迷子のネムリヒメ

燕尾

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第35話

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 何だ? この展開。
 ──好きでした。
 ──ありがとう、でもごめんね。
 それで終わる話なのに……どうして大路さんはこんなに笑っているのだろう?
 確かに……ちょっと変な告白だったとは思う。けれど、笑える要素なんて一つもない。バカにしているのかって思ったけど、嘲笑されている感じもしない……とりあえず、大路さんが落ち着くのを待つしかない。

「ごめん。懐かしくて……」

 数分後、何とか落ち着きを取り戻した大路さんは私を見るなり頭を下げた。
 懐かしい?
 何だろう……この反応には覚えがある。

「もしかして……過去にも似たようなこと言いました?」

 違うよという返事を期待していたけど、ニコニコしている大路さんを見て、正解だと悟った。

「……というか、一緒だったよ。二年前と同じ告白だからビックリして……試しに同じ返しをしたら、それも一言一句同じ。それどころか、“好きになったりしません”って言った時のキリっとした表情まで一緒だったから。驚いたやら、懐かしいやら、嬉しいやら……なんか止まらくなった。気分、悪かったよね。本当にごめん」

 キリっとした表情って……単なるドヤ顔な気がする。それにしても、一言一句同じとは……私ってボキャブラリーが乏しいのかしら?

「いえ、こちらこそ。なんかすみません。同じ告白、二回もしちゃって……私って成長しないヤツですね。本当、嫌になっちゃいます」
「それは違うよ」

 自虐的に言ったら、即座に否定された。

「変わらないことと、成長しないことは別の話だよ。柏原さんの場合は、ブレてないって言うんだよ。俺はそれが嬉しかったんだから。あかりだってそうだよ」

 どうしてそこで姫島さんが出てくるんだろう。
 何のことやらさっぱり? と思っていたら、大路さんが説明してくれた。
 それは、私が仕事復帰した日に姫島さんのお弁当を食べて、ブログとかやらないのかって聞いた時のやり取り。
 ──それに私は多くの人においしいって言ってもらえるより、自分の手の届く範囲の大切な人においしいを届けたいって思うんです。
 ──いいね、その考え方。おいしい料理を食べて、いい話を聞いて……贅沢な気分になっちゃった。
 あれもか……。

「あかりはすごく喜んでたよ。変わってないって。記憶喪失でも柏原さんは柏原さんだって。谷崎さんもそれをわかっていたんだろうね」
「……」

 谷崎さんというワードに体がビクリと反応した。心なしか胸の鼓動が強くなっている。何事もなかったように装ったけど、大路さんには、私の動揺を見透かされていた。

「谷崎さんは、あかりや林田さんや南には余計なこと言うなって言ってたみたいだけど、俺は何も言われてないから言うね。覚悟はいい?」

 表情は穏やかだし、声のトーンも軽い感じで冗談みたいに聞こえるけど、その瞳を見ると本気だとわかる。
 谷崎さんが私のことを大路さんに話しているとは思えないけど、部下なりに私に思うところがあるんだろう。何を言われるのだろう……この人、笑顔でさらりと毒吐いたりするんだよね。だけど、もう谷崎さんのことで逃げたりはしない。
 何でも来い──口の端を上げ、大路さんの目を見て頷いた。

「俺さ……今回の件で、谷崎さんって凄いって改めて思ったよ」
「凄いですか?」
「うん。俺だったら……早く思い出せって、写真とか映像を見せて思い出を話しまくるし、二人で行った場所に行って同じことをする。それでも思い出さなかったら……多分、相手に無茶なことをさせると思う。それが相手のプレッシャーになるってわかっていてもね」

 記憶喪失モノの映画や小説でも、パートナーが記憶喪失になったら必死で思い出させようとしていた。記憶喪失になった側からすれば、それは重荷でしかない。でも、それは相手を深く想う故の行動だ。

「私も忘れられた立場だったら、同じだと思います。大切な相手を取り戻したいって……それは身勝手かもしれないけど、当たり前の願いだと思います」
「そうだよね。記憶喪失の柏原さんに言うのは酷かもしれないけど、相手の中から相手の中から自分の存在が無かったことになるって、相当キツイと思う。冷静でなんていられないはずだよ。でもさ、谷崎さんはそんな素振り全然見せなかったよね?」
「……はい」
 
 確かに……私は谷崎さんからその手のプレッシャーをかけられた覚えはない。
 母や兄からは写真やDVDをたくさん見せられたけど、谷崎さんとの生活では写真やDVDは出てこなかった。
 過去の話だって殆どしていない。別の話の流れで出てきたり、私が気になったことがあったら教えてもらう感じだった。
 二人でよく話していたのは、仕事のこと、日々の生活のこと、今人気のある芸能人のこと、新商品のお菓子の話……全部、現在の話だ。
 一緒に生活したのは二ヶ月くらいだったけど、谷崎さんはいつも落ち着いていた。記憶を取り戻す気配のない私に焦ることもなく、淡々としていた。
 だから……思った。
 この人は私のことを別に愛していない。だから私が記憶喪失でも平気なのだ、と。
 それが誤解だったとわかったのは、あの夜。
 重ねた唇の熱さや伝えてくれた想いを通して、谷崎さんの気持ちを知った。
 平気なわけなんてない。
 私が忘れられた側だったら、絶対に取り乱す。どうして思い出してくれないのよって相手を責めたかもしれない。
 それなのに谷崎さんは?
 痛かったはずなのに、苦しかったはずなのに、そんな素振りを私に見せることなく、何もないような顔をしていた。
 彼をそんな風にさせたのは……私だ。

「私のせいだ……私が、谷崎さんに無理させてたんです」
「どうだろうね。でもさ、谷崎さんだって柏原さんに無茶振りしたと思うよ。いきなり仕事復帰しろってさ。面食らったでしょ?」
「ああ……あの時は確かにビックリでした」
 
 マンションに二人きり、気まずい空気が漂う中、これからのことって切り出されて……何事かと身構えたら、仕事の話で拍子抜けした。それと同時に記憶喪失の人間に仕事復帰させるなんて、私の思考の斜め上を行く人だと思った。

「有り得ないよね……。その上、その無茶を通す為に色々なところに頭下げてたからね、あの人」

 冷たくて鋭い空気がスーッと私の背すじを駆け抜けて行くのがわかった。
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