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第8話やっと到着女子修道院

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「この子雨で体冷えてるだろうから温かくしてやらないと。あ、そうだ馬車に毛布積んであったわよね」

 私が馬車に急いで戻ろうとすると、制止するように前方に魔法文字が浮かんだ。

 ――温めるだけならすぐにできる。

「え、どういう意味?」

 レンジでチンじゃあるまいし。
 問いの答えはすぐに示された。頬に温かな風を感じたと思えば、その風が子供の全身を包み込む。

「もしかしなくてもこれって魔法?」

 ――そうだ。濡れた服も乾く。

 ほあー、魔法って便利~。目を丸くして感心しきりの私はハタと思い付く。

「どうせなら治癒魔法とか使えないの?」

 ああでも、使えるならとっくに使ってるか。私の知ってるファンタジーものでも治癒の魔法は聖魔法とか白魔法とか光魔法なんて呼ばれる類の特殊な魔法だったりするし、この世界でもその手の魔法には稀有な才能が必要なのかも。

 ――無論使える。

 使えるんかいっ!

 ――望むなら施すが、病は治らない。

「え? 治癒魔法って病気や怪我が治るから治癒魔法って言うんじゃないの?」

 ――外傷ならすぐに回復するが、体内バランスを整えるような安静が必要な場合や、中毒や伝染病など根本を取り除く必要のある場合は、いくら使っても一時的に気分が良くなるだけで、すぐにまた元の状態に戻るから意味がない。

「それって内患の治療は医学的な方法じゃないと駄目って意味?」

 エドは小さく頷いた。

 ――解毒や病気の治療は薬もしくは祈りの魔法が必要で、そういう魔法は得てして司教位辺りの高位聖職者の領域だ。ただ、一般的にはまだあまり治癒魔法と祈り魔法の区別はされていないようだが。

「へえ、知らなかった……」

 そっか、治癒魔法は物理的な傷専門。祈り魔法は内患専門なのね。そんな事思ってもみなかった。

「じゃあその子は近場で言うなら女子修道院に連れて行けばいいの? そこなら祈り手はいそうよね」

 ――病気を治せる程の祈り魔法の実力者はいないだろう。そういう者は帝都にしか基本いない。この街にも医院があるはずだ。そこに行った方がいい。

 すると体が温まったおかげか男の子が目を覚ました。
 彼は抱っこしてくれている銀甲冑を見て石になったみたいに固まった。それから涙目になると蚊の鳴くような声を出す。

「う……あ……助けて……ください」
「あ、えーと大丈夫なのよこの人は。あなたの体を温めてくれたの。寒くないでしょ? だからね、怖くなーい怖くなーい」
「え……あ……」

 男の子は私にも気付いて不安そうにじっとこっちを見つめてくると、無害だと思ったのかようやく怖がるのをやめた。にこーって笑顔を作ったのが良かったみたい。
 ぬくぬくしたからか彼は夢でも見ているようにその場にいる私たち全員を一度不思議そうに眺めてから、もう一度私と目を合わせて「めがみさま……」って舌足らずっぽくむにょむにょ言いながら熱が高いのか気を失った。

「どっどうしよう、どこの子かはわからないけど早く医者に連れてかないと! エド、この子を運んでもらってもいい?」

 エドは頷いたけど「その前にその怪我の手当てを」って魔法文字が浮かんだ。

「怪我って……ああこれ? 大丈夫よこれくらい。放っておいてもすぐに治るわ」

 私の手の甲の小さな引っ掻き傷は赤く筋にはなっていたけどごく浅い。気にしないでいたらそのうち治ってるレベルね。

「駄目ですお嬢様! ばい菌入ったらどうするんですか。手当てしてからです!」
「いやいや平気だってば」
「過信は駄目です。先に手当てしてからです!!」
「えー、擦り傷切り傷なんて日常茶飯事なエドからも過保護だって言ってやって?」

 ――とても良い侍女を持ったな。手当てを。

「……ああ言い出しっぺはあなただったわね」

 ジャンヌは引き下がらないしエドもエドだわ。
 この二人って時々妙に押しが強いのよね。無言の時のエドなんて特にどこかのヴィクトル様に通じるものがある。主従は似るのかしらねー。
 エドの突然の出現にびっくりしていたロベールとフィリップは依然口を挟まない。
 こりゃ助け舟は期待できないなと一人辟易としていると、エドが男の子をロベールに預けて前方に回り込んできた。

「エド……?」

 困惑していると、彼から引っ掻き傷のある方の手を握られた。

 ――痛むだろう?

「まあそりゃあ触ればね。何よう、治癒魔法でも使ってくれるの?」

 ちょっと揶揄からかうように言ってやれば、あっさり頷かれた。

 ――しかしいいのか?

「え……? まあ駄目じゃないけど、そんな風な念押しされると心配になっちゃうわ。もしや治癒魔法って副反応があるとか?」

 ――いや。ない。

 するとエドが跪いた。こっちの手を握ったまま私を見上げるようにする。

 ――お前の了承なく勝手にはできないと思ったからだ。

「はい……?」

 エドに立ち上がる様子はない。
 こんな図って……まるでプロポーズされてるみたいなんだけど。
 周囲に助けを求めれば、ジャンヌは呆気に取られていたしフィリップとロベールに至っては何かを予期したように蒼白になっている。
 エドからは余所見をするなとばかりに手を小さく引っ張られた。

 ――本当に、お前に私の魔法を使ってもいいのか?

「別に駄目な事はないけど、それ以前にこれまでだって体浮かせたりしてこっちの許可なく使ってたじゃない、何を今更……」

 呆れているとエドは左右に首を振った。

 ――浮かせるような表面的な魔法とは異なり、治癒魔法は相手の体にこちらの魔力がより深く入り込む。一時的に互いの呼吸というか波長を揃えるようなものだから……もしも嫌ならしない。

「あ、そうなの? 魔力が深く入り込むって感覚がイマイチよくわからないけど、治してもらえるんなら全然嫌じゃないし、むしろラッキーって感じ?」

 おそろで甲冑着よって言われたらそりゃ嫌だけど。
 エドは何を思ってか、こっちの指先に兜をくっ付けた。
 素顔だったらたぶん口があるだろうとこら辺を。

「「たたた隊長おおおーッッ!?」」

 指先にキスするみたいにしたエドを見てフィリップとロベールが息ピッタリに素っ頓狂な声を上げた。ただ聞きようによっちゃ恐怖の悲鳴に聞こえなくもなかった。

「ぼ、僕は何も見なかった」

 とはフィリップで、

「命惜しくないんすか隊長……っ」

 とロベールが絶望したような声を出す。

「きゃ~っ、まっまさかのトライアングル!?」

 他方、ジャンヌが頬を染めて傘を取り落としそうになっている。三角形がどうかしたの?
 全く、この変人隊長は兜を何かにくっ付けるのが好きなの? この前は顔面アタックしてきたし。あれも本当はうっかりぶつかったんじゃなくて単にくっ付けたかったの? いつも磨きに磨いてる我が銀甲冑表面の滑らかさをとくと味わえって感じで。だけどいいのかな、私の皮脂で白く曇っちゃうわよ?

 ――それでは治癒魔法をかけるぞ。

「え、ああうん、よろしく」

 兜を離したエドからの宣言に何となく緊張して待っていると、握られた指先から心地良い温かさが伝わってきた。
 手の甲を見ていると傷が薄くなっていく。
 その間、その温かい何かが腕から肩、そして体全体に広がっていって、皮膚から体内に浸透していくようなそんな感じがした。温泉で温まるのと似てる。
 これが魔力の浸透? 波長合わせ?

 でも何となく、薄らこんな風にも思った。

 体のコンディションを探られているって。

 そこに思い至った瞬間、反射的に相手の手を振り払っていた。

 これ以上は駄目だ。

 もっと奥まで行かれたら、妊娠がバレる。

 エドが知ったら彼の主君が知るのも時間の問題だわ。
 城での時みたいに、相手を拒絶した拍子に静電気みたいなのがバチッと走ったりしなかったのは幸いだった。もし同じ現象が起きてたら善意のエドの手を血塗れにしていたかもしれない。
 エドはしばし固まったように動きを見せなかった。

「あ……、ごめんなさいエド!」

 ハッと我に返って謝罪すれば向こうも正気に返ったのか、ゆっくり立ち上がった。

「えっとほら治癒魔法って初体験でちょっとびっくりしちゃって。でもあれ? 中途半端だったのに傷が治ってる……!」

 ――表面のほんの浅い傷だったから少しのシンクロでも治ったのだろう。

「そうなんだ。乱暴にしちゃってホントにごめんね。やっぱりびっくりしちゃってその。だけどありがとう」

 少しの罪悪感を胸に彼の手を握って心から感謝の笑みを浮かべれば、エドはまた顔面アタックをかましてきそうになったから、咄嗟に手を突っ張って阻止してやった。

「こっこの甲冑とても良い音がするし、きっとかなり良い金属ね!」
「…………」

 コンコンと甲冑表面を指関節で叩いて誤魔化した。以後はもうエドが急な行動を取る事もなく、私たちは馬車のある所まで戻る事にした。




 結局、男の子はロベールが街医者に連れて行く運びになった。医院はたまたま同じ通りにあったみたいで、すぐそこだし急ぎ子供を置いて合流するって言ってたわ。
 余談だけどエドから魔法で強制的に馬車前に戻された御者は気の毒なくらいに目を白黒とさせていた。

「あの子大した事ないといいけど。何はともあれ、運良く発見できて良かったわよね」
「そうですね」

 子供を抱いて颯爽と走っていくロベールを見送りながら、どうして公園の変な場所で倒れていたのか機会があれば話を聞いてみたいと思った。

「そう言えば街の状況はどうだったの?」

 ふと思い出してエドに問い掛けると無言と言うより沈黙って表現するのが適当な間が返ってきた。

「あらあ~、実は店を回ってないんじゃないの~?」

 返るのはまた沈黙のみ。
 え……まさかホントにそうだったりするの? 

「あ、えーと、そうよね、こっちに来てくれたんだし、回ってる時間なんてなかったわよね」

 どことなく気まずい空気になり掛けた時、見かねたらしい御者がエドの代わりに答えをくれた。

「大半はやはり売り切れや品薄でした。買い物客には柄の悪そうな客がどこの店舗にもいましたし、店側はそれが気掛かりなようでしたが、代金はしっかり払って行くようなので売らないわけにも行かないようでした」
「ふうん、冗談抜きにここってそういう人の多い土地柄なのかしら」
「ああいえ、こっそり訊いてみましたら、地元民ではなくここ最近訪れるようになった者たちなのだとか。出来合いの惣菜などを沢山購入していくので近隣なのは確かでしょうが、どこから来ているのかはわからないそうです。より詳しくその話を聞けそうなところでここに戻されてしまいましたが」
「あ、そうだったのね。でもご苦労様」
「いえ」

 ふむむ、代金を踏み倒したとかならまさに帝国騎士の出番だろうけど、揉めたりもせず正規に購入しているだけなら何も言えないわよね。
 だけど、人相の悪い人たちは同じ集団と思って良さそう。何かしらの問題のある人たちなのかしら……ってそうよ、公園で具合の悪い子が一人で倒れている時点でこの街の治安が心配だわ。このまま修道院に籠るのが不安になってくる。
 そんな事を考えていると、

「お待たせっしたー!」

 何と早くもロベールが跳び跳ねるような勢いで戻ってきた。

「あの子を宜しくって念押ししてきましたよ。あと治療費はうちの隊長に請求するようにって」
「え、それなら私が出すのに。ごめんなさいエド、請求きたらうちに回してね」

 エドは不愉快になったのか無言。原因のロベールは空気を読まずに更に話を続けた。

「ああそうそう、医者があの子を知ってて、今は母親共々そこの女子修道院に住み込んで面倒見てもらってるらしいですよ」
「女子修道院? ならどうして公園に……?」
「さあ、そこは俺にもわからないっす」

 悩んだようにしているとガシャガシャと甲冑音が聞こえた。出所に目を向けるとエドの魔法文字が既に浮かんでいる。

 ――急で悪いが外れる。いいか?

「あ、はい、どうぞ」

 ――出来るだけすぐに戻る。

 了解の返事をする前にエドは手を伸ばして私の頬をするりと撫でるとテレポートした。余程急ぎの用事なのね。
 ちょっと赤くなったジャンヌがこほんと咳払いした。

「お嬢様、とりあえず馬車に乗りましょう」
「そうね。雨だしね」

 全く、喋る時と無口な時の差が激しいのよエドは。ジャンヌが赤くなったのも頷ける。最後の仕種なんて恋人にするみたいだったからうっかりちょっと照れたし!

「あれ、ところでフィリップは?」

 着席してふんと一つ鼻息を荒くした所で、馬車の周りからいつの間にかフィリップの姿もなくなっているのに気付いた。
 傘を畳んだジャンヌも乗り込みがてら小首を傾げる。

「あら本当ですね。どこに行ったのでしょうか」
「ああ多分あいつは用足しっすよ。何か結構切羽詰まってたみたいで、今さっき三分で戻るって焦って駆けて行きましたから。けどまるでお化けでも見たような顔してましたっけ、ハハハハ」

 気さくだけど案外図太い性格のロベールは「多分隊長も同じじゃないすかー?」なんて明るくデリカシーなく笑い飛ばした。
 ジャンヌが気恥ずかしそうにする。
 その後、有言実行の士なのかフィリップは三分で戻ってきた。
 驚いた事に、彼は赤毛を晒した甲冑なしのエドを伴ってもいた。

「エドったらずぶ濡れじゃない。甲冑とローブはどうしたの?」

 戻ってきた彼は、雨避けローブを脱いだにしろ小雨の中ものの数分でここまで濡れるかってくらいに水を滴らせていた。
 まるでずっと外で雨を浴びてたみたい。甲冑は扱いに慣れればこの数分で着脱可能なのかもしれないけど、その濡れ鼠さは不可解だわ。

「そもそもあんなでっかい荷物どこに置いてきたの?」
「あーええと、一旦魔法で仕舞いました。雨で錆びるのも切ないんで!」

 今まで散々雨の中でも平気そうにしてたのに今更?

「まあいいけども、傘も差さないで何やってるの。風邪引くわよ? 治癒魔法じゃ病気は治せないのに」
「心配御無用です。某今まで一度だって風邪引いたためしはないですから!」

 あーそれって馬鹿は風邪引かないってやつ?
 物凄く失礼な事を考えていると、エドは「ちょっと替えのローブ出してきますね」って離れた。さっきあの子にやったみたいに魔法で服を乾かせばいいんじゃないの?
 疑問に眉を上げていると、フィリップがしみじみとして溜息をつく。

「隊長は熱が四十度あっても今日は妙に汗ばむ日だって言いながら出勤して来る人なので、基本自分が風邪だって気付いてないんですよね」
「へえ……」

 やっぱ馬鹿なんだわ。
 カッコ良かったさっきとのギャップがホント半端ないわねエドは。

「隊長ってリスペクトに値する人ですけど、面白いくらいに幸薄いっすよね」

 ロベールがからからと笑って言った。
 同意するけどごめんなさいって感じの苦笑を薄く浮かべたフィリップが、雨の公園の向こうに黒っぽく見える女子修道院へと目を向ける。

「ロジェ嬢、出発しますか?」
「そうね。あの子ももう安心だし」

 目を戻して問われた問いに私は頷きを返した。

「あの子って?」

 馬に括った自分の荷物から予備の乾いたローブを出して手早く羽織ったエドが不思議そうな顔を向けてくる。

「さっき医院に運んだ子よ」
「医院!?」

 エドは目を見開いた。

「どうして驚くのよ。エドが抱き上げて温めてあげてたじゃないの」
「え……?」
「たたっ隊長ちょっとこちらに! あのっロジェ嬢、少し失礼しても宜しいですか?」
「へ? ああ、どうぞ」

 エドがフィリップに腕を引っ張られて道の端まで連れて行かれた。
 しばし二人で何やら話してるけど、一体何かしら?
 ロベールも疑問符を浮かべて二人を見ていたけど、程なく戻ってきた二人が何でもなかったみたいな顔で出発を促してきたから、雨の中話を引き延ばすのも何となく気が引けてそのままにした。

 あとはもう寄り道はせず、公園をぐるりと回って程なく私たちは女子修道院門前に到着した。

 高い塀で囲まれた大きな入口の門扉は閉ざされていた。
 来訪者はおそらく覗き窓越しに門番へと来訪の目的を告げてそして許可が出れば入れるって感じかしら。
 手間だけど、この国じゃ礼拝をやったりする開放的な教会と違って修道院ってのはある種独特な閉鎖的場所で、誰でも自由に入れたりはしない。規則に縛られて禁欲的な面が強いのも人をどこか近寄り難くさせる要因だって私は思う。だからこそ私みたいなワケありの秘密が守られる。
 覗き窓から滞在許可証を確認してもらうと、どうぞお入り下さいって感じで重そうな門扉は軋み音と共に開かれた。

 だけど門を入る前に私は一度馬車を降りた。エドたちにお礼を述べるために。

 正式な許可なくして帝国騎士たる彼らは女子修道院の敷地には入れない。無理を通せばいざこざの火種になりかねない。
 だからここでお別れ。
 私は一緒に下車したジャンヌと並んで騎士たちの前に立った。

「ここまで本当にどうもありがとう。道中色々と楽しかった。特にエドなんてびっくりするようなギャップがあって退屈しなかったしね。寡黙なエドも中々にカッコ良かったわよ!」

 ナイスって意味でバチンとウィンクしてビシリと親指を立ててやったら、エドは何故か微妙に疲労の滲んだ顔で儚く微笑んだ。

「あとできたらさっきの男の子の様子をもう一度見に行ってほしいんだけど、いい? 何かちょっと気になって」
「いいですよ。見てきます。某もどんな子か気になりますしね」
「え?」
「ああいえっ、ではレディ方、どうかそちらも帰りの道中はお気を付けて」
「うん、ありがと。エドたちもね。またそのうち王都で会いましょ。今度は奢らせてよね」
「ハハハそこはお気持ちだけで!」

 もうホントに遠慮深いんだから。馬首を翻したエドの横顔は実に晴れやかで、解放感に溢れて晴れやかに過ぎて……私はちょぴっとだけ眉根を寄せた。ねえエドさんよ、私の護衛はそーんなにも重圧だったのかい?
 とにかくまあ三人をある程度見送ってやってからジャンヌと共に馬車に乗り込む。
 馬車はゆっくりと門を通り過ぎて、完全に中に入ると覗き窓から書面を確認してくれた背の高いシスターが門横のレバーを操作して歯車仕掛けなのか門扉は閉じられた。
 目元だけ出しているシスターは終始無口で、ついぞ私たちとは会話してくれなかった。余所者とは必要以上に会話しないような規則があるのかもしれない。まあ単にその人の性格なだけかもしれないけど。
 一方、身振りで敷地の奥へ促され走り出す馬車内で私の中には安堵が湧いた。
 これで心置きなく妊婦をやれる。
 殺されるって怯えずにね。





 手入れされた前庭を走って辿り着いた女子修道院の建物は石造りのちょっとした要塞みたいに厳重で重厚で、入口扉は重そうで大きかった。
 外から人が入るのは難しそうね。
 同時に、中から出るのも難しそう。
 まあ、セキュリティがしっかりしているのは有難い。

 私たちが到着すると、馬車が近付くのが見えていたのか早速と出てきたシスターたちが荷下ろしを手伝ってくれてあっという間に終わった。彼女たちも門番のシスターと同じで終始無言で目元だけが見える服装だった。ここの方針なのかもね。
 ただ、一人だけは素顔を晒していて、ジャンヌとトランク鞄と共に建物の奥へと案内してくれたのはアラサーだろうそのシスターだった。
 見た感じ彼女が指示を出していたし他のシスターもよく従っていたから纏め役なのね。
 ただ、私の予想に反して彼女は結構逞しくて喋りも豪快だった。ふとした時の目付きも鋭い。シスター服が恐ろしく似合わない。

「シスター、私の事はアデライドと呼んで下さい」
「わかりました。あたしはニコラです」

 良く日に焼けた顔の彼女はにっかと笑った。ふうん、ニコラさんって言うんだ。こう言っちゃなんだけど荒くれ者集団を纏め率いるのに長けていそうな貫禄だわ。
 因みにロジェの名前はここでは極力出さない。ワケありさんは素性のわかるような例えば家名なんかは使わないのが鉄則。だから私はここじゃ誰でもないアデライド。
 それから、私はジャンヌと共に滞在予定の部屋に入った。
 シスターニコラはこの建物は古くて危ない場所もあるからくれぐれも勝手に出歩かないようにって念を押していった。
 そう言えば部屋までたどり着く間に通ってきた女子修道院内はシスターの存在感とは裏腹に息を潜めたようにとても静かだった。他にもいる滞在者たちも不用意に出ないようにしてるのねきっと。
 そう思うのと同時にあたしはふと街中を静かだと評したエドの言葉を思い出して、ぶるりと我知らず肩が震えたわ。
 その言い知れない悪寒の余韻は部屋で休んでいても何故だかあって、気付いたジャンヌは雨だから気温が下がっているせいと思ったのか薄手の上着を出してきて羽織らせてくれた。今夜はジャンヌもこの部屋に滞在する。
 彼女はここに留まりたいって改めて主張してきたけど、そこは変わらず明日には帰ってもらうつもりだと告げた。がっかりしていたけどこれもあなたのためよジャンヌ。

 そう言えば馬車から降ろした大きな荷物はまだこの部屋に運んでもらえてない。どこに置いてあるのかしらね。まあすぐに使うような物はなかったし、寄付する予定の物が大半でもあったから支障はない。後でその旨をシスターに言って荷物の整理は任せよう。

 旅の疲労はないようであって、私は部屋のベッドで少し眠った。私が休んでって命じたからジャンヌもね。
 そんなわけで夕食まで大人しく部屋で過ごした私たちに大きなトラブルはなく、目を覚ましてあーお腹が減ったなあって思っていたら先と同じシスターニコラが夕食を運んできてくれた。





 オレンジと群青とその濃淡が織りなす色彩の、空が傾くような夕暮れが帝都上空を満たしている。
 灰色で暗い女子修道院の上空とは別世界のようだった。

 命じたある調査の結果を待つ間、明かりも灯さず暗くなるばかりの城の執務室で一人机の前に座すヴィクトル・ダルシアクは、自らの手を見つめ下ろしていた。

 アデライドの傷を治すために彼女の手を握っていた手だ。
 深い傷でなかったのは幸いだった。半端な治癒魔法でも十分治癒に足りる効果を発揮できたからだ。
 これがもしも骨や内臓の損傷だったなら、表面的ではなく本格的に文字通りの相手の全身に魔力を浸透させなければ修復はできなかった。それが治癒魔法の不便な一面だ。相手が拒めば魔法を掛けられない。

「一体、あの感覚は何だったんだ?」

 手を振り払われた時は多少ショックだったが、よくよく考えれば彼女はエドゥアールだと思っていたに違いないので、ヴィクトルとしては拒否られてざまあみろとちょっとほくそ笑んだりもした。
 まあそれに彼女の身になってみれば慣れない奇妙な感覚に慄いたのも理解できる。

 ただヴィクトルは、彼自身もまた奇妙な感覚を味わっていたのだ。

 アデライドは魔法を使えない。だがそれなのに彼女の方から微細な魔力を感じた。いや、微細と言うのはそもそも間違いかもしれない。彼女の指先にまでそろりと伸びてきたそれに一瞬だけ触れたと言っても良かった。
 城でも感じた護符の魔法具の魔力だったのだろうか。思い返せばとてもよく似ていた。

 けれどもどこか異なってもいた。

 アデライド・ロジェは計り知れない。
 具体的に何が計り知れないのかと言われれば彼は自分でもいまいち明言はできない。その謎のせいで思考の底がもやもやする。城での時のように問い詰めたいとも思うが、またそんな暴力的な事をやらかして今度こそ嫌われてしまうかもしれないと思えばできなかった。
 臣下のフリをして傍に居た時間は決して長いと言えないにもかかわらず、益々想いが深まるのを自分でもどうにもできない。彼女の神秘性だけが増していく。

「アデライド……」

 彼女は本当に何を隠しているのか。
 潰えない興味と共に公園での慈悲深さ勇敢さが思い出されて、彼は考え込むように手で口元を覆った。本当に稀有な存在だと思えば、その隠れた唇は笑みを形作った。
 もしも今の彼を臣下の誰かが目撃していたなら、明日皇帝の狂気で帝国全土が血の海になると荷物を纏めて国外に夜逃げしただろう。
 彼の笑みはいつも見た者を底冷えさせる冷笑と決まっていて、ごくごく普通の恋する男のような笑みなど到底有り得ないと言うのが常識だった。

「しかし神秘、か。およそ現実的な言葉とは言えないな。……妊婦でもあるまいし」

 妊婦は時に神秘的な存在とも言われる故の何気ないたとえだ。

 そんな真剣でない呟きを落とし自らのその発想に呆れて微かな苦笑が滲んだが、彼は唐突にその笑みを消した。

「……あながち馬鹿げた考えでもないのか」

 体の関係を持った以上、可能性は決してゼロではない。

「もしも仮にそうだとして……」

 ヴィクトルは両の拳を握り締め執務机に項垂れると小刻みに肩を揺らした。
 この国を担う大きな双肩を。
 同時に、やるせないような嘲笑が零れ出る。

 まさか自分がこんな無駄な感情を持つ人間――情けない恋する男に成り下がるとは思ってもみなかった。

「…………駄目だ」

 彼の唇の間から歯を食い縛るような呟きが漏れた。

「そうならどうにかして……――殺すほかない」
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