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第6話兜は時々デンジャラス
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「おお快晴快晴~。絶好のお出掛け日和~」
出発の朝、私は鼻歌さえ歌いながら馬車に乗り込んだ。
ロジェ家のエントランス前には伯爵夫妻やムンム医師や男女問わず使用人達が馬車の見送りに集ってくれている。
当初はジャンヌを同行させる予定じゃなかったけど、向こうでの荷下ろしや部屋を整える所までは付き従うと譲らなかったから、私はその有難く義理堅くそしてちょっと頑なな申し出を承諾した。
世の中にどれだけ優秀な侍女がいたって、私はジャンヌが一番だーって世界の中心で叫べちゃうよ。まあそんなわけで彼女も一緒。
ヴィクトルと最後に会ってからもう半月が過ぎていた。
もう半月、されどたったの半月、二週間ちょい。
この日の私はこんなにも早く脅威から逃避できる幸運に感謝し、もうこれで出産までは安心だと信じて疑わなかった。
旅路の予定日数はとりあえず三日。
途中で宿を取りながら進む。
走行中の馬車のガタガタとした激しい振れの連続は妊婦の体には負担だろうし、通常よりも馬車速度をかなりゆっくり目にしてもらうよう事前に御者には言ってある。座席のクッションも二重にした。だからもしかすると道のコンディションによっては三日以上かかるかもしれない。
護衛の任に就いてくれるエド達の拘束期間が予想よりも長くなるわけだけど、そこは上手くシフト調整をするから五日でも十日でも大丈夫だって頼もしい返答があってホッとした。
目的地までは幾つかの街や集落を経由する。護衛はエドを含めた軍の精鋭魔法兵士三人。
因みに、エド以外の二人は帝都の道端でも会ったイケメン兵士二人でロベール・ルソーとフィリップ・シュバリエ。
二人を呼ぶ時は是非ファーストネームでって言われた。エドの事もエド呼びだし、日本でも友人の下の名前呼びは普通にしてたから抵抗なかったけど、こっちではフレンドリー過ぎるみたい。そんなわけでジャンヌからは少なくとも大勢の前ではそっちで呼ばないよう言われたっけ。
エドはギュイ隊長かギュイ卿で、ロベールはルソー卿、フィリップはシュバリエ卿ね。
エド達三人は既に馬に乗ってロジェ家前のロータリーに姿を見せている。
エドはまあ、言うまでもなく銀色だった。
「おはようギュイ卿、ルソー卿にシュバリエ卿も。道中宜しく」
馬車窓から声を掛ければロベールとフィリップはにこやかに白い歯を見せて笑ってくれた。うん、その爽やかさプライスレス。
するとエドが騎乗している馬を窓近くに寄せてきた。
「全力でお護りしますので、どうか心安らかに道中をお楽しみ下さい」
「ありがと、頼りにしてる」
今日の彼は機嫌が良いみたい。
だって、喋る。
実は今日まで、礼拝の帰りだったりにエドとは何回か街中でばったり会っていた。
銀の甲冑を着ていたりいなかったりとまちまちだったし、着ている時は普通に会話をしてくれる時と魔法文字の時があって、喉の調子でも悪いのかなって内心で首を傾げたものだった。
だけど訊いたら喉の調子は悪くないって返答があったから、きっと機嫌の良し悪しに左右されていて、魔法文字での会話時は機嫌が悪いんだろうって勝手に思う事にした。人間不機嫌だと誰とも喋りたくない時ってあるでしょ。それだね。
「それじゃあ皆、行って来ます」
ヴィクトルからの避難って事情を知っている伯爵夫妻とは、馬車に乗り込む前に十分過ぎるくらい抱き合って親愛のキスをして暫しの別れを惜しんだけど、窓から改めて別れの挨拶を告げると二人は涙ぐんだ。
見送ってくれる伯爵夫妻が「アデル~」ってハンカチを振るのにこっちまで貰い泣きしそうになった。
私とジャンヌと荷物を乗せた馬車は、エドを先頭にして二等辺三角形を描くように馬車後方にロベールとフィリップって陣形で護ってもらっている。
石畳を規則的な蹄の音が進んでいく。車窓をゆっくりと街の景色が流れていく。
彼ら三人は私が一年近く向こうに滞在するとは知らない。
教えるつもりもない。
ヴィクトルの臣下だし、むしろ知られちゃいけない相手だ。
疑念を持たれないよう荷物は出来るだけコンパクトに纏めた。必要なら向こうで買い足せばいい。それでもちょっと多いのを不審がられたら女子修道院への寄付とでも言おう。
最初エドは復路も護衛するって言ってくれたけど、帰りは女子修道院の方に頼んで諸々を手配してもらうって説明してご遠慮願った。
嘘は言ってない。
ジャンヌは彼女のすべき事をしたら帰るし、私に至ってはその時期が約一年後なだけだ。
よって彼らが私を護衛するのは実質往路だけ。
騙すようにしてごめんって気持ちがないわけじゃなかったけど、生きるためには強かさも必要なのっ赦してエド。
まあこうして保身と出産のための旅路は、晴れやかな朝から始まった。
「ちょっと大袈裟だよなあ。しばらく会えないわけでもないだろうに」
後ろに遠ざかるロジェ伯爵達をちらりと見やって、エドゥアールは兜の中で独り言ちた。
彼はアデライドが精々一泊して熱心に祈るくらいだと思っていた。
故に、トータルしてもおそらく十日に満たないだろう令嬢の不在は確かにちょっとは寂しいかもしれないが、そこまでだろうかと疑問に感じたのだ。
しかし依頼主サイドの細かな事情にまで踏み込むつもりはなかった。
それがアデライド・ロジェ伯爵令嬢なら尚更に。
何故なら、彼女の私的な事情に必要以上に詳しくなって皇帝ヴィクトルの機嫌を損ねるのは避けたい。
何しろ、この装備を主君に度々泣く泣く貸し出している彼は、腹いせに傷一つでも付けられては敵わないと思っていた。
ヴィクトルが果たしてそのような子供染みた真似をするのか、いやその程度で済むのかはとりあえず考えない。
ただ一つ、エドゥアールが任務中でも入浴中でも何でも、突然テレポート魔法で目の前に現れては装備を貸せと命令してくるのだけは心臓に悪いので止めてほしかった。せめて事前の通告をくれと彼は心底思っている。彼の鬼皇帝は臣下に早死にしてほしいのだろうかと時々大真面目に悩むエドゥアールだ。
「いつまで続くんだろこれ……禿げそ……」
彼は兜の中で一人盛大な溜息をついた。
そんな彼を心理的に追い詰めている問題は実はもう一つある。
近頃エドゥアール・ギュイのドッペルゲンガーが出る、そんな話はとっくに本人の耳にも入っている。
聞かされた当初、自分のドッペルゲンガーが出るなんて馬鹿馬鹿しいと彼は一笑に付した……りはしなかった。
何しろ、皇帝陛下の執務室で、殺気立った真紅の目を向けられて「仲良き事は善き事だな」と脈絡のない台詞をさりげなく投げ掛けられた日があったのだ。
そのさりげなさが異常だったし、発言の真意や経緯が本気でわからなかったので余計に戦慄したのを彼は覚えている。あの日も確か大事な装備一式を一時貸し出した日だった。
殺されずに執務室を出られたのは冗談抜きに良かったと大きく胸を撫で下ろした、そんな恐怖の経験をして間もなく耳に届いた件の噂だ。
『え、自分ホント死ぬの……?』
聞くなり兵舎の床にバターンとショックで倒れ込み、その場にいた仲間達から自分で自分の分身を見ない限りは大丈夫だと慰められて何とか立ち直った。
とは言え、道の角を曲がる時、部屋の扉を開ける時、実はちょっと肩に余計な力が入ってしまうエドゥアールだったりする。
一日目の道中は頻繁に休憩を入れてもらう手筈になっている。今日のペースで私の体調が平気そうなら明日はもう少し速度を上げて休憩を減らしてもいいよねえなんて考えつつ、ここまでの休憩中は少しばかり観光もした。
この世界の家屋は石や煉瓦が主流でまさにテレビで観た中世ヨーロッパの街並みそのものだから、私的には贅沢旅行だーってテンション駄々上がり。
「そろそろ出発しよっか」
私は優雅に休憩していた帝都郊外の小さな喫茶店でジャンヌにそう声を掛けた。彼女は護衛達に声を掛けに行ってくれて、私はさて馬車に戻ろうかって席から腰を上げた。
外の風に当たりたかったから喫茶店のオープンテラス席にいたし、そのまま歩けば馬車まではすぐだ。
そんな私の目の前にぬっと黒い革手袋を付けた手が差し出された。
少しだけ驚いたけど他は銀色に覆われているから、正体なんて見なくてもわかる。
「えっと、手を握れって意味?」
エドは無言でこくりと頷いた。
ああ、これはまた機嫌が悪くなったのか。
すぐ近くなんだし馬車まで手を引いてもらう必要はないのにって思ったけど、機嫌を更に損ねられても困るから大人しく手を重ねる。
でも、エドって機嫌が悪い時の方がこうやって過保護なのは何でかな。
馬車の傍まで行ったところで、ジャンヌに出発を告げられたロベールとフィリップが彼女と共に戻って来て、エドが既にいるのを見てちょっと意外そうにした。
「何だもう来てたんですか。てっきりまだ厠かと」
「隊長の馬も連れて来て正解でしたね」
にこやかに言った二人はそれぞれ騎乗して、気を利かせてロベールから手綱を受け取っていたジャンヌが私の所までエドの愛馬を引いてくる。
エドの愛馬はちょっと怖がったように嘶いて足踏みしたけど、エドが一瞥すると全てを諦めたかのように大人しくなった。
「ありがとエド」
重ねていた手を離し、ジャンヌがエドに手綱を渡そうとした矢先、何か知らないけど私は彼にこの前の街路での時みたいに抱き上げられた。
「……へ?」
目を見開く私にはお構いなしに、エドは私を横抱きにしたまんま次には魔法でふわーって浮かんでほとんど衝撃なく鞍に腰を落ち着けた。
遊園地のアトラクションでもこうはいかない。ちょっと貴重な体験だったけど彼の意図がわからないから目を白黒させるほかない。
ロベールとフィリップも驚いてちょっと目を瞠ってた。ジャンヌはジャンヌで慣れない馬の上なんて落ちでもしたら危険だわって思ってそうな顔色だったけど、銀の護衛騎士の行動に口を挟めずにいたみたいだった。
「エド……?」
――この方がいつでも護れて安心できる。
例によって光る魔法文字で目の前にそんな文言が綴られた。
――景色を楽しむならこの方が良く見えるだろう。
「それは確かにそうだけど、馬の操作し辛くない?」
エドがじっとこっちを見つめた。……兜で顔は見えないからたぶんだけど。
――そんな心配は無用だ。
「あ、そう? うーんまあそっちがいいならいいけど……」
――今日は陽気が良くて風も冷たくはないから、存分に空気や景色を堪能するといい。
「あ、うん」
だけど馬上で下手に動いてエドの手が滑ったらどうしようって不安をこっちの動きの固さから察したのか、エドは兜の正面で私を捉えたまま魔法文字を浮かべる。
――心配するな。死んでも絶対に落とさない。
死んでもって……。うわーもうこれ殺し文句じゃん。
でもさ、でも………無の境地なのって感じなぎんぎら兜で言われても全ッ然面白くて仕方ないけどっ! 向こうは大真面目なのにね!
って言うかちゃんと前見てね前っ。
「……な、ならいいけど」
笑いを堪えるのとヒヤヒヤするのとに忙しい私は、ついつい口の端っこが持ち上がるのは感謝の微笑みですわって誤魔化した感じで取り繕った。
どこかエドらしくないなあとも思いつつ、じゃあエドじゃなければこんなゴッツイ奇天烈な格好している人なんて他にいるか、いやいないって結論に至ってその思考は棚上げにした。
次に小休止した後は、エドも疲れたのか抱き上げてはこなかったから普通に馬車に乗った。
機嫌も元に戻って喋ってくれるようにもなった。
案外ずっと被っていると蒸れるのか、時々兜を外していて、中から現れたのは誰がどう見ても赤毛のエドゥアール・ギュイ隊長だったから、やっぱり度々の違和感は勘違いなんだろう。
エドって一見気難しい性格には見えないけど、人は見かけによらないっていい例だね。
その後も馬車を走らせて、日没後計画通り目標にしていたホテルに到着した。
私はジャンヌと同室で、護衛三人と年配の御者の男性は二人ずつに分かれた。
「ジャンヌ、今日はありがとう。お休み」
「はいお休みなさいませ、お嬢様。良い夢を」
「ジャンヌもね、良い夢を」
ベッドが二つ並んだ標準タイプのホテルの一室。
ホテル側で元々ベッドメイクはしてあったけど、職務熱心なのかジャンヌが更に入念に整えてくれ、私は安心して休む事ができた。
たったの一日知らない場所を旅しただけで気分がリフレッシュ。教会で思い切り愚痴ってスッキリしたなあって思ってたものの、実はまだまだ足りなかったみたい。今まで自覚なくも如何に帝都に居る間気を張ってたのかよくわかった。
こうして一日目の行程は無事に消化できた。
まあ敢えて引っ掛かった事を挙げれば、ちょっとエドが変だった時があったくらいかな。
往路二日目。
ホテルで朝食を済ませてから出発した。
今日も途中途中で休憩を挟みはするけど、一日目よりは馬車の速度を上げても問題はないなって感じた私の要請で、車窓に流れる景色の移り変わりは若干急ぎ足だ。
無言のエドから前日みたいに抱っこの馬上運送をされそうになったけど、追い剥ぎに襲われるような万一の有事の際にも円滑に対処できるよう是非とも空手の状態でいてほしい、景色を楽しむよりも修道院まで確実に護ってもらえる安心の方が重要だって切に訴えて辞退した。
エドは魔法文字で「何があっても瞬殺するから大丈夫だ」って物騒な文面をしばらく主張してたけどね。
その代わり昼食休憩中はずっと傍にいるって意思表示もしてきたっけ。でも何で交換条件?
まあそんなわけで昼食休憩中、エドは目立って仕方ない銀の甲冑を惜しげもなく周囲に披露しながら、前言通り護衛対象の私のすぐ傍をキープしている。
因みに現在、私達が居るのはレストランの店内席。
食事を手早く済ませるためにも御者を含めた六人全員で一斉に食べようって私の意向で各々椅子に座っているわけだけど、どういうわけか私だけ超特等席だった。
エドが椅子だった。
人間椅子……ッ。
エドはちゃんと椅子に座って私がそのエドの膝に乗せられているから厳密には人間椅子とは違うけど、そう言って障りない。
人間椅子on椅子=私on甲冑on椅子。
ハイこれ試験に出まーす。要暗記でーす。
相対的に座高が上がりまくった分、店のテーブルの高さが合わない。めっちゃ合わない。私はどうやって料理を食べればよろしいの?
そして誰か突っ込めホント!
特にそこっ、フィリップとピエール……じゃなかったロベール!
二人はエドに困惑しきりな目を向けている。恐れ多くて指摘が出来ないのか上官の個性だと諦めているのかは知らんっ。
イライラは胎教に良くない。もしも何かあったら私と合った目を逸らしたジャンヌと御者も同罪だかんね!
店内からは当然ながら奇異の目で見られている。ここは甘んじてさっさと食べ終えるしかない。
「……って甘んじるわけないだろーっ。私もいつまでコントやってるんだかっ。エドもふざけるのは終わり!」
やや乱暴に彼の膝から下りる時にグラスの端に手が当たって水が少し手に掛かる。
あらら、とハンカチを取り出して拭こうとすれば、目の前にスッと誰かのハンカチが差し出された。
エドのだ。
しかも何と、私がこの前ヴィクトルに巻いてあげたのと同じ蝶々柄のハンカチだ。
「気遣いありがとう。でも自分のがあるから大丈夫。エドも蝶々好きなんだ? 可愛いよねその柄、私も前まで同じの持ってたんだよ」
――蝶々にこれと言った思い入れはないが、大事な人から貰った物だから大切に使っている。
「あ、ふぅん」
そういえばそのハンカチって女物。あらやだ~エドも隅に置けないなあ~。たださ、大事な人がいるなら幾ら護衛対象と言えど意中の女以外を膝に乗せるのは如何なものか。
実はエドは自覚なしのスケコマシ?
あぁでも相手が身内って可能性もあるか。ま、詮索はしないでおこう。エドに興味はない。
後は私も普通に座って食事をした。
因みに、エドの皿はいつの間にか空になっていて、いつ食べたのか全くわからなかった。魔法で口に瞬間移動させたのかもしれない。
食後、外のベンチで一人まったりしていたら、エドが来て隣に腰を下ろした。
ジャンヌは道中のおやつを買いに、他の二人の護衛は自分達の馬を連れに、御者は定位置たる馬車の操縦席に早くもスタンバっている。
多少朝よりは雲が出てきていたものの天気は悪くなく、ジャンヌが戻り次第出発しようと思っていると、エドが魔法文字を浮かべた。
――ずっと気になっていたんだが、訊いてもいいか?
「うん、何?」
――どうして女子修道院にまでわざわざ行こうと思ったんだ?
え、今更それ訊いてくる。
無難な答えの用意があるからいいけどさ。
「俗世から一時的に離れて祈るため。あとは寄付するって目的もあるよ」
寄付の部分は貴族令嬢として尤もらしい理由だったからか、エドはそこに焦点は当てなかった。
――そこで何を祈る?
「勿論、ヴィクトル陛下の無病息災を」
ふっ、どうよこの優等生な回答は。
だけどどうした事か予想に反してそこでしばらく会話が途切れた。
「エド……? えーと何か駄目だった?」
こっちに兜正面を向けたままエドは身じろぎもしない。
そう言えばエドは私よりも彼をよく知ってるよね。
「陛下ってもしかしてそういうの嫌いなタイプ? でも勝手に祈るだけなら別に問題ないよねぇ……?」
エドは何の反応も寄越さない。そう言えば皇帝と教皇は仲が悪いらしいし、まさかの問題大あり……?
どうしよう、ここまで来て引き返しましょうなんて言われたら。
「えーとほら、帝都の教会じゃ何となく十全に集中できなくて。誰にも邪魔されずじっくり熱心に陛下の安寧を願える場所で一度そうしたいって思ったの!」
否定的な意見が返る前にと、私は畳みかけるようにしてこの素敵な理由を捲し立てた。どう、私って健気でしょ。アデライドはヴィクトルと噂があるんだし、エドもこれ以上変に勘繰る気なんて起こさずに納得してくれればいい。
ここは笑顔で押し切ろうとエドへと笑みを向けていると、ふっと気配が近付いた。
え、何? 急にどうしたの? 突発的に近眼になったとか?
妙に兜が近……いっ。
「~~~~ッたあーい!」
ズームアップする兜をキョトンとして見つめていたら、顔面にダイレクトヒットをかまされた。
ぶつかった反動でやや仰け反ってから両手で鼻を押さえて悶絶に丸まった私は、涙目で睨み付けた。
「何すんの!」
当然ながら無機質な兜面からじゃ相手の感情は窺えない。
幸い鼻血は出なかったけど、そもそも兜を近付けてきた意図がわからない。
そんなこっちの疑問を察したようにエドがようやく魔法文字を浮かべた。
――すまない。うっかりしていた。
うっかり~?
だけど故意じゃなくぶつかるって……あーそっか、なるほどね。
「いくら被り慣れてるって言っても、兜だとやっぱ細かい部分での距離感がいまいち掴めないんでしょ。まあ私もそれ被ったら絶対そうなる自信ある。ちょっと痛かったけどまあ今回はと・く・べ・つ赦してあげる」
――感謝する。
エドにしては固めの言葉が返った。
「ただし今後は気を付けてよ? 私の大事なお鼻ちゃんがぺしゃんこになったら世界の大損失だから」
「…………」
「何か突っ込んで!」
これじゃ単なる空気読めないナルシストじゃん……。
「あ、ジャンヌが戻ってきたし早いとこ出発しよう! 少しだけど風も出てきたから途中で天気が崩れるかもしれない」
気を取り直してエドに先んじてベンチから腰を上げる。
「ほら、行こう?」
友達にそうする気分で半分振り返って促した。
エドは、口元を笑みって言って良いのか微妙なラインでへらりと緩ませたこっちの顔を数秒じっと見ていたようだけど、ゆっくりと、緩慢ってよりはまさに備え持った鷹揚さって言葉がしっくりくるような動きで立ち上がった。
それにしても、さっきはこっちの顔面にぶつかるくらい顔を近付ける必要性が何かあったっけ?
私の顔に何か付いてた?
もしや食べかすでもくっ付いているのかと顔を触ってみたけど何もなさそうだった。
紳士的なエドに手を貸されて馬車に乗り込む際、添えた手を何故か一度握り込まれた。
「エド? 離してくれないと乗れないよ」
尚も手を握ったまま彼はやっぱり何も言わないでいる。
何か言いたい事があるのかもしれない。
警護の責任者として気を張っていて疲れたからもう少し休憩したいとか? それとも昼食が足りなかった?
「大丈夫? 実は具合が悪いとか?」
不審を抱くよりもちょっと心配になって見えない兜の奥を見透かすように顔を近付けて覗き込めば、否定に首を振った彼からやっと手を離されて、私は少しの安堵の色を浮かべて馬車の座席に収まった。
皆が集合して程なく出発。次の休憩までの間はエドも先頭を行っていたし会話なんてしなかったけど、休憩後は機嫌の良い時のエドに戻っていてやっと完全にホッとした。不調なわけでもなかったみたいだしね。
その日、後はもうずっと喋ってくれるエドで、二日目の行程も順調かつ大事なく終了した。
天気は予想が当たって夕方には雨が降り出していた。
ヴィクトル・ダルシアクはアデライド・ロジェを熟知しているわけではない。
大体の性格を知った気になっていただけだ。
それは彼の相対するどんな人間にも言えるので、特にがっかりする必要はない。
しかし、ここに来て彼は重大な懸念を抱いている。
時々エドゥアールと入れ替わって銀甲冑の中に居る彼は、ここ最近の彼女に以前との差異を感じていた。
いや本当はもっと前だ。城でのティータイムに招待した時から同じではなかった。
彼女は果たしてこのように快活な女性だったろうか、との大きな違和感と疑問は積もり続けている。
彼女の事はとても気に入っていて、無礼を働かれて腹が立っても、興が冷めたり顔も見たくないと退けたりしたくはならないし、少しも殺したくならないくらいには好意があると自覚はしている。
彼女の身内に打算はあれ、彼女本人には裏がないのも好感を持てる理由の一つだ。言動は押し付けがましくなく、人を和ませる空気を彼女は生来持っている。
一緒に過ごしてきた時間は決して多くなかったとは言え、男女交際の順序がまるで逆で多少の気まずさがあったとは言え、この先の人生を共有しても構わない無難な相手が彼女だった。
一緒にいると仄かに優しく自らの気持ちの和む相手、アデライド・ロジェ。
血の繋がった実妹よりも余程身内らしい存在だ。
そう言う面で彼女は他の煩わしいだけの令嬢達とは明らかに違っていた。
ヴィクトルは彼女との婚約そして結婚を視野に入れているが、それをまだ表明してはいない。
関係を持ってしまった責任を取ろうとしたものの、久しぶりに会ったアデライドの様子についぞ言葉に出来ずにいたのだ。
彼女は目に見えてヴィクトルへの壁を作ってしまっていたからだ。
眼差しにも声にも、以前は確かに自分へと向けられていた親しみや気安さが感じられなかった。
あの件では媚薬のせいか明確な拒絶はされなかったとは言え、いくら温厚な彼女でも腹を立てずにはいられなかったのだろう。
無防備な相手に手を出すなど最低だったとは思う。しかし後悔はない。ただ、不思議と次もそうなりたいという欲求もなかった。あるのは責任感だけだ。
だから、彼女の怒りが解けるまで、もう少し様子を見ようと思いつつ今に至る。
それが良かったのか悪かったのかはさておき彼女をよりよく観察できた。
結果、理性が危うくなる程に。
夜も更けた皇帝の執務室に悩ましい溜息が聞こえた。
「……お前は誰だ、アデライド……」
小さな呟きが落とされた。
出発の朝、私は鼻歌さえ歌いながら馬車に乗り込んだ。
ロジェ家のエントランス前には伯爵夫妻やムンム医師や男女問わず使用人達が馬車の見送りに集ってくれている。
当初はジャンヌを同行させる予定じゃなかったけど、向こうでの荷下ろしや部屋を整える所までは付き従うと譲らなかったから、私はその有難く義理堅くそしてちょっと頑なな申し出を承諾した。
世の中にどれだけ優秀な侍女がいたって、私はジャンヌが一番だーって世界の中心で叫べちゃうよ。まあそんなわけで彼女も一緒。
ヴィクトルと最後に会ってからもう半月が過ぎていた。
もう半月、されどたったの半月、二週間ちょい。
この日の私はこんなにも早く脅威から逃避できる幸運に感謝し、もうこれで出産までは安心だと信じて疑わなかった。
旅路の予定日数はとりあえず三日。
途中で宿を取りながら進む。
走行中の馬車のガタガタとした激しい振れの連続は妊婦の体には負担だろうし、通常よりも馬車速度をかなりゆっくり目にしてもらうよう事前に御者には言ってある。座席のクッションも二重にした。だからもしかすると道のコンディションによっては三日以上かかるかもしれない。
護衛の任に就いてくれるエド達の拘束期間が予想よりも長くなるわけだけど、そこは上手くシフト調整をするから五日でも十日でも大丈夫だって頼もしい返答があってホッとした。
目的地までは幾つかの街や集落を経由する。護衛はエドを含めた軍の精鋭魔法兵士三人。
因みに、エド以外の二人は帝都の道端でも会ったイケメン兵士二人でロベール・ルソーとフィリップ・シュバリエ。
二人を呼ぶ時は是非ファーストネームでって言われた。エドの事もエド呼びだし、日本でも友人の下の名前呼びは普通にしてたから抵抗なかったけど、こっちではフレンドリー過ぎるみたい。そんなわけでジャンヌからは少なくとも大勢の前ではそっちで呼ばないよう言われたっけ。
エドはギュイ隊長かギュイ卿で、ロベールはルソー卿、フィリップはシュバリエ卿ね。
エド達三人は既に馬に乗ってロジェ家前のロータリーに姿を見せている。
エドはまあ、言うまでもなく銀色だった。
「おはようギュイ卿、ルソー卿にシュバリエ卿も。道中宜しく」
馬車窓から声を掛ければロベールとフィリップはにこやかに白い歯を見せて笑ってくれた。うん、その爽やかさプライスレス。
するとエドが騎乗している馬を窓近くに寄せてきた。
「全力でお護りしますので、どうか心安らかに道中をお楽しみ下さい」
「ありがと、頼りにしてる」
今日の彼は機嫌が良いみたい。
だって、喋る。
実は今日まで、礼拝の帰りだったりにエドとは何回か街中でばったり会っていた。
銀の甲冑を着ていたりいなかったりとまちまちだったし、着ている時は普通に会話をしてくれる時と魔法文字の時があって、喉の調子でも悪いのかなって内心で首を傾げたものだった。
だけど訊いたら喉の調子は悪くないって返答があったから、きっと機嫌の良し悪しに左右されていて、魔法文字での会話時は機嫌が悪いんだろうって勝手に思う事にした。人間不機嫌だと誰とも喋りたくない時ってあるでしょ。それだね。
「それじゃあ皆、行って来ます」
ヴィクトルからの避難って事情を知っている伯爵夫妻とは、馬車に乗り込む前に十分過ぎるくらい抱き合って親愛のキスをして暫しの別れを惜しんだけど、窓から改めて別れの挨拶を告げると二人は涙ぐんだ。
見送ってくれる伯爵夫妻が「アデル~」ってハンカチを振るのにこっちまで貰い泣きしそうになった。
私とジャンヌと荷物を乗せた馬車は、エドを先頭にして二等辺三角形を描くように馬車後方にロベールとフィリップって陣形で護ってもらっている。
石畳を規則的な蹄の音が進んでいく。車窓をゆっくりと街の景色が流れていく。
彼ら三人は私が一年近く向こうに滞在するとは知らない。
教えるつもりもない。
ヴィクトルの臣下だし、むしろ知られちゃいけない相手だ。
疑念を持たれないよう荷物は出来るだけコンパクトに纏めた。必要なら向こうで買い足せばいい。それでもちょっと多いのを不審がられたら女子修道院への寄付とでも言おう。
最初エドは復路も護衛するって言ってくれたけど、帰りは女子修道院の方に頼んで諸々を手配してもらうって説明してご遠慮願った。
嘘は言ってない。
ジャンヌは彼女のすべき事をしたら帰るし、私に至ってはその時期が約一年後なだけだ。
よって彼らが私を護衛するのは実質往路だけ。
騙すようにしてごめんって気持ちがないわけじゃなかったけど、生きるためには強かさも必要なのっ赦してエド。
まあこうして保身と出産のための旅路は、晴れやかな朝から始まった。
「ちょっと大袈裟だよなあ。しばらく会えないわけでもないだろうに」
後ろに遠ざかるロジェ伯爵達をちらりと見やって、エドゥアールは兜の中で独り言ちた。
彼はアデライドが精々一泊して熱心に祈るくらいだと思っていた。
故に、トータルしてもおそらく十日に満たないだろう令嬢の不在は確かにちょっとは寂しいかもしれないが、そこまでだろうかと疑問に感じたのだ。
しかし依頼主サイドの細かな事情にまで踏み込むつもりはなかった。
それがアデライド・ロジェ伯爵令嬢なら尚更に。
何故なら、彼女の私的な事情に必要以上に詳しくなって皇帝ヴィクトルの機嫌を損ねるのは避けたい。
何しろ、この装備を主君に度々泣く泣く貸し出している彼は、腹いせに傷一つでも付けられては敵わないと思っていた。
ヴィクトルが果たしてそのような子供染みた真似をするのか、いやその程度で済むのかはとりあえず考えない。
ただ一つ、エドゥアールが任務中でも入浴中でも何でも、突然テレポート魔法で目の前に現れては装備を貸せと命令してくるのだけは心臓に悪いので止めてほしかった。せめて事前の通告をくれと彼は心底思っている。彼の鬼皇帝は臣下に早死にしてほしいのだろうかと時々大真面目に悩むエドゥアールだ。
「いつまで続くんだろこれ……禿げそ……」
彼は兜の中で一人盛大な溜息をついた。
そんな彼を心理的に追い詰めている問題は実はもう一つある。
近頃エドゥアール・ギュイのドッペルゲンガーが出る、そんな話はとっくに本人の耳にも入っている。
聞かされた当初、自分のドッペルゲンガーが出るなんて馬鹿馬鹿しいと彼は一笑に付した……りはしなかった。
何しろ、皇帝陛下の執務室で、殺気立った真紅の目を向けられて「仲良き事は善き事だな」と脈絡のない台詞をさりげなく投げ掛けられた日があったのだ。
そのさりげなさが異常だったし、発言の真意や経緯が本気でわからなかったので余計に戦慄したのを彼は覚えている。あの日も確か大事な装備一式を一時貸し出した日だった。
殺されずに執務室を出られたのは冗談抜きに良かったと大きく胸を撫で下ろした、そんな恐怖の経験をして間もなく耳に届いた件の噂だ。
『え、自分ホント死ぬの……?』
聞くなり兵舎の床にバターンとショックで倒れ込み、その場にいた仲間達から自分で自分の分身を見ない限りは大丈夫だと慰められて何とか立ち直った。
とは言え、道の角を曲がる時、部屋の扉を開ける時、実はちょっと肩に余計な力が入ってしまうエドゥアールだったりする。
一日目の道中は頻繁に休憩を入れてもらう手筈になっている。今日のペースで私の体調が平気そうなら明日はもう少し速度を上げて休憩を減らしてもいいよねえなんて考えつつ、ここまでの休憩中は少しばかり観光もした。
この世界の家屋は石や煉瓦が主流でまさにテレビで観た中世ヨーロッパの街並みそのものだから、私的には贅沢旅行だーってテンション駄々上がり。
「そろそろ出発しよっか」
私は優雅に休憩していた帝都郊外の小さな喫茶店でジャンヌにそう声を掛けた。彼女は護衛達に声を掛けに行ってくれて、私はさて馬車に戻ろうかって席から腰を上げた。
外の風に当たりたかったから喫茶店のオープンテラス席にいたし、そのまま歩けば馬車まではすぐだ。
そんな私の目の前にぬっと黒い革手袋を付けた手が差し出された。
少しだけ驚いたけど他は銀色に覆われているから、正体なんて見なくてもわかる。
「えっと、手を握れって意味?」
エドは無言でこくりと頷いた。
ああ、これはまた機嫌が悪くなったのか。
すぐ近くなんだし馬車まで手を引いてもらう必要はないのにって思ったけど、機嫌を更に損ねられても困るから大人しく手を重ねる。
でも、エドって機嫌が悪い時の方がこうやって過保護なのは何でかな。
馬車の傍まで行ったところで、ジャンヌに出発を告げられたロベールとフィリップが彼女と共に戻って来て、エドが既にいるのを見てちょっと意外そうにした。
「何だもう来てたんですか。てっきりまだ厠かと」
「隊長の馬も連れて来て正解でしたね」
にこやかに言った二人はそれぞれ騎乗して、気を利かせてロベールから手綱を受け取っていたジャンヌが私の所までエドの愛馬を引いてくる。
エドの愛馬はちょっと怖がったように嘶いて足踏みしたけど、エドが一瞥すると全てを諦めたかのように大人しくなった。
「ありがとエド」
重ねていた手を離し、ジャンヌがエドに手綱を渡そうとした矢先、何か知らないけど私は彼にこの前の街路での時みたいに抱き上げられた。
「……へ?」
目を見開く私にはお構いなしに、エドは私を横抱きにしたまんま次には魔法でふわーって浮かんでほとんど衝撃なく鞍に腰を落ち着けた。
遊園地のアトラクションでもこうはいかない。ちょっと貴重な体験だったけど彼の意図がわからないから目を白黒させるほかない。
ロベールとフィリップも驚いてちょっと目を瞠ってた。ジャンヌはジャンヌで慣れない馬の上なんて落ちでもしたら危険だわって思ってそうな顔色だったけど、銀の護衛騎士の行動に口を挟めずにいたみたいだった。
「エド……?」
――この方がいつでも護れて安心できる。
例によって光る魔法文字で目の前にそんな文言が綴られた。
――景色を楽しむならこの方が良く見えるだろう。
「それは確かにそうだけど、馬の操作し辛くない?」
エドがじっとこっちを見つめた。……兜で顔は見えないからたぶんだけど。
――そんな心配は無用だ。
「あ、そう? うーんまあそっちがいいならいいけど……」
――今日は陽気が良くて風も冷たくはないから、存分に空気や景色を堪能するといい。
「あ、うん」
だけど馬上で下手に動いてエドの手が滑ったらどうしようって不安をこっちの動きの固さから察したのか、エドは兜の正面で私を捉えたまま魔法文字を浮かべる。
――心配するな。死んでも絶対に落とさない。
死んでもって……。うわーもうこれ殺し文句じゃん。
でもさ、でも………無の境地なのって感じなぎんぎら兜で言われても全ッ然面白くて仕方ないけどっ! 向こうは大真面目なのにね!
って言うかちゃんと前見てね前っ。
「……な、ならいいけど」
笑いを堪えるのとヒヤヒヤするのとに忙しい私は、ついつい口の端っこが持ち上がるのは感謝の微笑みですわって誤魔化した感じで取り繕った。
どこかエドらしくないなあとも思いつつ、じゃあエドじゃなければこんなゴッツイ奇天烈な格好している人なんて他にいるか、いやいないって結論に至ってその思考は棚上げにした。
次に小休止した後は、エドも疲れたのか抱き上げてはこなかったから普通に馬車に乗った。
機嫌も元に戻って喋ってくれるようにもなった。
案外ずっと被っていると蒸れるのか、時々兜を外していて、中から現れたのは誰がどう見ても赤毛のエドゥアール・ギュイ隊長だったから、やっぱり度々の違和感は勘違いなんだろう。
エドって一見気難しい性格には見えないけど、人は見かけによらないっていい例だね。
その後も馬車を走らせて、日没後計画通り目標にしていたホテルに到着した。
私はジャンヌと同室で、護衛三人と年配の御者の男性は二人ずつに分かれた。
「ジャンヌ、今日はありがとう。お休み」
「はいお休みなさいませ、お嬢様。良い夢を」
「ジャンヌもね、良い夢を」
ベッドが二つ並んだ標準タイプのホテルの一室。
ホテル側で元々ベッドメイクはしてあったけど、職務熱心なのかジャンヌが更に入念に整えてくれ、私は安心して休む事ができた。
たったの一日知らない場所を旅しただけで気分がリフレッシュ。教会で思い切り愚痴ってスッキリしたなあって思ってたものの、実はまだまだ足りなかったみたい。今まで自覚なくも如何に帝都に居る間気を張ってたのかよくわかった。
こうして一日目の行程は無事に消化できた。
まあ敢えて引っ掛かった事を挙げれば、ちょっとエドが変だった時があったくらいかな。
往路二日目。
ホテルで朝食を済ませてから出発した。
今日も途中途中で休憩を挟みはするけど、一日目よりは馬車の速度を上げても問題はないなって感じた私の要請で、車窓に流れる景色の移り変わりは若干急ぎ足だ。
無言のエドから前日みたいに抱っこの馬上運送をされそうになったけど、追い剥ぎに襲われるような万一の有事の際にも円滑に対処できるよう是非とも空手の状態でいてほしい、景色を楽しむよりも修道院まで確実に護ってもらえる安心の方が重要だって切に訴えて辞退した。
エドは魔法文字で「何があっても瞬殺するから大丈夫だ」って物騒な文面をしばらく主張してたけどね。
その代わり昼食休憩中はずっと傍にいるって意思表示もしてきたっけ。でも何で交換条件?
まあそんなわけで昼食休憩中、エドは目立って仕方ない銀の甲冑を惜しげもなく周囲に披露しながら、前言通り護衛対象の私のすぐ傍をキープしている。
因みに現在、私達が居るのはレストランの店内席。
食事を手早く済ませるためにも御者を含めた六人全員で一斉に食べようって私の意向で各々椅子に座っているわけだけど、どういうわけか私だけ超特等席だった。
エドが椅子だった。
人間椅子……ッ。
エドはちゃんと椅子に座って私がそのエドの膝に乗せられているから厳密には人間椅子とは違うけど、そう言って障りない。
人間椅子on椅子=私on甲冑on椅子。
ハイこれ試験に出まーす。要暗記でーす。
相対的に座高が上がりまくった分、店のテーブルの高さが合わない。めっちゃ合わない。私はどうやって料理を食べればよろしいの?
そして誰か突っ込めホント!
特にそこっ、フィリップとピエール……じゃなかったロベール!
二人はエドに困惑しきりな目を向けている。恐れ多くて指摘が出来ないのか上官の個性だと諦めているのかは知らんっ。
イライラは胎教に良くない。もしも何かあったら私と合った目を逸らしたジャンヌと御者も同罪だかんね!
店内からは当然ながら奇異の目で見られている。ここは甘んじてさっさと食べ終えるしかない。
「……って甘んじるわけないだろーっ。私もいつまでコントやってるんだかっ。エドもふざけるのは終わり!」
やや乱暴に彼の膝から下りる時にグラスの端に手が当たって水が少し手に掛かる。
あらら、とハンカチを取り出して拭こうとすれば、目の前にスッと誰かのハンカチが差し出された。
エドのだ。
しかも何と、私がこの前ヴィクトルに巻いてあげたのと同じ蝶々柄のハンカチだ。
「気遣いありがとう。でも自分のがあるから大丈夫。エドも蝶々好きなんだ? 可愛いよねその柄、私も前まで同じの持ってたんだよ」
――蝶々にこれと言った思い入れはないが、大事な人から貰った物だから大切に使っている。
「あ、ふぅん」
そういえばそのハンカチって女物。あらやだ~エドも隅に置けないなあ~。たださ、大事な人がいるなら幾ら護衛対象と言えど意中の女以外を膝に乗せるのは如何なものか。
実はエドは自覚なしのスケコマシ?
あぁでも相手が身内って可能性もあるか。ま、詮索はしないでおこう。エドに興味はない。
後は私も普通に座って食事をした。
因みに、エドの皿はいつの間にか空になっていて、いつ食べたのか全くわからなかった。魔法で口に瞬間移動させたのかもしれない。
食後、外のベンチで一人まったりしていたら、エドが来て隣に腰を下ろした。
ジャンヌは道中のおやつを買いに、他の二人の護衛は自分達の馬を連れに、御者は定位置たる馬車の操縦席に早くもスタンバっている。
多少朝よりは雲が出てきていたものの天気は悪くなく、ジャンヌが戻り次第出発しようと思っていると、エドが魔法文字を浮かべた。
――ずっと気になっていたんだが、訊いてもいいか?
「うん、何?」
――どうして女子修道院にまでわざわざ行こうと思ったんだ?
え、今更それ訊いてくる。
無難な答えの用意があるからいいけどさ。
「俗世から一時的に離れて祈るため。あとは寄付するって目的もあるよ」
寄付の部分は貴族令嬢として尤もらしい理由だったからか、エドはそこに焦点は当てなかった。
――そこで何を祈る?
「勿論、ヴィクトル陛下の無病息災を」
ふっ、どうよこの優等生な回答は。
だけどどうした事か予想に反してそこでしばらく会話が途切れた。
「エド……? えーと何か駄目だった?」
こっちに兜正面を向けたままエドは身じろぎもしない。
そう言えばエドは私よりも彼をよく知ってるよね。
「陛下ってもしかしてそういうの嫌いなタイプ? でも勝手に祈るだけなら別に問題ないよねぇ……?」
エドは何の反応も寄越さない。そう言えば皇帝と教皇は仲が悪いらしいし、まさかの問題大あり……?
どうしよう、ここまで来て引き返しましょうなんて言われたら。
「えーとほら、帝都の教会じゃ何となく十全に集中できなくて。誰にも邪魔されずじっくり熱心に陛下の安寧を願える場所で一度そうしたいって思ったの!」
否定的な意見が返る前にと、私は畳みかけるようにしてこの素敵な理由を捲し立てた。どう、私って健気でしょ。アデライドはヴィクトルと噂があるんだし、エドもこれ以上変に勘繰る気なんて起こさずに納得してくれればいい。
ここは笑顔で押し切ろうとエドへと笑みを向けていると、ふっと気配が近付いた。
え、何? 急にどうしたの? 突発的に近眼になったとか?
妙に兜が近……いっ。
「~~~~ッたあーい!」
ズームアップする兜をキョトンとして見つめていたら、顔面にダイレクトヒットをかまされた。
ぶつかった反動でやや仰け反ってから両手で鼻を押さえて悶絶に丸まった私は、涙目で睨み付けた。
「何すんの!」
当然ながら無機質な兜面からじゃ相手の感情は窺えない。
幸い鼻血は出なかったけど、そもそも兜を近付けてきた意図がわからない。
そんなこっちの疑問を察したようにエドがようやく魔法文字を浮かべた。
――すまない。うっかりしていた。
うっかり~?
だけど故意じゃなくぶつかるって……あーそっか、なるほどね。
「いくら被り慣れてるって言っても、兜だとやっぱ細かい部分での距離感がいまいち掴めないんでしょ。まあ私もそれ被ったら絶対そうなる自信ある。ちょっと痛かったけどまあ今回はと・く・べ・つ赦してあげる」
――感謝する。
エドにしては固めの言葉が返った。
「ただし今後は気を付けてよ? 私の大事なお鼻ちゃんがぺしゃんこになったら世界の大損失だから」
「…………」
「何か突っ込んで!」
これじゃ単なる空気読めないナルシストじゃん……。
「あ、ジャンヌが戻ってきたし早いとこ出発しよう! 少しだけど風も出てきたから途中で天気が崩れるかもしれない」
気を取り直してエドに先んじてベンチから腰を上げる。
「ほら、行こう?」
友達にそうする気分で半分振り返って促した。
エドは、口元を笑みって言って良いのか微妙なラインでへらりと緩ませたこっちの顔を数秒じっと見ていたようだけど、ゆっくりと、緩慢ってよりはまさに備え持った鷹揚さって言葉がしっくりくるような動きで立ち上がった。
それにしても、さっきはこっちの顔面にぶつかるくらい顔を近付ける必要性が何かあったっけ?
私の顔に何か付いてた?
もしや食べかすでもくっ付いているのかと顔を触ってみたけど何もなさそうだった。
紳士的なエドに手を貸されて馬車に乗り込む際、添えた手を何故か一度握り込まれた。
「エド? 離してくれないと乗れないよ」
尚も手を握ったまま彼はやっぱり何も言わないでいる。
何か言いたい事があるのかもしれない。
警護の責任者として気を張っていて疲れたからもう少し休憩したいとか? それとも昼食が足りなかった?
「大丈夫? 実は具合が悪いとか?」
不審を抱くよりもちょっと心配になって見えない兜の奥を見透かすように顔を近付けて覗き込めば、否定に首を振った彼からやっと手を離されて、私は少しの安堵の色を浮かべて馬車の座席に収まった。
皆が集合して程なく出発。次の休憩までの間はエドも先頭を行っていたし会話なんてしなかったけど、休憩後は機嫌の良い時のエドに戻っていてやっと完全にホッとした。不調なわけでもなかったみたいだしね。
その日、後はもうずっと喋ってくれるエドで、二日目の行程も順調かつ大事なく終了した。
天気は予想が当たって夕方には雨が降り出していた。
ヴィクトル・ダルシアクはアデライド・ロジェを熟知しているわけではない。
大体の性格を知った気になっていただけだ。
それは彼の相対するどんな人間にも言えるので、特にがっかりする必要はない。
しかし、ここに来て彼は重大な懸念を抱いている。
時々エドゥアールと入れ替わって銀甲冑の中に居る彼は、ここ最近の彼女に以前との差異を感じていた。
いや本当はもっと前だ。城でのティータイムに招待した時から同じではなかった。
彼女は果たしてこのように快活な女性だったろうか、との大きな違和感と疑問は積もり続けている。
彼女の事はとても気に入っていて、無礼を働かれて腹が立っても、興が冷めたり顔も見たくないと退けたりしたくはならないし、少しも殺したくならないくらいには好意があると自覚はしている。
彼女の身内に打算はあれ、彼女本人には裏がないのも好感を持てる理由の一つだ。言動は押し付けがましくなく、人を和ませる空気を彼女は生来持っている。
一緒に過ごしてきた時間は決して多くなかったとは言え、男女交際の順序がまるで逆で多少の気まずさがあったとは言え、この先の人生を共有しても構わない無難な相手が彼女だった。
一緒にいると仄かに優しく自らの気持ちの和む相手、アデライド・ロジェ。
血の繋がった実妹よりも余程身内らしい存在だ。
そう言う面で彼女は他の煩わしいだけの令嬢達とは明らかに違っていた。
ヴィクトルは彼女との婚約そして結婚を視野に入れているが、それをまだ表明してはいない。
関係を持ってしまった責任を取ろうとしたものの、久しぶりに会ったアデライドの様子についぞ言葉に出来ずにいたのだ。
彼女は目に見えてヴィクトルへの壁を作ってしまっていたからだ。
眼差しにも声にも、以前は確かに自分へと向けられていた親しみや気安さが感じられなかった。
あの件では媚薬のせいか明確な拒絶はされなかったとは言え、いくら温厚な彼女でも腹を立てずにはいられなかったのだろう。
無防備な相手に手を出すなど最低だったとは思う。しかし後悔はない。ただ、不思議と次もそうなりたいという欲求もなかった。あるのは責任感だけだ。
だから、彼女の怒りが解けるまで、もう少し様子を見ようと思いつつ今に至る。
それが良かったのか悪かったのかはさておき彼女をよりよく観察できた。
結果、理性が危うくなる程に。
夜も更けた皇帝の執務室に悩ましい溜息が聞こえた。
「……お前は誰だ、アデライド……」
小さな呟きが落とされた。
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