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第二部

96 転がり落ちる日常1

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「買った食料おおおーっ、折角おまけも貰ったのに……っ」

 おそらくは全てが路上に置き去られたままよね。潰れた果物……うう~切ないわ~。

「食べられる物はきっともう誰かが持って行っただろうし……」

 治安のすこぶる良い貴族街を含む王城周辺区域から遠いここの区域は、食品が帰ってくる可能性は半々だもの。とは言え昼間にそこらを歩いてて無理にひったくられるって程治安が悪いわけでもないんだけど。
 涙ぐんでいると、ウィリアムとマルスは拍子抜けも良い所、何だそんな事かと言わんばかりの顔付きになった。何よ、日々の節約によって満腹満足に食べられるか否かは切実な問題でしょ。精霊達はそもそも人間の食料の概念には余り馴染みがないのか、不思議そうな様子で私を見ていた。

「あれなら、パン屋の奥さんが見てたから、たぶん彼女が回収しておいてくれてると思う」
「え……? そうなの?」

 天の言葉のようなマルスの言葉に私は思わず目を丸くした。不死鳥をほっぽり出して彼の肩を掴んで揺すって確認すれば、彼は「たたたたぶんんんん」とは言いつつも確信しているようだった。
 不死鳥はビックリした様子でその場でホバリングし、小精霊も小精霊でひらりと危険から身を躱わすように彼の肩から飛び上がっていた。

「きゃー良かったあ。これも日々のマルスのイケメン徳のおかげね!」
「と、徳……?」

 全く意味がわからないって顔をしているマルスの横ではウィリアムが半眼になっている。

「よーしそうと決まれば早い所取りに行かないと!」

 日々食費の節約に身骨を砕いていると言っても過言じゃない身としては僥倖よ。
 まあ実際本当にマルスの言う通りかはわからないけど、望みをかける価値はある。それ以前に一度あの路地に戻る必要があるのは確かだった。だって路上の掃除をしないとね。

「ウィリアム、この馬車の件はあなたに頼んでもいい? 勿論修理代はこっちで出すから」
「それは構わない。修理代も要らないよ」
「それは有難いけど、そこはきちんとさせてもらうわ。私のためにうちの子がやらかしたんだから」

 うちの子って言われたマルスは「子供扱い」とか呟いて何だか複雑そうにした。金に糸目を付けないリッチなウィリアムは「たかが修理代くらい…」って反論しようとしたけど、その前に私は彼の声に被せるように急ぎの主張を口にする。

「それでね、悪いんだけど私達荷物の回収と掃除しに戻るから、後で処刑どころに来てほしいんだけど、いいかしら。……場所わかる?」
「ああ。ブラックユーモア溢れる店名だよな」
「そこは激しく同感。で、実はそこで働きながらお世話になってるの」
「大体知ってる。余計なのまでいるみたいだけどな」

 ウィリアムは横目でマルスを射る。うーん、気にし過ぎよ。

「呼んだ馬車にはあなた一人で乗ってって。今はその厚意だけ受け取っとくわ。ありがとね!」
「いや掃除が必要ならこっちでさせ…」
「いいからいいから、それじゃ急いで片付けてくるから、後でお店で会いましょ。あ、表が開いてなかったら裏口に回って頂戴ね。店の人間が居るはずだから、事情を話して待たせてもらって。じゃあそういうことでよろしく! さ、行くわよマルス」
「あ、ああ……」

 双方に有無を言わせない勢いで効率を考えた末の采配をして、私は意気揚々と踵を返してパン屋前へと急いだ。マルスも黙って付いてくる。
 ウィリアムは私の言い分を容れたのか、無理に引き留めてはこなかった。
 もう居場所はわかったから変に焦る必要はないって思ったのかもね。
 私も彼に会えた心強さもあって、これからはきっと全て上手く行くって変な自信を抱いていた。

「何だか忙しそうだし、危機でもなかったみたいだから、おいら達一旦帰るな?」

 角を一つ曲がった所で、こっちにくっ付いてそれまで大人しく成り行きを見守ってくれていた小精霊が前に出てきた。確かにこの場に留まる必要はないし、この子はここでこうしているよりは少しでも不死鳥のお腹の中で体力回復に努めた方がいいものね。再会早々で寂しいかもしれないけど、簡単に事情は話してあるからきっとマルスだってそこはわかってくれる。
 見れば予想通り彼は理解の色を瞳に宿して頷いた。

「ええ、それじゃあ必要な時は召喚するから、その時は是非とも宜しくね。鳥さんこの子をくれぐれも頼むわよ」

 不死鳥は任せろとばかりに嘴から小さな炎を吐いた。

「ははっ、まあ今のおいらじゃ出てきても役に立つかは微妙だけどなあ」
「何言ってるの。あなたが無事にこうしてくれているだけで十分に役に立ってるわよ。マルスはとても嬉しそうだもの」

 すると小精霊は一度目を瞠ってから、破顔一笑する。

「嬉しそう、そかそか。なら良かったぜ。姐さんはこいつの機微がわかるんだな」
「まあそこそこは」
「そりゃ幸いだ! 姐さんみたいな人間がこいつの傍にいてくれて安心したぜ。んじゃマルス、またな」
「ん。ちゃんと静養しろよ」
「当ぜ…」

 言い終わらないうちに小精霊は丸呑みにされた。勿論不死鳥に。

「「…………」」

 うん、まあ、一瞬私もマルスも絶句したわね。

「ア、ハハ……精霊界に戻るにはお腹に入らないといけないものね」

 マルスは初めての光景にまだ唖然としてるー。
 嗚呼、時々精霊ってシュール……。
 ちょっと引いていると、不死鳥が可愛らしく頬にすりすりすりすりしてきてまたの別れを惜しんでくれた。ホント見た目に反して甘えん坊さんなんだから。今のはちょっとホラーだったって自覚もないようだし。
 そうして程なくして不死鳥が消えて何もいなくなった空間を、私達はしばし呆気とした目で見つめたものだった。

「ええと、行きましょっか!」

 空元気とまでは行かないけど微妙な空気を晴らすように口調を弾ませると、マルスは無言で頷いた。
 歩き出す私に続くマルスだったけど、彼は少し立ち止まって曲がってきた角の向こうが気になるのか肩越しに見やった。

「マルスどうしたの?」

 声を掛ければすぐさま追い付いてくる。

「何でもない。行こう」

 ほんの少し引っ掛かる部分はあったけど、今度こそは止まる事なくパン屋前へと足を動かした。




「ウィリアム殿下はまた王都にいらしていたのか。しかしどうしてあの娘と親しげに?」

 離れた建物の角から馬車と三人の男女を見つめていた男が疑問を口に上らせる。
 既に野暮ったい娘と黒髪の少年は遥か向こうの角を曲がって姿を消していた。
 まるで接点などなさそうな王子と一介の街娘が果たしてどのような関係なのかは、先程娘を強引に攫うような真似をした割に会話をする二人の間の空気が張り詰めてはいなかった点から、知り合いなのだと推測できた。
 しかも様子を見ていれば、娘の傍に精霊が現れた事で更に意外感は強まった。

「あの鳥は、見た所炎の精霊のようだが……」

 処刑どころの手伝いをしているあの娘が魔法使いだとは知らなかった。
 黒髪の少年も常人には見えない精霊が見えているようだったのも気になる。

「彼らは何者だ?」

 男は訝しんだ。彼ら二人が処刑どころに転がり込んできた身の上だとは調べが付いている。
 偶然か必然か、最近彼の店は新顔が絶えない。
 あの小さな少年も……と考えて男は長々とこんな道端で道草を食っている暇がないのだと気付いた。

「ウィリアム殿下が関わってくるとなると、些か面倒だな。それにしても不可解だ。たかが街娘一人に会いに来たわけでもあるまいに…………いや、それとも、そうなのか? 殿下が王都に出向いてくる程の重要な相手なのか?」

 だとすれば、事は簡単ではなくなる。
 どういう関係なのかと思案して、男は唐突にハッとした。とある可能性に思い至ったのだ。
 店の前で垣間見えた少女の菫色の瞳。
 執拗に長い前髪は人相を隠すためではないのか。

「……まさか、あの娘は……」

 男は横目で壁を、いや街角に立てられた掲示板を見やった。

 暫しそこに貼られた一枚の人相書の人物――行方知れずの伯爵令嬢の顔をジッと見つめる。

「だとすれば、まさにあの娘がローゼンバーグ家のアイリス嬢か? クククこれは冗談ではなくもたもたしてはいられないな。この好機を逃す手はない。殿下に介入される前に先手先手で早々に事を成さねばな」

 気を引き締めるように両目を細め、男は爪先を返す。

 王都警備隊に支給される揃いの制服の裾がバサリと翻った。




 パン屋に行って汚れた路上を片付けて、マルスの言葉通り無事だった食品はパン屋の奥さんが保管していてくれたからそれを受け取って、加えて、足りなくなった分は折角買い出しに出たんだしとやっぱり買い足した。そんなこんなで私達は予定よりもちょっと時間が掛かってようやく処刑どころへと帰ってきた。
 付近の路上に馬車は停まってないから、ウィリアムはまだ来てないみたい。向こうだってこっちの時間を考慮してやってくると思うしね。

 店は、店内の埃でも掃き出すためか、表口が開いていたから荷物を持ったままそこから入った。

「ただいま~」
「ただいま」

 いつものように帰宅の挨拶をしたものの返事はなかった。
 だけどザックなんかは特に厨房で仕込みをしていて聞こえなかったんじゃないかしらね。アーニーは住居部分の方にいてお昼寝でもしているのかもしれない。
 荷物を抱えたまま奥へと進もうとした時だ。

「アイリス嬢、待て!」

 マルスからやや強い口調で止められた。

「何よ……――!?」

 言いかけて、私も動きを止めていた。

 この屋内に漂う空気が鼻先を突いたからだ。

 店奥の方から鉄錆にも似た臭いが漂ってきていた。

 この臭いは……。

「血……?」

 ザックが鶏でも絞めて捌いたのかしら。
 でも、絞めるとしてもいつもは裏庭でやる。こんな屋内ではやらないはずよね。

「ザック……? アーニー……?」

 気付けば背中にじっとりと緊張の汗を掻いていた。
 すごく嫌な予感と共に奥へと進む。長剣の柄を握りしめてマルスが先に行こうとしたけど、私は首を素早く小さく振って下手な動きはかえってよくないと強引に彼を背後に留めた。
 マルスは知らないけど、私にはいざという時に不死鳥もいるし血の魔法もある。

 厨房の暖簾を掻き分けて恐る恐る中を覗き込む。

 血の匂いが濃くなった。

 案の定、異変は既にそこにあった。
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