雨はやさしく嘘をつく

黒崎優依音

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第九章 裁きの時

呼ばれぬ名の法廷

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sideルアルク



――重い扉が、軋む音を立てて開いた。



石造りの回廊を抜け、玉座の間に足を踏み入れる。

光を受けた床は白く冷たく、緊張に喉が鳴る。



王が立ち上がり、静かに告げた。

「……シェイフィル・ラファリス・ナーバ。

 今日限り、王権を一時的に返す。

 裁きを執るのは、あなた様の役目だ」



その瞬間、場の空気が張り詰める。

ざわめきかけた沈黙を破ったのは、黒髪の青年の声だった。



「条件があります」



歩みを止め、まっすぐに言い放つ。

「僕を“陛下”と呼ばないでください。

 それが守られないなら、王権は結構です。すぐに返します」



一瞬、場に凍りつくような静寂が走った。

王も第一王子も宰相も、言葉を失ったように目を見開いている。



やがて王は小さく息をつき、苦笑を浮かべて頷いた。

「……承知した。呼び名は“シェイフィル様”で通そう」



青の瞳がわずかに細められる。

「それなら受けます。……人として、裁きを」



それは形式の飾りではなく彼自身の意思だった。

呼称はあくまで「シェイフィル様」。



その名前で場は整い、裁きは始まった



まずはガーディアンの長が進み出て、押収された帳簿と写真、改竄を示す書類の束を差し出す。

焦げ跡の残る台帳、改竄された印影、寄付金の不可解な流れ。

書類がめくられるたび、事実が一つずつ露わになっていく。



数字は冷たく、しかし確かな物言いで語った。



シェイは書類を受け取り、淡々と告げる。



「数字だけでは『誰が』を示しません。

 しかし、これらは組織的な隠蔽を示す明白な痕跡です。

 次に、現場を知る者の声を聞きましょう」



静かな指示の後、シェイは壇上に向けて手を伸ばした。

「ルアルク・ノア・アストレイド、証言を」



証言を求められ、ルアルクは深く息を吸った。

膝が震える。



それでも、口を開く。



「白の魔力の前で、私たちは等しく“道具”でした。

 役に立たねば価値はない。

 感情を持つことを禁じられ……それでも僕は、ユリカがいたから、人でいられた」



言葉にした瞬間、胸が焼けるように痛む。

隣でユリカが涙をにじませ、声を震わせた。



「彼は、誰よりも優しい人です。

 ……それを道具と呼ぶのは、間違っています」



その声に背を押され、ルアルクはもう一度だけ王を見上げた。



喉が震えそうになるのを堪え、彼は父のもとで過ごした日々を言葉にする。



「幼い頃から、父の前で笑うことさえ許されませんでした。

 表向きの祝福の言葉は、私たちにとっては空疎な儀礼で、名前は帳簿の行と同じ扱いでした。

 役目を果たせぬ者は切り捨てられ、声は数に押し潰されました」



その吐露は冷たい石の床に吸い込まれるように広がり、出席者の表情を静かに揺らした。

被告の顔には、薄い不快と驚きが走る。



続いてユリカが立った。

「私は現場で見ました。

 人が“行”として切り離され、声が手続きで押し黙らされていくのを。

 もう見て見ぬふりはできません」



証言と書類が結びつき、場内の重さは一層確かなものになった。



やがて鉄の鎖を引きずる音がして、被告が連れて来られる。

年老いた面立ちに刻まれた皺は、長年の傲慢を物語っていた。



被告は舌打ちのように嗤い、場を挑発するように言い放つ。



「私が築いた秩序だ。血の連なりを守るための判断だ」



「――神官を兵に仕立て、私兵を持った。

 禁じられた至白派を模倣し、人を人と見なさず、命を奪い続けた。

 そして、己をこの国の王であるかのように語った。

 ……これは、国家への反逆に他ならない」



淡々と告げるシェイの声に、場の空気が凍りついた。



父は鎖をきしませ、低く唸った。

「なぜ、貴様に裁かれねばならぬ! 王でも神でもない貴様に!」



その挑発に満ちた言葉に場はざわめいた。



椅子から王がゆっくりと立ち上がる。



「知らぬのか……この方こそ我らより古き王。

 シェイフィル・ラファリス・ナーバ。

 その裁きは、余の裁きに等しい」



人々が小さく息を飲む。

だがシェイは視線を逸らさず、淡々と返す。



「特別扱いはしません。

 ――隠さず、表に出し、償ってもらうために」



シェイは静かに立ち上がる。



「判決を言い渡します。

 ――名を奪い、隔離する。

 呼称も記録も抹消され、社会との接点を断つ。

 生涯をかけて罪を償うがよい」



鎖が鳴り、父の顔が歪む。

その目がユリカを捉え、低く呟いた。



「……最後に、一目でよい。リシェリアをここへ。

 あの子の顔を見せよ。フィオレッタに、どれほど似ているか……」



ユリカは即座に立ち上がった。

「触らせない! 一目だろうと渡さない!

 リシェリアは、あなたの道具じゃない!」



叫ぶ声に、ルアルクは反射的に手を伸ばし、彼女を庇って抱き寄せた。

その姿を見てなお、父は冷笑を浮かべる。



シェイが冷然と告げた。

「その望みは、許されない。

 ……あなたが二度と“子ども”を利用できぬようにするのが、この裁きだ」



顔を歪め、声を震わせて父はさらに叫んだ。



「リシェリアを連れてこい!」



父の欲望と執着が白日の下にさらされた瞬間だった。



ルアルクはユリカを庇いながら、しっかりと父を真正面に見据えた。

蒼白だが瞳は澄み、長年の呪縛を解くための一言を紡ぐ。



声は冷たく、しかし清らかだ。



「――その名を呼ぶことすら、あなたには許されない」



場内が凍りつく。



父の顔からは嘲りが消え、僅かな動揺が表れた。



続けてルアルクは──かつて何度も浴びせられた言葉を、逆方向へと向け返すように言った。



「そして、どうか、これ以上、私に“恥をかかせないでください”」



その一言で場は終局を迎えた。

長年の支配の象徴だった言葉を、息子が自らの言葉にして返す瞬間。

誰の耳にも、それは断罪の刃となった。



シェイはゆっくりと前へ出ようとした。



その瞬間、空気を裂くような殺気が背後から走った。



――閃いた刃が一直線に父の背を狙った。





sideユリカ



至白派の刃が閃いた。

ほんの一瞬、空気が裂ける。



咄嗟にルアルクの結界が展開された。

透明な壁が光を受け、鋭い衝撃を弾き返す。



弾かれた刺客はすぐに取り押さえられた。

袖に縫い込まれていた印を見た瞬間、場にざわめきが走る。



「……本物の至白派……!」



シェイは低く息を吐き、黒髪を揺らした。

「……まだ生き残りがいる、か」



冷たい現実が、謁見の間に影を落とした。





ルアルクの瞳には、怒りも恐怖も揺れていなかった。

ただ冷たく、氷のように澄み切った色だけが宿っていた。



「……あなたには、生きて罪を償ってもらわねばならない」



声に温度はなかった。

淡々と事実を告げるだけの声音。

父を庇ったのでも、守ったのでもない。

そこにあったのは――徹底した「裁き」の意思だけだった。



ユリカは思わず息を呑んだ。



(……こんな顔、させたくなかった)



けれど同時に、胸の奥で確かに感じていた。



これは彼の優しさではなく、彼の強さ。

未来を選び取り、守ろうとする意志の形。



シェイもまた、黙してその横顔を見つめていた。



ただの息子ではなく、ただの被害者でもなく――

ひとりの人間として、確かに立っているのだと。





sideルアルク



すべてが終わった――その安堵と共に、ようやく腰を上げようとした、その瞬間。



「……っ」



裾を踏んだ。



思いのほか深く踏み込み、身体が前のめりに崩れる。



隣にいたシェイの腕がすっと伸び、危うく倒れ込むところを支えられた。

黒衣の袖に引かれて、間一髪で姿勢を立て直す。



「……お疲れさまです、ルーくん」

低い声には苦笑が混じっていた。



玉座の王が眉を上げ、第一王子が思わず口元を押さえる。

次の瞬間、堪えきれぬように笑いが零れた。



「……ふっ」

「シェイ様まで巻き込むとは……」



重く張り詰めていた空気が、ふっと和らぐ。

吹き出すまいと肩を震わせる宰相の姿さえ見えた。



「す、すみません!」



耳まで真っ赤にしながら頭を下げる自分に、場の誰もが小さく笑った。



横で支えてくれたシェイが、改めて肩をすくめるように小さく笑った。

その苦笑に、からかわれるよりも不思議と安心を覚える。



隣でユリカが、ほんのわずかに笑みを零した。

その横顔に、変わらぬ幼馴染の温度を感じて――心がふっとほどけていく。



――やっと日常が戻ってきた。









石畳を踏みながら、振り返った。

青空に映える王城がそこにある。

裁きの場の冷たささえ、光に溶かされていくようだった。



胸の奥で疼く痛みがある。

名を呼ばれぬまま、声を奪われた子どもたち。

彼らを置き去りにしてはならない。



見上げた空は、澄みきったスカイブルー。

――まるで、シェイの瞳の色だった。



隣から伸びたシェイの手が、そっと背中を押す。

「……大丈夫です、ルーくん」

その温もりに、迷いがひとつ消えていく。



ユリカが微笑み、歩を合わせてくれる。

その穏やかな気配に、確かに未来は続いていくと信じられた。



(呼ばれぬ子を、なくすんだ)



青空の下、決意が静かに形を取り始めていた。





sideユリカ



食卓に並んだ瞬間、全員が息を呑んだ。

ケチャップで彩られたオムライス、海老フライ、ハンバーグ。

その頂には、小さな旗が立っている。



けれどよく見ると――旗には手描きの絵があった。



そこに描かれていたのは、丸の中に目と手足。

どう見ても子どもの落書き――けれど、リリとリシェが胸を張る。



「これ、シェイさんでしょ!」

「こっちはお母様!」



大人たちは顔を見合わせた。

(……そう言われれば、そうなのかな?)



「……似ていますね」

シェイが真顔で言うものだから、思わず笑いがこみ上げた。



裁きの影はもうどこにもなかった。

リシェとリリが得意げに掲げた旗を、ルアルクは宝物のように胸に抱いた。



「……これは、持ち帰らせてもらいます」



「僕も同じく」

シェイもまた静かに旗を受け取り、子どもたちは大喜びする。



ユリカは呆れたように微笑んだ。

(ほんとに、親ばかなんだから)



――その旗は後日、それぞれの部屋で大切に飾られることになる。





「……お子様ランチ、懐かしいよね」

スプーンを手に取りながら、ユリカは呟く。

幼いころに、彼と共に一度だけ口にしたきりの思い出。



ルアルクも同じように驚いた顔をしていた。



「……アルセイドさんが、昔こっそり……」



懐かしさと、子どもたちの温もりが胸に広がる。



そして一番目を輝かせていたのは――やはりシェイだった。



「……しかし、これは……夢のようですね!」

青い瞳をきらきら輝かせ、子どものように、照れくさそうに笑った。



「ミーナの作るこれが僕の大好物で……しかも似顔絵付きとは。最高です」



ルアルクは肩を震わせながら小さく笑い、ユリカと視線を交わした。

「……ふふ。今日は僕たちも、子どもに戻った気分ですね」



「みんな喜んでくれたね! リシェ、任務完了!!」

「はい、リリママ!!」

パチン、と二人が手を合わせて鳴らす。



笑い声と香ばしい匂いに包まれて、重かった一日の影は、そっと遠のいていった。





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