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season3

オレンジ色の仔猫

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息子が二歳を迎えた。

子供の成長を見守るのは想像以上に大変だが、それでも楽しく充実した日々を送れている。

社交シーズンも過ぎたことで、息子を連れてどこか家族旅行にでも行こうかとなり、そこにジェイマンが提案してきた。


「辺境伯領はいかがですか?」

「そうか…そろそろジェイマンの休みだったな」


辺境伯領まではなかなかの距離があり、そう簡単に赴くことは出来ないが、色々と発展を遂げている辺境を視察もしたい。

何より、ジェイマンの故郷だ。

家族にも会えるし、墓参りも出来る。


「いいね、そうしよう。ナディアはどう?」

「勿論、いいと思うわ。ジェイマンの息子さん達にも会えるし、初めて行く場所だから楽しみ」

「じぇいまんのおうち?」

「是非、ご紹介させてください」


早速、辺境伯へ領地を訪問と視察をしたい旨の手紙を送ると、快い返事が返ってきた。

滞在中は宿で過ごす予定を組んでいたが、折角ならと辺境伯の屋敷にお誘いを頂き、滞在予定の後半はお邪魔させて頂くことに。

伯爵一家の家族旅行…となると色々と準備も必要であり、とは言えそれらをするのは使用人達。

僕は僕で視察に必要なものを用意する中、共に準備に取り掛かるジェイマンに聞いてみた。


「今更だけど、折角の休みなのにごめんね。ジェイマンは家族と過ごしてくれて大丈夫だから」

「いえ、賑やかな旅路が楽しみですよ。お言葉に甘えて、数日は家族と過ごさせて頂きます」


全部いいのに…と思うが、それをジェイマンが受け入れるとは思えないので飲み込む。

僕としても、初めての家族旅行と辺境伯領地の視察で、居てくれると心強いし。


「ジェイマンの息子に会うの、楽しみだな」

「よく似てると言われます」

「おとしゃま!!これもてく!!」

「それも?持っていきたいものが多すぎないか?」


色々と楽しみな家族旅行。

一番張り切っているのは息子だ。






******






小さな子供がいる為、途中の休憩や宿泊を増やしていたが、その間息子は常にご機嫌な様子。

辺境伯領地までの長い馬車旅にぐずるか?と思っていたが、全くの杞憂に終わった。

宿に到着するたび、宿内の探検に出たり部屋の中を走り回ったりと大騒ぎだ。

お陰で夜はぐっすりだが。

そして辺境伯領地に入る前の最後の宿。


「あっした~はじぇ~いま~んのお~う~ち~」


と自作の歌に合わせて躍りながらはしゃぐ息子。

…が突然静になり様子を見ると、『うんしょ!!うんしょ!!』と椅子を出窓の下まで運んでいた。

外でも見たいのか?と思い、手伝って支えてやると突然大きな声を出した。


「おとしゃまっ!!いた!!」


『ちっち』ではなく『おとしゃま』と呼ばれるようになり、少し寂しく思うも成長が嬉しい。


「いた?なにが?」

「あれ、あれ!!」


何かを指差しながら必死に訴えてくるので、視線を向けるとそこには小さな仔猫がいた。

ここは宿屋の三階。

僅かな幅しかない縁にその仔猫はいた。


「ねこしゃん…」


息子がへにょりと眉を下げて仔猫を案ずる。

先日の雨で汚れたのか、体は泥だらけ。

震えているようにも見える。


「おとしゃま、ねこしゃんとって!!」


そこへ僕達の様子を見ていたナディアがやって来て、状況を把握すると静かに窓を開けた。


「おいで」


躊躇なく震える仔猫を手に取ると、そのまま浴室の方に行ってしまった。


「ねこしゃん!!ぼくも!!」


慌てて窓を閉め、息子と共にナディアのあとをついていくと…柔らかいタオルで仔猫をくるんで、「もう大丈夫」と言いながら、洗面台に手際よく湯を溜めている。


「大丈夫よ、温まりましょうね」


タオルにくるんだままゆっくり湯に浸からせ、不安げに瞳を揺らす仔猫を撫でるナディア。

なんだろう…慈愛の女神に見えてきた。


「大丈夫、怖くないわ」


仔猫は小さく「にゃぁ…」と鳴いているが、湯が気持ちいいのか大人しくしている。


「ジェイド、お手伝いしてくれる?」

「あいっ!!」

「石鹸を取ってきてちょうだい」

「あいっ!!」


湯に慣れさせるように優しく撫で続け、何度か汚れた湯を変え。

息子が“上官から指令を受けた兵士”ばりの顔つきで持ってきた石鹸を泡立て、それもまた優しく撫でるようにして洗い…ドロドロに汚れていた仔猫はすっかり綺麗になった。


「ねこしゃん、きれいきれい」

「そうね。だけど、抱っこはまだよ」

「あい」


タオルで拭きあげ乾かされると、ふわふわの毛並みになった仔猫は…とても可愛い顔をしている。

金に近いオレンジの毛色で、ソファーにおろされると同時に毛繕いを始めた。

小さくても猫なんだな。


「かあいいね」


早く抱っこをしたい息子はウズウズしながらも、言われた通り手を出さず、じっと仔猫を見つめている。

やがて毛繕いも落ち着き、ミルクを飲んでお腹が満たされた仔猫は寝てしまい、漸く撫でるお許しが出た息子。


「ねこしゃん、ねんね」

「優しくね」

「やしゃしく……やしゃしく…」


ナディアと一緒にふわふわになった仔猫を優しく撫でる息子は、とても嬉そうだ。

いつものように、自我を通そうとしない。


「おとしゃま、ねこしゃん、かぁいいね」


満面の笑みを浮かべ、期待の眼差しで僕を見る…さすがにこの流れでダメだとは言えない。


「名前はジェイドがつけるか?」


そう言った時の喜色満面の笑みに、思わず苦笑してしまった。

甘いか?とも思ったが、ナディアも頷いている。


「ん~………」


悩む様子の息子に、さすがに名前は無理だったかと思っていたが…


「しゅると!!」

「シュルト?」

「ねこしゃん、しゅると」


その名前には心当たりがあった。

少し前まで屋敷に来ていた、庭師見習いの男性。

自身にも小さな子供がいるからと、息子の事も可愛がってくれていたおかげで、彼が来るたび嬉しそうに付きまとい、やたらと懐いていた。


「庭師見習いのシュルトか」

「あい」


嬉しそうに笑う息子。

その笑顔に、少しだけ胸が痛む。

彼は奥方の実家商売を継ぐ為に、少し前に他国へ移住してしまった。


「シュルトの事、大好きだったものね」

「しゅき」


それから暫く寝ていた仔猫だったが、目を覚ましてからはずっと息子に抱かれている。

やがて息子の就寝時間になるも離さず。


しゅるととふちゃりでねりゅシュルトとふたりで寝る

「あら。シュルトとふたりだけで?」

「だけ」


いつもは僕達の間に挟まって寝ている息子が、始めてひとりで寝たいと申し出た。

思わずナディアと目を合わせるが、息子は意思の固そうな顔をしている。


「分かったわ、行きましょう」

「あい!!おとしゃま、おやしゅみなしゃい」

「あぁ、おやすみ」


ナディアに手を引かれ、軽やかな足取りで寝室へと向かう小さな後ろ姿に、こうやって少しずつ親の手を離れていくのか…と感慨深くなる。

ナディアの希望で共寝をしていたが、卒業するのも近いのかもしれない。

僕は一度も両親と共寝したことがなく、ナディアに至ってはその両親がいない…など色々と思いに耽っていたら、寝かし終わったナディアが居室に戻ってきた。


「もう親離れ?」


隣に座り、こてんと首を傾げて微笑むナディアに僕も笑みを返す。


「親よりも仔猫の方がいいなんて、なんだか置いてけぼりの気分だよ」


寂しい気持ちもある。

だけどまだ二歳。

寂しがって僕達を呼ぶこともあるだろうし、それはそれで楽しみだ。


「今夜はナディアを独占出来るかな」


いつも僕達の間には息子がいた。

今だけの温もりに心温まるも、やはり愛する妻を抱き締めて眠りたいとも思ってしまう。

だから今夜は、息子が夜中に起きてぐずらなければ叶う…と思い腰を抱き寄せたが、言い回しがまずかったと自己嫌悪に陥った。

ナディアもそんな僕に気付いているだろうに、優しく「そうね」と微笑むに留まる。

ナディアに寂しい思いをさせていることも、不安にさせていることも分かっていて、もう幾度となく話し合ってきた。

本気でどうにかしたい…僕もそう思っている。


だけど、その解決策がみつからない。






******






「じぇいまん、しゅると!!」「にゃっ」

「まぁ、可愛らしい仔猫ですね」


息子は朝から仔猫の紹介で忙しい。

あちらこちらに出向いては、僕の仔猫なのだと自慢して回っている。

そして仔猫も名前を気に入ったのか、息子が紹介の為に名を発するたびに鳴く。

なんともいいコンビが出来上がった。

昨夜は結局、一度もぐずることなく朝を迎えた。

僕にはナディアがぎゅっと抱きついたまま。

その状況を嬉しく思うも、申し訳なくなった。

本当なら、今頃二人目が生まれているか身籠っていてもおかしくないのに…と。


「おとしゃま、おかしゃま、おわた!!」

「お疲れ様」


満足げな顔で息子が戻ってきて、僕とナディアは些か苦笑してしまう。

朝から宿の人達には迷惑をかけてしまった。


「さぁ、ジェイド様。朝食の準備が整っておりますので参りましょう」

「あい」


いつもなら多少ぐずるのに、乳母の言葉に粛々と従い…仔猫効果の凄まじさに感服した。

僕達も向かうと息子はお行儀よく座っている…ものの、膝の上には仔猫をちょこんと乗せている。


「ジェイド。シュルトも朝ごはんを食べなくちゃならないから、今は下ろしてあげなさい」

「え……」


ナディアに言われ、絶望的な顔をする息子。

捨てろと言われたわけでもないのに…と、笑いたくなったが堪える。

なぜ?と泣きそうな顔をしている息子に、僕から説明してやることにした。


「ジェイドだって、父上が膝に座らせたままで、自分だけ何も食べられなかったらいやだろ?」

「…………っ!!」


しばし考え、ハッとした顔をさせてから優しく仔猫を足元に下ろす。

あくまでも傍にはいさせたいらしい。


「しゅるともごはん」

「にゃっ」


暫く待っていると、宿の料理人が用意してくれたという仔猫用の食事とミルクが運ばれてきて、仔猫は行儀よく食べ始めた。


「ほら、ジェイドも座って」

「あい」


仔猫を気にしながらも、背筋を伸ばして行儀よくしようとする息子に、これはなかなかいい情操教育になる?と思えてきた。

それにしても、仔猫の分まで用意してくれていたなんて…朝も騒がしくしてしまったし、支払いに足しておこう。

猫を何匹も飼っているという料理人が用意したご飯は、仔猫も気に入ったようだ。









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