16 / 34
第五章 すれ違う想い
交わらぬ日常
しおりを挟むsideユリカ
季節は巡り、リシェリアが生まれてから二度目の冬が訪れようとしていた。
ついこの間まで腕の中にすっぽり収まっていた小さな体は、今では元気に走り回る。
赤いリボンを揺らして「おいで」と手を振り、母を置いて先に駆け出し、そして転んでしまうこともしばしばだ。
そんな娘を心配し声をかけるのは決まってシェイだった。
長身の彼が器用に抱き上げれば、リシェリアは笑いながらその首にしがみつく。
その様子はもう何度も目にしてきたはずなのに、ユリカの胸の奥にはいつも温かいものが込み上げた。
二年という日々の積み重ねは、互いの細やかな好みまでも自然に刻んでいた。
シェイが甘党で、砂糖三つにミルクをたっぷり入れる紅茶を好むこと。
けれど本当に嬉しそうに微笑むのは、湯気の立つカップにクリームをこんもりとのせたココアを前にしたときだ。
彼が子どものような笑顔でスイーツを頬張るたびに、ユリカはひそかに心を和ませてきた。
――こんな穏やかな日常が続けばいい。
そう願いながら迎える、二度目の冬。
大通りは年の瀬の活気で賑わい、今日もまた、彼女たちの小さな家族の一日が始まろうとしていた。
sideルアルク
昼下がりの大通りは、冬を前にした買い物客や行商人でごった返していた。
香辛料や焼き菓子の匂いが風に混ざり、呼び込みの声や馬車の車輪の音が絶え間なく響く。
人波の中で、鮮やかな布や贈り物を抱えた人々が、年の瀬に向けた活気を纏って行き交っている。
その雑踏の向こうに、ルアルクはふと足を止めた。
――幼児を抱く、あの背中。
淡く揺らめく結界がふわりと揺れ、その奥で藍色の瞳が一瞬、光を返した。
(……結界が白じゃない?)
胸がざわめく。幼児が自ら結界を張ることはできない。
ならばそれは、護るために誰かが張ったもの。
結界は本来白い魔力が適している。
なのに敢えて白ではない――教会由来ではない魔力。
視線を上げれば、その子を抱くのは見知らぬ黒髪の男。
その腕にしがみつく幼子の赤いリボンが揺れ、隣を歩く銀髪の女が優しく目を細める。
一瞬だけ見えた横顔は、自分が未来を夢見た人だった。
息が詰まった。
――ユリカ。
彼女はこちらを振り返らない。
まるで気づかないまま、ただ子に寄り添い歩いていく。
呼びかけようとしたが、人の波が間に入り、視界が途切れる。
急いで駆け出すも、流れに阻まれ、その姿はすぐに見えなくなった。
一瞬見えた、見慣れすぎた色をした瞳が、頭から離れない。
「……守れて、いない……」
自分の声が、混み合う雑踏に吸い込まれていく。
あの子が本当に自分の子なのか――確かめなければならない。
もしそうなら、父としてやるべきことがある。
たとえ立場や障害を越えてでも。
sideシェイ
淡く揺らめく結界の外から、視線を感じた。
それは敵意ではなく――もっと鋭く、焦燥を帯びた眼差しだった。
(……ルアルクさん)
混雑の向こうで、藍色の瞳がこちらを捉えている。
結界越しに、その視線がまっすぐリシェリアに吸い寄せられるのがわかった。
抱き直した小さな体は温かく、しっかりとしがみついてくる。
彼に気づかれたくはなかった。
けれど――もしも近づいてきたら、奪い返すようにこの腕の中の命を守るつもりだった。
人の流れが彼を阻み、その姿はすぐに見えなくなる。
だが、胸の奥に残るざわめきは消えなかった。
その理由を、シェイ自身はまだ言葉にできていなかった。
◇
廊下に漂う消毒液の匂いの中、互いの足音だけが響いた。
待ち合わせを取り持ったのはクラリッサ。
「彼に会えば、答えが出るはず」と言って。
現れた男は、栗色の髪に、深い藍の瞳を宿していた。
神官らしく品のある身なりなのに、どこか堅苦しすぎず――歩みに不器用な真面目さがにじむ。
(……これが、ユリカさんが惹かれた相手か)
シェイは視線を細め、胸の奥で無意識に身構える。
「ルアルク・ノア・アストレイドさんですね」
探るように名を呼ぶと、相手はわずかに息を整え、柔らかな声で返した。
「……そういうあなたは?」
疑い返すでもなく、ただ礼を尽くそうとする声音。
その真っ直ぐさに、逆に隙を感じてシェイの警戒心が疼く。
「シェイフィル・ラファリス・ナーバ。……シェイで構いません」
名乗り、じっと相手の瞳を射抜いた。
こちらを測ろうとする素振りはない。
むしろ――曝け出している。
「クラリッサ先生から、お探しの方がいると伺いました」
「……ユリカです。無事かどうか……それだけ、知りたい」
(……それだけ?)
もっと言葉を飾るかと思っていた。
詰問に備えていたのに、返ってきたのはあまりにも率直すぎる答え。
虚飾も計算も見えない、真っ直ぐな眼差し。
「彼女は生きています」
淡々と告げながらも、胸の奥で思わずため息がこぼれそうになった。
「……よかった」
その小さな声に、作り物の影は一つもなかった。
(……なるほど。ユリカさんが心を寄せた理由が、少しわかる)
シェイは心の奥でそう納得しながらも、警戒を解くことはしなかった。
「ただし、あなたの望む形で会わせることはできません」
最後に釘を刺すように告げると、相手はわずかに戸惑ったように瞳を揺らした。
それでも無理に食い下がることはない。
(……箱入りだ。だが、悪い人間ではない)
シェイはそう結論づけた。
後日、病院の小さな一室。
クラリッサの協力のもと、二人は時折顔を合わせ、言葉を交わすようになった。
「……無理に会うつもりはありません。
ただ、彼女が無事でいてくれるなら、それでいいんです」
ルアルクは同じ言葉を、今度はより静かに口にする。
シェイは頷いたが、胸に苦味が広がる。
「……あなたがそう思っていても、教会が同じとは限りません」
驚いたように目を瞬く青年の顔。
そこには敵意ではなく、ただ純粋に“そうはならない”と信じ切っている表情が浮かんでいた。
――甘い。
だが、嘘はない。
シェイはそう見て取る。
「会えなくても構いません。ただ、無事ならそれでいい」
繰り返すルアルクの言葉に、偽りは感じられない。
シェイは心のどこかで「いい人だ」と思い始めていた。
だが同時に、教会への無防備さは危うく、だからこそつい忠告を口にしてしまうのだった。
sideルアルク
何度目かの会合。
シェイは視線を伏せていたが、やがてルアルクを真っ直ぐに見据えた。
「……僕にとって大切な存在は、あなたにとっても同じはずです。
そうでなければ、ここまで言葉を交わすこともありませんでした」
ルアルクはわずかに目を見開いた。はっきり名前を出さなくても、何を指しているかは互いにわかっている。
押しつけるでもなく、けれど譲る気もない言葉。
(……ああ。やはり彼も同じなのだ)
心の奥に、静かに落ちていく感触があった。
「……そうですね」
それ以上は言わなかった。だがそれで十分だった。
短い沈黙ののち、シェイが言葉を継ぐ。
「次に会うときは……もう少し、落ち着いた場所がいいですね」
「……?」
「病院ではなく、僕の家で。必要なら、迎えに行きます」
「屋敷の中なら多少の“偶然”があっても、僕が責任を持って対処できますから」
唐突な提案ではなかった。
先ほどの一言があったからこそ、ルアルクもそれを「信頼の証」として受け止められた。
(……彼は、家族のいる場所を見せてもいいと、そう考えているのか)
深く息をつき、ルアルクは静かに頷いた。
「わかりました。そのときは……よろしくお願い致します」
◇
やがて、初めて訪ねる日がきた。
シェイの家に招かれたルアルクは、応接間に通された。
目を引くのは、壁際に並んだ小さな靴。
棚の上には、幼子の手で描かれた拙い絵。
その一つ一つに、ルアルクは視線を止めるたび胸が締め付けられる。
――彼女はここで、子どもと共に暮らしている。
だが、姿を現すことはない。
声も、笑顔も、扉の向こうにあるまま。
シェイはあえて会わせなかった。
「……今はまだ直接は無理です」
短い言葉に、含まれるものは多かった。
ルアルクは小さく頷く。
会いたい――その願いを飲み込み、ただ彼の判断に委ねる。
その姿勢に、シェイは改めて“信用”の色を見たのだった。
1
あなたにおすすめの小説
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
石ころの結婚
有沢楓花
恋愛
――政略結婚。
ぼんやりものでその辺の石ころを自認する、子爵令嬢ハリエットの婚約者・ルークは、第三王子の婚約者である伯爵令嬢・イーディスを見つめ続けていた。
あろうことか婚約式で恋に落ちたハリエットは、彼の視界に入るためにとイーディスの取り巻きになる。
しかしそこにあったのは、一見仲睦まじく見える第三王子とイーディス、その義弟からのイーディスへの片思いと、大人の事情に振り回されるばかりの恋だった。
ハリエットは自分の想いは秘めたまま、ルークを応援しようと決めたが……。
この作品は他サイトにも掲載しています。
『すり替えられた婚約、薔薇園の告白
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢シャーロットは幼馴染の公爵カルロスを想いながら、伯爵令嬢マリナの策で“騎士クリスとの婚約”へとすり替えられる。真面目なクリスは彼女の心が別にあると知りつつ、護るために名乗りを上げる。
社交界に流される噂、贈り物の入れ替え、夜会の罠――名誉と誇りの狭間で、言葉にできない愛は揺れる。薔薇園の告白が間に合えば、指輪は正しい指へ。間に合わなければ、永遠に
王城の噂が運命をすり替える。幼馴染の公爵、誇り高い騎士、そして策を巡らす伯爵令嬢。薔薇園で交わされる一言が、花嫁の未来を決める――誇りと愛が試される、切なくも凛とした宮廷ラブロマンス。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
むにゃむにゃしてたら私にだけ冷たい幼馴染と結婚してました~お飾り妻のはずですが溺愛しすぎじゃないですか⁉~
景華
恋愛
「シリウス・カルバン……むにゃむにゃ……私と結婚、してぇ……むにゃむにゃ」
「……は?」
そんな寝言のせいで、すれ違っていた二人が結婚することに!?
精霊が作りし国ローザニア王国。
セレンシア・ピエラ伯爵令嬢には、国家機密扱いとなるほどの秘密があった。
【寝言の強制実行】。
彼女の寝言で発せられた言葉は絶対だ。
精霊の加護を持つ王太子ですらパシリに使ってしまうほどの強制力。
そしてそんな【寝言の強制実行】のせいで結婚してしまった相手は、彼女の幼馴染で公爵令息にして副騎士団長のシリウス・カルバン。
セレンシアを元々愛してしまったがゆえに彼女の前でだけクールに装ってしまうようになっていたシリウスは、この結婚を機に自分の本当の思いを素直に出していくことを決意し自分の思うがままに溺愛しはじめるが、セレンシアはそれを寝言のせいでおかしくなっているのだと勘違いをしたまま。
それどころか、自分の寝言のせいで結婚してしまっては申し訳ないからと、3年間白い結婚をして離縁しようとまで言い出す始末。
自分の思いを信じてもらえないシリウスは、彼女の【寝言の強制実行】の力を消し去るため、どこかにいるであろう魔法使いを探し出す──!!
大人になるにつれて離れてしまった心と身体の距離が少しずつ縮まって、絡まった糸が解けていく。
すれ違っていた二人の両片思い勘違い恋愛ファンタジー!!
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる