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第十章 未来への約束
新しい季節
しおりを挟む石造りの城。冷えた廊下に幼い足音が響く。
謁見の間で、王が言う。
――シェイフィル、君がいれば未来は安泰だ。
その横で、母は笑顔の形だけを作り、目を逸らしたまま重ねる。
――あなたに似て、とても優秀な王子ですわ。
決して自分を見ないまま交わされる言葉たちが、幼い心に「自分は役割でしかない」と深く刻み込まれていった。
母はやたらと「内面は王に似ている」と褒めた。
ほんの一部でも似ている箇所を見つけたい一心だったのだと今ならわかる。
それくらい、シェイの容姿は母以外の誰にも似ていなかった。
父の視線は、いつも彼の肩越しに“国”だけを見ていた。
父は長い時を生き、王としての年月が人としての温度を奪っていた。
言葉は常に国の未来へ向いている。
それでも幼い彼は信じていた。
――もっと優れた人間になれば、いつか目を見てくれるはずだ、と。
学問を先取りし、魔力を研ぎ、作法を外さない。
求められるものを返すだけではダメだ。
それ以上を返さなければ、父の、母の子としてふさわしくない。
必死の努力は周りには認められた。
宰相や重臣たちは口々に称賛を述べる。
「若き王子の才、頼もしい限り」「英邁の器だ」
拍手と微笑みに囲まれても、彼の胸は空洞のままだった。
その輪の中に、両親の視線が混ざることは決してなかった。
――そして、事件は起きた。
少しだけ調子に乗ってしまったと今も後悔しているあの日。
母に褒められたくて、ただ振り向いてほしくて、近づきすぎた。
王の前でもないのに、笑顔で言葉を求める息子が煩わしかったのだろう。
離れて、という意図で振り払われた。
母が想像していた以上に、幼い身体は軽かった。
簡単によろけ、石の階段を激しく転げ落ちる。
視界が白く弾け、痛みが世界を埋め尽くした。
蒼ざめた母が駆け寄り、血まみれの彼を抱き上げながら震える声で名を呼ぶ。
「シェイフィル……!」
記憶にある限り、初めて真正面から自分を見てくれた瞬間だった。
抱き起こされる腕のぬくもりに、幸福が一閃する。
――けれど次の瞬間、傷口は瞬く間に閉じ、砕けた骨は音もなく繋がっていった。
理解を超えた光景に、安堵よりも生理的な嫌悪が彼女を襲ったのだろう。
母はその光景を見て、瞳を恐怖に見開いた。
「……化け物」
その一言が、胸の奥底に焼き付いた。
幸福は一瞬で奈落に落ち、母はそれを境に彼へ近づかなくなった。
背中を追うことさえ許されない。
父は変わらない。
王としては「安泰」と言い続けるが、息子としての温もりは与えない。
母がそばを離れた分、父との距離はさらに遠のき、豪奢な部屋はひたすら冷えていった。
――もう、いなくてもいいのかもしれない。
母の視界に入らぬように、気配を消し、時に柱の陰へ隠れる生活は彼の心を蝕んでいった。
夜更け、少年は家出の支度をしようと倉庫へ忍び込んだ。
埃をかぶった一本の剣が、薄闇の片隅で鈍く光る。
吸い寄せられるように柄へ触れた瞬間、胸の奥に軽い声が響いた。
『よぉ、少年』
あまりに場違いな調子に、彼は思わず身を引く。
『家出かぁ? いいんじゃね?
ただし――必ずオレを連れてけよ!
退屈させない楽しい旅、してやるぜ!』
「……誰なんだ、お前は」
小さく問うと、声はニヤニヤ笑っている気配のまま返す。
『人に名前を聞くなら、まずは自分から名乗らないと、だぜ?
ほら、お前、名前はなんだ?』
「……シェイフィル。シェイフィル・ラファリス・ナーバ」
『シェイフィル、ね。いいじゃねぇか。
オレはナーバって呼ばれてる』
わざと間を置き、さらに楽しげに続けた。
『お前の――遠い御先祖だぜぇ?』
「……ナーバ?
……僕の家と同じ……本当に……?」
返事を待たず声は肩をすくめるように笑う。
『本当かどうかは自分で確かめろ。
どっちにしてもオレとお前は切っても切れねぇ縁だ』
本当か嘘か、幻聴なのかも分からない。
けれど――もし幻でもいい。
誰かが自分に声をかけてくれるなら、それでいい。
『おっと、怖じ気づいたか?
ま、今日はやめとけ。
オレはいつでもいいぜ。
時間はたっぷりあるんだ、
焦らず行こうぜ――相棒!』
はじめて呼ばれたその言葉に、幼い胸の奥で何かが弾けた。
そっと剣を部屋へと持ち帰る。
その夜から、ナーバは少年の唯一の親友になった。
◇
シェイはそこで短く息を吐き、現在へ帰ってくる。
「……まあ、そんな調子の相手なんで。
僕は、いろいろ救われました」
ユリカはふっと微笑み、眠る赤子を覗き込んでから空気へ向かってそっと言う。
「……ナーバさん。幼いシェイさんを救ってくださって、ありがとうございます」
シェイは目を瞬かせ、苦笑した。
「聞こえてますよ、多分。
……『おー!』って」
「え?」と目を丸くするユリカに、彼は肩を落として続ける。
「この前なんて、僕が酔っぱらってルーくんに絡んだ時、ナーバが喋る話をポロっとしてしまいまして。
……こんな与太話を、どうやら彼、真に受けちゃったらしく……。
『あいつもこっそり挨拶しに来てたぜ? まじウケた!』って。
本人は得意げなんですけどね」
ユリカは堪え切れず吹き出した。
赤子が小さく身じろぎし、二人は息をひそめる。
笑いがすっと引いて、昼の光だけが部屋に残った。
シェイは赤子の指先に自分の指を近づけ、そっと握らせた。
しばし見守ってから、低く続ける。
「……ですが、最後まで両親と分かり合えることは、ありませんでした」
声は淡々としているが、その奥に永い時間が沈んでいる。
「『化け物』と呼ばれなければ、母と打ち解けられたのか。
いや、それは単なるきっかけにすぎず、最初から僕は彼女にとって汚点でしかなかったのか……僕には分かりません。
分からないまま、自分という存在が嫌いになりました」
彼は一度目を閉じる。
「嫌いなのに、人より長く生きなければならない。
長く生きれば生きるほど――なるほど、確かに化け物だと、自分でも思うようになっていった」
言葉が途切れる。
窓辺の光が、揺れる。
ユリカは少しだけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。その瞳に迷いはない。
「……辛い思いをしてきたあなたに言うのは、本当は間違っているのかもしれません」
静かな声が、部屋の空気をわずかに震わせる。
「ですが……あなたに出会えてよかった。
その力で、私に会える時代まで生きてくれて……ありがとう」
シェイの瞳がかすかに揺れた。
長いあいだ呪いと呼び続けた力を、初めて肯定する言葉が胸の底へ届いていく。
「……ありがとう、と言われるなんて、思いもしませんでした」
小さく息をつき、彼は赤子を抱きしめる腕に力を込める。
「……お礼を言うのは、僕の方です。
こんな僕でも、父親になれた。
過去の僕が見たら、信じられないでしょうね」
ユリカはそっと手を伸ばし、彼の肩に触れた。
「……リシェも、この子も、幸せなお父さんを持ちましたね」
シェイは照れたように視線を落とし、眠る子の寝息に耳を澄ませる。
小さな音が、世界でいちばん確かな未来を告げていた。
sideリシェリア
窓から差す午後の光が、フィリアの金の髪を透かしていた。
指の間でさらさらと流れる髪を、リシェリアは楽しげに編み込んでいく。
「じっとしててね。――はい、完成!」
最後に赤いリボンを結ぶと、髪がぱっと花のように映えた。
リシェリアは満足げに笑みを浮かべる。
「かわいいわ、フィリア!」
少し照れたように、フィリアが頬を染めて笑った。
「……お姉ちゃん、ありがとう!」
部屋の中にやわらかな空気が流れる。
けれど、ひとりだけ腕を組んでそっぽを向く影があった。
ミスティアスだ。
リシェリアはすかさず視線を向け、にやりと笑う。
「……ねぇミス、あんたもリボン結んであげようか?」
「――っ、絶対に嫌だ!」
即答に、フィリアが小さく吹き出す。
「でも……お父さんみたいに似合うかも」
「フィリアまで……!」
真っ赤になる弟を見て、リシェリアはますます楽しそうに笑った。
「確かに。前に結んだ時のお父様、すごく可愛かったわよね!
よし、ミス。そこに座りなさい!」
「やめてってば!!」
子どもたちの声が弾け、部屋いっぱいに笑いが広がっていく。
(……わたしは幸せ。
お父様も、パパも、お母様も、リリママも、みんなから愛されて育った)
けれど時々、少しだけ寂しくなる。
「お父様とお母様が一緒だったら」なんて考えてしまう彼女がいた。
それでも――パパはわたしのもの。
パパって呼んでいいのは、わたしだけだ――そう決めている。
そう胸の中で呟いて、リシェリアは弟にちょっと意地悪な笑みを向けた。
かつての重たい時代の記憶を押し流すように、その明るさは確かに告げていた。
――新しい季節が、ここから始まる。
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