異世界で目覚めたら妊婦だった私のお相手が残酷皇帝で吐きそう

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第10話もう一人の銀甲冑の中身

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 ――今すぐ帝都に帰るぞ、アデライド。

「え……?」

 彼はそう綴るとスッと黒革の手を差し出してくる。
 名前を呼び捨てにしたとかやっぱり喋る時とのギャップがあるとか思うのに、最も思考を占めたのは声じゃないはずのエドの台詞が鼓膜を揺らしたように思えてしまった不可解だ。

 しかも、どうしてかあの残酷皇帝の声で。

 唐突にもまるでヴィクトル本人を前にしたみたいに我知らずゴクリと唾を飲み込んでいた。私の中の不安が僅かに踵を後退させる。

「急にどうして?」

 もしかしてここの現状を知ってる、とか?
 そうなら門の内側でこの会話を聞いてるだろう盗賊達に悟られないようにしないと。

 ――お前の身が心配だからだ。安全な帝都に帰ろう。

 安全て……やっぱり知ってるんだ。

「えっ、とぉ~あはっ何言ってるのさエド~?」

 ああ目が泳ぐ。すぐにも助けを求めたい自分とそれをやったらジャンヌと御者、捕まってる人達に何をされるかわからないからまだ駄目だって葛藤がせめぎ合う。
 でも女子修道院に居れば、少なくともヴィクトルから天国に送られる心配はない。
 それにニコラは女性の味方ではあるみたいだし、ジャンヌと大人しくして部屋に籠ってたら貞操の危機はないだろうから、教会の人間が来るまでそうしてればいい気がする。
 危険度なら、ならず者より残酷皇帝の方が私には天秤が重い。

 ――誤魔化すよう、ならず者から脅されているのだろう? しかしもう大丈夫だ。

「えっそこまで知って!?」

 つい大声を上げちゃった私は焦って門をチラ見したけど、門横の小さな通用口だけを開けこっちを見張る女装門番は魔法文字が小さかったおかげか読めていないみたいだった。なら慌てる必要はない。
 ニコラとジャンヌはエドから見えないように完全に門扉の陰にいる。
 エドが中に踏み込めるなら別だけど、知っているのにそうしないのは規則に縛られているからだろう。現状打破は見込めない。だけどその反面、帝都への強制送還も免れたも同然だ。

「心配はわかるけど、私だけさっさと逃げるなんてできない。それと、まだ外にバレてるって彼らは知らないから不用意な魔法文字は避けて」

 雨音には感謝だ。私の声はエドには届くけど門番と門の中には届かない。これは意図的じゃなく聞こえないのは雨なので不可抗力ですよー。

 ――お前のそう言う公平さや正義感は好ましいが、対策は講じて既に準備に取り掛かっている。だからお前が危険を冒してまで関わる必要はない。

 対策を?
 表情から疑問を読み取ったのかエドはそのうち教会騎士が来るって綴った。早速小さめの文字で。
 ふうん。でも帝国兵士じゃなくて教会騎士の方なんだ。
 やっぱり確執があると立ち入り許可を得るのは容易じゃないのか。

「なら私が今無理して帰る必要もないよね」

 ――アデライド?

「えーとね、こっちにも都合があるの。案じてくれる気持ちは有難いけど大丈夫だから。それにそのうちっていつ? 何日かかる? その間ジャンヌにだけ怖い思いさせるなんて主人失格だよ。申し訳ないけど帰って?」

 ――アデライド!

 焦ったようにエドが私の手首を掴んだ。

「エド、放して?」

 逃げるつもりだと誤解されたら大変じゃんねっ。
 手を引き抜こうと力を入れるもビクともしなかった。ブンブン手を上下に振っても駄目だ。この腕力差が憎い~~~~ッ!

「エド放してって」

 帝都まで無理やり連行するつもり?

 それともまさか、テレポートを……?

 エドの魔法の優秀さが如何程か知らないけど、ここから帝都までの長距離をテレポートできる腕の持ち主だったら詰む。計画が水の泡だ。
 そうだよ、エドは修道院には入れないから今みたいに私が門外に出ているうちに強行手段に出ても何らおかしくないんだ。

 そして、私の予想は見事に当たったらしい。

 よくアニメで魔法陣が地面に浮かぶと微風で髪とか裾がふわ~って浮く、それと似たような現象がまさに今私の身に起きていた。ふわりと下からの風を受けて裾が浮き上がる。わぁ魔法だぁー……なんて余裕こいてる暇はないじゃんっ! いやーっ大ピンチーーーーッッ!

 ――帝都に帰るぞ。

「帰らないっ!」

 私はエドの強引さに腹が立って一際大きい身振りで手を振り払おうと試みた。

 その際に何とまたバチリと電流みたいなのが放たれて、私の動作と相まってエドの手だけじゃなく全身を弾いた。
 出現していた魔法陣は電池不足のスマホ画面よろしくふっと掻き消え、エドは重そうな甲冑ごと後方に吹っ飛ばされる。

「あっ……ごごごごめんなさい!」

 自分でもびっくり仰天で目を見開いた私の前で、弾かれた衝撃で取れた兜がゴロゴロゴロと転がった。

 勿論兜だけ。生首なんてホラー展開にはなってない。
 エドの黒手袋は裂け、剥き出した肌色の皮膚には冷血漢たる青い血が……なわけはなくて普通に人間の赤い血が見える。電撃で額も切ったのか、上半身を起こした彼の俯いた頬を赤い筋が伝った。思ってもいなかったやり過ぎ感に蒼白になる。だって確かに強く拒絶したけどここまで攻撃したかったわけじゃない。怪我をさせたかったわけじゃない。

 でも、どうして?

 エドは赤毛だったはず。

 銀の髪じゃない。

 二重の意味で愕然とする私の目の前で、相手が血の落ちてきた頬を拭いつつゆっくりとその精巧とも言える顔を上げる。
 精悍な男らしさと悪魔のような麗しさが同時に存在するご尊顔を。
 現れた真っ赤なルビーみたいな双眸が私をじっと見つめた。

「ヴィクトル陛下……? どうしてあなたが……」

 心の中じゃ答えなんてとっくに出てるのに、震える声はわざとらしくも疑問調だった。
 ああ、誰か嘘だと言って。
 どうしてここに居るのとか、実はエドと仲良くカーシェアならぬ甲冑シェアしてたのとか、そんな疑問も霞んだ。私は二度も彼に傷を負わせた。

 これはもう妊娠如何にかかわらず、アデライド・ロジェ伯爵令嬢は処刑決定でーっす。

 ザーザーと降りしきる雨の中、私も彼も門番もしばらく無言だった。門番に至っては明らかに驚き怯えて私を見ている。
 今にも私が甲冑騎士と逃げようとしているって叫び出すんじゃないかって気が気じゃない。

 先に動いたのはエド……じゃないヴィクトル。立ち上がった彼は近くに来るなり諦めていなかったのか私の手をまた掴もうとしてきた。
 ハッと我に返って咄嗟に大きく一歩下がって回避する。
 すると彼は手をそこで止めたまま、まるで凍り付いた人みたいに動かない。まさかこれしきの事でショック受けたとか? ……そんなわけないか。
 強引さを怒ってたはずなのに罪悪感と気まずさを感じていると、ようやく彼が魔法文字じゃなくその口を開いた。稀なる美声が雨音さえもひれ伏すようによく通る。

「……何故、逃げる?」

 ひーっ! 逃げてもどうせ無駄だ、地の果てまで追っていくぞフハハって?

「ににに逃げたわけじゃないです。まっまたバチバチってなったら痛いから嫌だろうなあ~って思ったから避けたんです」
「私が痛がるから……と?」
「そそそそうです現にすごく痛そうですし……!」

 私も血が全く駄目って体質じゃないけど、見ていて気分の良いものじゃない。手当てした方が良いレベルの裂傷だ。
 慄く私の表情がだらだらと垂れる血に怯えたそれとでも思ってくれたのか、彼は負った外傷を自己治癒魔法であっと言う間に治した。
 あ、はあ、そうでしたそうでしたそれができるんでしたねえお宅。

「これでもう見苦しくないな」
「別に見苦しいなんて思ってないですよ。ただ心配しただけで」
「心配……」
「私のせいですし、改めて本当の本当に申し訳ありません!」
「そうか、顔も見たくない私を案じてくれるのか」

 彼は謝罪の方はまるで聞いていないようで、僅かに驚いたように瞬いた。
 顔も見たくない? うーんそう言えば以前そんなような台詞を言った気が。私が何て返せばいいのか困っていると、彼はいそいそと騎士兜を被り直そうとする。
 え、嘘でしょ、コント?
 この男本当にあの恐怖皇帝ヴィクトル・ダルシアク?

「顔も見たくないとは思ってません。もしかして甲冑を着たのは、わざわざ私のために姿を見せないようにって配慮……?」
「ああ……」

 私の中じゃ既に、最早これまでの道中も含めて喋らなかった時の銀甲冑の中身はこの人だろうなあって結論が出ていた。声でエドじゃないのをバレないようにしたんだろう。
 日がな一日頬ずりしてても嘗めてても吸ってても足りないってくらい大事な大事な甲冑を他の男とシェアしなきゃならなかったエドには、心から同情する。さっきは意図せずも飛ばしちゃったしあれは確実にどこか凹んだよね。冗談抜きにごめんエド。
 ヴィクトルは持ち上げた兜を下ろした。雨避けローブのフードが外れているから彼の頭はどんどん雨に濡れていて、早くも繊細な銀の毛先から水が滴った。案外雨足が強く付着していた血も流れ落ちて綺麗になっている。

「あ、あの、帰った方がいいと思いますよ。風邪を引いては大変です」

 なんて言ってやるけどまだ警戒レベルは上から二番目くらいだから、傘を優しく差し掛けてやったりはしないで少し距離を取っている。因みに警戒レベルは百段階あるよ!

 先の女装盗賊の時といいこの場といい、私も多少雨に当たっていたせいか、相手に風邪云々と言っておいて自分が一つくしゃみをした。
 濡れたは濡れたもののまだそんなに寒いわけじゃないけど、小さく鼻を啜るとヴィクトルが血相を変えた。

「アデライド!」
「わわわわ!」

 怒ったような顔でずんずかまた寄って来られた恐怖にパニクって開いた傘を盾にする。

「私は絶対帰りません!」

 駄目押しと傘を相手への目隠しにするようにして放り投げると更に回れ右で駆け出し通用門を潜ろうと試みた。
 敷地内に入れば皇帝でも手出しできない。
 仮にここが戦場だったら私は確実に敵前逃亡の罪で罰せられてる。そして戦場でもここでも、敵に背を向けるのはある種の賭けだ。背中から攻撃を食らう危険が大いにある。
 果たして無事に門まで辿り着けるのか。この際滑り込みセーフなギリギリラッキー展開でも良い。
 薄く雨水の層の張った石畳をバシャバシャと走る私とヴィクトルの足音が重なる。
 門まであと少し。
 彼の足音がすぐ後ろに迫り、刹那、後ろから抱き締められた。

 捕まえた脱兎が暴れるように、必死に逃げようとする私は無我夢中で暴れた。

「やだやだやだ放してッ!」

 このまま帝都に連れ戻されるなんて御免だ。拳が何かに……多分硬い板金とかに当たってちょっと手が痛かったけど、今度はバチッとはならなかった。

 だからなのか上手い具合に相手を振り切れてそのまま振り返りもせず門の内側に駆け込めた。

 意外だったのと逃げるのに必死で、だから私はその直前までふわりと体を包んでいた温かな風の正体にも、そしてどうして簡単に振り切れたのかって根本的な不可解さにも、しばし思い至らなかった。
 後で思えば、ヴィクトルがその気なら私は逃げられなかったろうから。
 私は深呼吸を繰り返しながら振り返る。
 彼はさぞかしご立腹だろう。

「……何で」

 全然怒ってなんていなかった。

 むしろどこか自嘲するような面持ちが目に映る。その口元は私の手がもろに当たったせいだろう、唇が切れて血が滲んでいた。
 お城の時から傷付けてばっかりだ。
 どうしてだろう、心が苦しい。
 そんな私は、ドレスがすっかり乾いているのに気付いて目を丸くする。

「これ……陛下が? 私が風邪引かないようにって?」

 彼ははいともいいえとも言わなかったけど、答えを聞くまでもない。そう言えばお茶会の時も体調を気にしてくれてたし、道中でもこれでもかって感じで大事にしてくれた。
 あの蝶々のハンカチはきっと私が彼に巻いてあげた物だろう。大事に使ってくれていた。そんな事に気付いてしまえば、ああそっかこの人はって極々簡単な結論にだって思い至る。

 ヴィクトルは色々と女心のわからない恋人にするには駄目な一面はあるけど、本当にアデライドが好きなんだ。

 彼女への気持ちを単なるお気に入りって思って悪かったかも。
 だって普通は単なるお気に入りにここまでしない。

 私の中で残虐皇帝ヴィクトル・ダルシアクのイメージが端からボロボロと崩れていく。

 こんなの、好きな女の子をただひたすら追いかけて護ろうと奮闘するカッコイイ男だよ。……方向性は激しく間違ってるけど。

 でも、ここで絆されちゃいけない。お腹の子のためにも。
 そうなんだよね。アデライドに恋する事と、彼女との子供がいる事は彼の中では共存できないと思う。
 子供の存在は許容できず、堕ろさせようとするか最悪アデライドごと葬ろうとするかの未来しか想像できない。
 故に、鬼皇帝を前に心を鬼にしてって言うのも何か変だけど、私は強い眼差しでヴィクトルを見据えた。
 彼はこっち側には入れない。
 入ろうともしない。
 自分の立場を重々理解しているからだ。

「ごめんなさい」

 言って私はゆっくりと背を向けた。

「アデライド!」

 名を呼ぶ声には一緒に帰ろうって懇願の響きがあった。
 だからこそ背を向けたまま左右に首を振った。
 耐えるような沈黙が返ってきて、胸が痛んだ私は振り返ってついつい叫んでいた。

「きっと必ずアデライドは戻るから、それまで待ってて、あなたのアデライドを!」

 ヴィクトルの知らなかった一面を見て、私はそのために今ここに居るんじゃないかって思う。……たとえ天使の奴のテキトー極まる人選だったとしても、結果的に私がアデライドになって良かったって思いたい。

 ヴィクトルは何故か動じたみたいに私の台詞に息を呑んだ。アデライドからあなたのアデライドを待てだなんてちょっと意味不明だったかもしれない。

「違うっ、――今のお前だから私はッ」

 途中まで言い差して、何故だか口を噤んだ。

 ……ううん噤むってよりも凍り付いたみたいだった。

「後ろだアデライド!」

 へ?

「お嬢様逃げて!」
「あんた何やってるんだい!」

 ジャンヌとニコラまでがこっちを見て叫ぶ。
 後ろ? 逃げる?

「――!?」

 見たら門番だった。片手にナイフを握り締め今にも私を刺そうとしている。
 私が危機に気付くと彼は病んだ目付きを更に細くして、たぶんだけど覆面下で嗤った。

 え、え、何で私が狙われるわけ!?

 咄嗟に身を翻して逃げたけど、足が縺れて転びそうになる。手を前に突こうとした――ところで目の前にニコラが滑り込んできて何と彼女は全身で私を受け止めてくれた。
 必然的に雨の地面に尻餅をつくニコラの上に折り重なった私はお礼も忘れ放心気味に彼女を見つめる。
 私を助けるためにニコラはジャンヌを解放していて、ジャンヌは泣きそうな顔で私の傍にくる。
 ニコラはふうと溜息をつくと尻餅をついたまま仲間を睨めつけた。

「あんた、どういうつもりだい!」

 そうだ、まだ終わってない。

「へっ、ははは、そこの女を殺せば帝国に仲間を殺された恨みを晴らせるってもんだろ」

 ニコラは呆れたのか冷ややかな眼差しを仲間なはずの男へ向ける。

「おいおい奴らを美化するんじゃないよ。強盗に人殺しに強姦にと散々悪事を働いたんだ。因果応報に成敗されただけだろ」
「何だとっ!?」
「正直帝国に復讐したいならあたしは止めない。勝手にすればいい。だけどね、お門違いの相手にまで危害を加えるんじゃないよ」
「お門違い? ははっいくら皇帝様でも大事な女を殺されりゃ少しは堪えるだろ。そこのアデライド・ロジェ伯爵令嬢には悪いがな!」

 えっ、あちゃーこっちの素性がバレてる。そりゃ皇帝の顔を知ってても不思議じゃないし、今のやり取りから親しい仲だと思われても仕方がない。巷の皇帝の噂に詳しい人ならアデライドって名前と擦り合わせて私の身元を突き止めるのも可能だろう。

「ニコラお前、医学の心得があるからと調子に乗んなよ。他の奴らは一目置いてるようだが、俺はお前でも容赦しねえぞ!」

 門番は一旦足を止めていたけど、ナイフを手にまた向かってきた。
 ニコラは自分で、私はジャンヌに手を貸してもらって立ち上がっていたけど、この距離じゃ逃げられないっ!
 ああもう死んだらあの天使めどうしてくれようかっ。
 迫る刃物、目を見開く私の視界じゃ仲間割れしたニコラが咄嗟に盾になるように前に出る。

「さっさと門の外に逃げな!」
「でっでもっ」

 何でどうして護ってくれようとするの?

 ここで死んだら元の世界にも戻れない。本来私はどんな手を使っても生き残る道を選ぶべきだ。
 だけど、他者を犠牲にして?
 冗談じゃない。
 私は素早くニコラの腕を引っ張った。
 門番のナイフが空を切る。

「そりゃあ死にたくないけど、あなたを身代わりにして逃げるのは違うじゃんっ!」
「あんた……」

 一方、門番は初撃が見事に外れてより激怒。

「このアマ共がっ、まずはお嬢様お前からだ!」
「ぎゃーっ来ないで来ないで来ないでーっ!」
「騒ぐなうるせえっ」

 止めようとしたニコラとジャンヌは男の腕力には及ばず突き飛ばされて倒れ込み、私の眼前で門番のナイフがギラリと光る。今度はもうなりふり構わず逃げるべきだと警鐘が鳴るのに、強張った体は動かない。
 あ、ヤバ、死――?

 ――刹那。

 爆撃でもされたような大きな粉砕音が上がった。パラパラパラと音を立て何かの破片が近くや遠くに降る。

 私は思わずびっくりして目を瞑ってしまったものの、それ以上の破壊音はないみたいでそろりと瞼を押し上げた。

「な……?」

 門番が消えた。
 な、何が起きた?
 ま、まさか死……ああ違った、門番は少し離れた地面に倒れている。修道服の裾が捲れて毛深い素足がみっともなくも丸見えになっていた。おそらくは飛んできた木の破片に当たって横に吹っ飛ばされたんだろう。そこそこの大きさのが近くに落ちている。

「アデライド!」
「ほああ!?」

 声の方へと顔を向ければ、直前まであったはずの物――女子修道院の正門が綺麗サッパリ無くなっている。
 その境界線の向こうに佇むのは、凄い必死な形相で片腕を持ち上げたヴィクトルだ。
 意外。彼でもあんな顔するんだ。
 彼が魔法を放ったのは疑いようもない。
 正門を文字通り木っ端微塵に破壊して、その破片で見事に門番を昏倒させたコントロール力は称賛畏敬恐怖、そのどれもに当て嵌まる。
 でも、敷地には一歩たりとも踏み込んではいない。
 門は境界線上にあるとは言え、破壊するのはさすがに後々揉め事に発展しかねないけど。
 彼がその可能性を思い至らないわけがない。十分承知でそれでも私を助けるためにそうした。
 そして、もしも本当に必要なら踏み込んでもきただろう。
 法なんて無視して。

 彼にとっての大切な女の子のために。

 私と目が合うと、静かな危惧と怒りを滲ませていた彼の眼差しは和らぎ、無事で良かったとそう語るように細められた。
 彼の一途さに……不覚にも胸が高鳴った。





 その後、もう一度だけヴィクトルは帝都に帰ろうと訊いてきた。
 返答を待つ間、一緒に帰ろうって目で私をじっと見つめてくる。
 ……そんな目で見つめられても困る。
 目が合っているから余計に緊張を強いられる。恐怖とはちょっと違う不可思議な感覚で。
 彼を騙している罪悪感か、何だか眼差しを受け止めていられなくて私はさっと目を逸らした。
 褒められた態度じゃないのは自覚してるしヴィクトルがぶちギレる可能性を考えないわけじゃないけど、この中にいれば安心ってどこか狡い気持ちもあった。

 だから、私の答えはついさっきあんな怖い目に合ってもノーだった。

 ニコラがいるからだ。彼女は仲間割れしてまで私を庇ってくれた。
 残しておいても危険な女装門番はニコラにより敷地外に放り出され、そいつはヴィクトルが連れて行くだろう。彼女もそこを見越してそうした辺り賢明さと狡猾さがある。
 はあぁ、それにしても私は駄目なアデライドだ。皇帝に魔法を使わせたら駄目な所で使わせた。
 修道院の門を壊すなんて、絶対教会組織との大きな問題になる。

「申し訳ありませんが、気持ちは変わりません。ただ、約束します。今回の門の破壊は私が原因ですし、教会と揉めたら私がきちんと説明責任を果たすと」
「アデライド、私のために祈ろうとしてくれる気持ちはとても嬉しいが、そのために離れているより、近くで共に過ごせる方がずっといい。どうせなら私に健康マッサージでもしてくれた方が余程効果的だ」

 くっ、教会の存在意義……っ。

「それに、そもそも今回の事で教会と揉めはしない」
「どうしてそう言い切れるんですか? ま、まさかやってないとそら惚ける気で!? それか、くくく口封じとかして……!?」
「……お前が私をどんな目で見ているか少しわかった」
「あっええーっと今のは本気じゃないですよ本気じゃ!」

 うわあああーっ、猜疑心の塊みたいな目で見てくるっ。これ詰んだ!?
 ヴィクトルは殺人鬼のようなオーラ……は出さず、はぁと一つ溜息をつくと何故か自身の後方へと目を向けた。
 何かあるの?
 疑問を抱いていると、程なくして駆け足で誰かが近付いてきた。
 もしかして今度は本物のエド? それかフィリップとかロベールかも。

 だがしかーし、現れたのは全く以て知らない青年だった。

 え、どちら様……ってかめちゃくちゃ美形!
 
 とにかく綺麗で透き通るように麗しい金髪美青年だ。 
 お爺ちゃんヨハネ司教が着用していたような服を着ている。まさかの教会関係者ご登場だ。
 こっちの視線を感じてか、彼は微笑む。

「少しぶりですね、ご令嬢。どこもお怪我はありませんか?」
「少しぶり? 人違いでは? 私はあなたに会った事はありませんけど」
「あ、そうでした、あの時は声だけでしたね。ヨハネ司教からあなたのお話を伺って僕の方はお顔を知っていたもので、不躾でしたすみません」
「いえ、でもヨハネ司教って帝都西区教会の?」
「はい」

 と、ここでようやく私も彼の柔らかな美声に聞き覚えがあるのを思い出した。
 あの告解部屋の……!

 えっじゃあつまりこの超絶麗人が私のあの激しいマシンガン愚痴トークを聞いてくれた人?

「…………」
「ご令嬢?」

 ぎゃーーーーっっ!

 幸い声には出さなかったけど、顔には絶望がもろ出ていたと思う。青年神父はちょっとビクッとした。
 うわあああっホント羞恥に死すっっ!
 ううぅっ、でもあれはオフレコがルールだし無かったも同然だよね、うん! さあ気を取り直そう!

「こほん、あの時の神父様がどうしてこんな所に?」
「天使様より、あなたがピンチだと知らせを頂きまして、急ぎテレポートで参りました。怪我がなくて何よりです」

 天使様? それは君だあっと内心思う私は、はたとテレポートって単語からとあるお方が連想されて青くなる。

 ヴィクトルをすっっっかり忘れてたーーーーっ!

 今更ながらギクリとして瞬間的に振り向けば、彼は雨の下、不気味なくらい静かに俯いて先と変わらず女子修道院敷地ギリギリに立っている。
 と、彼の横に並んだ青年神父が何故かくすりと笑った。

「それにしても随分とスッキリさせましたねえ。けれどご安心召され。この惨状はロジェ嬢を救うために必要だったと理解ができますし、それであれば教会側からの弁済要求も非難の心配も要りません。加えて、以後こちらの管轄地で起こった事案はこちらで対処します。そういうわけですので陛下、もう帝都にお帰り下さって構いませんよ」

 ピクリとヴィクトルが反応した。
 水の滴る銀の前髪の奥から覗く真紅の目は明らかに怒りに染まっていた。

「――ミシェル・フロイス」

 ミシェル・フロイス?
 巷で礼拝時に卒倒者続出って噂の超人気ミシェル・フロイス司教!?

 なるほど評判通りの容姿。まじまじと私が見つめたからか、フロイス司教は微笑んだ。は~っ可愛いね君~。無愛想ヴィクトル様とは正反対。

「油を売っている暇があるならさっさと中のならず者共を縛り上げろ。私は生憎そちらに入れないからな。臨時に許可が下りれば別だが」
「申し訳ありませんが、僕の独断ではちょっと……」
「牛耳っておいてよく言う」
「ふふふ、牛耳るだなんて人聞きの悪い。陛下のご期待には十分応えられるかと思いますよ。そもそもそのために来たのですしね、一掃しますのでご心配なく」

 相変わらず穏やかな口調のフロイス司教は意味ありげにニコラを一瞥した。途中から来たのにどういうわけかニコラもならず者一味だって悟ったみたい。見た目がシスターらしくないし、職業柄人を見る目に長けているからかもしれない。
 彼はヴィクトルに目を戻したけど、どうしてなのか二人の空気がバチバチだ。
 皇帝と教皇の仲が悪いならその部下とも仲が悪くても不思議じゃないけど、過剰な気がする。

「ふん。ならさっさと始末を着けろ。今の音を聞き付けて他の盗賊連中もやってくるはずだ」
「そうですね」

 さらりと同意して、フロイス司教は修道院の敷地に足を踏み入れる。
 一人で。他に教会騎士が同行している様子もない。

「待って下さい。一人で戦うなんて無茶ですよ!」
「アデライド、心配は無用だ。盗賊団の制圧程度ならその男一人で事足りる。そいつは教会の正義のためなら私以上に容赦を知らない頭のおかしい奴で、司教の癖に戦闘魔法もお手の物だ」

 えっそうなの? ふわっとしてるから全然そう見えないけど戦闘狂なの?
 びっくりして見つめるとフロイス司教は少し困ったようにはにかんだ。うん、ごちそうさまですそのわたあめスマイル。
 だけどこのヴィクトルにそう言わしめるなら本物か。んまっ、恐ろしく綺麗な顔して武闘派だこと。

「まあ悔い改めない相手に手加減はしてやりませんけれど。そこのあなたはならず者の仲間ですよね。僕も手荒な真似は好きではありませんし、抵抗はされませんよう」
「ああ、その方が良さそうだ」

 ニコラだ。彼女は潔く降参した。

「あの、フロイス司教、彼女は情状酌量してあげて下さい。私を助けようとしてくれたんです。盗賊団にいたのもきっと何か事情があるんだと思いますし」
「あんた……」

 私が懇願の体でいるとフロイス司教はちょっと意外な展開そうに瞬いた。
 彼女が善人だろうと悪人だろうと、他のならず者と一緒に成敗されるかもしれないって心配してしまうのは、庇ってくれたからなのがやっぱり大きい。

「こちらも、暴れたりしない限りは丁重に扱いますよ。彼女も見た所自棄を起こしたりはしないでしょうしね」

 フロイス司教はニコラを縛らず、ヴィクトルへと改めて向き直る。

「陛下、いくらお待ち頂いても立ち入り許可は差し上げられませんよ?」
「……貴様っ」

 らしくなく挑発に乗せられたのかヴィクトルが踏み込んで来ようとして見えて、私は大いに焦った。

「陛下っ、絶対に入って来ないで下さいっ! 不法侵入です!」
「だ、そうですよ?」
「ミシェル・フロイス……!」

 青筋を浮かせるヴィクトルとにっこりとするフロイス司教。まさに正反対だ。ヴィクトルからの特大の殺気にも全く動じてない司教は中々結構いい性格をしていると思う。
 そんな司教は落ちていた傘を拾ってジャンヌに渡し、ジャンヌは慌てて私と相合い傘。
 でもびしょびしょだから無意味だよって辟易してたら、目の前に来たフロイス司教からそっと手を取られ、ジャンヌ共々さっきヴィクトルが使ってくれた乾燥魔法ですっかり髪の毛も服もカラカラになった。ジャンヌと二人で感謝を述べると彼はにこりとする。

「これくらいいつでもお申し付け下さい。時に、心に重荷を感じてどうしようもなくなった時も――」

 傘の下に司教が顔を寄せてきて、耳元で囁いてくる。

「――私で良ければまたお話を聞きますよ」
「……っ」
「ミシェル・フロイス……!」

 どっかの皇帝様の地を這う声が聞こえた。
 ヴィクトルの真ん前で何するのーっ! しかも彼はヴィクトルが爆発する前にと素早く身を引いた。ヴィクトルの方は見ないってか見れない。メラメラ嫉妬の炎が怖くて見れないいいっ。

「お、お気遣いありがとうございます。ま、まあ機会があれば……」

 社交辞令的なものだと察したかはわからない。司教は終始笑みを崩さなかった。
 一つわかったのは、ミシェル・フロイス、あんたは確信犯!
 私はひと呼吸して改めてヴィクトルに直る。気まずいから目は合わせないようにしてね。

「ヴィクトル陛下、陛下直々に来て下さってありがとうございました。ここはフロイス司教にお任せするので私は大丈夫です。どうかお帰り下さい。雨ですし、その…………風邪引かないで下さいっ!」

 乱暴に言ってくるりと背を向ける。最後のは、これは演技でも何でもない私の本心。

 ヴィクトルが思ったよりも怖くない男だってのはわかった。
 何となくもう一度振り返りたくなったけど、そうしたら気持ちが揺らぎそうでやめておいた。

 フロイス司教からは盗賊達を成敗するまでは隠れていた方が無難だと言われ、ジャンヌとニコラと三人で正門近くの門番の休憩所に隠れた。
 ニコラは私やジャンヌを人質にして逃げようと思えばできたろうにそれもせず、むしろこっちの身の安全最優先で警戒してくれている。フロイス司教も彼女が変な真似はもうしないと、反省しているとわかっていたのかもしれない。

 でもさ、どうして?

 私はニコラに袖の下を渡しても、渡すと約束してもいない。
 もしや皇帝と繋がりのある私と仲良くしておこうと? でもそれだって刃物の盾になって命を危険に晒すのとは見合わないと思う。
 気になった私は探る目で彼女を見据える。

「ニコラさん。さっきは庇ってくれてありがとう。だけど、どうして私を気にかけて身を挺してまでくれたの? あなたの命だって危なかったのに」

 屋内は広くはなかったけど、わざわざ彼女は近くまで寄ってきて耳元に顔を寄せてくる。な、何だろう?

「お腹の子に何かあったら大変じゃないか」

 ジャンヌに聞こえないようにだろう、かなり声を潜めてくれたけど、それより、それよりも、ななな何で知って!?

 そう言えばさっき門番が医学の心得が何たらって言ってたな。なら庇ってくれたのも妊娠に気が付いていたからだ。接したのは短い時間だったのに凄い。
 だとしても私達は赤の他人で、ここまでして昨日までは全く知らなかった私を助けてくれる理由がわからない。
 妊婦だから丁重に扱ったと言われればそれまでだけど、それ以外の個人的な理由があるように思えてならない。今は状況的に訊けないけど、いつか訊いてもいいんだろうか。
 目は口程に物を言うとは今の私だ。
 ニコラはわかってるよと言わんばかりに、何も問えずにいる私に小さく唇を笑ませた。

 この夜、ドヌーブの見えない危機はフロイス司教により取り払われた。

 ヴィクトルにすらこいつはやべえ奴と言わしめる武闘派な彼が何をどうやって修道院に巣食っていた盗賊団を呆気なく無力化したのかは、まあ考えないようにしよう。





 ヴィクトルを追い返してから一日経って二日経ってとうとう今日で三日目に入った。
 因みに盗賊団の連行と事後処理のために地元の教会騎士が来たのはあの夜の翌日。
 本物のシスターや滞在者は皆解放され、怪我人や体調不良者のうち程度の重かった人は手当てを受けた。死者が出なかったのは不幸中の幸いだ。
 近所の人は教会騎士達がぞろぞろやってきたのを何事かととても驚いていたそう。ま、当然か。
 ジャンヌは今回色々あったからと様子見もあってもう少しここに私と滞在する運びになった。
 因みにフロイス司教は「あなたに大事がなくて良かったです。お声を届けて下さった天使様もこれで安心したでしょう。それではまたお会いしましょう」なんて律儀に私と握手まで交わして帝都へと帰って行ったっけ。
 だけど、天使様?
 まさかあの声だけ横着天使とか言わないよねえ?
 この世界の現実には干渉できないから司教に助けを求めてくれた……なーんてわけはないか。あの天使に限っては。

 ああそうだ、私が当分帝都に帰らないって話は既にヴィクトルに露見していた。

 正直当初の思惑よりもだいぶ早い。だがしかし案ずるなかれ、誰も私には手出しできない。何しろここは女子修道院!

 話を戻すと、盗賊団はやっぱりお金が目的で、仮に占拠がバレても教会騎士が来る前にはトンズラする予定だったみたい。しかも彼らはこれが初犯ではなく、ターゲットにした家の人間以外のその土地その土地の住人にはバレないように、巧妙に偽装してがっぽり金品をこそぎ取りながら各地を転々としてきたらしい。全く何て質の悪い集団だ。

 お縄になったニコラとは話させてもらえる機会があった。私がお願いしますどうしてもと土下座する勢いで懇願したからだろう。
 教会騎士達は私の事をフロイス司教からどう聞いていたかは知らないけど、そんな事をされたら自分達の首が飛ぶって感じで大きく焦ったようにしていたっけ。
 ……どこかのお城でこれと似たような光景を見た気がするなぁー。フロイス司教もか……。

 まぁいいけど、ニコラが彼女の故郷を襲いもした当の集団に入ったのは、いつかとある貴族への恨みを晴らすためだそう。
 妊婦の私を気にかけてくれたのもニコラはかつてその貴族のせいで流産した経験があったから。詳しくは私の気分が悪くなるだけだからと教えてはくれなかったけど。
 たぶんニコラはこれまでも残虐行為には加担せず、むしろ男達が女性に狼藉を働いたりするのをできるだけ制止していたんだろう。
 動機は物騒だけど彼女が罪を償い、いつかは生業として腕を奮っていた医学の道を再び歩めるようになってほしい。

「一、二、三、四、二、二、三、四」

 私は借りている部屋でストレッチをやりながら窓の外を眺めていた。
 今はもうすぐお昼って頃合いだ。
 ジャンヌは洗濯で不在。
 窓の外には思い切り胸のすく真っ青な空が広がっている。
 一通りのストレッチを終えた所でノックが聞こえた。

「アデライド様、昼食をお持ちしました」

 この声は本物のシスターだ。当然ニコラはもう来ない。
 それを何となく残念に思いつつ私が応えるとシスターはトレーを手に入室してきた。シスター歴の長いんだろう白髪の年配シスターだ。

「失礼します、アデライド様」

 シスターはテーブルに丁寧に皿を並べる手を止めないまま口を開いた。

「ところで、今日も甲冑の方がお越しになっているようですが」

 シスターがどこか気掛かりそうにして見てくる。
 温かい料理からは美味しそうな匂いが漂ってくる。ここの食事はあっさりしていてアデライドの体質に合っているのか、つわりが一度も起きてない。そんな有難い食事なのに急に食欲が減退した。

 何かね、ここ連日、居るんだ。

 門だった場所の前に。

 銀甲冑が。

 中身がどっちなのかは不明だけど、朝から晩まで応急的に板を立てられた臨時正門前に陣取って私を待っている。ぶっちゃけお宅仕事はどうしたよ!って思う。

 私は初日に昼まで待たれた時点で足は運ばずも「当分帰らない」って伝言をくれてやった。
 銀甲冑は夜まで待ってたらしいけど、それでも日没頃にはいなくなってたって話だから諦めてくれたんだろうって安堵していた。だけどそれは大きな間違いだった。
 だって次の日も来た。で、朝から晩まで居座られた。

 そして今日も朝から来られて待たれてるってわけ。

 会わない帰れって旨の言伝は甲冑が姿を見せた時点でしてくれるようには頼んであるけど、妙な圧があって怖いから早く来てほしいと正規の門番から日に何度も懇願される変な状況になっている。
 これはあれだ、ドラマとかでも良くある典型パターンの情に訴えかけるってやつだ。私の良心を試してる。時間が経つにつれて気が重くなってるのは確かだし。
 私の溜息に老シスターは自身の頬に手を当てた。

「甲冑騎士様も相当頑固と言うか何と言うか……」
「まあ、上からの命令だから仕方がないんだと思います」

 中身がそのまさに上の人の可能性もあるしね!
 ホントいい加減にして……。

「どうせなら一度行ってみては? そうしてきっぱり言ってやるのです。根比べのように悶々としているよりも、その方が言う事を聞いてくれるかもしれません」
「うーん、それは一理ありますね。よし、じゃあ今から行ってみます」

 ジャンヌもまだ戻らないからと、私は思い立ったが吉日と早速一人正門に向かった。盗賊団やニコラは既に移送されて行ったので一人で出歩いても平気だ。彼らにガメられてた私の荷物は全て部屋に運ばれている。

 到着した臨時正門板の隙間から覗くと、門前には銀甲冑が姿勢良く直立している。

 うっ、一瞬幻覚で背景に博物館の展示ブースが見えた。
 相手は鋭く気配を察知したのか隙間から見ていた私とバッチリ目が合った……ように思う。向こうさん兜だから正確なとこはわからないけど。何にせよ急ぎ足で近付いてくる。
 ひいいっ、何が何でも連れ帰ろうと腕を掴まれて引きずり出されそうって思った私は咄嗟に敷地境界線の遥か内側まで引っ込んだ。
 ちょっと戸惑っていた門番がようやくハッとして板戸を引きずって開けてくれる。会話できるようにって気を遣ったんだろうけど、余計な事を……っ。
 バーンと銀甲冑のご登場だ!

「ご、ご機嫌よう。今はどっち? エド? それともヴィクトル様?」

 うっかりしてた先日とは違って陛下って言葉は使わない。どこで誰が聞いてるかわからないからだ。こんなところに皇帝が一人で甲冑着て立ってるなんてのはおかしな醜聞にしかならない。既に恐怖の対象って意味じゃもうどうしようもないけど、その他の評判まで落としたら私の命にも関わる。ヴィクトルって名前は珍しくもないからそこは使うけど。

「今は某の方ですよ」

 ああエドか。良かった……。VIPな彼だったら胃が拗れて吐くかもしれなかった。

「エド、悪いけどいくら来られても無駄だよ。大体エドも命令だからって律儀に来なくていいのに」
「そうは行きません、首が飛びます」
「あー……そっか」
「はい……」

 声に冗談の色は欠片もなかったね!
 ここで私は声を潜めた。

「ねえところでエドに訊きたいんだけど、ヴィクトル様とフロイス司教って個人的に仲が悪いの? 下手すると殺し合いしそうに見えたんだけど……って物凄く目が泳いでるねっ。一体二人に何があったの? 正直に白状するのだ」
「や、それはー……フロイス司教は教皇の右腕でもあるので、何かと折衝の場に居合わせることが多く、つまりは反りが合わないんですよねあの二人」

 もっと詳しく、とじっと見つめていたら、エドはトホホと言うように息を吐き出して白状した。
 エドによると、あの雨の日ヴィクトル自ら中央教会にここへの立ち入り許可を得ようと出向いたらしいんだけど、そこでフロイス司教と揉めたらしかった。

「へぇ、そうなんだ。話はわかった。じゃあ私戻るから。そうだ、明日からは来るの禁止だよ? もし待ったら五年はここから出ないって伝えておいてね」
「五年!? わ、わかりました。くれぐれも怪我や病気には気を付けて下さいね。あなたの御身に万一があればあの方が暴走してこの国はお終いですから」
「あははお終いだなんて、エドは見た目からしていつも大袈裟なんだから。大丈夫気を付けるよ。心配ありがと。あとあの子アドリアンの事も本当にどうもありがとうね!」

 笑い事ではありませんと叫ぶ彼にくるりと背を向けて、一つ用事を思い付いた私は急ぎ足になった。
 体調の良くなったアドリアンは修道院に戻って来ていて、今は母親の所にいる。母親の方も回復傾向にあるとは言えもう少し安静が必要だ。それが昨日。
 だから今朝はどうかと気になって、お菓子でも持ってこれから二人の様子を見に行こうってわけ。
 アドリアンが公園に倒れていた経緯はわかった。
 盗賊団がやってきたそのタイミングで母親が寝込んでしまい、適切な療養環境を作れなかったせいで長引いたそう。しかも薬の一つももらえず、見かねたニコラが密かに濡れタオルとか多めの布団とかは用意してくれたそうなんだけど治らず、看病しているうちにアドリアン自身も高熱が出てしまった。にもかかわらず彼は母親のための薬を求め意を決して修道院を抜け出した。でも公園で力尽きて、そこを偶然私達が発見したってわけ。

 因みに、アドリアンは塀に開いた子供が通れるくらいの小さな抜け穴から修道院外に出たんだって。この修道院は随分古いのもあって茂みの奥とかを探せば綻びがあるんだそう。とは言え好奇心旺盛な子供だからこそ見つけられたに違いない。そのうち場所を教えてもらおうかな~。
 とにかく、その話を聞いた時は思わず、勇気あるアドリアンを抱き締めたっけ。

 その日は、母親も起き上がれるくらいに元気になっていて、アドリアンは私のお菓子に大きく目を輝かせた。懐いてくれてとっても可愛いんだよ~。これならここでの長期生活も退屈しないで過ごせそう。




 翌日。
 今度はロベールがやってきた。
 呆れた。人を変えりゃいいってもんじゃないッ。
 ご丁寧にも「今日は俺、ロベールが来っました~!」って太陽代理レベルで陽気な彼からの伝言を受け取った私は、まあでもロベールに怒っても仕方ないかとジャンヌと共に渋々門へと向かった。

「お早うロベール」
「はよざいまーっす! あの方からの預かり物っす!」
「預かり物?」

 あの方が誰なのかは言わずもがな。ロベールは抱えていたバスケット籠をずいっと突き出してくる。
 その他にも布袋に沢山入った林檎を。きっと差し入れだ。

「林檎の方はシスター方への差し入れで、こっちは部屋に戻ってから開けて下さいっす!」

 とびきり笑顔なのに何故か震える彼の両手。もしかしてかなり重いとか?

「それじゃこれで失礼しまっす」
「あ、うん、ありがと」

 中身は何か怪しいけど引き止めて根掘り葉掘り訊くのも憚られてそのまま帰しちゃった。まぁ変な物なら捨てればいい。
 最後までロベールの口からは帝都に帰りましょうなんて言葉は出なかったから、彼はこの荷物を渡すためだけに来たんだろう。そこそこずっしりしているけど運べない程でもないので安心した。林檎はジャンヌにお願いしてシスターに届けてもらうようにして、私は籠を抱いて部屋に戻った。
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