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第5話騎士隊長の不運、愚痴れた幸運

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「ではご入り用の際は城の詰め所までご連絡下さい」
「うん、近いうち連絡すると思う。宜しくね」
「わかりました」

 そう答えたエドは「じゃあ自己紹介が必要か」と独り言を口に何と何とおお~ッ兜を外した。

 中から現れたのは、見事な赤髪の青年の顔。

 肌の張りから言って二十代。短めの髪が彼の精悍さを際立たせている。瞳は明るい青で夏の海を彷彿とさせた。ええーはい、こちらももれなく美形です。

「では改めて。レディ、某はエドゥアール・ギュイと申します。以後お見知りおきを」
「私はノア……っぽく見えて実はアデライド。ほほほ、アデライド・ロジェよ。宜しく」

 危ない危ないうっかりするとこだった。

「ああ、レディがあのロジェ家の……」
「あのって、エドは私を知ってるの?」

 アデライドの記憶にはない。

「レディは騎士団の間で何かと話題の方でしたから。某は都中警備以外に城回りの警備を担当する日もあるので、城の庭から物凄く遠目に拝見した事もありますよ。レディは度々城の方にいらしてたでしょう?」
「ああ、まあ」

 なるほど、ヴィクトルのお気に入り令嬢として予想していた以上に有名みたいね、アデライド。私が遠い目をするとエドは兜を手に持ったまま怪訝そうに男らしい太い眉を上げた。

「ところで、戦場でもないのにどうしてエドだけ兜なんて暑苦しそうなもの被ってるの?」
「ああ、それは勿論――かっっっっっちょいいからですよ! この銀ピカの重装備を朝でも昼でも夜でも夢の中でも常に人に見せびらかしたいじゃないですか!」
「あ、へえ、そうなの……」

 鼻息を荒くして鬼気迫るような熱弁を振るう程好きなのね。一見スポーツマンぽくてさっぱりした明るい感じに見えるけど、人は見た目によらない好例らしい。ちょっと個性に独特の濃さのある人だ。

「レディもこの硬派な銀の輝きかっちょいいと思いませんか?」

 硬派……って何だっけって思えてきた。
 兜に当てはまるのかよくわからず内心首を傾げていると、その困惑を嗅ぎ取ったのかエドが切なそうな顔になる。

「あ、あ~~えっとまあ、凄さは感じるよ! 何か凄いよね! ピカピカ~ッて眩しくて鏡にもなりそうだし」
「でしょう! そうでしょう! いつも丹念に磨きに磨いてますから!」
「あはは」

 ……そんな入念に毎日磨いてたら板金が薄くなって防御力が落ちそうだけど大丈夫なの?

「残念ながら主君からはガシャガシャ五月蝿いと煙たがられますけどね、はっはっはっ!」

 主君?
 あー残酷皇帝ね。まあ彼じゃなくてもそう思うんじゃないのかなー。
 隊長~、と部下達が呆れた顔でまた呼び掛けてくる。
 それに短く返事をして、エドはまたきっちり兜を被った。え、そのままでもよくない?

「それではレディ、お気を付けて」
「ああうん、そっちも」

 彼はガシャガシャと音を立てて一礼すると、通り向こうへと戻った。
 テレポートで。
 ひえーマジ……。彼は魔法騎士だったんだ。
 道理で、さっきは直前まで後ろに誰もいなかったのに唐突に背後に現れたわけだ。向こうから飛んでくれたのね。趣味に暑苦しい人だけど職務にも熱心なのね。
 エドはまだ自分達を見ていた私に気付いてか大きく手を振ってくれた。
 はは、映画の中みたいにぎんぎらした甲冑が動いてるー。

「んじゃ私達も行こうか」
「はいお嬢様」

 私は微笑んで手を振り返すとジャンヌを促して質店へと向かった。持って行った宝飾品は残らず全部換金できた。




「本日の業務報告に参りました」

 夜、城のとある一室、皇帝の執務室でエドゥアール・ギュイの慇懃に張った声が上がった。
 無論彼は全身銀ピカの甲冑姿だ。
 入浴時以外は大抵この格好だったりする。しかも就寝時もこの格好だったりするのでよく出先の宿では仰天された。ベッドに甲冑が横たわっているのだから驚かれもするだろう。

 騎士団でも変人と思われている節があったが、ほとんど皆もう慣れていた。

 それは直立する彼の向こうに坐す皇帝ヴィクトル・ダルシアクも同じだ。

 彼は現在執務机で書き物をしていた。その片手間に各担当区の騎士からの業務報告を受けていたのだ。
 甲冑からのチカチカとした反射光が眩しいだろうに眉一つ動かさないヴィクトルから促され、エドゥアールは常の如く本日あった出来事の要点だけを纏めた。
 彼の担当区ではこれと言った大きな事件事故はなかったので、改善策や解決策、問題提起の必要もなく報告は円滑かつすぐに済んだ。
 これもまたいつもの光景で、彼はそのまま退室しようとして、ふと足を止める。

「そういえば陛下、今日街の巡回中にロジェ家のご令嬢に会いましたよ」

 ピタ、と何かの書類にサインをしていたヴィクトルの手が止まった。
 互いの身じろぎや微かな息遣いまでが聞こえそうな程に奇妙な静寂が室内に満ちる。
 エドゥアールは自分が何か失言をやらかしたかと危ぶんだが、辛抱強く手に汗を握っているとややあって皇帝ヴィクトル・ダルシアクが口を開いた。

「それで、彼女は何をしていた?」
「あ、はい、侍女らしき娘と一緒に道を歩いていました」
「……」

 巡回中にいたのだからそれはそうだろう。馬と並走などしていてもびっくりだ。

「もっと具体的には?」
「転びそうになった所を助けました」

 エドゥアールは敢えて貧民の少年の件は伏せた。さもなければ明日には少年の命はないだろうと思われたからだ。彼はこのところ特にヴィクトルがアデライド・ロジェに関する事では少々過敏と言うか過保護になるのを知っていた。

「助けた? どのように?」
「横抱きです。彼女にはかすり傷一つありませんのでご安心を!」
「……横抱きにした、だと?」

 瞬間、空気がピリピリと震えるようだった。

「ええと、どうしてそんな怖い顔をなさるんですか?」

 アデライドは無事だったのだし自分は騎士としての務めを果たしただけなので、ヴィクトルが怒るとは微塵も思っていなかったエドゥアールは兜の中で目を白黒させる。
 その目がヴィクトルの手に巻かれた包帯に留まった。

「ところで陛下、その包帯はどうされたんですか?」

 昨日は都合が付かず自分ではなく部下に報告をさせたので、ヴィクトルと対面しなかった彼は怪我を知らなかった。
 急な話題転換に今度はヴィクトルの方が眉を動かして自らの視線を手の上に落とす。

「手当てをしただけだが?」
「……はい? 手当て、ですか? いつもは小さな怪我なら治癒魔法を使っていましたよね?」

 一体全体どういう風の吹き回しなのかとエドゥアールが内心首を傾げていると、ヴィクトルは小さく溜息をついた。

「手当てをした方が良いと言われたからしただけだ。このくらいの怪我でわざわざ魔法を使う必要はない」
「はあ、そうですか」

 理屈はよくわからないが、皇帝陛下だってそういう気分の時もあるのだろうと彼は自分を納得させたが、ピーンとあるふざけた考えが過ぎった。

「ああもしかしてその怪我は実は意中の相手から負わされたものだったり? あっはっはっ傷まで後生大事に取っておくなんて愛が重いですよ~? なーんて冗だ――ひいッ!」

 彼は正面から強い殺気を孕んだ紅の双眸に超絶鋭く睨まれて、自分の憶測が正解だったと悟る。

「ハイすみません申し訳ございません余計な口は慎みます!」

 瞬間的な判断で絨毯に土下座した。
 それが功を奏したのか結果的には何事もなかった。甲冑の中が血塗れにならなくて良かったと心底思ったエドゥアールだった。

「……その後彼女は?」
「はい?」
「アデライドはどうした? 他に何かあったか?」
「ああ、はい、それがですね、近いうちに馬車で近隣の街に出掛ける予定のようで、護衛を頼みたい、と。そのうち連絡が来るかと」
「そうか」

 ヴィクトルは暫し思案するように机に両肘を突いて両手を重ね、どこか思考の彼方に視線を固定する。
 その間エドゥアールはじっと動かずに待った。本音では回れ右をしたかったが、そんな事をしたら銀甲冑が紅甲冑になるのでしない。

「――エドゥアール・ギュイ」
「はっはい!」

 ヴィクトルは真剣な両目を真っ直ぐに直属の騎士の一人へと向けた。

「アデライド・ロジェ伯爵令嬢からの依頼があれば、他のどのような任務が先行してあっても、彼女の護衛を優先しろ。私が許可する。それからしかと精鋭を選んで連れていけ」
「は、はい!」
「それから、私に必ず行き先と日程を報告するように」
「はい!」
「道中彼女に傷一つ負わせるな」
「はい!」

 と、勢いよく返事をしたエドゥアールだったが、はたと我に返って蒼白になった。
 行き先や日程など、業務内容を上司たる皇帝に報告するのは義務だろうからまあわかる。
 しかし傷一つ云々とはきっちり送り届けよという旨の厳命というよりは、実際に本当に針の先程でも傷が付いたら命はないと言われているも同然だった。

「あのー陛下、話が来たら陛下ご自身が彼女に同行できるよう調整なさってはどうです? 某どもよりも余程陛下の方が実力的に護り手としては優れていますし」
「それはできない」
「ああ、陛下は多忙ですもんね」
「いや、私は会えないからだ」
「ええと……?」

 意味がわからず、エドゥアールはガシャリと金属音を立て首を傾げた。

「しばらくは私とは顔を合わせたくないらしい」
「え……」

 それは非常に悲しき「脈なし」ってやつじゃね、とエドゥアールは思ったが賢明にも口には出さない。素直な性格なのでもろに表情には同情心を出していたが、幸運な事に彼エドゥアール・ギュイは兜を被っていた。

 奇人変人との定評を得た銀の甲冑は、ここでは彼の命を救った。

「そ、それはお辛いですね陛下、直接顔を見れないなんて……。某などは意中の相手と何度も会って婚約まで漕ぎつけたんですが、いざ意を決して兜を外して会いに行ったら誰だか気付いてもらえなくて、しかも婚約解消までされたって悲しい過去がありますよ、はっはっはっ。見えていても見えてなかったってやつですかね~」
「下手な慰めは不要…………いや待て」
「陛下?」

 この時、ヴィクトルは何かに気付いたように自らの臣下をまじまじと凝視した。

 正しくは、その兜を。

 一見しただけでは誰だかわからないその甲冑姿を。

「……エドゥアール・ギュイ。一つ頼みがある」
「え、はい。何でしょう?」

 ジッと注がれているヴィクトルの赤い瞳がギラギラと光り、返事をしたもののエドゥアールは何やら嫌な予感がした。無意識が自身の足を半歩後ろに下げさせた。

 しかし……。

「――ッ!? そっそんなちょっと待っ……どどどどうか後生ですから止めて下さい陛下あああ~~~~ッ!」

 この晩、皇帝の執務室に若き青年騎士隊長の涙ながらの懇願が上がった。

 扉の外で報告の順番待ちのために待機していた一部の騎士たちは、中で何が起きているのか戦々恐々とし、最後まで誰も助けに入れなかったという。




 日程が決まるまで、当然私は帝都にあるロジェ家のタウンハウスで過ごした。

 帝都やその近隣に領地を持つ都貴族とは違って、ロジェ伯爵家は地方に領地を持つ地方貴族の一つだ。だからタウンハウスって言っても実はロジェ家の土地に建てられたものじゃない。先祖がその当時の皇帝から帝都での土地の使用許可を得て建てたもの。
 あくまでも地主は皇帝様ってわけ。
 そういう地方貴族のタウンハウスは他にも沢山あるし、余程の粗相をしない限り屋敷は打ち壊しだ接収だなんて悲劇は訪れず、半永続的にロジェ家の屋敷と思っていい。

 ただ、その余程の粗相をまさにこの私自身がやらかすかもしれないって心配はある。

 はあー、女子修道院に入るまでは気を抜けないよー。

 二度目のスリリングなお茶会からは早一週間。この間皇帝陛下からの音沙汰は一切ない。
 しばらく距離を置きたいって言ったのを理解してくれたんだと思う。
 食事もムンムの助言を元にメニューを変えてもらって部屋で一人で摂るようにしていた。ジャンヌには悪いけど彼女にも食べている間は退室してもらっている。だってねえ、メニュー変更のおかげでつわりの頻度は減ったけど、それでも全くないわけじゃない。
 食べ物を前に頻繁に吐きそうになっている姿を見られたら、医学の専門知識がなくとももしやって思うでしょ。
 使用人としての分を弁えてか、彼女の方から締め出しの理由を訊ねては来なかったけど、きっと何か自分に不手際があったのかもって不安に思ってるわよね。
 ただでさえ女子修道院には連れて行かないって言われてショックだろうに……。ロジェ伯爵に女子修道院行きの許可をもらったその日のうちにジャンヌにはハッキリとそう伝えてあった。

 真の目的を教えられないんだから当然よ。

 彼女は食い下がって一緒に行きますって訴えてきたけど、関わらせないのは彼女のためでもある。
 秘密を知らない方が、万一の時は彼女の命を護れるからね。
 だって重要情報の秘匿で私と連座なんて憂き目に遭ったら気の毒過ぎる。
 ムンムは……まあ甘んじてもらうしかない。彼の場合危険を察知して早々にどこかに身を隠すかもしれないけど、それならそれでいいし。

 まあそんな風な一週間だったけど、私は現在またもや街中に出掛けてきていた。

 昼食後、ジャンヌと馬車で一緒にね。
 念のための更なる換金とか、修道院生活で必要そうな物品を購入するのがメインだけど、彼女への埋め合わせができればなって思惑もあった。
 宝飾品はぶっちゃけそのままの品を報酬や対価として渡すって方法もあるけど、額の調整の利く貨幣と違ってそれしかないと過分な報酬になりかねないし、私の所持品だったって知ってる誰かに見られて渡した相手がトラブッても良くない。故に極力不都合が生じないよう貨幣がベストって判断したわけよ。
 あとは、保身のために教区の教会で祈ろうと思ってる。実はここ毎日私は教会通いをしている。ああ祈り足りないからとうとう修道院にまで籠るのかって周囲の貴族たちにも思ってもらえたら説得力もあるでしょ。不自然じゃないなら何か裏事情があるのかもって勘繰られる事もない。

 ともかく、私は昼日中の帝都の通りを歩いていた。

 本日の買い物の半分は終了したしどこかで休憩しようかな。因みに買い物の荷物は近くに停めた馬車に積んである。
 ジャンヌに訊ねれば近くに人気のカフェがあるって言うから、じゃあそこにしようって決めて綺麗な外装のその店舗前まで来たそんな時だった。

 往来に見え隠れする鮮やかな赤髪が視界の端に入って、気になった私は顔を向けた。

「あ、エドじゃない。エド~」

 私のプリティボイスに彼の方も気付いてこっちを見た。
 先日の部下二人も一緒だから巡回任務中なのかもしれない。

 え、でも、戦場が似合うかっちょいい銀甲冑はどうしたの?

 エドは普通に部下二人と似た様な軽めの出で立ちだ。
 言うまでもなくその方が一般受けは宜しいわね。現に通りすがる女性の視線を確実に集めている。

「誰かと思ったらレディでしたか」

 エドはフレンドリーに言いながら二人の美形部下と共に近くにきた。

「あ、そうだ、私達この店で一服するつもりなんだけど、エドたちも一緒にどう? この前のお礼も兼ねてご馳走するわ」
「ああいえ、先日の件は本当に礼には及びませんよ。それにまだ休憩時間ではありませんので、申し訳ないですがお気持ちだけで。……許可なくレディとお茶なんてしたら降格どころか地に落ちますよ……首が」

 最後の部分はよく聞き取れなかったけど、何かエドの顔色が悪くなったような気がする。
 まあこっちだってしつこくするつもりはないし、確かに勤務中は駄目だよね。そんな真面目なエドには好感が持てる。

「そっか、仕事熱心だしエドはやっぱり騎士の鑑ね」
「恐縮です」
「ところで今日は兜じゃないんだ」
「ええ……まあ……すいません」

 兜って単語を口にした瞬間、彼は急に大きく両肩を落として項垂れた。意気消沈も甚だしい。

「え? 何? 別に私エドが奇天烈人間じゃないのを責めてるわけじゃないよ。落ち込まないで。人間そんな気分の日だってあるよねそりゃ」
「ええ、ハハハ、そうですね……」

 奇天烈人間って部分で部下二人が小さく苦笑いした。やっぱり彼のぎんぎらした重装備は彼らから見てもかなり浮いているらしい。
 もしかしたら専門の整備とかクリーニングに出さないといけなくて手元にないのかもしれない。例えば小さな子がお気に入りのぬいぐるみと離れるのを泣いて嫌がるけど結局は洗濯されちゃって落ち込むようなものかも。

「それではレディ、巡回の途中なので某達はこれで失礼します……」
「あ、ああうんそれじゃね」

 先日とはまるで別人の儚さでトボトボと歩き出したエドが、何もないのにつまずいてよろめいた。慌てた部下達が彼を両脇から支えて転ばずには済んだみたいだけど、うーんあれで街の治安を護れるの?
 ぶっちゃけあの貧民の少年の蹴りでも倒れそうでしょあれ。
 まあ私に出来る事はないだろうし、後はジャンヌと一緒に傍のカフェに入って一休みした。




 格調高く清潔で落ち着いた雰囲気の店内は鮮やかで優雅なドレス姿の令嬢で溢れていた。さすがは帝都の淑女の一押しって言われている店だ。
 侍女達はそれぞれが主人のすぐ近くに立って待機している。まあこれが上流社会じゃ普通の光景よね。

 正直、私はつわりの不安の中何かを食べるよりも本当に体を休めたくて入った。

 何も頼まないわけにはいかないから頼むけど、仮にたまたま相性が良くて食べれたとしても一人で食べても味気ない。根本的に友人たちとシェアして楽しく食べるのが好きだし、娯楽を共有したい相手と共有する、それが普通の環境で育ったからここの徹底した階級概念にはまだまだやっぱり違和感が拭えない。
 だからややお高い個室を取ってジャンヌが人目を気にしなくていいようにした。個室だとゆっくり寛げるしね。
 そうして入って席を勧めれば彼女は当然拒んだけど、勝手に二人分注文しちゃえば結局は観念したようで大人しく椅子に座った。
 幸い運ばれてきたスイーツはセーフだった。
 無理だったらジャンヌにあげようと思ってたけど、爽やかな酸味のあるベリー系と柑橘系のタルトだったからかな。

「タルト美味しかったね」
「そうですね。もうお嬢様には感謝感謝の大感謝で一生の思い出です!」
「そんな大袈裟な……」

 店を出てジャンヌと雑談しながら馬車まで歩いていた私が肩越しに嬉しい苦笑を向けていると、こっちの前方不注意で誰かにぶつかった。

「わっ、すいません!」

 咄嗟に前を向いたものの、視界一面がどこかで見た事のある銀色の素材だった。
 顔を上げれば……ザ・兜!

「エドか~。びっくりしたあ」

 あはは何よ結局は着てるし。
 てっきりさっきの様子からホームシックならぬ甲冑シックかって思っちゃったけど手元にあったんじゃない。全くもう、紛らわしくめそめそしちゃってね。

「こんな所でどうしたの? 部下の二人は? ああ、もしかしてようやく休憩に入ったとか?」

 だから一人なのかも。
 そう思っていると、向こうは何を思ったかいきなり私を抱き上げた。
 横抱きってやつで。

「え? は? ちょっと何?」

 ジャンヌも目を白黒させ衆目も集まる中、エドは無言で歩き出す。
 ううん無言かと思ったら予想外にも目の前に魔法の文字が浮かんできた。

 ――何があるとも限らないから馬車まで運ぶ。

 普通に喋ればいいのにわざわざ空中に光る文字を書いて意思表示する意図がわからないけど、こんな魔法もあるんだって知った。まあそれよりも下ろしてもらいたい。

「ええと、護衛はまだ少し先の話だし、そもそも馬車はすぐそこだから」

 すぐそこ、とほんの目と鼻の先に停車中の馬車を指差すと、彼は潔く足を止めた。
 だけど私を姫抱っこしたまま動かない。バツが悪くなったのかしばしの無言が流れた。

「あの、エド……? 厚意は有難いんだけど、本当にこの馬車だから下ろしてくれない?」

 また私が誰かに体当たりされそうになるかもしれないと心配して、わざわざ休憩時間に一人で戻ってくれたの? 良い兜ううん良い人ね。
 感謝の念を抱いているとエドはゆっくりと丁寧に下ろしてくれた。
 私はちょっと微笑んでやってからそんな感謝の念を表現しようとエドの革手袋の両手を取ってぎゅっと握る。この前は手まで甲冑セットの籠手を嵌めていたけど、今日は嵌めていないみたい。

「心配してくれてどうもありがとう。何度も言うけどエドは騎士の鑑よね!」

 彼からはうんともすんともなく魔法文字を浮かべるなんて事もなかったけど、私は手を放すとジャンヌを促して馬車に乗り込んだ。
 その間、馬車に乗り込むのを補助するように横で手を差し出したりもせず、やっぱり銀の騎士は置き物のようにじっとして動かなかった。正直ちょっと無反応過ぎて怪訝には思った。
 まるで放心してるみたいって思ったのは否定しない。
 でもエドが放心する理由なんて思い付かないからこっちの気のせいだろう。

「えっとじゃあねエド。護衛の件はそのうち正式に連絡するから、その時は是非とも宜しく頼むわ」

 馬車の窓から声を掛けると、兜の中でハッとしたようにガシャガシャと金属音を立ててようやくエドが反応らしい反応を見せて頷いてくれた。
 何となく動きが甲冑に慣れない人みたいにぎこちない。オズの魔法使いのブリキ人形ってこんな感じかもなんて思ったらちょっと可笑しさが込み上げた。
 馬車が動き出し、含み笑って手を振る視界の中、甲冑姿が横に流れていく。
 馬車の後ろの小窓を振り返ってみれば、見送ってくれているのか彼はじっとしてそこに佇んでいた。




 馬車が通りの角を曲がって消えた頃、甲冑の中でくぐもった呟きが落とされる。

「……彼女が手をぎゅっと握ってきた……二度も親しげに微笑み掛けてきた……しかも愛称呼びしてもらっているだと? エドゥアール・ギュイ……!」

 銀の騎士の足元からゆらりと立ち込めるのは怒気が熱に変じたための陽炎か。
 無自覚ジェラシーが板金を溶かすかもしれなかったそんな時。

「あれ? ギュイ隊長?」

 通りの先から甲冑に声を掛けたのは、騎士の制服と簡単な装備を身に付けたエドゥアールの部下の一人だ。因みに先程エドゥアールといた二人とはまた別の男性騎士である。
 銀の重装備の人間など、この街では彼以外にはいない。だからその若い騎士は自らの上官だと思ったのだ。そしてそれは最早他の騎士達の誰しもがそう思って疑わない共通認識にもなっていた。

 しかし何の反応もなく、銀の騎士はその場からふっと姿を掻き消した。

 瞬間移動の魔法だ。

「隊長……? あれ~? 聞こえなかったのかな」

 騎士はポリポリと頭を掻いた。
 直後、

「――おーい、道の真ん中に突っ立ってどうかしたのか?」

 突然の背後からの声に、その騎士は凍り付く。

「え……え!?」

 恐る恐る振り返って目を見開き、見る間に顔色を青くすると声を震わせる。

「た、隊長……ど、どうしてそこに……?」
「ん? 何かあったのか?」
「だって、たった今あそこに……」

 皆まで言い掛けて、その騎士は悪夢を追い払うかのように頭をブンブンと振ると「自分、き、急な用事を思い出したんで!」と半ば叫ぶように言って目にも止まらぬ速さでダッシュしていった。しかも「そういやさっきのは随分と儚げに消えた気がする。ゆらりって生きてる人間じゃない感じで消えた気がする。何だったんだよあれは~ッ」と泣きそうな顔をしての台詞が尾を引いていた。

「え、何どういう事? お化けでも見た様な顔してたけど?」

 先の部下二人と共に通りに突っ立つエドゥアールは、不可解そうに首を傾げるほかなかった。

 その日、騎士たちの間ではエドゥアール・ギュイのドッペルゲンガーが出たという話がまことしやかに囁かれたという。






 エドと別れた後は、私はジャンヌと二人、日課になりつつある教区教会へと礼拝に来ていた。
 常時帝都の民にこの礼拝堂は開かれているとは言え、このところの連日の礼拝通いにこの教会のお爺ちゃん、こほん、ベテラン司教のヨハネさんは相好を崩して歓迎を表してくれた。
 彼とはこの一週間足らずでもう三回は顔を合わせていた。

「今日もお越しですね。どうぞ心行くまで祈りを捧げて行かれるが宜しいでしょう。もしもどうしても心に不安や引っ掛かるものがおありなら、あちらには告解部屋もありますので、必要ならば重荷を下ろして行かれると宜しいですよ」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます」

 ヨハネ司教にジャンヌと軽く会釈して、ちらほらと祈る人が座る礼拝堂の前の方に歩いて行き適当な長椅子に腰を落ち着ける。
 周りに倣ってしばし大人しく祈るポーズを見せてから、ふと私はついさっき司教が口にしていた告解部屋とやらが気になった。
 別に懺悔する程の後悔や罪を犯したわけじゃないけど、誰にも言えない不安があった。
 そんな心情を誰かに聞いて欲しかった私は、ジャンヌに断ってその部屋へと向かった。偶然にも私の前には誰もいなかったようで、待たずにあっさり告解部屋へと入れたわ。とても狭い一人が座れるだけの一室で、隣の部屋に私の話を聞いてくれる誰か教会関係者が座るのを少し待った。多分誰かが入ると彼らに知らせるような仕組みになってるんだと思う。

 程なくして人の気配が現れて、次には穏やかな美声が舞い降りた。

 うんそう、舞い降りるって表現がぴったりな柔らかな声だった。あのヨハネ司教じゃなくて若手なんだわ。こっちの姿はほとんど見えないようになってるし、話し手の素性は仮に常連さんとかでわかっていたとしても知らぬふりまたは詮索しないってのがこの告解部屋のルールだ。あと、ここでだけのこれっきりの話だからこそ皆心置きなく激白していけるのよね。きっと日々ここには陰から半分顔を覗かせた家政婦が見ちゃう以上にショッキングな話が溢れてるんだろう。

「どうぞ楽にしてお話し下さい」

 美声から優しく促され、私はちょっと安心してしまった。ずっと生きるか死ぬか秘密がバレるか否かで気を張っていたせいもある。呑気に昼寝のできた日本じゃこんなギリギリ生活なんて考えられなくて、気が参っていたって言われればそうかもしれない。
 慈悲深い神の使徒ってだけじゃなく、加えて、偶然にもヨハネ司教でもなく見ず知らずの関係ない相手だからこそ吐露できるって部分もあった。開始の覚悟のようにすぅと空気を吸い込む。

「実は、あの、私……、私……っ、ホントはもう全部投げ出してここから逃げ出したいんです。だって命は危ないかもだし慣れない人と環境と文化でほとほと疲れたし、護らないといけない命もあって、だけどそれは私の保身のためでもあって、それに見捨てられなくて、だけど、本当はどうして私がこんな目にって憤りもあって……って、頭の中ごちゃごちゃなんです。もうホント、カラオケでストレス解消したいっ。でもここにはカラオケなんてないし、娯楽も私の習慣とは合わないのばっかだし、泣きたいくらいに辛いんです」

 一気に愚痴ったら本当に涙が滲んできて目尻を拭って鼻を啜った。この世界の人にはわからない単語もあったとは思うけどこの際そこはどう思われても構わない。私はとにかく思い切り愚痴りたかった。
 私のマシンガン愚痴トークがまだ続くと察してか相手は黙って先を促すようにしている。サンキューサンキューじゃあ遠慮なく愚痴るわね。

「ここには向こうの友達だって一人もいないし、作ろうにも記憶によると私の周りの貴族令嬢たちは胸糞悪い子が多いっぽいし、あんまり入浴の習慣がないのか拭くだけじゃ限界があって臭いみたいで、それを香水で誤魔化してるんだろうけど付け過ぎでむしろ臭いようだし、無駄に化粧はケバいし、私を媚薬で嵌めた子たちに復讐も兼ねてビンタなら張り切ってやってやるけどオホホって笑ってご機嫌ようなんて悪事をなかった事にして迎合するのは冗談抜きに無理っ。皇帝は皇帝で怖いしもうなのよこの信じられない窮屈な世界はーっっ……こほん、少しばかりスッキリしました。ご静聴ありがとうございました」

 一人清々した気分で席を立って出ようとすると、隣りからくすりとした笑いが聞こえた。

「ああ、申し訳ありません。つい堪えきれなくて。あなたのような方は初めてでしたので。けれど、気が楽になったのでしたら何よりですね。これも主のお導き。もしまた必要になった際はどうぞ遠慮なくいらして下さい。いつでもお待ちしておりますよ」
「ええ、ええ、ありがとうございます神父様!」

 なーんて答えたけどたぶん次はないかなー。ほぼ吐き出してスッキリ精神の便秘は解消したから当分必要ないし、溜まる頃には女子修道院に籠っちゃうだろうからね……とか思いつつ退室する前に改めてお礼と挨拶を口にして、私は小部屋を後にした。そうして祈って待っていてくれたジャンヌと共に教会を出た。

 一方、告解部屋の聖職者用の一室から出た人物は、余韻のような可笑しみを胸に穏やかな微笑を湛えていた。
 ふとその表情が消え思案の色を宿す。

「……彼女が、ヴィクトル・ダルシアク皇帝ご執心と噂の令嬢か。見た目とのギャップが中々……。それに何だか気配が……」
「どうかされましたかな、ミシェル様。先程の告解者が何か不愉快を?」
「ああ、これはヨハネ司教。そういうわけではないよ。面白い令嬢だなあ、と」
「面白い? 生真面目とか敬虔な、ではなく?」

 この地域の教区長でもある老司教が心配そうな眼差しを薄めて怪訝そうにする。彼は帝都でこの青年司教を支える一柱だ。
 帝都は広大で人口も多いため三つの教区に分かれていて、ヨハネ司教はその一つで帝都西側一体を管轄する教会の教区長だ。
 皇帝の宮城を含む帝都中央部の教区は、同じくそこに建つ中央教会在住の教皇が直々に管轄する。
 そして、ミシェルはその中央教会の人間だ。今日はその彼がふらりと急に現れて、老司教は初め内心あたふたとして応対したものだった。
 普通は他の教区教会にアポもなくやってくるなど考えられないのだ。
 だからと言って追い返す事もできずヨハネ司教は諦めた。なるようにしかならないだろう、と。
 日々の業務をこなしていると、たまたまとある令嬢が目に付いて実はここ連日礼拝に訪れている感心な令嬢なのだと世間話として彼に話した。
 令嬢に告解部屋の話をしてやったのは意図したものではない。しかし彼女は何と狙ったように告解部屋へと足を運んだ。
 そこでこの目の前の青年司教が自分が対応すると言い出して今に至る。
 まさか、彼自らが話を聞きにあの小さな部屋に入るとは思いもしていなかったヨハネは、意外過ぎて驚いていた。
 嘘ではなく、彼が単なる令嬢一人を気にするとは思ってもいなかったのだ。

 多忙なくせにふらりと神出鬼没に現れる、教皇の右腕と言われるこの青年司教――ミシェル・フロイスが個人的に興味を持つなど。

 彼は孤児院にいた幼い時分にその力を開花させ、教会に迎え入れられた後、自らの才知と破格な聖なる魔法力、組織を纏める手腕そしてその美貌によって二十代と若くして今の地位まで上り詰めた男だ。皇帝ヴィクトルと同じく決して侮れない強かさを秘めている。
 国の内外には美貌の司教として知られるそんな彼は、時々自らの公務をサボって他の聖職者の仕事を肩代わりしたり横取りしたりする悪癖と言える気質があった。本人は楽しんでやっているようだが、周りからしたら頭痛の種だ。しかし彼自身の仕事は気付けばきっちり綺麗にこなしているのだから、周囲は中々文句を言えないでいる。
 ヴィクトル同様に高い魔法能力を有する彼は、世界に退屈を感じる時があり、だから何か退屈しのぎを探しにほっつき歩く。

「レディ・ロジェ、か。あの子秘密が沢山ありそうで胡散臭かったなあ。でも思ってもみなかった楽しい出会いだったよ」

 また会いたいものだね、と上機嫌に小さく笑むと、ミシェルはヨハネに帰る旨を告げてさっさと帰った。老司教が大いに胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。




 程なく、女子修道院から長期滞在の許可が貰えた私は、荷物や諸々の準備をしっかり整えとうとう念願の出発の日を迎えた。
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