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第二部

116 雨の降る夜に3

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「な!? やめてくれっ、人形が……妹がっ!」

 叫んだのは軍医だ。
 炎は長机の上にある棺の他に、アイリスが床に落とした人形からも上がっている。
 無論、例外はなく軍医の傍の人形からもだ。

 彼は火を消そうと躍起になって動かせる方の腕で必死に叩くが、不思議とその火は消えない。

「ソーンダイク卿っ、人形たちの魔法火を消してくれ! これは私の研究の結晶なのだ!」

 懇願の面持ちで見上げる軍医はアーネストの魔法だと確信しているようだった。
 この場にいるのは他に新手の若者二人だ。簡単な消去法から出した答えだろう。
 そしてもう一つ、明らかな攻守の逆転は何と言う皮肉だろう。
 軍医の哀願ぶりは、乞うまさにその相手を直前まで散々いたぶって殺そうとしていた男と同一人物とは思えないような豹変がある。
 そのせいか、アーネストは興醒めした公家のように鼻を鳴らした。この世界に扇があるのなら、きっとバサリと開いてしらけて半分顔を隠していたに違いない。或いはその逆でパチリと勢いよく閉じたかだ。

「だから何だい? 下らないお人形さん遊びなら余所でやってくれないかな? そんなことのためにアイリスの血は一滴たりとも使わせないよ。大体、あなた如きが死を弄ぼうなんておこがましいと思わない? ねえ?」
「弄んでなど……!」

 反論する軍医を無視し、アーネストはふっと悲哀のようなものを微苦笑に交えた。

「こんな場所……屋敷ごと燃えてしまえばいい」

 彼のこの極々小さな独白も表情も、メラメラとした炎の熱と揺らぎによってこの場の誰にも悟られはしなかった。
 或いはそれを見越しての呟きだったのかもしれない。

「人形にアイリスの血を……?」

 先のアーネストの言葉に不快そうに反応したのはウィリアムだ。
 彼が床上で燃え上がる人形の一つへ目を凝らすと、マルスが口を開いた。

「……あの人形から微かだけどオーラが出てる」

 未知の生物でも見るように眉間を寄せたマルスの発言は、ウィリアムにとっての良いヒントで、彼はハッと息を呑んだ。

「あれは……」

 マルスに劣らない難しい顔付きで言葉を途切れさせる。

「どうかしたのか? いわく付きとかのヤバい人形だとか?」
「いわく付きというと語弊がある。マクスウェル卿は、どうやらかなり人体に精通した医者のようだな。そこの人形は一見単なる木偶の坊のように見えるが……」
「ああ、凄く精巧に出来てるとか?」

 ウィリアムは左右に緩く首を振る。

「精巧なんてものじゃない。全体に必要な魔力が染み渡れば、人形の体内に仕掛けられた魔法具が働いて肌は木材とは思えない柔らかさを帯び、細かな内部機能も動き出し、恐ろしく人間に近いものになる可能性がある」

 王都で秘密裏にその手の研究がなされているのをウィリアムは知っている。三大公爵家の人間たるアーネストもきっと知っているだろう。
 だから魔法で以て燃やした。
 研究に対する好悪の感情はどうあれ、王家と神殿組織以外、民間のあらゆる魔法組織ではこの手の人形魔法は基本的に禁止されているからだ。
 悪用されれば人を惑わし、時に兵器ともなりかねず、治安の乱れを生むからというのが王宮側の主張だ。
 そうは言っても技術的にも大変に難しく、やろうと思っておいそれと造れるものでもない。軍医のこの人形も成功の公算の方が低いに違いなかった。

「へえ、そんな物がそこらを歩いていたら、本物の人間と見分けがつかなくてややこしくなるよな。それにもし死んだ人間に似せて造れば生き返ったって騒ぎになるんじゃないか?」
「……否定はしない」
「ああでも意思がなければただの動く人形でしかないか。死んだ本人の魂でも入るなら別だけど」

 マルスはほんの冗談交じりに意見を述べたのかもしれないが、鋭いとウィリアムは断じた。
 魂が他者の体に入るなら人形にも可能だろう。
 そういう人形たちに死者の魂を降ろせば、死者の復活も同然になると確かにウィリアムは考えている。
 マルスは魔法の徒ではないし、地球や前世がどうとかとは全く関係のない生粋のこの世界を生きている人間だ。魂の転生を空想の中の概念として知ってはいても、それが実際に起きているなとどは夢にも思わないだろう。

 おそらく魔法はいつか魂の領域を侵すに違いないとウィリアムは感じている。

 それは優れた魔法使いであるアーネストも同じだろう。

 そんな会話をしている間にも衰えない火勢が炙るような熱をマルスと自分に見舞ってくる。
 ウィリアムはこの誘拐事件の二つの大きな軸をようやく理解した。
 一つは復讐、もう一つは魔法研究のためだ。

「だからアイリスを攫ったのか」

 その血を人形へと捧げるために。

「死者のために生者の血を欲するなど、倫理や自然の理に反している」
「ふふっ同感だよ。私もね、この狭い世界での魂の使い回しというか、そんな紛い物の復活には興味はないんだよ。この意味が君にはわかるかい、ウィリアム・マクガフィン君?」

 唐突とも言えるアーネストからの水向け。
 意味深だが答えを必要としてはいないのだろう。現に彼は言葉を続けた。

「だからね、彼女がそんな下らない人形遊びのための犠牲にされるなら、私は喜んで破壊するよ」

 ウィリアムが何か重要な閃きに辿り着く前に、アーネストが自身を中心とした魔法陣を展開させる。
 その発動と同時にピシピシピシと蜘蛛の巣状に床に大きく亀裂が入った。

「――!? マルス今すぐ部屋の外に出ろ!」

 逼迫した声で叫んだウィリアムに即座に従って廊下へと戻ったマルスだが、彼自身本能的に身の危険を感じたせいもあって動き出しや身のこなしは俊敏で的確だった。
 単なる亀裂が太い筋へと広がり最後には大きく分かたれた石床は、支えを失くしたパズルのピースがバラけるように見る間に崩落を開始する。
 燃え盛る棺も人形も長机も棚も、室内の人間以外のあらゆる物が奈落のような暗い地下へと落ちて行く。

「ソーンダイク卿、一体何のつもりだ……!」

 ウィリアムは瞬時に軍医を浮かせ距離的な観点から咄嗟にマルスとは逆の通路、つまりは地下へと通じる方へと放り自分にも浮遊魔法を行使する。険呑な青灰の眼差しを突き刺すように低い怒声を浴びせれば、アーネストは傷付いたアイリスを抱いて宙に浮かんだまま下方へと視線を落とした。
 因みに軍医は受け身も取れず強かに体を打って悶絶したが意識は手放さずにいた。這いずって床の切れ目の方へと戻ろうとする。それだけ彼は彼の人形が気にかかるのだろう。

「ここの地下空間は我が一族の秘匿された墓所でね、閉鎖された物理空間がそのまま負の魔力も封じていたんだよ」
「それが……?」

 アーネストが脈絡なく話し始めた内容に訝りつつも、ウィリアムの中では警戒レベルを上げろともう一人の自分が叫んでいる。内面から伝播してくる切迫感からアーネストをより一層きつく睨む。

「折角だから無念の御先祖様たちの力を借りようと思ってさ。そこのマクスウェル卿が随分と張り切ってくれたおかげで、さすがに私一人だと体力的にキツいからね」

 一部漠然とした内容にウィリアムは眉をひそめたが、アーネストの言葉通り地下から多量の密度のある魔力が上がってくるのを感じ取った。それは湯立った鍋の蓋を開けた時の湯気のように上昇し、壁や天井を透過していく。
 その一連は光の反射のように一瞬だった。何かが起きるかと身構えたウィリアムだったが、しかし室内にこれと言った変化は見られない。魔力の塊はきっと屋敷の屋根さえ抜けて遥か上空へと上昇して行ったに違いない。

 ウィリアムはアーネストの意図を測りかねた。

 彼が無意味なことをするとは思えない。

 この放出には何か意味があるはずだった。

「ウィリアム君たちは、私が歩いて結界の外まで出ていくのを決して見過ごしてはくれないだろう?」

 アーネストの形の良い唇の両端が、ゆっくりと吊り上がる。
 その様にウィリアムの警戒がマックスになったのとほぼ同時、アーネストの足元にまた一つの魔法陣が出現した。

「転移魔法!?」

 ここから魔法で外の空間へは移動できない。

 何故なら妨害の強い結界が張られているからだ。

 ウィリアムはこの地に到着して早々にこの屋敷全体に精霊を妨害する魔法結界と、空間転移での脱出を妨害する結界が張られていることには気付いていた。
 念入りに施された結界で、破るにはウィリアムでも一苦労に違いなかった。
 アーネストだって気付いているはずなのに、どうして空間転移魔法を使おうとするのか。
 魔力の流れを目で追って天井を見上げていたマルス同様に、魔法の気配を追っていたウィリアムがやっと相手の意図に気付いて目を瞠る。

「まさか、今の魔力で結界に穴を開けたのか!」
「御名答。私だけでは魔力の消費は半端ないだろうからね」

 ウィリアムにとって地下墓所の魔力の存在、それは大きな盲点だった。

 加えて、アーネストとアイリスの接点もこの誘拐事件以外では見当たらず、まさかアイリスを伴おうとするとは思いもしなかった。

 油断していたわけじゃない。

 しかし完全に出遅れた。

 この屋敷全体に掛けられていた精霊妨害の結界と脱出妨害の結界のうち、アーネストは後者を無効化したに違いなかった。

 気付いた時には空間転移魔法が発動していた。

「待てソーンダイク卿! 貴卿きけい程の魔法の腕があれば彼女の血など不要だろう!」

 ウィリアムとしては彼がアイリスに執着するのはそんな理由しか浮かばない。

「血……ね。まあ目的をそう取られても仕方ないか。……今は別に血だけが欲しいわけじゃないよ」

 彼の物言いにウィリアムは嫌な予感がした。
 軍医のように血のためだと言われた方が何倍もマシだった。
 マルスだけでも気に食わないのに、これ以上要らない面倒を……というか周辺に群がる男を増やすなと、この手の方面では警戒心の薄い恋人に是非とも物申したい。

「彼女は、アイリスは俺の恋人だ!」
「だから? 別に結婚しているわけじゃあないだろう。彼女は私が責任を持って世話するよ」

 目の前でアイリスとアーネストの姿が魔法光の中に消えて行く。

「それじゃあ御機嫌よう」
「アイリス!」
「アイリス嬢!?」

 ウィリアムとマルスが目一杯の声で名を呼んでも、先程からずっとそうだが彼女は微かな反応さえ見せない。
 それだけ深い昏睡なのだろうと察すれば、ウィリアムの胸中には本当に何があったのかと言いようのない憤怒が渦巻いた。
 感情が爆発するような焦燥のまま超速で突っ込んで手を伸ばす。

「――アイリスッ!!」
「あああっ下にまで火がっ! やめろここには妹たちが眠っているのだぞ! 消してく、れ……うあああああーっ!?」
「――ッ!?」

 折悪しくも下を覗き込んだ軍医ごと彼のいた床が崩落し、ウィリアムはとっさに転落阻止の魔法を放つしかなかった。

 だがその動きのせいでブレて狙いを外れて掠めた指先は、本当にもう少しでアイリスに届くかと言う所で空を掻いていた。

「…………くそっ!」

 最早目の前には魔法の光もその余韻さえもなく、虚無だけが広がるようだった。
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