ムジーク

羽上帆樽

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第3話 意味がない方が良い

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 手に持っていたギターが消え、代わりに僕はドラムのスティックを握っていた。よく手に馴染んでいる。かつて、それが自分の身体の一部だった時期があるように思える。

 僕はスティックを軽く振ってみる。振ってみても、肝心のドラムがないから音が出ない。けれど、どのように振ればどのような音が出るのか、なんとなく想像することができた。そう……。たしかに、僕は以前ドラムを演奏したことがある。いつだっただろうか。もう、随分と昔のことだ。僕がこんなふうに捻くれていなくて、世界がもっと平和だった頃。

 世界が、平和……。

 人類史上、そんな時代があっただろうか?

 少女が歩いてこちらにやって来る。なんてことのない動作だった。なんてことのない動作でも歩けるのだ。どうやって歩くのかなどと考えるのは、馬鹿馬鹿しいことではないか。

「あげるよ」

 そう言って、少女は僕に手を差し出す。もちろん、その手をくれるということではなく、手にチョコレートが入った袋が載っていた。乱雑にカットされたチョコレートが、裸のまま袋の中で燻っている。

「どうも」

 お礼を言って、僕は袋の中に手を入れた。その際に、ドラムのスティックを片手で纏めて持つ必要があった。手を中に入れた瞬間に、袋が大きな牙を生やして僕の手を食べてしまうのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

 貰ったチョコレートを食べる。

 甘くて、固い。

 塗料のような味はしない。

 少し苦くもあった。

「今度はドラム?」

 少女が座る仕草をすると、空間に椅子が現れた。先ほどまで彼女が座っていたものとは異なる木製の椅子だ。

「そうみたいだ」僕は答えた。「でも、太鼓がない」

 少女が僕の握っているスティックに手を伸ばしてきたので、僕はそれを彼女に渡した。チョコレートを口で転がしながら、少女はスティックを何度かひっくり返す。そうして表面をつぶさに観察した。僕もチョコレートを口で転がしながら、彼女の挙動を観察する。

「面白い見た目をしている」少女が感想を述べた。

「どういうところが?」

「こういうところ」

 そう言って、少女は僕にスティックの表面を見るように仕向ける。

 見ると、所々にでこぼことした凹凸があった。このような跡は、機械で削った場合には生じない。機械で削る際には、刃は一定の方向にしか動かないからだ。したがって、人間が手で削ったと推測される。誰が作ったものかまでは分からないが……。

 先ほど意志を獲得したピアノが、僕たちの後ろを元気に通り過ぎていった。遙か向こうの方まで元気に駆けていく。

 そうか、人間が削ったとも限らない、もしかすると、人間の手、あるいは、人間そのものを模したロボットが削ったのかもしれない、と僕は妙に冷静な判断をする。

 そういえば、最近冷やし中華を食べていなかった。

「絶望かな」少女が呟いた。

「何が?」

「そうでなければ、希望」

「相反するものが同時に出現する場合、それを矛盾と言うんだよ」

「それ、本心から言っているのなら、やばい」

「何がどうやばいわけ?」

「色々とやばい」

「答えになっていないよ」

「矛盾があるのが普通なんだよ」少女は話した。「人間なんて、その典型。ときにはよく考えろと言い、ときには考えるのではなく感じろと言う。これを矛盾と言うのなら、確かにその通りだけど、人間はそういうふうにできているんだよ」

「僕は文字が読めない」僕は言った。「文字は思考の対象なのに、音は感覚の対象だから」

「読もうとするから、読めないんでしょう? それは、つまり、その行為を思考で捉えているからだよ。なんとなく、ぼんやりと見れば読めるでしょう?」

「読んだ気がしない」

「しないから、読んだんだよ」

 少女の理屈が分からなくて、僕は少し困惑する。

 二本纏めて持っていたスティックを一本ずつ片手に持ち、少女がそれらを打ち付けた。明らかにカウントする際のテンポだ。両手をクロスさせ、片方は四のリズムで、片方は二のリズムでスティックを振るう。

 いつの間にか、僕の耳にはドラムの音が聞こえるようになっていた。

 たしかに、聞こえる。

 見ると、彼女の手もとにドラムがあるのが見える。

 見えた。

 見ようとしなかったからだ。

 ドラムを演奏しながら、少女がこちらを見て笑った。素敵な笑顔とは裏腹に、敵を仕留めるような目つきだった。

 僕は肩を竦める。

 何を演奏したら良いだろうと思って、周囲を見渡すと、向こうの方にけん玉が落ちているのが見えた。

 それで、僕は気を失った。
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