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第8話やっと到着ドヌーブ女子修道院
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「雨で体冷えてるだろうから温かくしてやらないと。あ、そうだ馬車に毛布積んであったよね」
私が馬車に急いで戻ろうとすると、制止するように前方に魔法文字が浮かんだ。
――温めるだけならすぐにできる。
「え、どういう意味?」
レンジでチンじゃあるまいし。
問いの答えはすぐに示された。頬に温かな風を感じたと思えば、その風が男の子の全身を包み込む。
「もしかしなくても魔法?」
――ああ。濡れた服も乾く。
ほあー魔法って便利~。目を丸くして感心しきりの私はハタとする。
「治癒魔法は使えないの?」
あでも使えるならとっくに使ってるか。私の知ってるファンタジーものでも治癒の魔法は聖魔法とか白魔法とか光魔法なんて呼ばれる類の特殊な魔法だったりするし、この世界でもその手の魔法には稀有な才能が必要なのかも。
――無論使える。
使えるんかいっ!
――望むなら施すが、病は治らない。
「え? 治癒魔法って病気や怪我が治るから治癒魔法って言うんじゃないんだ?」
――外傷ならすぐに回復するが、体内バランスを整えるような安静が必要な場合や、中毒や伝染病など根本を取り除く必要のある場合は、いくら使っても一時的に気分が良くなるだけで、すぐにまた元の状態に戻るから意味がない。
「それって内患の治療は医学的な方法じゃないと駄目って意味?」
エドは小さく頷いた。
――解毒や病気の治療は基本医学的処置を施すが、魔法でも祈りの魔法は有効だ。しかしながらそういう魔法は得てして司教位辺りの高位聖職者の領域だ。生憎私では使えない。ただ、一般的にはまだあまり治癒魔法と祈り魔法の区別はされていないようだが。
「へえ、そうなんだ」
治癒魔法は物理的な傷専門。祈り魔法は免疫とか内患専門なのか。
「じゃあ女子修道院に連れて行けばいいよね。あそこなら祈り手はいそうだし」
――病気を治せる程の実力者はいないだろう。そういう者は基本帝都や主要都市に置かれる。この街の医院に連れていくべきだな。
すると体が温まったからか男の子が目を覚ました。
銀甲冑を見て一時石になったけどね。それから涙目になると蚊の鳴くような声を出す。
「う……あ……助けて……ください」
「ええーと大丈夫この甲冑は。いい甲冑なんだよ。だからほら怖くなーい怖くなーい」
「え……あ……」
男の子は私にも気付いて不安そうにじっとこっちを見つめてくると、無害だと思ったのかようやく怖がるのをやめた。にこーって笑顔を作ったのが良かったみたい。
ぬくぬくしたからか彼は夢でも見ているようにもう一度私と目を合わせて「めがみさま……?」って舌足らずっぽくもにょもにょ言いながらまた気を失った。
「どっどうしよう早く医者に診せないと! エド行こう!」
彼は頷いたけど「その前にその怪我の手当てを」って魔法文字が浮かんだ。
「平気平気これくらい。放っておいてもすぐに治るよ」
手の甲の小さな引っ掻き傷はごくごく浅い。
「駄目ですお嬢様! ばい菌が入ったらどうするんですか。手当てしてからです!」
「いやいや平気だってば」
「過信は駄目です。先に手当てしてからです!!」
「えーお願い、エドからも過保護だって言ってやって?」
――とても良い侍女を持ったな。手当てを。
「……ああ言い出しっぺはあなただったっけ」
ジャンヌは引き下がらないしエドもエドだ。
この二人って時々妙に押しが強い。無言の時のエドなんて特にどこかのヴィクトル様に通じるものがある。主従は似るのかも。
己らの隊長の出現にびっくりしていた部下二人は依然口を挟まない。
こりゃ助け舟は期待できないなと落胆していると、エドが男の子をロベールに預けて前方に回り込んできた。
「エド……?」
困惑していると、彼から引っ掻き傷のある方の手を握られた。
――痛むだろう?
「触ればね。なになに~治癒魔法でも使ってくれるの?」
ちょっと揶揄うように言ってやれば、あっさり頷かれた。
――しかしいいのか?
「え、まあ駄目じゃないけど、そんな風な確認されると心配になるじゃん。もしや副反応があるとか?」
――いや。ない。
するとエドが跪いた。こっちの手を握ったまま私を見上げるようにする。
――お前の了承なく勝手にはできないと思ったからだ。
「はい……?」
エドに立ち上がる様子はない。
こんな図って……まるでプロポーズされてるみたいなんだけど。
周囲に助けを求めれば、ジャンヌは呆気に取られていたしフィリップとロベールに至っては蒼白になっている。
エドからは余所見をするなとばかりに手を小さく引っ張られた。
――本当に、お前に私の魔法を使ってもいいのか?
「別に駄目な事はないけど、それ以前にこれまでだって体浮かせたりしてこっちの許可なく使ってたのに、何を今更……」
呆れているとエドは左右に首を振った。
――浮かせるような表面的な魔法とは異なり、治癒魔法は相手の体にこちらの魔力がより深く入り込む。一時的に互いの呼吸というか波長を揃えるようなものだから……もしも嫌ならしない。
「ふぅん、魔力が深く入り込むって感覚がイマイチよくわからないけど、治してもらえるんなら全然嫌じゃないし、むしろラッキーって感じ?」
おそろで甲冑着よって言われたらそりゃ嫌だけど。
エドは何を思ってか、こっちの指先に兜をくっ付けた。
素顔だったらたぶん口があるだろうとこら辺に。
「「たたた隊長おおおーッッ!?」」
指先にキスするみたいにしたエドを見てフィリップとロベールが息ピッタリに素っ頓狂な声を上げた。ただ聞きようによっちゃ恐怖の絶叫に聞こえなくもなかった。
「ぼ、僕は何も見なかった」
とはフィリップ。
「横恋慕なんて、命惜しくないんすか隊長……っ」
とロベールが絶望したような声を出す。
「きゃ~っ、まっまさかのトライアングル!?」
他方、ジャンヌが頬を染めて傘を取り落としそうになっている。三角形がどうかした?
全く、この変人隊長は兜を何かにくっ付けるのが趣味なの? この前は顔面アタックしてきたし。あれも本当はうっかりぶつかったんじゃなくて単にくっ付けたかったの? だけどいいのかな、私の皮脂で白く曇っちゃうよ?
――それでは治癒魔法を始めるぞ。
「あ、うん、よろしく」
エドからの宣言に何となく緊張して待っていると、握られた指先から心地良い温かさが伝わってきた。
手の傷が薄くなっていく。
その間、その温かい何かが腕から肩、そして体全体に広がっていって、皮膚から体内に浸透していくようなそんな感じがした。温泉で温まるのと似てる。
これが魔力の浸透? 波長合わせ?
でも何となく、薄らこんな風にも思った。
体のコンディションを探られているって。
そこに思い至った瞬間、反射的に手を振り払っていた。
これ以上は駄目だ。
もっと奥まで行かれたら、妊娠がバレる。
エドが知ったら彼の主君が知るのも時間の問題だ。
城での時みたいに、相手を拒絶した拍子に静電気みたいなのがバチッと走ったりしなかったのは幸いだった。もし同じ現象が起きてたら善意のエドの手を血塗れにしていたかもしれない。
エドはしばし固まったように動きを見せなかった。
「あ……、ごめんなさいエド!」
ハッと我に返って謝罪すれば向こうも正気に返ったのか、ゆっくり立ち上がった。
「えっとほら治癒魔法って初体験でちょっとびっくりして。でもあれ? 中途半端だったのに傷が治ってる……!」
――表面のほんの浅い傷だったから少しのシンクロでも治ったのだろう。
「そうなんだ。乱暴にしちゃってホントにごめん。だけどありがとう」
少しの罪悪感を胸に彼の手を握って心から感謝の笑みを浮かべれば、エドはまた顔面アタックをかましてきそうになったから、咄嗟に手を突っ張って阻止してやった。
結局、男の子はロベールが街医者に連れて行ってくれた。子供を置いたら合流する手筈だ。私達は馬車まで戻った。
「あの子大した事ないといいけど。何はともあれ、運良く発見できて良かった」
「そうですね」
どうして公園の変な場所で倒れていたのか、いつか機会があれば話を聞いてみたい。
「そう言えば街の状況はどうだった?」
ふと思い出してエドに問い掛けると、無言と言うより返答が難しいための沈黙って表現するのが適当な間が返ってきた。
「あ、実は店を回ってたんじゃなかったりして?」
返るのはまた沈黙のみ。
え……まさかホントにそうだったりする?
どことなく気まずい空気になり掛けた時、見かねたらしいフィリップがエドの代わりに答えをくれた。
「先の店で聞いた話の範囲ではあるんですが、最近柄の悪い客がどこの店舗でも増えたそうで、とは言え代金はしっかり払って行くので売らないわけにも行かないんだとか」
「へぇ。ここって冗談抜きにその手の人間が多く訪れる土地なんだ」
「そこなんですが、どうも旅客とは違うようです。近隣に暮らしているようですが、どこから来ているのかはわからないそうで」
「わからない?」
「はい。訊いてもはぐらかされたりキレられる、と。店主も初対面の僕にそこまで現状を教えてくれる程に、懸念を募らせているようでした。帝国兵士はより気を付けた方がいいと逆に心配もされましたよ」
ふむむ、代金を踏み倒したとかならまさに帝国兵士の出番だろうけど、揉めたりもせず正規に購入しているだけなら何も言えないか。
むしろ帝国兵士だからこそ要らない因縁を付けられる可能性もある、と。
人相の悪い男達は同じ集団と思って良さそう。この街は何かしら問題を抱えてるのかも……って、公園で子供が一人で倒れている時点で治安が心配だ。このまま現状を無視して修道院に入っていいのか不安になってくる。
そんな事を考えていると、
「お待たせっしたー!」
何と早くもロベールが跳ねるような勢いで戻ってきた。
「あの子を宜しくって念押ししてきましたよ。あと治療費はうちの隊長に請求するようにって」
「え、それなら私が出すのに。ごめんなさいエド、請求きたらうちに回してね」
――気にするな。
ロベールは空気を読まずに更に話を続けた。
「ああそうそう、医者があの子を知ってて、名前はアドリアンらしいっす。今は母親とそこの女子修道院に滞在してて、母親は雑用とかをしてるそうで」
「ならどうして一人で倒れてなんて……?」
「さあ、そこは医者にもわからないそうっす。目を覚ました本人から話を聞いてみないと何とも」
「そう、だよね……」
第一発見者の私も医院に行ってあの子が目覚めるのを待つべき? 悩んだようにしているとガシャガシャと甲冑音が聞こえた。出所に目を向けるとエドの魔法文字が既に浮かんでいる。
――急で悪いが外れる。いいか?
「あ、はい、どうぞ」
――出来るだけすぐに戻る。
エドは手を伸ばして私の頬をするりと撫でるとテレポートした。
ちょっと赤くなったジャンヌがこほんと咳払いする。彼女が赤くなったのも頷ける。今の仕種なんて恋人にするみたいだったからうっかりちょっと照れたし!
「あれ、ところでフィリップは?」
いつの間にか彼の姿もなくなっているのに気付いた。
「あら本当ですね。どこに行ったのでしょうか」
「ああ多分便所っすよ。何か結構切羽詰まってたみたいで、三分で戻るって焦って駆けて行きましたから。けどまるでお化けでも見たような顔してましたっけ、ハハハハ」
気さくだけど案外図太い性格のロベールは「多分隊長も同じじゃないすかー?」なんて明るくデリカシーなく笑い飛ばした。
ジャンヌが気恥ずかしそうにする。
その後、有言実行の士なのかフィリップは三分で戻ってきた。
驚いた事に、彼は赤毛を晒した甲冑なしのエドを伴ってもいた。
「エドったらずぶ濡れ。甲冑と雨避けローブはどうしたの?」
彼はローブを脱いだにしろ小雨の中ものの数分でここまで濡れるかってくらいに水を滴らせていた。
まるでずっと外で雨を浴びてたみたい。甲冑は扱いに慣れればこの数分で着脱可能なのかもしれないけど、その濡れ鼠さは不可解だ。
「そもそもあんなでっかい荷物どこに置いてきたの?」
「あーええと、一旦魔法で仕舞いました。雨で錆びるのも切ないんで!」
今まで散々雨の中でも平気そうにしてたのに今更?
「まあいいけども、傘も差さないで何やってるの。風邪引くよ? 治癒魔法じゃ病気は治せないのに」
「心配御無用です。某今まで一度だって風邪引いたためしはないですから!」
あーそれって馬鹿は風邪引かないってやつ?
物凄く失礼な事を考えていると、エドは「ちょっと替えのローブ出してきますね」って離れた。さっきあの子にやったみたいに魔法で服を乾かせばいいんじゃないの?
疑問に眉を上げていると、フィリップがしみじみとして溜息をつく。
「隊長は熱が四十度あっても今日は妙に汗ばむ日だって言いながら出勤して来る人なので、基本自分が風邪だって気付いてないんですよね」
「へえ……」
「隊長ってリスペクトに値する人ですけど、面白いくらいに幸薄いっすよね」
ロベールがからからと笑って言った。
一方、同意だけどごめんなさいって感じの苦笑を薄く浮かべたフィリップが、雨の公園の向こうに黒っぽく尖塔の見える女子修道院へと目を向ける。
「ロジェ嬢、これからどうされます? 買い物に行かれますか?」
「うーん……やっぱりやめておく。このまま修道院に行こう。そこにあの子の親がいるなら心配してるだろうから、教えてあげたいし」
「あの子?」
馬に括った自分の荷物から予備の乾いたローブを出して手早く羽織ったエドが不思議そうな顔を向けてくる。
「さっき医院に運んだ子だよ」
「医院!?」
エドは目を見開いた。
「どうして驚くの。エドが抱き上げた子でしょ」
「え……?」
「たたっ隊長ちょっとこちらに! あのっロジェ嬢、少し失礼しますね!」
エドがフィリップに腕を引っ張られて道の端まで連れて行かれた。
しばし二人で何やら話してるけど、一体何だろう?
ロベールも疑問符を浮かべて二人を見ていたけど、程なく戻ってきた二人が何でもなかったみたいな顔で出発を促してきたから、雨の中話を引き延ばすのも何となく気が引けてそのままにした。
あとはもう寄り道はせず、公園をぐるりと回って程なく女子修道院正門前に到着した。
高い塀で囲まれた女子修道院の大きな正門の門扉は閉ざされていた。
来訪者はおそらく覗き窓越しに門番へと来訪の目的を告げてそして許可が出れば入れるって感じかな。
手間だけど、この国じゃ礼拝をやったりする開放的な教会と違って修道院ってのはある種独特な閉鎖的場所で、誰でも自由に入れたりはしない。規則に縛られて禁欲的な面が強いのも人をどこか近寄り難くさせる要因だって私は思う。だからこそ私みたいなワケありの秘密が守られる。
覗き窓から滞在許可書類を確認してもらうと、どうぞお入り下さいって感じで重そうな門扉は軋み音と共に開かれた。
だけど門を入る前に私は一度馬車を降りた。エド達にお礼を述べるためだ。
正式な許可なくして帝国兵は女子修道院の敷地には一歩たりとも入れない。無理を通せばいざこざの火種になりかねない。
だからここでお別れ。
私は一緒に下車したジャンヌと並んで護衛三人の前に立った。
「ここまで本当にどうもありがとう。道中色々と楽しかった。特にエドなんてびっくりするようなギャップがあって退屈しなかったしさ。寡黙なエドも中々にカッコ良かったよ!」
ナイスって意味でバチンとウィンクしてビシリと親指を立ててやったら、エドは何故か微妙に疲労の滲んだ顔で儚く微笑んだ。
「あ、一つお願いがあるんだけど、さっきのアドリアンて子の様子見てきてほしいの。倒れてた理由とかちょっと気になって。母親には伝えるつもりではいるけど、万一、逃げ出さないとならなかった何か普通じゃない事情があった場合は、エド達の方で判断してあの子を保護してもらった方がいいかもしれないから。なんて、私の考え過ぎかもだけど」
「うーん、可能性としては排除できませんし、いいですよ。某もどんな子か気になりますしね」
「え?」
「ああいえっ。ではそろそろ失礼します!」
「うん、ありがと宜しく。そのうちまた王都でね。今度は奢らせてよ?」
「ハハハそこはお気持ちだけで! それでは!」
もうホントに遠慮深いんだから。馬首を翻したエドの横顔は実に晴れやかで、解放感に溢れて晴れやかに過ぎて……私はちょぴっとだけ眉根を寄せた。なあエドさんよ、あっしの護衛はそーんなにも重圧だったのかい?
とにかくまあそれぞれ挨拶の口上を告げた三人をある程度見送ってからジャンヌと共に馬車に乗り込んだ。
馬車はゆっくりと門を通り過ぎて、完全に中に入ると覗き窓から書面を確認してくれた人だろう背の高いシスターが門を閉じて、更に横に太い閂を通した。
プライバシー重視なのか目元だけ出している覆面シスターは終始無言で、ついぞ言葉を交わしてはくれなかったけど、余所者とは必要以上に話さないような規則があるのかもしれない。まあ単に性格なだけかもしれないけど。
一方、身振りで敷地の奥へ促され走り出す馬車内で私の中には安堵が広がった。
これで心置きなく妊婦をやれる。
殺されるって怯えずにさ。
手入れされた前庭を走って辿り着いた女子修道院の寄宿舎は石造りのちょっとした要塞みたいに厳重で重厚で、入口扉もそこそこ重そうだった。よく大衆酒場にあるようなスイングドアみたいに軽く押して入るのは無理だろう。
公園から一部が見えた尖塔を有する建物がここで、回廊でその他にも幾つかある建物と繋がってるみたい。
停車すると、馬車が近付くのが見えていたのか早速と出てきたシスター達が荷下ろしを手伝ってくれてあっという間に終わった。彼女達も門番シスターと同じで終始無言で目元だけが見える覆面姿だった。
ただ、一人だけは素顔を晒していて、トランク鞄を運んでくれつつ奥へと案内してくれた。
見た感じアラサーで、彼女が指示を出していたし他のシスターもそれによく従っていたから纏め役なんだろう。
他のシスターとは異なり彼女は豪快によく喋った。体付きは胸も大きいけど全体的に逞しく、ふとした時の目付きも鋭い。頼もしいけどシスター服が恐ろしく似合わない。
「シスター、私の事はアデライドと呼んで下さい」
「わかりました。あたしの事はニコラと」
良く日に焼けた顔の彼女はにっかと笑った。ニコラさんって言うんだ。こう言っちゃなんだけど荒くれ者集団を纏め率いるのに長けていそうな貫禄。
因みにロジェの名前はここでは極力出さない。ワケありさんは素性のわかるような例えば家名なんかは使わないのが鉄則。だから私はここじゃ誰でもないアデライド。
私はジャンヌを連れて滞在予定の部屋に入った。
シスターニコラはこの建物は古くて危ない場所もあるからくれぐれも勝手に出歩かないようにって念を押していった。
そう言えば部屋までたどり着く間に通ってきた建物内はシスターの存在感とは裏腹に息を潜めたようにとても静かだった。他の滞在者も不用意に出ないようにしてるんだろう。
そう思うのと同時に私はふと街中を静かだと評したエドの言葉を思い出して、ぶるりと肩を震わせた。
その言い知れない悪寒の余韻は部屋で休んでいても何故だかあって、気付いたジャンヌは雨だから気温が下がっているせいと思ったのか薄手の上着を出してきて羽織らせてくれた。今夜はジャンヌもこの部屋に宿泊する。
彼女はここに留まりたいって改めて主張してきたけど、そこは変わらず明日には帰ってもらうつもりだと告げた。がっかりしていたけどこれもジャンヌのためだ。
そう言えば馬車から降ろした大きな箱や鞄はまだこの部屋に運んでもらえてない。予備の服や小物類なんかが入ってるんだけど、まあ予備だし数日の着替えは手元にある。加えて寄付予定の物品が大半でもあったから支障はない。後でその旨をシスターに言って荷物の整理を頼もうかな。
旅の疲労はないようであって、私は部屋のベッドで少し眠った。ジャンヌもゆっくりできたと思う。
そんなわけで大きなトラブルはなく、目を覚ましてあーお腹が減ったなあって思っていたら先のシスターニコラがやや早めの夕食を運んできてくれた。
オレンジと群青とその濃淡が織りなす色彩の、空が傾くような夕暮れが帝都上空を満たしている。
灰色で暗い女子修道院の上空とは別世界のようだった。
命じたある調査の結果を待つ間、明かりも灯さず暗くなるばかりの城の執務室で一人机の前に座すヴィクトルは、自らの手を見つめ下ろしていた。
ドヌーブの公園で、アデライドの傷を治すために彼女の手を握っていた手だ。
深い傷でなかったのは幸いだった。半端な治癒魔法でも十分に効果を発揮できたからだ。
これがもしも骨や内臓までの損傷だったなら、表面的ではなく本格的に文字通りの相手の全身に魔力を浸透させなければ修復はできなかった。それが治癒魔法の不便な一面だ。相手が拒めば魔法を掛けられない。意識を失っていれば別だが。
「あの感覚は一体……」
手を振り払われた時は多少ショックだったが、よくよく考えれば彼女はエドゥアールだと思っていたに違いないので、ヴィクトルとしては拒否られてざまあみろとちょっとほくそ笑んだりもした。
まあそれに彼女の身になってみれば慣れない奇妙な感覚に慄いたのも理解できる。
ただヴィクトルは、彼自身もまた奇妙な感覚を味わっていたのだ。
アデライドは魔法を使えない。だがそれなのに彼女の方から微細な魔力を感じた。いや、微細と言うのはそもそも間違いかもしれない。彼女の指先にまでそろりと伸びてきたそれに一瞬だけ触れたと言っても良かった。
城でも感じた護符の魔法具の魔力だったのだろうか。思い返せばとてもよく似ていた。
けれどもどこか異なってもいた。
アデライド・ロジェは計り知れない。
ただ、具体的に何が計り知れないのかと言われれば彼は自分でもいまいち言葉にできない。その謎のせいで思考の底がもやもやする。城での時のように問い詰めたいとも思うが、またそんな暴力的な事をやらかして今度こそ嫌われてしまうかもしれないと思えばできなかった。
エドゥアールのフリをして傍に居た時間は決して長いと言えないにもかかわらず、益々想いが深まるのを自分でもどうにもできない。彼女の神秘性だけが増していく。
「アデライド……」
彼女は本当に何を隠しているのか。
潰えない興味と共に公園での慈悲深さ勇敢さが思い出されて、彼は考え込むように手で口元を覆った。本当に稀有な存在だと思えば、その隠れた唇は笑みを形作った。
もしも今の彼を臣下の誰かが目撃していたなら、明日皇帝の狂気で帝国全土が血の海になると荷物を纏めて国外に夜逃げしただろう。
「しかし神秘、か。およそ現実的な言葉とは言えないな。……妊婦でもあるまいし」
妊婦は時に神秘的な存在とも言われる故の何気ないたとえだ。
そんな真剣でない呟きを落とし自らのその発想に呆れて微かな苦笑が滲んだが、彼は唐突にその笑みを消した。
「……あながち馬鹿げた考えでもないのか」
体の関係を持った以上、可能性は決してゼロではない。
「もしも仮にそうだとして……」
ヴィクトルは両の拳を握り締め執務机に項垂れると小刻みに肩を揺らした。
この国を担う大きな双肩を。
同時に、やるせないような嘲笑が零れ出る。
まさか自分がこんな無駄な感情を持つ人間――情けない恋する男に成り下がるとは思ってもみなかった。
「…………駄目だ」
彼の唇の間から歯を食い縛るような呟きが漏れた。
「そうならどうにかして……――殺すほかない」
私が馬車に急いで戻ろうとすると、制止するように前方に魔法文字が浮かんだ。
――温めるだけならすぐにできる。
「え、どういう意味?」
レンジでチンじゃあるまいし。
問いの答えはすぐに示された。頬に温かな風を感じたと思えば、その風が男の子の全身を包み込む。
「もしかしなくても魔法?」
――ああ。濡れた服も乾く。
ほあー魔法って便利~。目を丸くして感心しきりの私はハタとする。
「治癒魔法は使えないの?」
あでも使えるならとっくに使ってるか。私の知ってるファンタジーものでも治癒の魔法は聖魔法とか白魔法とか光魔法なんて呼ばれる類の特殊な魔法だったりするし、この世界でもその手の魔法には稀有な才能が必要なのかも。
――無論使える。
使えるんかいっ!
――望むなら施すが、病は治らない。
「え? 治癒魔法って病気や怪我が治るから治癒魔法って言うんじゃないんだ?」
――外傷ならすぐに回復するが、体内バランスを整えるような安静が必要な場合や、中毒や伝染病など根本を取り除く必要のある場合は、いくら使っても一時的に気分が良くなるだけで、すぐにまた元の状態に戻るから意味がない。
「それって内患の治療は医学的な方法じゃないと駄目って意味?」
エドは小さく頷いた。
――解毒や病気の治療は基本医学的処置を施すが、魔法でも祈りの魔法は有効だ。しかしながらそういう魔法は得てして司教位辺りの高位聖職者の領域だ。生憎私では使えない。ただ、一般的にはまだあまり治癒魔法と祈り魔法の区別はされていないようだが。
「へえ、そうなんだ」
治癒魔法は物理的な傷専門。祈り魔法は免疫とか内患専門なのか。
「じゃあ女子修道院に連れて行けばいいよね。あそこなら祈り手はいそうだし」
――病気を治せる程の実力者はいないだろう。そういう者は基本帝都や主要都市に置かれる。この街の医院に連れていくべきだな。
すると体が温まったからか男の子が目を覚ました。
銀甲冑を見て一時石になったけどね。それから涙目になると蚊の鳴くような声を出す。
「う……あ……助けて……ください」
「ええーと大丈夫この甲冑は。いい甲冑なんだよ。だからほら怖くなーい怖くなーい」
「え……あ……」
男の子は私にも気付いて不安そうにじっとこっちを見つめてくると、無害だと思ったのかようやく怖がるのをやめた。にこーって笑顔を作ったのが良かったみたい。
ぬくぬくしたからか彼は夢でも見ているようにもう一度私と目を合わせて「めがみさま……?」って舌足らずっぽくもにょもにょ言いながらまた気を失った。
「どっどうしよう早く医者に診せないと! エド行こう!」
彼は頷いたけど「その前にその怪我の手当てを」って魔法文字が浮かんだ。
「平気平気これくらい。放っておいてもすぐに治るよ」
手の甲の小さな引っ掻き傷はごくごく浅い。
「駄目ですお嬢様! ばい菌が入ったらどうするんですか。手当てしてからです!」
「いやいや平気だってば」
「過信は駄目です。先に手当てしてからです!!」
「えーお願い、エドからも過保護だって言ってやって?」
――とても良い侍女を持ったな。手当てを。
「……ああ言い出しっぺはあなただったっけ」
ジャンヌは引き下がらないしエドもエドだ。
この二人って時々妙に押しが強い。無言の時のエドなんて特にどこかのヴィクトル様に通じるものがある。主従は似るのかも。
己らの隊長の出現にびっくりしていた部下二人は依然口を挟まない。
こりゃ助け舟は期待できないなと落胆していると、エドが男の子をロベールに預けて前方に回り込んできた。
「エド……?」
困惑していると、彼から引っ掻き傷のある方の手を握られた。
――痛むだろう?
「触ればね。なになに~治癒魔法でも使ってくれるの?」
ちょっと揶揄うように言ってやれば、あっさり頷かれた。
――しかしいいのか?
「え、まあ駄目じゃないけど、そんな風な確認されると心配になるじゃん。もしや副反応があるとか?」
――いや。ない。
するとエドが跪いた。こっちの手を握ったまま私を見上げるようにする。
――お前の了承なく勝手にはできないと思ったからだ。
「はい……?」
エドに立ち上がる様子はない。
こんな図って……まるでプロポーズされてるみたいなんだけど。
周囲に助けを求めれば、ジャンヌは呆気に取られていたしフィリップとロベールに至っては蒼白になっている。
エドからは余所見をするなとばかりに手を小さく引っ張られた。
――本当に、お前に私の魔法を使ってもいいのか?
「別に駄目な事はないけど、それ以前にこれまでだって体浮かせたりしてこっちの許可なく使ってたのに、何を今更……」
呆れているとエドは左右に首を振った。
――浮かせるような表面的な魔法とは異なり、治癒魔法は相手の体にこちらの魔力がより深く入り込む。一時的に互いの呼吸というか波長を揃えるようなものだから……もしも嫌ならしない。
「ふぅん、魔力が深く入り込むって感覚がイマイチよくわからないけど、治してもらえるんなら全然嫌じゃないし、むしろラッキーって感じ?」
おそろで甲冑着よって言われたらそりゃ嫌だけど。
エドは何を思ってか、こっちの指先に兜をくっ付けた。
素顔だったらたぶん口があるだろうとこら辺に。
「「たたた隊長おおおーッッ!?」」
指先にキスするみたいにしたエドを見てフィリップとロベールが息ピッタリに素っ頓狂な声を上げた。ただ聞きようによっちゃ恐怖の絶叫に聞こえなくもなかった。
「ぼ、僕は何も見なかった」
とはフィリップ。
「横恋慕なんて、命惜しくないんすか隊長……っ」
とロベールが絶望したような声を出す。
「きゃ~っ、まっまさかのトライアングル!?」
他方、ジャンヌが頬を染めて傘を取り落としそうになっている。三角形がどうかした?
全く、この変人隊長は兜を何かにくっ付けるのが趣味なの? この前は顔面アタックしてきたし。あれも本当はうっかりぶつかったんじゃなくて単にくっ付けたかったの? だけどいいのかな、私の皮脂で白く曇っちゃうよ?
――それでは治癒魔法を始めるぞ。
「あ、うん、よろしく」
エドからの宣言に何となく緊張して待っていると、握られた指先から心地良い温かさが伝わってきた。
手の傷が薄くなっていく。
その間、その温かい何かが腕から肩、そして体全体に広がっていって、皮膚から体内に浸透していくようなそんな感じがした。温泉で温まるのと似てる。
これが魔力の浸透? 波長合わせ?
でも何となく、薄らこんな風にも思った。
体のコンディションを探られているって。
そこに思い至った瞬間、反射的に手を振り払っていた。
これ以上は駄目だ。
もっと奥まで行かれたら、妊娠がバレる。
エドが知ったら彼の主君が知るのも時間の問題だ。
城での時みたいに、相手を拒絶した拍子に静電気みたいなのがバチッと走ったりしなかったのは幸いだった。もし同じ現象が起きてたら善意のエドの手を血塗れにしていたかもしれない。
エドはしばし固まったように動きを見せなかった。
「あ……、ごめんなさいエド!」
ハッと我に返って謝罪すれば向こうも正気に返ったのか、ゆっくり立ち上がった。
「えっとほら治癒魔法って初体験でちょっとびっくりして。でもあれ? 中途半端だったのに傷が治ってる……!」
――表面のほんの浅い傷だったから少しのシンクロでも治ったのだろう。
「そうなんだ。乱暴にしちゃってホントにごめん。だけどありがとう」
少しの罪悪感を胸に彼の手を握って心から感謝の笑みを浮かべれば、エドはまた顔面アタックをかましてきそうになったから、咄嗟に手を突っ張って阻止してやった。
結局、男の子はロベールが街医者に連れて行ってくれた。子供を置いたら合流する手筈だ。私達は馬車まで戻った。
「あの子大した事ないといいけど。何はともあれ、運良く発見できて良かった」
「そうですね」
どうして公園の変な場所で倒れていたのか、いつか機会があれば話を聞いてみたい。
「そう言えば街の状況はどうだった?」
ふと思い出してエドに問い掛けると、無言と言うより返答が難しいための沈黙って表現するのが適当な間が返ってきた。
「あ、実は店を回ってたんじゃなかったりして?」
返るのはまた沈黙のみ。
え……まさかホントにそうだったりする?
どことなく気まずい空気になり掛けた時、見かねたらしいフィリップがエドの代わりに答えをくれた。
「先の店で聞いた話の範囲ではあるんですが、最近柄の悪い客がどこの店舗でも増えたそうで、とは言え代金はしっかり払って行くので売らないわけにも行かないんだとか」
「へぇ。ここって冗談抜きにその手の人間が多く訪れる土地なんだ」
「そこなんですが、どうも旅客とは違うようです。近隣に暮らしているようですが、どこから来ているのかはわからないそうで」
「わからない?」
「はい。訊いてもはぐらかされたりキレられる、と。店主も初対面の僕にそこまで現状を教えてくれる程に、懸念を募らせているようでした。帝国兵士はより気を付けた方がいいと逆に心配もされましたよ」
ふむむ、代金を踏み倒したとかならまさに帝国兵士の出番だろうけど、揉めたりもせず正規に購入しているだけなら何も言えないか。
むしろ帝国兵士だからこそ要らない因縁を付けられる可能性もある、と。
人相の悪い男達は同じ集団と思って良さそう。この街は何かしら問題を抱えてるのかも……って、公園で子供が一人で倒れている時点で治安が心配だ。このまま現状を無視して修道院に入っていいのか不安になってくる。
そんな事を考えていると、
「お待たせっしたー!」
何と早くもロベールが跳ねるような勢いで戻ってきた。
「あの子を宜しくって念押ししてきましたよ。あと治療費はうちの隊長に請求するようにって」
「え、それなら私が出すのに。ごめんなさいエド、請求きたらうちに回してね」
――気にするな。
ロベールは空気を読まずに更に話を続けた。
「ああそうそう、医者があの子を知ってて、名前はアドリアンらしいっす。今は母親とそこの女子修道院に滞在してて、母親は雑用とかをしてるそうで」
「ならどうして一人で倒れてなんて……?」
「さあ、そこは医者にもわからないそうっす。目を覚ました本人から話を聞いてみないと何とも」
「そう、だよね……」
第一発見者の私も医院に行ってあの子が目覚めるのを待つべき? 悩んだようにしているとガシャガシャと甲冑音が聞こえた。出所に目を向けるとエドの魔法文字が既に浮かんでいる。
――急で悪いが外れる。いいか?
「あ、はい、どうぞ」
――出来るだけすぐに戻る。
エドは手を伸ばして私の頬をするりと撫でるとテレポートした。
ちょっと赤くなったジャンヌがこほんと咳払いする。彼女が赤くなったのも頷ける。今の仕種なんて恋人にするみたいだったからうっかりちょっと照れたし!
「あれ、ところでフィリップは?」
いつの間にか彼の姿もなくなっているのに気付いた。
「あら本当ですね。どこに行ったのでしょうか」
「ああ多分便所っすよ。何か結構切羽詰まってたみたいで、三分で戻るって焦って駆けて行きましたから。けどまるでお化けでも見たような顔してましたっけ、ハハハハ」
気さくだけど案外図太い性格のロベールは「多分隊長も同じじゃないすかー?」なんて明るくデリカシーなく笑い飛ばした。
ジャンヌが気恥ずかしそうにする。
その後、有言実行の士なのかフィリップは三分で戻ってきた。
驚いた事に、彼は赤毛を晒した甲冑なしのエドを伴ってもいた。
「エドったらずぶ濡れ。甲冑と雨避けローブはどうしたの?」
彼はローブを脱いだにしろ小雨の中ものの数分でここまで濡れるかってくらいに水を滴らせていた。
まるでずっと外で雨を浴びてたみたい。甲冑は扱いに慣れればこの数分で着脱可能なのかもしれないけど、その濡れ鼠さは不可解だ。
「そもそもあんなでっかい荷物どこに置いてきたの?」
「あーええと、一旦魔法で仕舞いました。雨で錆びるのも切ないんで!」
今まで散々雨の中でも平気そうにしてたのに今更?
「まあいいけども、傘も差さないで何やってるの。風邪引くよ? 治癒魔法じゃ病気は治せないのに」
「心配御無用です。某今まで一度だって風邪引いたためしはないですから!」
あーそれって馬鹿は風邪引かないってやつ?
物凄く失礼な事を考えていると、エドは「ちょっと替えのローブ出してきますね」って離れた。さっきあの子にやったみたいに魔法で服を乾かせばいいんじゃないの?
疑問に眉を上げていると、フィリップがしみじみとして溜息をつく。
「隊長は熱が四十度あっても今日は妙に汗ばむ日だって言いながら出勤して来る人なので、基本自分が風邪だって気付いてないんですよね」
「へえ……」
「隊長ってリスペクトに値する人ですけど、面白いくらいに幸薄いっすよね」
ロベールがからからと笑って言った。
一方、同意だけどごめんなさいって感じの苦笑を薄く浮かべたフィリップが、雨の公園の向こうに黒っぽく尖塔の見える女子修道院へと目を向ける。
「ロジェ嬢、これからどうされます? 買い物に行かれますか?」
「うーん……やっぱりやめておく。このまま修道院に行こう。そこにあの子の親がいるなら心配してるだろうから、教えてあげたいし」
「あの子?」
馬に括った自分の荷物から予備の乾いたローブを出して手早く羽織ったエドが不思議そうな顔を向けてくる。
「さっき医院に運んだ子だよ」
「医院!?」
エドは目を見開いた。
「どうして驚くの。エドが抱き上げた子でしょ」
「え……?」
「たたっ隊長ちょっとこちらに! あのっロジェ嬢、少し失礼しますね!」
エドがフィリップに腕を引っ張られて道の端まで連れて行かれた。
しばし二人で何やら話してるけど、一体何だろう?
ロベールも疑問符を浮かべて二人を見ていたけど、程なく戻ってきた二人が何でもなかったみたいな顔で出発を促してきたから、雨の中話を引き延ばすのも何となく気が引けてそのままにした。
あとはもう寄り道はせず、公園をぐるりと回って程なく女子修道院正門前に到着した。
高い塀で囲まれた女子修道院の大きな正門の門扉は閉ざされていた。
来訪者はおそらく覗き窓越しに門番へと来訪の目的を告げてそして許可が出れば入れるって感じかな。
手間だけど、この国じゃ礼拝をやったりする開放的な教会と違って修道院ってのはある種独特な閉鎖的場所で、誰でも自由に入れたりはしない。規則に縛られて禁欲的な面が強いのも人をどこか近寄り難くさせる要因だって私は思う。だからこそ私みたいなワケありの秘密が守られる。
覗き窓から滞在許可書類を確認してもらうと、どうぞお入り下さいって感じで重そうな門扉は軋み音と共に開かれた。
だけど門を入る前に私は一度馬車を降りた。エド達にお礼を述べるためだ。
正式な許可なくして帝国兵は女子修道院の敷地には一歩たりとも入れない。無理を通せばいざこざの火種になりかねない。
だからここでお別れ。
私は一緒に下車したジャンヌと並んで護衛三人の前に立った。
「ここまで本当にどうもありがとう。道中色々と楽しかった。特にエドなんてびっくりするようなギャップがあって退屈しなかったしさ。寡黙なエドも中々にカッコ良かったよ!」
ナイスって意味でバチンとウィンクしてビシリと親指を立ててやったら、エドは何故か微妙に疲労の滲んだ顔で儚く微笑んだ。
「あ、一つお願いがあるんだけど、さっきのアドリアンて子の様子見てきてほしいの。倒れてた理由とかちょっと気になって。母親には伝えるつもりではいるけど、万一、逃げ出さないとならなかった何か普通じゃない事情があった場合は、エド達の方で判断してあの子を保護してもらった方がいいかもしれないから。なんて、私の考え過ぎかもだけど」
「うーん、可能性としては排除できませんし、いいですよ。某もどんな子か気になりますしね」
「え?」
「ああいえっ。ではそろそろ失礼します!」
「うん、ありがと宜しく。そのうちまた王都でね。今度は奢らせてよ?」
「ハハハそこはお気持ちだけで! それでは!」
もうホントに遠慮深いんだから。馬首を翻したエドの横顔は実に晴れやかで、解放感に溢れて晴れやかに過ぎて……私はちょぴっとだけ眉根を寄せた。なあエドさんよ、あっしの護衛はそーんなにも重圧だったのかい?
とにかくまあそれぞれ挨拶の口上を告げた三人をある程度見送ってからジャンヌと共に馬車に乗り込んだ。
馬車はゆっくりと門を通り過ぎて、完全に中に入ると覗き窓から書面を確認してくれた人だろう背の高いシスターが門を閉じて、更に横に太い閂を通した。
プライバシー重視なのか目元だけ出している覆面シスターは終始無言で、ついぞ言葉を交わしてはくれなかったけど、余所者とは必要以上に話さないような規則があるのかもしれない。まあ単に性格なだけかもしれないけど。
一方、身振りで敷地の奥へ促され走り出す馬車内で私の中には安堵が広がった。
これで心置きなく妊婦をやれる。
殺されるって怯えずにさ。
手入れされた前庭を走って辿り着いた女子修道院の寄宿舎は石造りのちょっとした要塞みたいに厳重で重厚で、入口扉もそこそこ重そうだった。よく大衆酒場にあるようなスイングドアみたいに軽く押して入るのは無理だろう。
公園から一部が見えた尖塔を有する建物がここで、回廊でその他にも幾つかある建物と繋がってるみたい。
停車すると、馬車が近付くのが見えていたのか早速と出てきたシスター達が荷下ろしを手伝ってくれてあっという間に終わった。彼女達も門番シスターと同じで終始無言で目元だけが見える覆面姿だった。
ただ、一人だけは素顔を晒していて、トランク鞄を運んでくれつつ奥へと案内してくれた。
見た感じアラサーで、彼女が指示を出していたし他のシスターもそれによく従っていたから纏め役なんだろう。
他のシスターとは異なり彼女は豪快によく喋った。体付きは胸も大きいけど全体的に逞しく、ふとした時の目付きも鋭い。頼もしいけどシスター服が恐ろしく似合わない。
「シスター、私の事はアデライドと呼んで下さい」
「わかりました。あたしの事はニコラと」
良く日に焼けた顔の彼女はにっかと笑った。ニコラさんって言うんだ。こう言っちゃなんだけど荒くれ者集団を纏め率いるのに長けていそうな貫禄。
因みにロジェの名前はここでは極力出さない。ワケありさんは素性のわかるような例えば家名なんかは使わないのが鉄則。だから私はここじゃ誰でもないアデライド。
私はジャンヌを連れて滞在予定の部屋に入った。
シスターニコラはこの建物は古くて危ない場所もあるからくれぐれも勝手に出歩かないようにって念を押していった。
そう言えば部屋までたどり着く間に通ってきた建物内はシスターの存在感とは裏腹に息を潜めたようにとても静かだった。他の滞在者も不用意に出ないようにしてるんだろう。
そう思うのと同時に私はふと街中を静かだと評したエドの言葉を思い出して、ぶるりと肩を震わせた。
その言い知れない悪寒の余韻は部屋で休んでいても何故だかあって、気付いたジャンヌは雨だから気温が下がっているせいと思ったのか薄手の上着を出してきて羽織らせてくれた。今夜はジャンヌもこの部屋に宿泊する。
彼女はここに留まりたいって改めて主張してきたけど、そこは変わらず明日には帰ってもらうつもりだと告げた。がっかりしていたけどこれもジャンヌのためだ。
そう言えば馬車から降ろした大きな箱や鞄はまだこの部屋に運んでもらえてない。予備の服や小物類なんかが入ってるんだけど、まあ予備だし数日の着替えは手元にある。加えて寄付予定の物品が大半でもあったから支障はない。後でその旨をシスターに言って荷物の整理を頼もうかな。
旅の疲労はないようであって、私は部屋のベッドで少し眠った。ジャンヌもゆっくりできたと思う。
そんなわけで大きなトラブルはなく、目を覚ましてあーお腹が減ったなあって思っていたら先のシスターニコラがやや早めの夕食を運んできてくれた。
オレンジと群青とその濃淡が織りなす色彩の、空が傾くような夕暮れが帝都上空を満たしている。
灰色で暗い女子修道院の上空とは別世界のようだった。
命じたある調査の結果を待つ間、明かりも灯さず暗くなるばかりの城の執務室で一人机の前に座すヴィクトルは、自らの手を見つめ下ろしていた。
ドヌーブの公園で、アデライドの傷を治すために彼女の手を握っていた手だ。
深い傷でなかったのは幸いだった。半端な治癒魔法でも十分に効果を発揮できたからだ。
これがもしも骨や内臓までの損傷だったなら、表面的ではなく本格的に文字通りの相手の全身に魔力を浸透させなければ修復はできなかった。それが治癒魔法の不便な一面だ。相手が拒めば魔法を掛けられない。意識を失っていれば別だが。
「あの感覚は一体……」
手を振り払われた時は多少ショックだったが、よくよく考えれば彼女はエドゥアールだと思っていたに違いないので、ヴィクトルとしては拒否られてざまあみろとちょっとほくそ笑んだりもした。
まあそれに彼女の身になってみれば慣れない奇妙な感覚に慄いたのも理解できる。
ただヴィクトルは、彼自身もまた奇妙な感覚を味わっていたのだ。
アデライドは魔法を使えない。だがそれなのに彼女の方から微細な魔力を感じた。いや、微細と言うのはそもそも間違いかもしれない。彼女の指先にまでそろりと伸びてきたそれに一瞬だけ触れたと言っても良かった。
城でも感じた護符の魔法具の魔力だったのだろうか。思い返せばとてもよく似ていた。
けれどもどこか異なってもいた。
アデライド・ロジェは計り知れない。
ただ、具体的に何が計り知れないのかと言われれば彼は自分でもいまいち言葉にできない。その謎のせいで思考の底がもやもやする。城での時のように問い詰めたいとも思うが、またそんな暴力的な事をやらかして今度こそ嫌われてしまうかもしれないと思えばできなかった。
エドゥアールのフリをして傍に居た時間は決して長いと言えないにもかかわらず、益々想いが深まるのを自分でもどうにもできない。彼女の神秘性だけが増していく。
「アデライド……」
彼女は本当に何を隠しているのか。
潰えない興味と共に公園での慈悲深さ勇敢さが思い出されて、彼は考え込むように手で口元を覆った。本当に稀有な存在だと思えば、その隠れた唇は笑みを形作った。
もしも今の彼を臣下の誰かが目撃していたなら、明日皇帝の狂気で帝国全土が血の海になると荷物を纏めて国外に夜逃げしただろう。
「しかし神秘、か。およそ現実的な言葉とは言えないな。……妊婦でもあるまいし」
妊婦は時に神秘的な存在とも言われる故の何気ないたとえだ。
そんな真剣でない呟きを落とし自らのその発想に呆れて微かな苦笑が滲んだが、彼は唐突にその笑みを消した。
「……あながち馬鹿げた考えでもないのか」
体の関係を持った以上、可能性は決してゼロではない。
「もしも仮にそうだとして……」
ヴィクトルは両の拳を握り締め執務机に項垂れると小刻みに肩を揺らした。
この国を担う大きな双肩を。
同時に、やるせないような嘲笑が零れ出る。
まさか自分がこんな無駄な感情を持つ人間――情けない恋する男に成り下がるとは思ってもみなかった。
「…………駄目だ」
彼の唇の間から歯を食い縛るような呟きが漏れた。
「そうならどうにかして……――殺すほかない」
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