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season3

そして伯爵へ

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オリバーの父トビアスの処刑が執行されてからひと月後、僕の陞爵が認定され伯爵となった。

その通達がされる少し前、トレーシアも鞭打ち刑を受けたのちに毒杯を呷り、その亡骸は埋葬される事なく焼き尽くされ処分された…との報告を認めた書簡が、プリシラ様より届いた。

表向きは施設収容中とされているが、時間を置いて病死と公表されるらしい。

表向きの理由が用意されたのは、主にアレギラ伯爵領に住まう民達の為というのが大きかった。

かつて莫大な慰謝料支払いにより傾き増税されていた伯爵領だが、平民である彼らが増税に至るまでの詳細な理由を知る由はなく、けれど増税はいつまでも続き、自分達を苦しめる伯爵家に不満を抱える者は多くいた。

とは言え、金銭的なことや様々な理由から簡単に居を移る事も叶わず耐えてきた領民達。

トレーシアや伯爵に処分が言い渡された事で、そんな彼らに同情の目を向ける者もいるが、それだけでは済まない事案も発生していた。

人の不幸が好物である一部の貴族によって、心ない嫌がらせに遭う者がそこかしこに見られるようになったのだ。

プリシラ様の管轄となったことで改善に向かう様相を見せているのに、どこか不安定な状況。

そこに加えて元領主の娘が拷問の末に処刑されたとなれば、【そのような罰を受ける人間の元で管理されていた領民】と嘲る者や狡猾に嫌がらせをする者が今以上に出てくる。

かと言って、深く関わった者からすれば生温い刑罰で済ませられるわけもなく…表向きは【領主・貴族として】の責任を取らせる事とされた。

裏の刑罰を知らぬ者から不満が噴出するとも思われたが、元伯爵夫妻は全てを失い言葉通り身ひとつで放り出され、娘は劣悪な環境とされる罪人用の施設に収容…それは貴族にとって最悪の結果であったことから、表向き刑罰に『足りない』と異議を唱える者は殆ど見られなかった。

そして、トレーシアが毒杯を呷る場には件の夫婦二組も同席し、最期を迎えるまで立ち会いをしたのだという。

息子と娘を死に追いやられた二組の夫婦は現在隣国に居を構えているらしく、裁きの場にもプリシラ様が声をかけたらしい。

トビアスおじさんの刑罰も毒杯だったが、それは事件の背景を鑑みた事から情状酌量がはかられ、その亡骸は秘密裏に高台の土地へと埋葬された。


『家族と共に眠らせてやりたいと思ったの』


ビノワの事を思えば許されることではない。

けれど、トレーシアの横暴な振る舞いを謝罪はするも一切諌めなかったことが後押しとなった。

それでも……ビノワの死は招かれるべきものではなかったのだけれど。


「旦那様、お手紙が届きました」

「手紙?」


物思いに耽ってしまい、一向に執務が進まない僕の元にジェイマンが持ってきた手紙の差出人は、まさかのプリシラ様。

開けて読んでみると、そこには伯爵への陞爵を祝う言葉と共に、ナディアを伴い遊びに来ないかとのお誘いが認められていた。

今までは低位貴族としての付き合いばかりだったが、これからは高位貴族とも付き合いが増える。

その心得等を請うのもありかもしれない。


「ナディアも落ち着いてきたし……」


このひと月、ナディアは悪阻に苦しみ殆どを寝台で過ごしていた。

僕との子をお腹で育てる為、ひとり必死で耐える姿が痛々しくて…もう子供は作らなくてもいいと思ったりもしたけれど、治まった今では『子供はいくつ違いにしたい?』など楽しそうに口にしていて、その逞しさに改めて女性の強さを垣間見たように思う。

そして…悪阻に苦しんでいたひと月ほどは、どうしても籠る熱をひとりで処理していたが、今はナディアによって解消されている。

今朝も…と思い出してしまい、つい熱が籠った。

ふと感じる気持ち良さに目が覚めると、隣にいるはずのナディアが…といった喜ばしい衝撃に暴発する朝もしばしば。


「……あとひと月…」

「…ご無理はなりませんよ」


つい漏らした本音をジェイマンに窘められた。

あとひと月経って許可が降りれば、漸くナディアと繋がることが出来る。

勿論、優しくするし体調を見ながらだけれども。


「……とりあえず、返事を書こう」






******






我が家とは比べ物にならない大きさの屋敷を前にして、ナディアは緊張のあまり思わず踵を返しそうになっていた。


「大丈夫だよ、ナディア。僕もドキドキしてるから…君と一緒だ」


これからは伯爵夫人として、公爵家との付き合いも増えて訪問もするようになるし、出自を理由にツラい思いをすることもあるかもしれない。

けれどここはプリシラ様の住まう屋敷。

あのプリシラ様の使用人達がそのような者達とは到底思えず、ナディアも意を決したようだ。


「いらっしゃい」


通されたサロンで待っていると、シャンク侯爵にエスコートされたプリシラ様が姿を現し、ナディアが礼の姿勢をとる。

プリシラ様はそのカーテシーに驚いた様子を見せたけれど、すぐにいつもの優しい表情へと変えたことから思うに、この日の為に講師を呼んで作法を学び直した甲斐があったのだろう。

伯爵夫人として、僕の妻として恥ずかしいことにならないようにと励む姿はただでさえ胸を熱くするが、今は身重である。

余計な負担がかかってしまうとオロオロするばかりだが、ちゃんと体調をみながらやっているのだからと強い眼差しで圧されてしまう。


「お座りになって。妊婦も飲めるお茶を用意してあるのよ」

「ありがとうございます」


プリシラ様達が座るのを待って僕達も腰を下ろすと、使用人達が手際よく給仕を始めた。

その手際のよさも、やはり高位貴族の屋敷に務める者なのだと思わせる。

公爵家や侯爵家ともなると、勤める者は貴族の出自ばかりだと聞くし、男爵・子爵はもちろんのこと伯爵家出身の者もいるのだろう。

今後の事を考えると、使用人達の講師も依頼するべきなのだと強く思った。

彼らを入れ替えるつもりはないからこそ、共に学んで向上していきたい。


「順調そうで何よりだわ。男の子と女の子、どちらが生まれてくるかしらね」

「どちらでも…元気に生まれてくれれば、わたしはそれで構いません」


プリシラ様の声がけに、ナディアはお腹を撫でながら微笑んで答えた。

僕も、性別は問わない。

ナディアさえ無事で望むなら何人でも欲しいし、たとえ女の子ばかりでも…いや、それはいずれ嫁に出すことになるからダメだ…と、想像で寂しくなってしまった。


「ねぇ、もしも女の子ならうちの長男のお嫁さんにどうかしら?」

「「えっ?」」

「そうだな、年齢も六歳差なら何も問題もないだろうし。モリス伯爵夫妻の元で育つ娘なら優しい子になるだろう」


まさかの展開に、僕もナディアも驚いた。

いや…社交辞令……だよな…?

プリシラ様の息子と言うことは、新たに即位した国王の甥となる。

そんな人物と僕達の娘が…そんな事、考えるだけでも恐れ多い…。


「あぁ、でも……我が家の娘を嫁に貰ってもらうのもありかもしれないわね」

「「えっ?」」

「大切な我が子を託すんだもの、あなた達みたいに家族を大切にする家に嫁がせたいわ」

「いや、もしかしたら嫁ではなく婿入りとなるかもしれないぞ?」

「あら、確かにそうね」

「ありがとうございます…いえ、ですが……」

「生まれてみないと分からないけどね」


そう言って、プリシラ様はお腹を撫でている。

その仕草が何を意味するのか…僕とナディアは同時に思い至り、ふたりで目を合わせてからプリシラ様達に向き合った。


「「おめでとうございます!!」」

「ありがとう、まだ分かったばかりなの」

「君の生む子ならどちらでも構わないよ」


プリシラ様の腰を抱いて頬に口付ける侯爵は、本当にプリシラ様の事を愛しているのだと分かる。

元は政略結婚だとしても、互いを尊重し合って慈しんできたのだろう。

確かな絆がそこに見えた。


「ふたりとも男の子だから、女の子も欲しいわ」

「もし次も男ならまた作ればいいさ。君との子供は男でも女でも可愛い事に変わらないし、だからこそ何人いてもいい」


かなり仲がいいとは聞いていたし、夜会などで見かけた時には実際に見かけたことあるけれど…なるほど、僕と同じタイプとみた。


「そんなに何人も生んでいたら、ぶよぶよのおばさんになってしまいますわ」

「たとえなっても愛してるから問題ない」

「あの…やっぱりぶよぶよになるんですか?」


お二人の仲の良さに頬を染めていたナディアが、蒼白い顔でプリシラ様に問いかけ…そのただならぬ様子に具合が悪いのかと焦りを感じた。

が、どうやら出産で体型が変わることを懸念しているようで……しかし、侯爵と同じで僕も問題だとは思わない。


「ナディア、心配しなくても大丈夫だよ」

「でもっ…」

「むしろ僕の子供を生んでくれたからなのだと、より君の事が愛しくなる未来しか見えない」


そう言って頬に口付けると、嬉しそうにしながらもどこか不安げな憂いを瞳に湛えている。

そんな不安を取り払ってくれたのは、既にふたりを出産しているプリシラ様だ。


「そうよ、心配しなくともこのふたりがわたくし達に愛想を尽かすはずなんてないわ。だけど、そうね…心配なら、わたくしが使っているクリームを後日お届けしてあげる」

「クリーム…ですか?」

「毎晩お腹に塗り込んでマッサージしてあげていると、出産後に悩むことも減るクリームなのよ」

「まぁ!」


ナディアは、先程までの憂いは何処へやら…両手を頬に添えて目を輝かせている。

かく言う僕も、そんなクリームがあったことなど知らなかった…勉強不足だった。


「そして、それを塗るのは俺の役目なのだ」


どやぁ…と言ってのけたのは侯爵で、僕もその役目を仰せつかりたいと食い付き、その後しばらくはどのように施すのかというマッサージ講習となってしまった。






******






「ところで、ジェイマンは元気にしてる?」


一通りの講習を受け終わったところでお茶のお代わりをもらい、突如プリシラ様が出した名前に思わず返事が遅れた。


「ジェイマン…ですか?はい、変わらずによく務めてくれています」

「そう…それは良かったわ」


そういえば、プリシラ様が初めて我が家を訪れた時にふたりが纏う空気を不思議に思ったことを思い出した。


「プリシラ様は、ジェイマンをご存知で?」

「えぇ、よく知っているわ」


ニコッと向けられた笑顔は、どこか儚げだ。


「ジェイマンの娘は、わたくしの乳母だったの」

「えっ!?あ、申し訳ありません…」

「いいのよ、驚くのも無理はないわ」


ジェイマンは父上が生まれた時から勤めてくれている執事で、当時は執事補佐だった。

年齢的には僕の祖父といってもいい…


「……娘…ですか?ジェイマンに娘がいると言う話や、まして王城へ勤める身内がいるという話は聞いたことがありません」


突然の内容に、ジェイマンとのこれまでを振り返り考えるが…そのような記憶はない。

そしてプリシラ様も…やはり寂しそうで…


「そうね…勤めていたのは乳母としてだったし、その務めもわたくしが三歳までだったから、知らなくても仕方のないことよ」

「しかし……娘がいるという話は一度も…」

「亡くなったの」


ここで、ここ最近感じていた違和感の原因に漸く理解が追い付いた。




プリシラ様から手紙が届いた時、どこか物憂げな顔をしていたジェイマン。

その日から今日まで、何かを想うような表情を見せることがあったジェイマン。

今日、家を出る僕達を見送る時には、どこかスッキリとしたような…けれど寂しそうな顔をしていたジェイマン。

そして、プリシラ様が今日ここへ僕達を呼んだのは…それらの答え合わせの為。








「教えて頂けませんか?ジェイマンのことを」




プリシラ様は優しく微笑むと、人払いをした。






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