこは、ここまでかもしれない。
その言葉が、無意識に心の奥で形を成していた。
木立の影が一度だけ揺れて、足音が風に紛れる。
――気配はもう、いない。
sideユリカ
初夏の爽やかな風がやわらかく庭を吹きぬけていた。
この庭は屋敷結界の内側。門衛の目も、教会の耳も届かない。
木陰のベンチに腰掛けたユリカは、膝の上に眠るリシェリアをそっと抱き寄せている。
淡い銀髪が風に揺れ、額の産毛が光を受けてきらめいた。
「……ユリカ」
不意に門の方から声がした。
振り向くと、ルアルクが立っていた。
少し驚きながらも、ユリカはそっと頷く。
「……どうぞ。ここでお話ししましょう」
ルアルクは静かに歩み寄り、木陰の向かい側に腰を下ろす。
初夏の光が白くて、喉の奥で言葉がほどけない。
息を合わせるまでの沈黙が、季節より長く感じられた。
数年ぶりの再会。
会いたくてたまらなくて、同じくらい会えなくて……会ってはいけなかった人。
お互いに話したいことはたくさんあるのに何から話したらいいのかわからない、そんな空気が流れる。
先に口を開いたのは彼だった。
「……無事で、よかった。元気そうで、本当に」
昔と変わらない優しい声と藍色のまなざし。
心から心配してくれていたのだと伝わってくる。
――この人は本当に、変わらない。
彼の目線が膝で眠るリシェリアに向けられた。
ユリカは小さくうなずく。
「……黙って、産みました。
……怖かった。
けれど、それが“守る”だと思ったから。
……ごめんなさい」
ルアルクは息を呑み、すぐに首を振る。
「ありがとう。
産んでくれて。
守ってくれて。
……そのあいだそばにいられなくて、すまなかった」
ゆっくりユリカは首を振る。
彼だけが悪いわけではない。
二人の選択の結果だった。
沈黙が一度、やわらかく落ちる。
「体は? 食べられてる? 眠れてる?」
「大丈夫。手を貸してもらってる」
「……シェイさん、だよね。何度か話させてもらっているよ。
君たち二人のこと、すごく大切にしてくれているのを知ってる」
「ええ。リシェリアもすごく懐いています」
そっと眠るリシェリアの頭を撫でる。
もぞりと、少し身じろぎをした。
「……結婚したと、聞きました」
「はい……でも、結婚は――形だけです」
一度言葉を切り、ゆっくり息を吸い込む。
そして、静かに続けた。
「あの時……確かに、私はあなたを愛していました。
今でも、あなたのことはとても大切です。
あの朝……手を伸ばせば、届いたはずなのに。
でも私は、あの場所に、全部置いてきたんです」
視線を落としながらも、彼女の声は震えていなかった。
むしろ、迷いを振り切るように。
「……こうしてお話ししていても、心が揺れる自分がいて。
けれどきっと、それは……リシェリアの父として、あなたを見ている私の気持ち。
……シェイさんとは、恋人ではありません。
それでも、彼の優しさに……少しずつ、惹かれてしまっていて。
……ごめんなさい。
今はそれを、隠すことの方が、嘘になる気がして……
だから――“昔の私たち”には、今日ここでお別れします。
私は、この家で生きていきます」
sideルアルク
「……ありがとう、ユリカ」
少しだけ微笑んだが、目元が熱くなるのを抑えられない。
「君がそこまで言葉にしてくれるなんて、正直、思っていなかったよ」
「僕は……君のことを、今でも好きだ。
きっとこれからも、ずっと。
でも、君が選んだ道を、否定はしない。
真剣に考えて、悩んで……たどり着いた想いなら」
胸は苦しい。
それでも、嬉しかった。
君が前を向いてくれたことが。
誰かに惹かれたと、正直に言えるくらいに心を開けたことが。
「……泣きたい時は、泣いていいよ。僕の前では」
そう言って、腕を差し出す。ユリカはためらいがちに、その肩を借りた。
しばらくして、彼女が顔を上げたとき――
膝の上の娘が、ゆっくりと瞳を開いた。
「……お父様?」
小さな声が、真っすぐに胸を突く。
思わず歩み寄り、ユリカごと抱きしめる。
直接抱きしめることは、まだ許されないとしても。
小さな体を間に置いたまま、距離は守った。
「生まれてきてくれて、ありがとう。
……君が生まれてくれて、本当に良かった。
君がいてくれたから、僕は――生きてきた意味がある」
震える手で小さな背を包み、頬を寄せる。
ユリカの肩越しに伝わる温もりが、愛おしくてたまらなかった。
「ありがとう、ユリカ。
君が、リシェリアを……ここまで守ってくれたこと、絶対に忘れない。
君たちが幸せに暮らせるように……僕は、ここから祈っているから」
ユリカは何も言わず、一度だけその抱擁を強く受け止めた。
そしてルアルクはそっと腕を解き、リシェリアにだけ小さく手を振る。
「――また会おうね、リシェリア」
娘は小さく瞬きをして、彼を見つめていた。
ユリカは誰にも聞こえないような声で「さようなら、昔の私たち」と呟いた。
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