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第10話もう一人の銀甲冑の中身

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 ――今すぐ一緒に帝都に帰るぞ、アデライド。

「え……?」

 彼はそう綴るとスッと黒革の手を差し出してくる。
 名前を呼び捨てにしたとかやっぱり喋る時とのギャップがあるとか思うのに、最も思考を占めたのは声じゃないはずのエドの台詞が鼓膜を揺らしたように思えてしまった不可解だ。

 しかも、どうしてか、あの残酷皇帝の声で。

 唐突にもまるでヴィクトル・ダルシアク本人を前にしたみたいに我知らずゴクリと唾を飲み込んでいた。私の中の不安が僅かに踵を後退させる。

「か、帰るって急にどうして?」

 も……もしかしてここの現状を知ってる、とか?

 ――お前の身が心配だからだ。安全な帝都に帰ろう。

 ギクッとした。や、やっぱりここの異常に何か感付いてのかまかけ?

「えっ、とぉ~あはっ何言ってるのよエドってば~、ここだって安全よ~?」

 ああ目が泳ぐ。助けを求めたい自分とそれをやったらジャンヌと御者、捕まってるシスターたちに何をされるかわからないから駄目よって葛藤がせめぎ合う。
 でも女子修道院に居れば、少なくともヴィクトルから天国に送られる心配はない。
 それにニコラは女性の味方ではあるみたいだし、ジャンヌと大人しくして部屋に籠ってたら貞操の危機はないだろうから、教会の人が来るまでそうしてればいい気がする。

 ――ならず者共のいるここのどこが安全だと? そう言うように脅されているんだろう? しかしもう大丈夫だ。

「えっ!? ししし知ってたのーっ!?」

 つい大声を上げちゃった私は焦って門の方を振り返ったけど、再び目元以外は隠した門番はこっちを注意深く見ている割には魔法文字が小さかったおかげか読めていないみたいだった。セーフ。なら慌てる必要はないわね。
 ニコラとジャンヌはエドから見えないように門の陰にいる。私が変な気を起こせばジャンヌの命はない。
 盗賊団員たちに実はもう潜伏が知られてるって気付かれたらそれこそ現在進行形で人質のジャンヌの身が危ないから、せめてこの場では気付かれるのを阻止したい。
 エドにこれ以上不用意な魔法文字を書かせたら駄目だわ。
 彼が中に入れるなら別だけど、知っているのに踏み込んで来ないところを見ると入れないのよね。
 現状打破できずに残念。だけどその反面、帝都への強制送還は免れたから良かったとも思った。
 私は出産するまでは仮に何をどう乞われようと帰るつもりは――毛頭ないもの。
 ならず者より残酷皇帝の方が怖いもの!

 ――そうだ。だからこそ今すぐここを離れるんだ。

「あっあの心配してくれるのはわかるけど、ここを離れるんだったら捕まってる人たちも一緒によ。私だけさっさと逃げるなんて薄情じゃない。それと、まだ外にバレてるって彼らは知らないから不用意な魔法文字は避けて。あとなるべく小さめでお願い」

 雨音には感謝だわ。私はエドには届くけど門の中には届かないだろう絶妙な声量まで落として喋りかける。さもこれは意図的じゃなく聞こえないのは雨なので不可抗力ですよーな態度でね。

 ――お前のそう言う公平さや、正義漢的な大胆さは好ましいと思う。しかし対策は講じて既に準備に取り掛かっている。だからお前が危険を冒してまで関わる必要はない。

 対策を?
 表情から疑問を読み取ったのかエドは連絡はしておいたからそのうち教会騎士が来るって綴った。早速小さめの文字で。
 ふうん。でも帝都騎士じゃなくて教会騎士の方なんだ。
 やっぱり確執があると立ち入り許可を得るのは容易じゃないんだわ。

「そうなんだ。なら私が今無理して帰る必要もないわよね」

 ――アデライド?

「えーとね、こっちにも都合があるの。案じる気持ちは有難いけど大丈夫だから。それにそのうちっていつ? 何日かかるの? ぶっちゃけ、その間ジャンヌにだけ怖い思いさせるなんて嫌よ。だからね、申し訳ないけど帰って?」

 ――アデライド!

 焦ったようにエドが私の手首を掴んだ。

「エド、放してくれない?」

 逃げるつもりだと誤解されたら大変なのにもうっ。
 少し睨みつつ手を引き抜こうと力を入れるもビクともしなかった。憎いわこの腕力差~~~~ッ!

「エド放してって」

 ブンブン手を上下に振ったけど全然外せない。
 帝都まで本気で無理やり同行させるつもり?

 それとも、テレポートを……?

 エドの魔法の優秀さが如何程か知らないけど、ここから帝都までの長距離をテレポートできる腕の持ち主だったら詰む。計画が水の泡よ。エドは修道院には入れないから今みたいに私が門外に出ているうちに強行手段に出ても何らおかしくはない。

 そして、私の予測は見事に当たったらしい。

 よくアニメで魔法陣が地面に浮かぶと微風で髪とか裾がふわ~って浮くよね、それと似たような現象がまさに今私の身に起きていた。ふわりと下からの風を受けて浮き上がる。あはは発動した魔法が気圧に影響したのねー……なーんて余裕こいてる暇はないでしょ私ーっ!

 ――帝都に帰るぞアデライド。

 いやーっ大ピンチーーーーッッ!

「嫌よ帰らないわ!」

 危機感を瞬間沸騰させた私はエドの強引さにも腹が立って一際大きい身振りで手を振り払おうと試みた。

 その際に何とまたバチリと電流みたいなのが放たれて、私の動作と相まってエドの手だけじゃなく全身を弾いた。
 出現していた魔法陣は電池不足のスマホ画面よろしくふっと掻き消え、エドは重そうな甲冑ごと後方に飛ばされる。

「あっ……ごごごごめんなさい!」

 自分でもびっくり仰天で目を見開いた私の前で、弾かれた衝撃で取れた兜がゴロゴロゴロと転がった。

 もっ勿論兜だけよ。生首なんてホラーな展開にはなってない。
 エドの黒革の手袋は裂け、剥き出した肌色の皮膚には冷血漢たる青い血が……なわけはなくて普通に人間の赤い血が見える。額も切ったのか、上半身を起こした彼の俯いた頬を赤い筋が伝った。思ってもいなかったやり過ぎ感に蒼白になる。だって確かに強く拒絶したけどここまで攻撃したかったわけじゃない。怪我をさせたかったわけじゃない。

 でも、どうして?

 エドは赤毛だったはずよ。

 銀の髪じゃない。

 二重の意味で硬直する私の目の前で、相手が頬を拭いつつゆっくりとその精巧とも言える顔を上げる。

 精悍な男らしさと悪魔のような麗しさが同時に存在するご尊顔を。

 現れた真っ赤なルビーみたいな双眸が私をじっと見つめた。

「ヴィクトル……?」

 心の中じゃ答えなんてとっくに出てるのに、震える声はわざとらしくも疑問調だった。うっかり敬称も忘れちゃったし……!
 ああ、誰か嘘だと言って。
 皇帝陛下の国宝級美顔を傷付けちゃったじゃない……。
 どうしてここに居るのとか、実はエドと仲良くカーシェアならぬ甲冑シェアしてたのとか、そんな疑問も霞んだわ。私は二度も彼に傷を負わせた。

 これはもう妊娠如何にかかわらず、アデライド・ロジェ伯爵令嬢は死亡フラグ決定でーっす。

 ザーザーと降りしきる雨の中、私も彼も監視していた門番もしばらく無言だった。門番に至っては私を恐れる目をしてるし。
 今にも門の内側に駆け込んでニコラに私が騎士と逃げようとしているって叫び出すんじゃないかって気が気じゃない。
 私にはそんなつもりはないってのに。
 ああもう、こんな巡り合わせにした天が憎い。




 先に動いたのはエド……じゃないヴィクトル。立ち上がった彼は近くに来るなり諦めていなかったのか私の手をまた掴もうしてきた。
 ハッと我に返って咄嗟に大きく一歩下がって回避する。
 すると彼は手をそこで止めたまま、まるで凍り付いた人みたいに動かない。まさかこれしきの事でショック受けたとか? ……そんなわけないわよね。
 強引さを怒ってたはずなのに罪悪感と気まずさを感じていると、ようやく彼が魔法文字じゃなくその口を開いた。稀なる美声が雨音さえもひれ伏すようによく通る。

「……何故、逃げる?」

 ひーっ! 逃げてもどうせ無駄だ、地の果てまで追っていくぞフハハ……って?

「ににに逃げたわけじゃないです。まっまたバチバチってなったら陛下が痛いから嫌だろうなあ~って思ったから避けたんですよ」
「私が痛がるから……と?」
「そそそそうです現にすごく痛そうですし……!」

 私も血が全く駄目って体質じゃないけど、見ていて気分の良いものじゃない。手当てした方が良いレベルの裂傷だしね。
 慄く私の表情がだらだらと垂れる血に怯えたそれとでも思ってくれたのか、彼は自己治癒魔法で外傷をあっと言う間に治した。
 あ、はあ、そうでしたそうでしたそれができるんでしたねえお宅。

「これでもう見苦しくないな」
「えっと別に見苦しいなんて思ってないですよ。ただ心配しただけで」
「心配……」
「私のせいですし、改めて本当の本当に申し訳ありませんでした!」
「そうか……顔も見たくない私を案じてくれるのか」

 彼は謝罪の方はまるで聞いていないようで、心配されて僅かに驚いたように瞬いた。
 顔も見たくない? うーんそう言えば以前そんなような台詞を言った覚えがあるわ。私が何て返せばいいのか困っていると、彼はいそいそと騎士兜を被り直そうとした。
 え、嘘でしょ、この場はコントの場? 管笠とか三度笠と勘違いしているわけじゃないよね? ね? この世界にあるかは知らないけど。
 この男本当にあの恐怖皇帝ヴィクトル・ダルシアクなの?

「えーと、本音を言えば顔も見たくないとは思ってません。ですから別にもう兜はというか甲冑を着なくてもいいですよ。私のために姿を見せないようにしてくれていたんですよね」

 私の中じゃ、最早これまでの道中も含めて喋らなかった時の銀甲冑の中身はこの人だろうなあって結論が出ていた。
 日がな一日頬ずりしてても嘗めてても吸ってても足りないってくらい大事な大事な甲冑を他の男とシェアしなきゃならなかったエドには、心から同情する。さっきは意図せずも飛ばしちゃったしどこかへっこんでたら冗談抜きにごめんねエド。
 ヴィクトルは持ち上げた兜を下ろした。フードが外れているから彼の頭はどんどん雨に濡れていて、早くも繊細な銀の毛先から水滴が滴った。

「あ、あのー、帰った方がいいと思いますよ。風邪を引いては大変ですし」

 なんて言ってやるけどまだ警戒レベルは上から二番目くらいだから、傘を優しく差し掛けてやったりはしないで少し距離を取っている。因みに警戒レベルは百段階あるよ!

 結局は先の盗賊たちの時といいこの場といい、動いたせいで私も肩とかが濡れていたからか、相手に風邪云々と言っておいて自分が一つくしゃみをした。
 まだそんなに寒いわけじゃないけど、小さく鼻を啜るとヴィクトルが血相を変えた。

「アデライド!」
「はい? わわわわちょっとたんま!」

 怒ったような顔でずんずかまた寄って来られた恐怖にパニクった私は開いた傘を盾にする。

「私は絶対帰りませんから!」

 駄目押しと傘を相手への目隠しにするようにして放り投げると更に回れ右で駆け出し門を潜ろうと試みた。
 敷地内に入れば皇帝でも手出しできないもの。
 仮にここが戦場だったら私は確実に敵前逃亡の罪で罰せられてる。そして戦場でもここでも、敵に背を向けるのはある種の賭けだ。背中から攻撃を食らう危険が大いにある。
 果たして無事に門まで辿り着けるのか。この際滑り込みセーフなギリギリラッキー展開でも良い。当然体への負担は最小限に留めてね。
 薄く雨水の層の張った石畳をバシャバシャと走る私とヴィクトルの足音が重なる。
 門までもう少し。
 彼の足音がすぐ後ろに迫った。

 刹那、後ろから抱き締められた。

 捕まえた脱兎が暴れるように、必死に逃げようとする私は無我夢中で暴れた。

「ちょっ、やだやだやだ放してッ!」

 このまま帝都に連れ戻されるなんて御免なの。拳が何かに……多分硬い板金とかに当たってちょっと手が痛かったけど、とにかく暴れた。今度はバチッとはならなかった。

 だからなのか上手い具合に相手を振り切れてそのまま振り返りもせず門の内側に駆け込んだ。
 怪しまれないための演技なのか門番がすかさず傘を差しかけてくれる。

 意外だったのと逃げるのに必死で、だから私はその直前までふわりと体を包んでいた温かな風の正体にも、そしてどうして簡単に振り切れたのかって根本的な不可解さにも、しばし思い至らなかった。
 ヴィクトルがその気になれば私は逃げられなかっただろうから。
 私は安堵の深呼吸を繰り返してここでようやく振り返る。
 さぞかしご立腹だろう。

「――っ、あ……そのっ、私……っ」

 彼は、全然怒ってなんていなかった。

 むしろどこか自嘲するような面持ちが目に映る。その口元は私の手がもろに当たったせいだろう、唇が切れて血が滲んでいた。

 うう、お城の時から傷付けてばっかりな気がする。

 それがどうしてか妙に心苦しい。

 そんな私は、ここでやっとドレスがすっかり乾いているのに気付いて目を丸くしてもう一度彼の方を見やった。

「これ……あなたが? 私が風邪引かないようにって?」

 彼ははいともいいえとも言わなかったけど、聞くまでもなかった。そう言えばお茶会の時も体調を気にしてくれてたっけ。道中でもこれでもかって感じで大事にしてくれた。……やや見当違いの方向ではあったけど。
 道中見た蝶々のハンカチもきっと私がヴィクトルに巻いてあげた物だ。大事に使ってくれていた。そんな事に気付いてしまえば、ああそっかこの人はって極々簡単な結論にだって思い至る。

 ヴィクトルは色々と女心のわからない恋人にするには駄目な一面はあるけど、本当にアデライドが好きなんだろう。

 彼女への気持ちを単なるお気に入りって思って悪かったかも。
 だって普通は単なるお気に入りにここまでしない。

 私の中で残虐皇帝ヴィクトル・ダルシアクのイメージが端からボロボロと崩れていく。

 こんなの、好きな女の子をただひたすら追いかけて護ろうと奮闘するカッコイイ男じゃないの。……方向性は激しく間違ってるけど。

 でも、ここで絆されちゃいけない。お腹の子のためにもね。
 鬼皇帝を前に心を鬼にしてって言うのも何か変だけど、私は強い眼差しでヴィクトルを見据えた。

「私はまだ帰りませんから」

 彼はこっち側には入れない。
 入ろうともしない。
 自分の立場を十分よく理解しているからだ。
 私はゆっくりと背を向けた。

「アデライド!」

 名を呼ぶ声には一緒に帰ろうって懇願の響きがあった。
 だからこそ背を向けたまま左右に首を振った。
 耐えるような沈黙が返ってきて、胸が痛んだ私は振り返ってついつい叫んでいた。

「きっと必ずアデライド・ロジェは戻るから、それまで待っててあげて、あなたのアデライドを!」

 ヴィクトルの知らなかった一面を見て、私はそのために今ここに居るんじゃないかって思う。……たとえ天使の奴のテキトー極まる人選だったとしても、結果的に私がアデライドになって良かったって思いたい。

 ヴィクトルは何故か動じたみたいに私の台詞に息を呑んだ。アデライドからあなたのアデライドを待てだなんてちょっと意味不明だったかもしれない。

「アデライド……ッ、――今のお前だから私はッ」

 途中まで言い差して、ヴィクトルは何故だか口を噤んだ。

 ……ううん噤むってよりも凍り付いたみたいだった。まるで誰かが死にそうな面持ちで。

「逃げろ!」

 へ?

「お嬢様!」
「あんた何やってるんだい!」

 ジャンヌとニコラまでがこっちを見て叫ぶ。
 え、何なの?

「――!?」

 傘を差しかけてくれている門番だった。シスター服の彼はもう片方の手にナイフを握り締め今にも私を刺そうとしていた。
 ようやく私が危機に気付くと彼は嫌な病んだ目付きを更に細くする。たぶんだけど覆面下で嗤った。

 え、え、何で、何で!? 私が狙われるわけ!?

 私は咄嗟に男を突き放すようにして逃げ出したけど、足が縺れて転びそうになる。ジャンヌの悲鳴が聞こえて私は私で手を突こうと前に出した――ところでこれぞ女盗賊の瞬発力なのか目の前にニコラが滑り込んできて何と彼女は全身で私を受け止めてくれた。
 必然的に雨の地面に尻餅をつくニコラの上に折り重なった私はお礼も忘れ放心気味に彼女を見つめた。

「な、んで……?」
「お嬢様あああ大事ないですか!?」

 私を助けるためにニコラはジャンヌを解放していて、ジャンヌは泣きそうな顔で私たちの傍に膝を突く。
 ニコラはふうと溜息をつくと尻餅をついたまま門番を睨めつけた。
 彼はまだナイフを手にしている。

「どういうつもりだい?」
「へ、はははは……そこの女を殺せば帝国に仲間を殺された恨みを晴らせるってもんだ。まさかこんな日がくるとは思わなんだがな!」

 ニコラは呆れたのか冷ややかな眼差しを仲間なはずの男へ向ける。

「おいおい奴らを美化するんじゃないよ。強盗に人殺しに強姦にと散々悪事を働いたんだ。因果応報に成敗されただけだろ」
「何だとお前っ!?」
「はっ、あたしはね、奴らがあたしの村の人間に手を出したのを一生赦すつもりはないんだよ。無論、あんたも含めてね」
「ぐっ……」
「この国に復讐したいならあたしは止めない。勝手にすればいい。だけどね、お門違いの相手にまで危害を及ぼすのは感心しない」
「お門違い? ははっいくら皇帝様でも大事な女を殺されりゃ少しは堪えるだろ。アデライドお嬢様とやら、悪いな、恨むならそこの皇帝のやつを恨め」
「えっ」

 国を憎んで国のトップに恨みを向けるのはまあ聞かない話じゃないけど、そんな理不尽な論理で私を害そうとする男へは絶句するしかない。こういう常軌を逸した相手には得てして話が通じないもの。
 だからこそ、怖い。私は腰が抜けていた。

「どけよニコラ。おれはお前が死んでも別に構わないんだぜ? 多少医学の心得があるからといつまでもでかい顔をしてられると思うなよ?」

 阻止しようと無謀にも男に飛び掛かったジャンヌは暴れ慣れしたならず者の相手にはならない。荒事に向かない彼女はあっさり蹴り飛ばされて地べたで丸まって苦しそうに咳き込んだ。
 ニコラは私が邪魔で起き上がれず不利な姿勢のまま、まだ力が抜けて動けない私を庇うように両腕を回した。彼女の腕の微かな震えに私はハッとする。

「ね、ねえやめて! ニコラさんは仲間なんでしょ!?」
「そんな事はいいから、あたしが一時止めておく間にあんたは門から逃げな! それくらいならどうにか動けるだろう!」
「でもっ」

 彼女はどうにか体勢を変えて肉の盾の位置になる。立てない私を門の方に押し出そうとしてくれる。それでも踏ん切りが付かない私に彼女はぐっと顔を近付けた。

「今は何よりもお腹の子を優先しなっ! 生き延びるんだ!」

 声を潜めてくれたけど、それより、それよりも、な、ななな何で知って!?

 そう言えばさっき門番が医学の心得が何たらって言ってたっけ。もしかしてそれで? 庇ってくれたのも妊娠を知っていたからだ。だとしてもここまでして昨日までは全く知らなかった私を助けてくれる理由がわからない。

「早く!」
「――っ」
「逃がすかよ!」

 男が、ナイフが、迫る。

「アデライド!」

 門の外から圧力を感じた。
 視界の端で捉えると、ヴィクトルが敷地に侵入する決断をしたのかこっちに走りながら魔法を行使しようとしている。決まりを破ってまで私を助けようとしてくれている。
 彼に魔法を使わせたら駄目だわ。
 教会との大きな問題になるのは必至。

「ヴィクトルは何もしないでえええ!」

 けど私はここで死んだら元の世界にも戻れず死ぬ。そんなのも絶対に受け入れたくない。
 ジャンヌやニコラだって死なせたくない。
 そう思うのに、私には何もできない。
 電撃だっていつ出るかわからない。もしもお腹の子の魔法なら使わせたくない。まだまだ未熟な存在なんだし何か負担になりかねないって思ったら背筋が冷えた。お願いだから何もしないでねって念じた。
 だけど、どうしようどうしよう。唯一何かできそうなのはヴィクトルだけど彼には頼れない。逃げておいて虫の良い話だもの。彼は私の強い命令口調に大きく戸惑い足を鈍らせていた。

 遮るようにニコラが男の足を掴むけど奮闘虚しく肩を切り付けられた。

 怪我を案じる間もなく身を翻した男からの迫る切っ先。

 きゃああもう死んだらあの天使めどうしてくれようか……ってそうよ、こんな時にこそ天使の出番じゃないの!

「おいこら怠け天使助けに来なさいよーーーーーーーーっっ!!」

 次の瞬間、カカッと目を焼くような強い光が出現した。
 同時に、誰かが殴られるような籠った音とうぐっと言う男の苦しげな呻き声が上がった。
 私は眩しくて目を閉じちゃったけど、既にもう光は消えたみたいでそろりと瞼を持ち上げる。

「今の光は何……?」
「さてね」
「あっあなた怪我は!?」
「ああ掠り傷さ。こんなのは日常茶飯事だから気にしなさんな」

 後で手当てするさと同じく疑問顔のニコラは浅く切られた肩を押さえて余裕そうに唇を笑ませた。なるほど出血はしてるけど幸運にも刃は生地の厚い部分に当たったのか服ごと切れているものの傷は浅そうだ。ほっ、良くないけど良かったあ……。
 夜の雨の中、やや離れた場所では女装門番が地面に伸びていた。あたかもここからぶっ飛ばされたみたいに。

「た、すかった……の?」
「そのようだが、あれは誰だい?」

 そしてその傍に誰かが佇んでいる。私もニコラも呆気となった。
 こっちの視線を感じてか、心許ない門の夜灯に照らされる誰かは振り向いて「もう大丈夫ですよ」と微笑む。

「わ、天使……?」

 目の前には紛れもない金髪の青年天使が降臨していた。とにかく綺麗で透き通るように麗しい。

「ふふっ、光栄ですけれど恐れ多いですね、天使様と間違われるなんて。僕はただの一介の聖職者です」
「へ? あ、そうなんですか」
「へえ、こんな美人な神父が世にはいるんだねえ」

 天使だと信じそうになった相手は歴とした人間だった。まあ冷静になって見てみれば服装は礼拝でお爺ちゃんヨハネ司教が着用していたような服だわ。

「危ないところを助けて頂いて、どうもありがとうございます」
「あたしも感謝するよ」
「どういたしまして」

 門番は意識が飛んでいて無害化されているからか、こっちにやってきた彼が私へと手を差し伸べる。

「少しぶりですね、ご令嬢。どこもお怪我はありませんか? そちらのあなたは少し痛い思いをされたようですけれど」
「少しぶり、ですか? 人違いでは? 私はあなたに会った事はありませんけど」

 短いお礼を口に素直に彼の手を借りて立ち上がる。ニコラは自分でさっさと立ち上がった。しかも彼女はジャンヌの所に行って支えて立ち上がらせてくれた。本当に怪我は平気そうだった。ふふっ、脅されていた相手に手助けされてさすがのジャンヌも目を白黒させてるわ。

「ああ、そうでした、あの時は僕の声だけでしたね。実はこちらはヨハネ司教から少々あなたのお話を伺ってお顔を知っていたもので、不躾でしたすみません」
「いっいえ、でもヨハネ司教って、あの帝都の?」
「ええ、はい」

 と、そこで私も彼の声に聞き覚えがあるのを悟った。
 この柔らかな美声はあの告解部屋の神父……よね?

「じゃあ、あなたが私の愚痴を聞いてくれた人!? うーわーあの時はごめんなさいーっ。あ、でもどうしてこんな所に? それもジャストタイミングで? どうやって……あ、テレポートですか?」

 そうです天のお導きです、と余裕で微笑みを崩さない青年神父を見つめる私は、はたとテレポートって単語からとあるお方が連想されて青くなる。

 ヴィクトルをすっっっかり忘れてたーーーーっ!

 今更ながらギクリとして瞬間的に門外を振り向けば、彼は雨の下、不気味なくらい静かに俯いて女子修道院敷地外ギリギリに立っている。教会関係者がいる前だったけど幸いにも一歩たりとも境界を侵してはいない。
 と、目の前の青年神父が何故かくすりと笑った。

「ご安心下さいヴィクトル皇帝陛下。こちらの管轄地で起こった事案はこちらで対処しますから」

 ピクリとヴィクトルが反応した。拳を握り締める彼はゆっくりと顔を上げる。
 水滴滴る銀の前髪の奥から覗く真紅の目は明らかに怒りに染まっていた。

「アデライドを救ってもらった礼は言う、――ミシェル・フロイス」

 へ? ミシェル・フロイス? ……って巷で超人気のあのミシェル・フロイス司教!?

 うっわ~初めて顔見たあ~。まじまじと私が見つめたからか、フロイス司教は照れて困ったように眉尻を下げた。は~っ可愛いね君~。堅物銅像ヴィクトル様とは正反対じゃない。
 なーんて私の思考が伝わったかのようにヴィクトルは顔色を険しくした。ひいーん!

「ミシェル・フロイス、油を売っている暇があるならさっさとこの中のならず者たちを縛り上げろ。私は生憎そちらに入れないからな。……臨時に許可が下りれば別だが」
「申し訳ありませんが、僕の独断ではちょっと……」
「牛耳っておいてよく言うな」
「ふふふ、牛耳るだなんて身に余る高評価をどうもありがとうございます。まあ僕一人でも陛下のご期待には十分応えられるかと思います。そもそもそのために来たのですしね、一掃しますのでご心配なく」

 相変わらず穏やかな口調のフロイス司教は意味ありげにニコラを一瞥した。途中から来たのにどういうわけかニコラもならず者一味だって知ってるみたい。うーん鍛えられてる感じな見た目がシスターらしくないし、職業柄人を見る目に長けているからかもしれない。
 彼はヴィクトルに目を戻したけど、二人の空気がバチバチしてる。
 きっと立場上知り合いなんだろうけど、皇帝と教皇の仲が悪いのも周知なんだろうけど、それにしては露骨じゃない?

「そういうわけですのでヴィクトル陛下、もう帝都にお帰り下さって構いませんよ」

 司教の言葉に無言で眉間を深くするヴィクトルは私をじっと見つめてくる。

「アデライド」

 ……そんな目で見つめられても困る。

 一緒に帰ろうって。

 目が合っているから余計に緊張を強いられる。恐怖とはちょっと違う不可思議な感覚で。
 色々と彼を騙している罪悪感なのか、何だか眼差しを受け止めていられなくて私はさっと目を逸らした。
 誉められた態度じゃないのは自覚してるしヴィクトルがぶちギレる可能性を考えないわけじゃないけど、この中にいれば安心ってどこか狡い気持ちがあった。
 更にはその延長で彼を無視してフロイス司教に話し掛ける。

「え、ええとフロイス司教はここの危機を知ってそれで来てくれたんですか?」
「ええ、こちらで得た情報と、皇帝側からの情報を総合して緊迫していると判断したのです。結果、あなたに大事がなくて良かったですよ」
「でもたった一人で盗賊団を相手取るのは危ないんじゃないですか? ちゃんと応援が来るんですよね?」

 それだけじゃないわ、帝国騎士が共に戦えば安心材料が増える。

「応援と言うか、教会騎士たちは来ますけれど早くて明日になりますね」
「明日!? それまで一人で戦うなんて、勝算はあるんですか?」
「アデライド、ここの制圧ならその男一人で事足りる。そいつは私以上に容赦を知らないからな。戦闘魔法もお手の物だ」

 えっそうなの? ふわっとしてるから全然そう見えないけど。びっくり眼で見つめるとフロイス司教はまた照れたようにはにかんだ。うん、ごちそうさまですそのわたあめスマイル。
 だけどこのヴィクトルにそう言わしめるなら本物なのね。んまっ、恐ろしく綺麗な顔して武闘派だこと。

「酷い言われようですね。まあ悔い改めない相手に手加減はしてやりませんけれど。そこのあなたはならず者の仲間ですよね。僕も手荒な真似は好きではありませんし、抵抗はされないよう」
「ああ、その方が良さそうだ」

 またジャンヌを人質にして逃げる道はあったのに彼女は潔く降参した。

「あの、フロイス司教、彼女は情状酌量してあげて下さい。私を助けようとしてくれたんです。盗賊団にいたのもきっと何か事情があるんだと思いますし」
「あんた……」

 私が懇願の体でいるとフロイス司教はちょっと意外な展開そうに瞬いた。
 彼女が他のならず者たちと一緒に成敗されちゃうかもしれないって心配しちゃうのは、庇ってくれたからなのがやっぱり大きい。彼女が善人だろうと悪人だろうとね。

「わかりました。暴れたりしない限りは丁重に扱います」

 私の主張をすんなり受け入れてくれたフロイス司教は緊縛魔法で門番とニコラを完全に無力化した。彼女に一切の抵抗はなかった。ジャンヌも何だか気掛かりそうにしたくらいに。
 司教は門の外のヴィクトルへと改めて向き直る。

「陛下、今は待っていても好転しませんよ。立ち入り許可も差し上げられませんし、ここは僕にお任せ下さいね」
「……貴様、知った風な口を利くな。アデライド、やはり帰るぞ」
「ええっとごめんなさい! まだここに居ます!」
「どうして!」

 激昂に冷静さを失したのかヴィクトルが踏み込んで来ようとして見えて、私は大いに焦った。

「陛下っ、絶対に入って来ないでっ! 不法侵入だし人権侵害よ!」
「だ、そうですよ?」
「ミシェル・フロイス……!」

 ハッキリ拒絶されて傷付いたように棒立ちになるヴィクトルへとにっこりと機嫌の良い声でそう言ったフロイス司教。あわわヴィクトルからの特大の殺気が浴びせられてますけどーっ。
 なのに全く平気そうにしている彼は中々結構いい性格をしているのかもしれない。
 そんな彼は落ちていた傘を拾ってジャンヌに渡して、ジャンヌは慌てて私と相合い傘。ああそうだった、すっかり濡れちゃってたのよね。
 びしょびしょだーって辟易してたら、すぐ前に来たフロイス司教からそっと手を取られ、ジャンヌ共々さっきヴィクトルが使ってくれた乾燥魔法ですっかり髪の毛も服もカラカラになった。これなら風邪を引かないわね。門の外から「貴様許可なくアデライドに触るな……!」って地を這う声が聞こえた。
 一方、司教は魔法なのか不思議にも全く濡れていなかった。
 ジャンヌと二人で感謝を述べると彼はやけににこりとする。

「これくらいいつでも申し付けて下さい」
「いえいえさすがにそこまでは~」
「時に、心に重荷を感じてどうしようもなくなった時も――」

 気付けば、フロイス司教が顔を寄せてきていた。

「あの?」
「――また、私で良ければお話を聞きますよ。その時はどうぞ気兼ねなく」
「……っ!」

 耳元で囁かれた。きゃーっヴィクトルの真ん前で何するのーっ! しかも彼はヴィクトルが爆発する前にと素早く身を引いた。ヴィクトルの方は見ないってか見れない。メラメラ嫉妬の炎が怖くて見れないいいっ。

「フ、フロイス司教お気遣いありがとうございます。機会があればその時にまた……」

 社交辞令的なものだと察したかはわからない。司教は終始笑みを崩さなかったから。
 一つわかったのは、ミシェル・フロイス司教、あんたは確信犯!
 私はひと呼吸して改めてヴィクトルに直る。気まずいから目は合わないようにしてだけど。

「ヴィクトル陛下、陛下直々に来て下さってありがとうございました。ここはフロイス司教にお任せするので私は大丈夫です。どうかお帰り下さい。雨ですし、その…………風邪引かないでねっ!」

 乱暴に言ってくるりと背を向ける。最後のは、これは演技でも何でもない私の本心。

 ヴィクトルが思ったよりも怖くない男かもってのはわかった。
 何となくもう一度振り返りたくなったけど、フロイス司教がレバーを操作したのかその矢先後ろで門が閉まる音が聞こえた。





 ヴィクトルを追い返してから一日経って二日経ってとうとう今日で三日目に入った。
 女子修道院は宣言通りにあの晩のうちに武闘派フロイス司教が一人で華麗に盗賊たちを全員片付けた。教会騎士たちが来たのも言っていたように翌日だったわ。
 本物のシスターや滞在者は皆解放され、怪我人や体調不良者などは手当てを受けた。勿論ニコラも。うちの御者のおじさんもね。
 街の人たちは教会騎士団がぞろぞろやってきたのを何事かととても驚いていたって聞いたわ。
 ジャンヌは今回色々あったからと様子見もあってもう少しここに私と滞在する運びになった。
 因みにフロイス司教は「ではまたお会いしましょう」なんて律儀に私と握手まで交わして帝都へと帰って行ったっけ。

 そして、私が当分帝都に帰らないって話は既にヴィクトルに露見していた。

 彼を追い返したその翌日に。
 正直当初の思惑よりもだいぶ早い。だがしかし案ずるなかれ、誰も私には手出しできないわ。何しろここは女子修道院!

 話を戻すと、盗賊たちはやっぱりお金が目的で、占拠がバレても教会騎士が来る前にはトンズラする予定だったみたい。これまでも彼らはターゲット以外の住人には極力バレないように巧妙に偽装してがっぽり金品をこそぎ取りながら各地を転々としてきたんだって。全く、質の悪い集団だわ。
 ニコラとは話させてもらえる機会があって、彼女は彼女の復讐のためにこの盗賊団に入ったんだとか。彼女の生まれた村を襲った上に生業を駄目にした集団に入ったのはとある貴族への恨みのため。
 妊婦の私を気にかけてくれたのもニコラはかつてその貴族のせいで流産した経験があったからみたい。詳しくは聞いても私の気分が悪くなるだけだからと教えてはくれなかったんだけどね。元より見張りの教会騎士から長話を咎められたのもある。
 たぶんニコラはこれまでも残虐行為には加担せず、むしろ男たちが狼藉を働いたりするのをできるだけ抑止していたんだろう。全ては復讐のために。
 動機は物騒だけど彼女が罪を償い、いつかは生業として腕を奮っていた医学の道を再び歩めるようになってほしい。

「一、二、三、四、二、二、三、四」

 私は借りている部屋でストレッチをやりながら窓の外を眺めていた。
 今はもうすぐお昼って頃合いだ。
 ジャンヌは洗濯に行ってくれていて不在。
 窓の外には思い切り胸のすく真っ青な空が広がっている。
 一通りのストレッチを終えた所でノックが聞こえた。

「アデライド様、昼食をお持ちしました」

 この声は本物のシスターだ。当然ニコラはもう来ない。
 それを何となく寂しく思いつつ私が応えるとシスターはトレーを手に入室してきた。シスター歴の長いんだろう白髪の年配のシスターだった。

「失礼します、アデライド様」

 シスターはテーブルに丁寧に皿を並べる手を止めないまま口を開いた。

「ところでアデライド様、今日も騎士の方がお越しになっているようですが」

 シスターがどこか気掛かりそうにして見てくる。
 温かい料理からは美味しそうな匂いが漂ってくる。ここの質素だけど栄養バランスは良さそうな料理はアデライドの体質に合っているのか、ニコラが出してくれた一番初め以来つわりが一度も起きてない。そんな有難い食事なのに話を聞くや急に食欲が減退した。

 何かね、ここ連日、居るの。

 門の前に。

 銀甲冑が。

 中身がどっちなのかは不明だけど、朝から晩までずっと正門前に陣取って、私が出て行くのを待っている。ぶっちゃけあなた仕事はどうしたよ!って思う。

 私は初日に昼まで待たれた時点で足は運ばずも「当分帰らない」ってこっちから長期滞在しますの伝言をくれてやった。まっ、だからバレたんだけどっ。
 銀甲冑は夜まで待ってたらしいけど、それでも日付を跨ぐ頃にはいなくなってたって話だから諦めてくれたんだろうって安堵していた。だけどそれは大きな間違いだった。
 だって次の日も来た。で、朝から晩まで居座られた。

 そして今日も朝から来られて待たれてるってわけ。

 会わない帰れって旨の言伝は甲冑が姿を見せた時点でしてくれるようには頼んであるけど、妙な圧があって怖いから早く来てほしいと正規の門番から日に何度も懇願される変な状況になっている。
 これはあれだ、ドラマとかでも良くある典型パターンの情に訴えかけるってやつよね。私の優しさを試してるの? それとも良心を? うーんでも時間が経つにつれて気が重くなってるのは確かね。
 こっちの溜息に老シスターは自身の頬に手を当てた。

「甲冑の騎士様も相当頑固と言うか何と言うか……」
「まあ、上からの命令だから仕方がないんだと思います」

 って、中身がそのまさに上の人の可能性もあるしね!
 ホントいい加減にして……。

「どうせなら一度行ってみたらどうですか? そうしてきっぱり言ってやるのです。根比べのように悶々としているよりも、その方が言う事を聞いてくれるかもしれません」
「うーん、確かにそれは一理あるかもですね。それじゃあ今から行ってみます」

 どうせジャンヌもまだ戻らないからと、私は早速と一人正門に向かった。教会騎士が捜索もしたし、もう敷地内を一人で出歩いても平気なのよね。因みに盗賊団やニコラたちは既に然るべき施設へと連行されて行ったからここにはいない。奪われた私の荷物も戻ってきた。

 歩いて到着した正門前には銀甲冑が姿勢良く直立していた。

 うっ、一瞬幻覚で背景に博物館の展示ブースが見えた。
 相手は鋭く気配を察知したのか早速と私に気付いて急ぎ足でやって来る。
 ひいいっ、何が何でも連れ帰ろうと腕を掴まれて引きずり出されそうって思った私は咄嗟に門の遥か内側まで引っ込んだ。

「いいい今はどっち? エド? それともヴィクトル様!?」

 皇帝とか陛下って言葉は使わない。どこで誰が聞いてるかわからないからだ。こんなところに皇帝が一人で甲冑着て立ってるなんてのはおかしな醜聞にしかならないもの。既に恐怖の対象って意味じゃもうどうしようもないけど、その他の評判まで落としたら私の命にも関わるわ。ヴィクトルって名前は珍しくもないからそこは使うけどね。

「今は某の方ですよ、レディ」

 ああエドか。良かった……。VIPなヴィクトル様だったら絶対気まずかったー。

「エド、悪いけどいくら待たれても帰らないって伝えたはずよね。大体エドも命令だからって律儀に待たなくていいと思うわよ」
「そうは行きません、首が飛びます」
「……あー、そっか」
「はい……」

 声に冗談の色は欠片もない。
 ここで私は声を潜めた。

「ねえところでエドに訊きたいんだけど、ヴィクトル様とフロイス司教って個人的に仲が悪いの? ……って物凄く目が泳いでるんだけど、一体二人に何があったのよ?」

 中身がエドだと思ったらもうね、遠慮もへったくれもなくリラックスして門外に出て近寄っていた。

「正直に白状しなさいよ。下手すると殺し合いしそうに見えたのよ」
「や、それはそのー……そもそもが陛下と教皇の確執が原因でして……フロイス司教は教皇の右腕でもあるので、何かと陛下と折衝の場に居合わせることが多く、つまりは反りが合わないんですよねあの二人」

 もっと詳しく、とじっと見つめていたら、エドはトホホと言うように息を吐き出して白状した。
 エドによると、あの雨の日ヴィクトル自ら一度中央教会に立ち入り許可を得ようと出向いたらしいんだけど、そこでフロイス司教と揉めたらしかった。

「へえぇー……」
「某も騎士の端くれとして面目ないです」
「エドは悪くないでしょ」

 悪いのは、ヴィクトルとミシェル・フロイスよ。帝国と教会トップ組が大事な時に何揉めとったんじゃーーーーい!!

「話はわかったわ。じゃあ私部屋に戻るから。ちゃんと伝えてね。明日からは待つのは禁止よ? あ、もし待ったら五年はここから出ないっても付け加えておいてね」
「わ、わかりました。くれぐれも怪我や病気には気を付けて下さいね。あなたの身に万一があれば陛下が暴走してこの国はお終いですから」
「エドは見た目からしていつも大袈裟ねえ。大丈夫気を付けるわ。心配ありがと」

 私は機嫌よくくるりと背を向けた。


 

 嗚呼、楽観的だった昨日の自分には……デコピンよお~!

 翌日、何と今度はロベールがやってきた。

 こらっヴィクトル・ダルシアク! 人を変えりゃいいってもんじゃないわよッ。
 ご丁寧にも「今日は俺、ロベールが来っました~!」って太陽代理レベルで陽気な彼からの伝言を受け取った私は、まあでもロベールだったらそんなに警戒しなくても平気そうだって門へと向かったの。

「お早うロベール」
「お早うございまーっす」
「お、おはようございますお嬢様!」

 ここで私は目を丸くする。
 ロベールの横にちょこんと子供が立っている。その子はロベールの隠し子……じゃなくて公園で倒れていた幼い少年だった。

「お早う。良かった、もう具合は悪くないのね?」
「はっはい!」
「医院で養生してすっかりピンピンっすよ。な、アドリアン?」
「はい」

 アドリアンって言うらしいその子はキラキラした無垢な目で私を見上げた。え、何この子むちゃくちゃかわちい~。

「わざわざ顔見せに連れてきてくれたの?」
「ああいえ、元々こいつ、アドリアンはこの女子修道院にいたそうなんすよ」
「え?」
「母親と世話になってたとこに盗賊たちがやってきて、しかもその母親は寝込んじまって、なのに薬の一つももらえず、こいつ自身も熱が出てぐだぐだだったにもかかわらず、意を決してこっそり抜け出したんだそうで。でも結局公園でぶっ倒れたってわけっすね」
「そうだったの……」
「あ、医院の方から修道院にアドリアンの無事は既に伝えてもらっているんでそこんとこは大丈夫っす」

 それはそうよね。子供が居なくなったら修道院でも騒がれたはずだもの。母親だって所在を知っていたから安心して騒いだりはしなかったんだわ。私は大変な思いをしたアドリアンをしゃがみ込んで抱き締めた。

「もう怖い人たちはいなくなったから安心して?」

 今はもう怪我人も体調不良者もいない。寝込んだってこの子の母親も無事に回復しているはずね。

「ロベール、色々とありがとう。じゃあアドリアン中に入りましょ?」
「は、はい!」

 腕を解いて顔を覗き込めば、アドリアン少年は嬉しそうに破顔した。小さな手を引いて歩き出そうとしたところでロベールがハッと何かを思い出したらしく何故か慌てて血相を変えた。

「あっロジェ嬢ちょっと待って下さい! あの方から預かり物があったのをすっかり忘れていたっす!」
「預かり物?」

 あの方が誰なのかは言わずもがなね。怪訝にするとロベールは空手だったその手に魔法で籐か何かで編まれた籠を一つ出現させた。

「ええとじゃあこれ…………差し入れっす」

 何故か震える彼の両手でずいっと突き出されたそれには差し入れって言葉通り果物がてんこ盛りだった。

「え、どうもありがとう」

 受け取らないのも何だかロベールが可哀想で恐る恐る果物籠を受け取ったけど、急にテレポート魔法が炸裂~なんて事態にならなかったのは良かった。その手のトラップを仕掛けてきてもおかしくないって勝手に思ってたから結構本気で安心したわ。

「あ、そうだ、ところでエドはどうしたの? 今日エドが来てないのはお役御免ってやつなの? それとも単なるローテーション?」
「えっ、そのっ、隊長はっ…………まあ、そこそこ、元気かと……」

 共通の世間話で和もうとしただけなんだけど、急にどん底まで声が沈んだ。え、どうしたのこのジェットコースター急降下は?
 エドの話題はもしかして禁句だった?
 やけに哀愁漂う目で果物籠を見つめたのも何で?
 よくよく見ればロベールの顔色は宜しくない。直前までは無理して明るく振る舞ってたのかも。いつもちょっとやんちゃ人ってイメージがあっただけに心配になってくる。これは確実に何かが起きたのね。もしやエドの代わりをしろって皇帝に脅されて今日ここに来たのかも。だとすればエドの身に一体何が? 
 ロベールの口からは帝都に帰りましょうなんて言葉は出なかったから、彼はたぶん最初からエドとは異なる指令を受けていて、それは差し入れ籠を渡すって役目なんだわ。

「あの、それじゃ、俺の用件はこれだけですんで、これで失礼しまっす……」
「あ、うん、ありがとね」

 案の定だったわね。ただ、ロベールは儚げな声もそうだけど数日見ないうちに体の線まで細くなってて、何か怖い……。恐怖体験のせいで一晩で白髪になったって人じゃないだろうけど、ホントに何があったのロベール?

 そうは思ったものの何だか引き止めて根掘り葉掘り訊くのも憚られてそのまま帰しちゃった。心労で倒れたりしないといい。
 そんなロベールと別れてアドリアンを連れて、彼をシスターに任せてから部屋に戻った。今頃はこの女子修道院のどこかで感動の母子の再会を果たしているはずね。
 その光景を想像しふふっと一人微笑んでから、私はテーブルに置いた果物籠を悩んだように見つめた。
 ジャンヌが戻ってきてから食べようと思う。

「うーん、ヴィクトルはとうとうまさか私に毒りんごでも食べさせようって?……なーんて、仮に私を殺したくてもこんなすぐに足が付く方法は取らないか」

 何度まじまじと見つめても指先でつついてみても籠の中身はことごとく林檎だった。

 美味しそうな真っ赤な林檎ちゃんたちだった。

「はあー、どうして唐突に差し入れなんてしてきたの? 謎過ぎるわ。まさかご機嫌取り? うーんあの人が……?」

 不審しかない単一果物盛りの籠。消化に良い無難な果物をチョイスしたのかもしれない。後でシスターたちにお裾分けしよ。

「誰にあげるにしろ、まずは味見して甘いか酸っぱいかくらいは確かめておかないと」

 私は籠の中の林檎の一つを手に取った。
 ずっしりと重くて表面はツヤツヤかつ鮮やかな赤。

「あはっエドの頭みたいな色~。すっごく瑞々しそうだし」

 洗うのが面倒で、どうせ誰も見てないからとドレスで林檎の表面をコシコシ擦ってからワイルドにガブリと一口齧りつく。
 刹那。

「――ってええええええええええええ!!」

 野太い男の悲鳴と同時に林檎は全裸の人間の男に変化した。

 正確に表現するなら、赤毛の騎士隊長エドゥアール・ギュイに。

 どう見てもエドでしかない男は涙目で床の上をごろごろ転がっている。

「…………え、…………えっ!?」

 びっくりし過ぎて椅子を倒しちゃったものの思考停止も甚だしい私は、目を丸くして呆然と立ち尽くすしかなかった。

 この世界には林檎の妖精がいて、それが実はエドだった?
 あはは妖精のイメージにすごく似合わなーいっていやそこは大した問題でもない。
 とにもかくにも、見たくもないのに目の前に横たわる事実としては、私の齧った林檎はエドだった。

 林檎と同じ色だなんて冗談を言わなきゃよかった。エドはたぶん齧ったせいでちょっと禿げたかも……なとこを押さえて目の前でまだ悶絶している。私も思い切りがぶっていったから相当痛かったんだろう。
 で、でも齧ったのが頭の部分で良かったあああ……ッ!
 安堵の反面他のとこだったらって考えたらマジ泣きそうになりながら全裸のエドのお尻を凝視する。
 ロベールはこの恐怖の事実を知ってたからあんな死にそうな顔色だったのね。
 全く、美味しさに頬が落ちる~って以前の問題で驚き過ぎて顎が落ちそうよ。

 カエルに姿を変えられた王子様の話は知ってるけど、林檎に変えられた他愛もない騎士隊長なんてどこの世界に居るわけ?

 フフッ、これ…………――ホンットどんな状況よおおお!?
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