【完結】初恋は淡雪に溶ける

Ringo

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Prolog

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年に一度の収穫祭。

街のあちこちに露店が並び、広場では敷物の上で寛ぎながら食事や昼寝をする人の姿があった。

その中でも一層の賑わいを見せるのは平民街。

国外からの商人が目新しい商品を並べ、行き交う人々が足を止めては談笑している。

一組のカップルがお揃いのアクセサリーを購入して、それを互いの薬指に嵌めた。

ふたりはまるで新婚夫婦のように頬を染め合い、その様子を離れた場所で見ていたひとりの令嬢が細い溜め息を吐いて、くるりと踵を返す。


「お嬢様、よろしいのですか?」


声を掛けたのは護衛騎士。

とは言え貴族のお忍びに付き添う役目なので、今の彼は裕福な商家子息といった装い。

彼が仕える令嬢もまた、同じようにシンプルなワンピースを着ている。

しかし優れた容姿と培った気品は隠しきれず、すれ違う者が頬を染める様子に騎士は警戒を張り巡らせていた。


「構わないわ。もう最後なのだし」


その声に危惧したような憂いはなく、むしろどことなく明るい雰囲気さえ窺える。

本当にもう吹っ切れたのだと騎士は安堵の息を心中で吐き、つい癖で一歩下がっていた場所から隣へと移動した。


「折角ですから何か見ていきますか?」

「そうね…メリルにお土産を買おうかしら」


心配して待っているであろう侍女を思い浮かべ、彼女が好きそうな菓子を求めてふたりは雑踏の中に消えていった。






*.゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.゜






帰りの馬車の中には甘い香りが漂う。

丁度焼きたてとなったクッキーを見つけ、それを紙袋いっぱいに包んでもらった。


「ねぇ、エメット」

「はい」


窓の外を眺めたまま騎士エメットに声掛けたアンジェリカは、自嘲するような笑みを浮かべる。


「わたくしね、頑張ってきたのよ」

「存じ上げております」


何をとも言わない内に真顔で即答され、アンジェリカは思わず苦笑してしまう。

けれどエメットは幼い頃より傍にいたから、自分が考えている事などお見通しなのだと納得した。


「あの人が仰るような熱い恋情はついぞ抱けなかったけれど、婚約者として…未来の侯爵夫人として出来ることはしてきたつもり」

「お嬢様に瑕疵は何ひとつございません。婚約者とはいえ未婚の男女が取るべき、適切な距離を保っておられていたに過ぎない」

「…手を繋ぐくらいはすべきだったと思う?」


アンジェリカの問いにエメットは眉根を寄せた。


「…………お嬢様がお望みだったならば」


珍しく表情豊かに、不貞腐れたような物言いをする様子に心に刺さった棘が抜け落ちる。

そういえば昔は感情豊かな少年だった事を思い出し、紙袋からクッキーを一枚取り出してエメットへと手渡した。

それを素直に受け取り、シャクシャクと小気味よい音を立てて咀嚼する姿に頬が緩む。


「わたくしが婚約の継続を望んだのは意地になっていたからよ」

「…意地……ですか?」


クッキーを飲み込み小首を傾げるエメットに、なんだか大きな犬みたいだと思ってもう一枚渡し、また受け取ったエメットはシャクシャクと食す。


「恋など知らない幼子おさなごの頃に婚約者となって、いずれ夫婦となることが当たり前だと思っていたのに…気付けば彼は恋をして、そのお相手との将来を夢見た」

「立派な不貞ですね」


険しい表情で頷くエメット。

脳裏には主であるアンジェリカを蔑ろにしてきた男の顔が浮かび、長剣で切り裂いていく。

ズタボロにしたところで「ふぅ…」と満足した。


「彼が別の女性に心を寄せたことより、これまでの努力が報われなくなること…それが悔しくて負けたくないと思ったの。だからお相手の方に威圧的な態度も取ったし、鬱陶しく思われても小言をやめなかった」


狡猾で浅ましい女でしょう?と苦笑するアンジェリカに、エメットは眉尻を下げる。

そんな風に卑下する必要はない…と。


「お嬢様は婚約者であり、公爵令嬢として当然の対応を取られたまで。それを非難するあちら側に問題があります」

「それでも彼はお相手を選んだ事に変わりはないわ…子を儲けるという手段を選んで」


その事実を知った父公爵は静かに怒りを滲ませ、速やかに婚約破棄の手続きに入った。

今頃、婚約者の家に出向いて絶縁状を叩きつけている頃だろう。


「ねぇ、エメット」

「はい」

「……あなたは恋をしたことがある?」


いつもならどんな問い掛けにも即答するエメットが口篭る様子に、アンジェリカは何故か心にモヤモヤとした翳りを感じた。


「…………あります」


絞り出されたような声に、それが叶わぬ想いだったのだと察して安堵してしまい…人の不幸を喜んだ自分に嫌悪感を抱く。


「………わたくしも恋がしてみたいわ……」


そう呟いて窓の外へ視線を移し、街に溢れていた恋人達を思い出す。

彼らは指を絡めて手を繋いだり腕を組んだりして寄り添い、幸せそうに笑いあっていた。

貞操を守るよう厳しく躾られているアンジェリカにとっては驚くことばかり。

けれど羨ましくも思う。

恋をする人はキラキラと輝いていたから。






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