異世界で目覚めたら妊婦だった私のお相手が残酷皇帝で吐きそう

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第11話差し入れは銀のもふもふ

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 籠の中は何だろうかと、私はテーブルに置いたそれを何となく暫く見つめた。
 そのうちにジャンヌが戻ってきた。届け物ありがとうと言葉を掛けると嬉しそうにした彼女は、ふとテーブルを見て瞬いた。

「まだ開けていなかったのですか?」
「うん、どうせならジャンヌと一緒にってさ」
「お嬢様……っ」

 彼女は一頻り感動してから、中身を透視したわけじゃないだろうけど籠をじっと見つめ思案するように口を開いた。

「あの、お嬢様、大変に差し出がましいようですが、現状なら帝都に帰っても大丈夫なのではないでしょうか?」
「ジャンヌ?」

 急にどうしたんだろう。

「お嬢様は皇帝陛下の怒りを買ったと思われて、酷い事が起きる前にとここに籠る決意をなされたのでしょう? ですが先日の陛下のご様子からその心配はないようにお見受けしました。あのお方はお嬢様のためなら火の中水の中飛び込むタイプかと」
「え、いやそこまではどうだろう」

 私が籠るのは妊娠したからなんだけどジャンヌは知らないんだった。
 現時点で私の妊娠を知るのはムンム、そしてニコラのみ。新世話役の老シスターはどうだかわからない。
 私は心配性の頼れる侍女へと苦笑を浮かべてみせた。

「もしそうだとしても、私はまだここにいるよ」
「それはどうしてですか? 陛下に愛想を尽かしたとか?」
「ノーコメント」

 その時だ。ガタガタと籠が揺れ出した。
 そう、テーブル上の、籠が。
 籠っ、がっ!

「ええっななな何!? これ実は生きてる籠!?」
「お嬢様、籠ではなく中身だと思います。何かの生物がその籠の中に入れられているのではないでしょうか?」
「あ、なるほど。そうだよね普通」

 いきなりでビックリしたから軽くパニクったよ。
 私はごくりと喉を鳴らすと、意を決して揺れている籠を上から手で押さえた。当然動きは止まるけど、私の押さえる力に抗って籠は動こうとする。
 正確には蓋を開けようと押してくる。

「ひっ、ジャンヌどうしようこれ、どうしたらいい!?」
「きっと蓋を開けたら駄目なやつですよねそれ! 何か縛る物は……っ」

 ジャンヌも焦り出し、室内へと視線を巡らせる。

「差し入れが害になる物とは思わないけど、何でどうして生き物を差し入れてきたんだよー!? あ、ドジョウみたいに踊り食いできる何か? 新鮮なうちにどうぞって? それか自分で絞めて食べろって? いやいやでもそんな事したくない。自給自足した事ないから鶏の絞め方すら知らないし!」

 籠の中身もこっちの空気を察したのか、このまま閉じ込められてなるものかーっと奮起したのかより激しく動き出した。

「ぎゃーっアグレッシブ! ジャンヌ早く何か持ってきてー!」
「にゃあーーーーおっ!!」

 へ? にゃあお?
 ジャンヌがパニクって鳴き真似したのかと思って見たけど、違う違うと首を左右に振られた。
 なら、今のはどこから?
 ここから~……と、一気に静かになった室内にそいつの鳴き声はよく響いた。

「にゃーーーーっ!」

 発信源は紛れもなく籠の中。

「えっまさか鬼畜にも猫を絞めて食べろって!?」
「お嬢様どうか落ち着いて下さいっ! 中にいるのが猫ならお嬢様の退屈しのぎにと思われたのかもしれません。……本当に中にいるのが猫ならですが」
「ひっ、そんなホラー展開あるわけないって! ジャンヌったら冗談キツイなあ、あはは、はは……」

 どっどうしようこの世界は魔法世界だし、超常現象もあり得る……!

「ジャンヌ、そこの箒を構えておいて。一二の三で開けるから。準備はいい?」
「はい!」

 私達は無駄に戦々恐々として籠を見下ろした。蓋を押さえていた力を抜く。
 この頃には中身の方もまた空気を察したようで静かになっていた。蓋を押してもこない。
 ならやっぱりこっちから動くしかないわけで、覚悟を決めて恐る恐る籠を開けてみた……らこうなっちゃいました。





「いや~んメロりんラブ~!」
「本当に綺麗な猫さんですねお嬢様!」

 私とジャンヌは籠を覗き込んでメロメロになっていた。
 だってそこには何と毛玉が、ううん、鳴き声の通りに一匹の猫が入っていた。私達の見ている前でもそもそと動いてピンと一対の三角耳が立てられる。

「にゃあ」

 品の良さそうな長毛種で、毛色はシルバー。

 ……えぇと、誰かさんを彷彿とさせる色だ。

 でもまさかこの猫が残酷皇帝のわけがない。

 アーモンド形の一対の赤い瞳が私を凝視する。

 うぐっ、そう、瞳の色まで一緒!

 さすがはヴィクトルが送り主なだけはある。可愛いくせにどこかツンとした雰囲気が彼っぽい。
 でも超次元的に可愛いぞお~~~~っ!

「毛並みツヤツヤ~、さては美味いものばっか食べてるな~? うーんでもお城で猫なんて飼ってたっけ?」

 何故か向こうからは出てこないので、とうとうこっちが我慢できず手を伸ばして抱き上げる。人馴れしてるのか躾の賜か猫は威嚇もなく大人しくして私の腕の中に収まった。ぬくぬくでふわっふわっ!
 しかも撫でる私の手に頭を擦り寄せるようにして気持ち良さそうに目を細めた。

「ふふっお嬢様がお好きみたいですねえ。お嬢様以外には全然無愛想だったりして?」

 冗談っぽく笑うジャンヌだけど、実際猫は彼女には目もくれない。私ばかりに注目している。彼女が撫でようとするとぷいと顔を背けた。
 ……あながち冗談でもない?
 性格に難ありなのかも。

「猫ちゃんお願い、ジャンヌを噛んだり引っ掻いたりはしないでよ?」

 びろーんと両脇を持ち上げて猫を顔に近付けた、途端。

「――ぶえーっくしょいっ! へっくしょん! はっくしょーーーーいっ!」

 いきなりくしゃみが止まらなくなって、思わず猫を放り出してしまった。
 すると、くしゃみが止まった。むずむずはしてるけど
 少し前から鼻がむずむずしてたのはこれかー!
 アデライドは猫アレルギーだったんだ。うわー、ヴィクトルの気遣い完全裏目だあ~。
 猫の方も見事十点満点な着地を披露したはいいものの、突如令嬢らしからぬ盛大なおっさんくしゃみをかましたからか、心底ビックリしたような真ん円な目で見上げてくる。ジャンヌが焦って傍に来た。

「猫が駄目とは知りませんでした。すぐに部屋から出しますね」

 賢くも彼女の意図を察したのか、猫は身構えると捕まってなるものかと室内を逃げ回った。
 ジャンヌもジャンヌで職務熱心さから躍起になって追いかけるから埃も立って、それが余計にくしゃみを誘う。

「ちょっ、はっくしゅん、待って、ぶぇえっくしょーい、動かないでああっくしょい! 余計に症状が酷くな、ってぶえっくしょーーーーい!」

 レベルアップした惨状にハッとしたジャンヌはようやく足を止めてくれた。
 必然的に猫の動きも止まったけど、猫ってば何とまあカーテンレールの上にまでよじ登った。柔軟な身体能力とすばしっこさには感心だ。身の危険を察知して俊敏に動けるってそのスタイルを私も是非とも見習いたい。
 埃を立てたのを何度も謝ると、ジャンヌは急いで窓を開けてお茶を淹れてくれた。それで口や咽を潤して、尚且つ湯気で幾分楽になった。

「本当に申し訳ございませんでした、軽率でした。どうにか猫を回収しますので一度部屋の外でお待ち頂けますか?」

 そうだよねえ、猫は出されるか。それも仕方がないと思いつつ、何気なくまだレールの上で警戒している猫を見た。バッチリ目が合う。

「…………」

 え、何か捨てないでって哀愁漂わせてるんだけど。
 そ、そんな目で見るな……っ。
 私は一つ溜息を落とした。

「ジャンヌ、折角だしここで面倒見よ」
「ですがくしゃみが……」
「抱っこはしない。ま、でも耐えられないレベルで暴れられたら即座に追い出すけど。でないと何か可哀想と言うか何と言うか。それに、陛下の好意を無にしたくないしさ」

 ま、完全裏目だけど。言葉に含まれたものを読み取ったのか、ジャンヌはそれ以上反対意見を口にはしなかった。
 ただし、猫を飼うのは飼うとして、居候の私達だけで勝手はできない。衛生面もあるし、餌の問題もある。
 故に、世話役の老シスターに話をして許可を求めた。

「猫の世話は勿論しますし、餌や猫用品、その他の消耗品代は私が責任を持って全額出します。当然、手間賃そしてプラスαで!」
「プラスα」
「そうです、シスターへのプラスα!」
「…………お気持ちは十分に伝わりました」

 え、この流れだと駄目なパターン?

「宜しいでしょう。それで手を打ちます」

 老シスターはチョロかった。マジで。
 的確にプラスαに込められた意を酌んでくれて良かった~。
 交渉中は、暴れて疲れたのか終始猫は部屋の隅で大人しく丸まっててくれたっけ。
 その後シスターが猫用品一式を調達してきてくれて、今後ともこれでよしなに~ってプラスαも渡して、ホッとできた頃には夜だった。
 食事をして湯浴みをして寝支度を整える。室内の余計な明かりを消してベッドサイドの手燭だけにすると、さっきまで椅子の上で丸くなっていた猫がいつの間にやらベッドに上がってきていた。
 こっちに気付けと言わんばかりに、それでいてどこか遠慮がちに一つ鳴く。
 もっと傍で寝てもいいかってお伺いを立てられてる気がした。人恋しがりな猫なのかも。
 すると顔の上にぬっと影が伸びる。

「お嬢様、駄目ですよ。またくしゃみが止まらなくなりますからね」

 ジャンヌだ。彼女は初日に運び入れてもらった簡易ベッドから起きて私のベッド脇まで来た模様。本当に心配性。

「んーでも毛を飛ばしながら顔の近くに来なければ大丈夫かも」
「んもうお嬢様」
「来たら降ろすからさ、ね?」

 猫もわかっているのか私の腰の横に丸まった。結局私に甘いジャンヌはそれ以上強くは言えず折れた。

 よしよしと手を伸ばして撫でてやれば猫は心地良さそうにした。蹲る猫の体温が毛布越しに伝わってくる。幸いくしゃみは出ない。
 毛並みが気持ち良くてぐしぐし撫でてやると、さすがに綺麗な毛並みを散々乱されて嫌だったのか猫は「ふにゃあっ」と不機嫌な声を上げてするりと私の手から逃れた。足元まで下がって身嗜みを整えるように毛繕いをする。
 激しくして毛が飛んだのか私は自業自得でくしゃみを繰り返した。ジャンヌは呆れた。
 そんな親しい侍女と大人しい猫と、我ながら和んだ鼻詰まりの就寝間際。
 そうだ猫の名前をどうしよう。きっと一年は一緒にいると思うからないと不便だ。でももう眠いし明日ジャンヌと考えようか。
 眠りに落ちるまで、お腹に手を置きながら、何だか素敵で幸せな安堵を感じたりした。

 ――お休みジャンヌ。お休み猫ちゃん。

 そういえばヴィクトルはどうしてるだろう。お礼くらいは伝えたい。もしも明日またエドか誰かが訪ねてきたなら伝言を頼もう。来なければ手紙を出そう。

 ――お休みヴィクトル。

 視界の片隅に銀色の毛並みが見えていた。





 人知の及ばない遥か異次元異空間で、この魔法世界を取りこぼしがないよう慎重に見つめていた「」が、とうとうある一点で止まった。

「見ぃつ~けたっ!」

 天使は声なき声で笑う。
 そうしてたった今覗き込んでいた世界へと存在をダイブする。
 只人の目には見えない光が天より降臨した瞬間だった。

「やあ、――アデライド・ロジェ。どこに雲隠れしたのかと思ってたけど、灯台下暗しってやつかあ~。ところで帝都で何かしてたの~? 例えば誰かぁー……皇帝陛下の夢枕に立とうと試みた、とか。僕の方は出血大サービスで高位聖職者の意識に働きかけてあげたんたよ~。君の代わりに苦労する羽目になった子がピンチだったからさ」

 帝都上空にふわふわと浮かぶ球形の魂を正面に見据え、天使は実に無害そうに微笑んだ。
 天使自身も明瞭な姿形を持つわけでもないのだが、今は人々の持つ天使のイメージの一つを借りて、白い翼の生えた金髪金眼の中性的な美少年の姿をしている。姿とは言っても普通の人間にその姿は認識できない。無論声も。

「君さあ、どうして逃げ出したりなんてしたの~? ってああその形じゃ自分で物は考えられても話はできないか、ごめんごめん」

 呆れと窘めを声に含ませた天使はハタと思い至り何らかの力を使う。直後魂は人の形になった。

 向こうの景色が幾分透けてはいるがアデライド・ロジェという可憐な少女の姿に。

「これで心置きなく会話ができるようになったでしょ」
「あらまあ……本当ですね喋れます」

 輝かんばかりの黄金天使は、にっこりと笑んだ顔を向ける。

「さあてと、じゃ、逃亡した理由を聞かせてくれない?」

 自らの変化を物珍しそうにしていた本物のアデライドは、困ったように、或いは観念したように肩も眉も下げた。

「わかりました。実はその、妊娠していると知って嬉しかった反面本当にショックで……だから逃亡したのです」
「へええ~……って、ええっ!?」

 天使は予想外の答えに笑んだまま激しくフリーズした。何故なら手元の運命台帳にはアデライドとヴィクトルは「ロマンチックにくっ付いてラブラブ云々」と若干の死語を交えてのベストカップル賞な内容が記されていたからだ。一体全体何のイレギュラーなのか。
 しかし長年様々な魂の案件を扱ってきた経験と胆力で平静さを取り戻す。

「お、面白い理由だね~それは」
「面白い、ですか?」

 アデライドは天使の感性を理解できないように小首を傾げた。

「子供は前々から欲しかったのですけれど、ただ……ヴィクトル様とはお別れしようと思っていたのです」
「へえ……。因みにショックって、媚薬で関係持っちゃったけど彼のその手のスキルに失望したとか、はたまた殺されるのが嫌だとか、そんなような気持ちになったの?」

 アデライドはフルフルと首を横に振る。

「いいえ。スキルは想像以上でしたし、殺されるなんて思った事はありません。ただ、何か違っていたと言うか何というか……彼はわたくしの本当の相手ではなかったのです」
「えー、つまり?」
「はい、好きは好きでも伴侶としては無理だったのです。言うなれば身内の兄や弟に感じるような家族的な愛情でしかなかったのです。それなのに愚かなわたくしはそれを恋だと勘違いしていたのです。いざ深い仲になってしかも子供ができてしまってから気付いても遅いのですけれど」
「あはは、子供出来ちゃったら殺されるって噂だしね」
「いいえ、今も言いましたけれど、わたくしに限ってはそうはならないでしょう」
「おおう、強気に断言するね」

 威厳を取り戻してか、興が乗ったような顔で天使はカラカラと笑う。

「ええ。それくらいは感情面でも彼とは懇意でしたから。あの方にとってもわたくしは妹でしょうね。そこに気付くかどうかは彼次第ですけれど」
「へえ~」

 ズバズバと結構率直に物を言う割にはアデライドは控えめな笑みで恥ずかしそうにした。天使はやっぱこの彼女がヴィクトルの妻になればいいんじゃね、と胸中で猛烈に思った。
 彼の手綱を握れる貴重な女性だろうし、この世界のためにも早い所元の体に戻してやった方がいいんじゃね、とも痛烈に思った。

 何しろ、アデライドの産む子供は次代の聖人か聖女と決まっている。

 子供の性別がまだ男か女かわからないのは、聖人や聖女の特異性なので余計な疑問を持つだけ無駄だ。そこは天使にもわからない。まさに神の領域、天の采配だ。
 因みに、天使はフロイス司教に次代の聖なる者を身籠るアデライドの身が危険なので、ドヌーブに救出に行くように強引に託宣を授けていた。
 だからこそ、若き司教は彼女を救ったヴィクトルの門破壊を不問にした。本来なら教会を挙げて護るべき対象をそうできず、教会側の落ち度と言っても過言ではなかったからだ。要は借りを作りたくなかったのだ。

「そんなわけで、彼とは別れてわたくしの本物の愛を探そうと思っていたのです。しかし身籠っているとなればどうあっても結婚は免れないでしょう。人生詰んだ、とそう思ったらもうひたすらショックでショックで魂が抜けるくらいに現実を拒否したかったんだと思います。深層心理までが」
「……」

 この世界において深層心理なんて言葉をよく知っているな、と感心する天使は彼女には「賢者」の素質があるのではないかと疑いを持ち始めた。聖人か聖女の母親ならそれくらいはあり得る。

 もしもそうなら「賢者」たる者ありとあらゆる知恵と手段を使って目的を達成するだろう。

 賢者と呼ばれる人間は不思議とそういう才能を持ち合わせているのだ。いやそう言う才能を持っているからこそ賢者と呼ばれる。
 その才能は時に天の予定や采配ですら覆す厄介な存在でもある。
 例えば、恋の相手ではない男から魂レベルで逃避なんぞするように。
 ただ、それよりも……と天使は何とも言えない顔になった。

「今までさ、様々な世界の色んな王や皇帝を見てきたけど、王位の簒奪とか妻の寝取られとか惨い悲劇はあれど、ここまで恋愛面で不憫な君主も中々にいなかったよねー……ある意味寝首を掻かれるより酷いよ」

 アデライドはそれには特に何も返さず、微笑のような困惑のような曖昧な表情を浮かべるだけだ。思い直しそうな気配など皆無。天使は本心からヴィクトルに同情した。

「わたくしをどうするつもりですか?」

 賢者疑いがおずおずとして訊いてくる。天使は顎に指を当て可愛く考えるポーズを取った。

「うーん、どうせこのまま戻してもまた逃げ出すんでしょ? 逃げるやり方を知って、味をしめたよね君」
「否定はしませんね」
「でしょー。はあ~~いいよいいよとりあえず急がないから。今は代わりの子にアデライドやってもらってるしね」
「ああ、それなら遠くから覗き見ていましたけれど、まさに理想でした」
「あはは、見てたんだ……」

 理想。
 彼女が何を根拠にそう言うのか天使にはいまいちわからなかった。

「わたくしにとってヴィクトル様は色恋ではない部分で未だとても大事な存在です。人生に幸せを感じて欲しいと、こうしている今も願っています。なので、その彼に諸々を超越するようなこれ以上ない伴侶を与えて下さった天使様の凄腕の采配には、心から感謝致します」
「……よくわかんないけど、何だか君には勝てる気がしないなあ。まあそのうち少なくとも一度は戻ってもらうから、それまでもう一回ゆっくり考えて最善の結論を出してみてよ」
「はい。……向こうの二人にもまだ時間が必要みたいですしね。彼らは信じられないくらいにピッタリなのに、どうしようもなく牛歩のようですから」
「はは……君は流星の如く展開が早かったもんね」

 天使は人間臭くやれやれと額に手を当てた。とりあえずアデライドの魂を逃がさないようにだけして地上の様子見をしようと決め込むのだった。





 カーテンの隙間から射し込む月明かりのせいか夜中ふと目が覚めてしまってゆっくり身を起こせば、寝ている間も私の傍から離れなかったらしい銀の猫がもぞっと顔を上げたのが消灯後の暗がりの中に見えた。別ベッドのジャンヌはすっかり夢の住人だ。
 半身を起こすと猫はするりと膝に乗ってきた。何とはなしにそんな猫を撫でながら、こっちを見上げる紅い猫目と目を合わせる。暗くても目が慣れているのでそのくらいには物が見えた。

「ホントにおんなじ色味だね」
「にゃあ?」

 何がだ?って鳴いたみたいで思わずふっと相好を崩す。 

「ふふ、私の人生史上随一にインパクトのある人の話」

 猫の小さな頭を両手で包み込むようにすると指先でふにゃふにゃと顔マッサージしてあげた。大人しくされるがままの顔にこれまた和む。
 この子とは今日初めて会ったのにすぐ私に懐いてくれて私自身もすぐにこの子を気に入った。
 人でも動物でもフィーリングが合う相手っているもんだよね。出産してここから出て行く時は一緒にロジェ家に連れて行きたいなあ。

「ねえ、私がここを出る時には一緒に来る?」

 その時に急に黙って連れてくのも悪い気がして、自己満足だけど何となく問い掛けていた。
 猫はイエスって言うように鳴いた。
 だけどそれでもいつか私は元の世界に帰るから、その時はきっと寂しいだろう。

「君にだけは言っておくと、たぶん私はずっと一緒には居られない。私はここじゃない私の世界に帰らないといけないんだ。こっちの世界から見ると異世界って言うのかな、とにかくそこにさ」

 撫でる手を止めて、密やかな囁きを落とす。

「私は本物のアデライド・ロジェじゃないんだ。別人って言うか、魂だけ別ものなんだ」

 猫はさすがに何を言われているのか理解できなくて不思議がっているのか、必死に目を丸くして私を見つめてくる。
 それとも猫には人に見えないモノが見えているって言うし、独自の感覚で私の何かを見抜いたのかもしれない。

「本物のアデライドが戻ったら彼女とも仲良くやってあげてね。それまでは宜しく。ふふ、だけど誰にも内緒だよ?」

 猫にだから言える大きな秘密。

「ん? どうしたの?」

 あれまあ、話を理解したみたいに思いっ切り固まってる。
 おかしなの。猫なのに人でさえ意味不明って思うだろう内容を理解したみたい。感じた眠気にわふふと欠伸をした。最後にもう一撫でしてまた横になる。毛布を顔まで引き上げた。

「おやすみ」
「……にゃおん」

 小さく鳴いたのが聞こえてついついにんまりしてしまった。





 あ、ヴィクトルがいる。

 視界の端の銀色をぼやけた眼で眺める私はいつもは感じるような恐怖を感じなかった。たぶんまだ眠いせいだ。現実感が薄い。
 でも何で?
 修道院への正式な立ち入り許可を得た? でもわざわざ皇帝御自ら来る? しかも何度も怪我させた女の顔を進んで見たいなんて思う?
 まあ、漫画とかでも恋する男ってのは時々凄く矛盾して厄介だったりするからなあ。

「……ヴィクトル、あなたには悪いと思ってるけど、仕方がないんだよ。でもごめん、私があなたのアデライドじゃなくて」

 むにゃむにゃと、半覚醒中のせいか余計な感情を取っ払った素直な気持ちが口から出た。

「にゃあ」

 猫が鳴いた。

 ん? 猫?

「――!」

 私は一気に目が覚めてがばりと身を起こした。
 顔の近くからこっちを見ていたらしく銀長毛の猫がびっくり眼で飛び退いた。

「ああそっか、銀色は猫。そうだよ、彼がいるわけないか」
「お嬢様起きたのですね。洗顔のご用意はできております。その前にお水をどうぞ」

 窓の外は既に明るい。私は驚かせてごめんねと猫を軽く撫でつつベッドから出ると、ジャンヌの差し出してくれた水を飲んでから顔を洗ってサッパリとした。

「うん、良い一日の始まりだ」

 問題は山積みだけど。
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