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第3部 鋭角と鈍角
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自分はどうして生きているのだろう、と考えることが、あなたにはよくある。それは不意に訪れる問いで、答えを求めているのではないかもしれない。明確な答えなど存在しないだろう。だから、その答えを言葉で返されたとしても、ほとんど意味がない。たとえば、生物学的な知見から、子孫を残すために生きているのだ、という答えが返ってきたところで、それで納得して疑問が解消されるということは絶対にない。
問いは、答えることに意味があるのではなく、問うことに意味があるらしい。しかし、問いというのは、それが問いとして成立するものである以上、言葉によって成されるもので、そもそもの問題として、言葉をもって成されたその問いが、真に問いの中身を反映しているとは限らない。自分はどうして生きているのだろう、という問いは、言葉にしたからそうなるだけであって、あなたが感じている本当のところは、もっと複雑であり、多様であり、本来的に言葉にならないものだ。
ということを、あなたはルームに、しかし、やはり仕方なく、言葉で聞かせた。
大学の屋上。夏のある暑い日のこと。屋上はプールに張り巡らされるのと同じようなビニール製の屋根で覆われ、直射日光を辛うじて防いでいる。エリアの一帯には細い金属製の配管が張り巡らされ、そこを通う冷たい水によって、間接的に涼しさが作られる仕組みになっていた。
「ふうん」と、スイカ型のアイスキャンディーを囓りながら、ルームは応えた。「そんなこと考えてるんだ」
彼女は今日も制服姿で、夏だというのにきっちりとブレザーを羽織り、ネクタイを締めていた。それなのに、彼女は少しの汗も掻かず、涼しそうな顔をしている。アイスキャンディーを咥えているのは、あくまでアイコニックに夏を体現するためだ、と言わんばかりだった。事実として、彼女のありとあらゆる振る舞いは非常に洗練されている、とあなたは感じている。
「薄い感想」と、あなたは適当に返した。
あなたもアイスを食べていたが、ルームのものとは異なり、カップに入ったソフトアイスの類だった。味はバニラ。冷たすぎて味覚はほとんど機能していないから、それは商品に成された表示をもとにそう判断したにすぎない。
「まだ、感想ですらない」ルームは応じる。「単なる相槌」
テント状の屋根に覆われた向こう側、眼前に河川が見える。左手には鉄橋があり、その上を赤色の列車が互いに擦れ違いながら通り過ぎていった。河川の先には住宅が広がっている。自然の多い地域だが、一軒家は比較的少なく、背の高いビルやマンションが一定の間隔を空けて立ち並んでいた。
「それが、私に声をかけた理由?」
ルームの言葉を聞いて、あなたはアイスクリームを掬ったスプーンを口に運びながら、彼女の方を見る。予想通り、彼女もこちらを見ていた。
相変わらず、綺麗な目。
その輝く表面をしばらく鑑賞してから、あなたは再び彼女から視線を逸らす。
「ね」ルームは椅子から立ち上がり、あなたの正面に回り込む。「どうなの?」
あなたはスプーンを口に咥えたまま、小さく溜め息を吐いた。
「何が?」
「どうして、私に声をかけたの?」
何度目の問いだろう、とあなたは思う。あなたは、最初の内は問われた回数を律儀に数えていたが、途中からそれもやめてしまっていた。数字というのも結局は言葉の一種で、比較対象がなくても、いや、ないからこそ、数量を数字で表わすことに何らかの意味を錯覚してしまう。
「その話、いつまで引っ張る気?」あなたは尋ねる。
「大切なことでしょう?」
そう言って、ルームはあなたの前にしゃがみ込む。これまでとは対照的に、彼女の視線の方が低い位置に移動し、あなたは彼女に下から見つめられる。彼女の襟もとと、硬質なブレザーに覆われているが、実際は華奢であろう肩に同時に目が行った。
ルームは手を伸ばして、容赦なくあなたの手に触れる。やはり、彼女の手は冷たかった。皮膚自体に温度がなく、その裏側にある骨の硬度をそのまま反映しているかのようだ。
「ちゃんと説明してくれないと」
「説明なんて、できない」あなたは応える。
「何とも思ってないの?」
「何を?」
「誰でもいいから、声をかけたの?」
「違うよ」
「じゃあ、何とか言ったら?」
「何とかって……」
あなたには、ルームの言っていることが理解できない。否、言っている意味は理解できる。それは、彼女が口にしているのが言葉だからだ。つまり、彼女は、あなたが彼女に声をかけた理由を求めている。
しかし、理由は言葉にならない。あなたはそう感じている。より正確には、言葉にすべきではない、と感じている。だから、本当は、言葉にならないのではなく、言葉にしたくないというのが正しい。
けれど、あなたが今言葉をもって考えたことは、あなたが思っていることの全体を的確には表わさない。言葉にならないと感じるのも、それを言葉にしたくないのだと捉え直すのも、結局は言葉が見せる幻想でしかない。
問いは、答えることに意味があるのではなく、問うことに意味があるらしい。しかし、問いというのは、それが問いとして成立するものである以上、言葉によって成されるもので、そもそもの問題として、言葉をもって成されたその問いが、真に問いの中身を反映しているとは限らない。自分はどうして生きているのだろう、という問いは、言葉にしたからそうなるだけであって、あなたが感じている本当のところは、もっと複雑であり、多様であり、本来的に言葉にならないものだ。
ということを、あなたはルームに、しかし、やはり仕方なく、言葉で聞かせた。
大学の屋上。夏のある暑い日のこと。屋上はプールに張り巡らされるのと同じようなビニール製の屋根で覆われ、直射日光を辛うじて防いでいる。エリアの一帯には細い金属製の配管が張り巡らされ、そこを通う冷たい水によって、間接的に涼しさが作られる仕組みになっていた。
「ふうん」と、スイカ型のアイスキャンディーを囓りながら、ルームは応えた。「そんなこと考えてるんだ」
彼女は今日も制服姿で、夏だというのにきっちりとブレザーを羽織り、ネクタイを締めていた。それなのに、彼女は少しの汗も掻かず、涼しそうな顔をしている。アイスキャンディーを咥えているのは、あくまでアイコニックに夏を体現するためだ、と言わんばかりだった。事実として、彼女のありとあらゆる振る舞いは非常に洗練されている、とあなたは感じている。
「薄い感想」と、あなたは適当に返した。
あなたもアイスを食べていたが、ルームのものとは異なり、カップに入ったソフトアイスの類だった。味はバニラ。冷たすぎて味覚はほとんど機能していないから、それは商品に成された表示をもとにそう判断したにすぎない。
「まだ、感想ですらない」ルームは応じる。「単なる相槌」
テント状の屋根に覆われた向こう側、眼前に河川が見える。左手には鉄橋があり、その上を赤色の列車が互いに擦れ違いながら通り過ぎていった。河川の先には住宅が広がっている。自然の多い地域だが、一軒家は比較的少なく、背の高いビルやマンションが一定の間隔を空けて立ち並んでいた。
「それが、私に声をかけた理由?」
ルームの言葉を聞いて、あなたはアイスクリームを掬ったスプーンを口に運びながら、彼女の方を見る。予想通り、彼女もこちらを見ていた。
相変わらず、綺麗な目。
その輝く表面をしばらく鑑賞してから、あなたは再び彼女から視線を逸らす。
「ね」ルームは椅子から立ち上がり、あなたの正面に回り込む。「どうなの?」
あなたはスプーンを口に咥えたまま、小さく溜め息を吐いた。
「何が?」
「どうして、私に声をかけたの?」
何度目の問いだろう、とあなたは思う。あなたは、最初の内は問われた回数を律儀に数えていたが、途中からそれもやめてしまっていた。数字というのも結局は言葉の一種で、比較対象がなくても、いや、ないからこそ、数量を数字で表わすことに何らかの意味を錯覚してしまう。
「その話、いつまで引っ張る気?」あなたは尋ねる。
「大切なことでしょう?」
そう言って、ルームはあなたの前にしゃがみ込む。これまでとは対照的に、彼女の視線の方が低い位置に移動し、あなたは彼女に下から見つめられる。彼女の襟もとと、硬質なブレザーに覆われているが、実際は華奢であろう肩に同時に目が行った。
ルームは手を伸ばして、容赦なくあなたの手に触れる。やはり、彼女の手は冷たかった。皮膚自体に温度がなく、その裏側にある骨の硬度をそのまま反映しているかのようだ。
「ちゃんと説明してくれないと」
「説明なんて、できない」あなたは応える。
「何とも思ってないの?」
「何を?」
「誰でもいいから、声をかけたの?」
「違うよ」
「じゃあ、何とか言ったら?」
「何とかって……」
あなたには、ルームの言っていることが理解できない。否、言っている意味は理解できる。それは、彼女が口にしているのが言葉だからだ。つまり、彼女は、あなたが彼女に声をかけた理由を求めている。
しかし、理由は言葉にならない。あなたはそう感じている。より正確には、言葉にすべきではない、と感じている。だから、本当は、言葉にならないのではなく、言葉にしたくないというのが正しい。
けれど、あなたが今言葉をもって考えたことは、あなたが思っていることの全体を的確には表わさない。言葉にならないと感じるのも、それを言葉にしたくないのだと捉え直すのも、結局は言葉が見せる幻想でしかない。
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