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第二部

129 聖女?何それ美味しい……わけがない!

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「立ち去るつもりなら、ちょっと待ちなさいよ」

 喧嘩腰で引き留めれば、相手の気配がその場で動きを止めた。
 足音も止まったし、立ち止まったのね。

「身分を隠しての神殿行きだなんて、そんなの元々はあなたが悪いんじゃないの」
「私が?」
「どう考えてもそうでしょ。とぼけないでよ」

 そうなのよね、今目の前には捜し出してけちょんけちょんにしてやるって散々王都で息巻いていた相手のワル魔法使い本人がいるのよね、私ってば今までアホかってくらいに忘れこけてたけど、この好機を逃す手はないじゃないの。

「私が処刑されるべき悪女だって思われたのはそもそもあなたの裏工作のせいなのよ。さっさとそれは間違いでしたって全世界に訂正して回りなさいよ。何なら土下座で各方面に謝罪よ謝罪。神殿行きはそれからね。それが成されないうちはここを梃子てこでも動かないんだから」
「何だ、君が自らここに居座ってくれるなら好都合だね。別に私だけ神殿に通ってもいいわけだし?」

 はあ!? それってないんじゃないの!

「……鳥さん、今すぐどこかに行きましょ。私たちだけでもきっとやっていけるわ。世界中を回って治療法を見つけましょ」

 アーネストが嘆息した。

「……わかったよ」

 あらあらやっぱり彼は私に潜伏されるのがお気に召さないみたいね。
 まあどうせ異世界への扉を開くための研究が滞るからだろうけど。でもこれって私に手札が増えたも同然よね。くくく、しめしめだわ。

「どうせ神殿に入ったらどこからか耳に入るだろうし、黙っておくのは面白かったけど正直に話すとしようか」
「正直に話すって、何を?」

 するとアーネストはそんな気分なのか、室内をゆっくりと歩き出したようだった。

「ハッキリ言って、君の名誉はとうに回復しているよ」
「えっそうなの? いつのまに? 訂正して回ってくれたわけ? あなたが? えー冗談よね?」

 私の挑発っぽい言い様にちょっとイラッとしたのかもしれない。少し間があった。

「元々手は回してあったんだよね。君に死なれるのは私にも不利益でしかなかったし。処刑台から君が姿を消して捕縛の手配書は出たけど、それほど経たずに神殿からの正式なお達しも各地に出されて、今では君は聖女って扱いになっているよ。現在の手配書には聖女を見つけ次第保護するようにって記されているはずだ」

 せいじょ。

 聖女……?

 えー、何それ美味しいの?

「……ええと、聖女って聖女? 聖なる清らかなる乙女~って感じの」
「勿論。それ以外にないだろう?」

 悪女の次は正反対のそれなの?

「でも聖女って言われても、私治癒魔法系はとんと使えないわよ? 奇跡の業で死者復活だって無理だし」
「別に治癒魔法や復活魔法を使えるから聖女というわけでもないから、気にしなくていいんじゃないかな」
「じゃあ何が聖女の基準なの?
「託宣。神託とも言うかな。それが降りて君が聖女だと名指しされたから、君は聖女というわけだね」
「なにそれ……。この世界じゃたったのそれだけで人の人生がガラリと変わっちゃうんだ」
「まあ、そうだね」

 はー……どちらにせよまた七面倒臭い肩書きになったことには違いないわよねー。

 そう言えばウィリアムも何か私に話してないことがあったみたいだし、それってきっとこの件ね。それに今思えばマルスだって実は知っていたんじゃないのって微妙な言動の時があったかも。
 私ってば自分の手配書は内容に変わりがないと思い込んでいてろくろく読まなかったせいで、ずっとお尋ね者で追われる身だって思っていたわ。だからウィリアムやニコルちゃんたちにも連絡しなかったのに……。
 違ったならもっと色々と行動は変わっていたかもしれない。後の祭りだけど。
 あーあ、名誉回復しないと家族に堂々と会いに行けないわー、ヨヨヨヨ……って思っていたけどとっくに叶っていたってわけね。

 でも悪女から聖女って極端過ぎるでしょーっ!

「大罪人として追われて捕まって処刑される心配はもうないけど、今度は価値のある聖女として身を狙われる危険も出てくるし、その血のせいでも狙われるだろうから、身分を偽る必要があるんだよね。そこの点は理解出来たかい?」
「……ハイハーイ先生できましたー」

 齎された新たな真実に一人で頭を抱えていると、アーネストは依然として室内で足を動かしながら、こんなことも言った。

「ああそれから神殿入りの心得としては、少年の私と寝起きを共にすることも含まれるよ」
「はああ!? なななな何ッッッですって!? 普通そういう所は男女別じゃないの!?」

 今は寝室は辛うじて別だけど、神殿の寄宿棟だかに入ったら同室なの?

 ちょっと嘘でしょ!

 不死鳥たちが居たって、そんなじゃ今まで以上に気が休まらないわよ。

「普通はね。何しろ私は君の付き人だからね。年齢も低いし他の女性たちに変なことをするとも思われないだろうから」
「思いっきり危険人物でしょ! あなたの正体を早々にバラしてやるわよ」
「一生見えなくてもいいのかい? 何も神殿に人生を捧げろと言っているわけじゃない。用が済めばあんな所は出て行くよ。単なる一時的な同棲に過剰に目くじらを立てるなんて……もしかして私を意識しているのかな?」
「せめて同居って言って! 意識なんて微塵もしてないしっ」

 正直意外だったけど、彼は神殿をそこまで神聖視しているわけじゃないのね。異世界の知識があるせいなのかしら。

「だったら私たちの間で無益な争いは不要だし、元よりお勧めしないよ」
「くっ、あなたに言われると腹しか立たない……けどまあ、私の目のためにも休戦にしてあげるわよ。ふん、衝立でも間に置いとけば少しはマシだろうし」

 こっちが譲歩してやれば「それは何とも有難いね」ですって。有難いって思ってないでしょ。全然感謝の念を感じませんわ!

「そういえば実はまだアーニーとしての正式な肩書きを決めていないけど、私と君は姉弟とでもしておこうか? その方が傍に居ても無理がないよね。神官見習いとして日々研鑽けんさんを積みながら、熱心に姉の世話もするなんて感心な弟だと思わない?」
「思わない」
「そう? まあいいけど。住めば都ってよく言うし、そういうわけだからよろしく、――アイリスお姉さん?」

 くそーっアーニーじゃなくアーネストの声でそう呼ばれると虫唾が走る~ッ。
 地の底を這うような私の殺意染みた怒気を感じ取ったのか、足音が遠ざかり部屋の扉が閉じる音がした。
 呼び逃げだなんていい根性してるわ、アーネスト坊やめえええ……!
 しばし私は拳を握り締めて一人でわなわなと震えた。

「くうううぅ、何よこの波乱万丈のアイリス人生……ッ」

 お願い誰か、私が心置きなく安眠できる日々を頂戴よおおおーーーーッッ!!




 王都では日記からの連絡がないまま時間だけが過ぎていた。
 アイリスからの音声手紙はあれからまた一度送られてきたが、内容は一通目とほぼ変わらずの元気だと言う至って呑気な物で、所在地の手掛かりはなかった。因みにそれにはアーネストの声は入っていなかった。

「日記はまさかまた寝ているわけじゃないだろうな。もしそうならもう一度燃やす必要があるが」

 マルスに渡す物があって夜に処刑どころを訪れていたウィリアムは、客で賑わうホールではなくマルスの使っている部屋の椅子に腰かけている。
 先程までマルスは接客に忙しくしていたので、ウィリアムは彼の休憩時間まで待たされていたのだ。

「え、本気で燃やすのか?」

 つい今し方ようやく休憩しに部屋に戻ってきたマルスは、下がる時に一緒に運んできた自らの軽食と、二人分の飲み物をテーブルに置いてウィリアムの向かいに腰を下ろした。

「当たり前だ。そうでもしないと起きそうにないだろうあれは」
「ああ、確かに。まあけどそれは本当に寝ていたらの話だよな。スパイ作戦が難航しているんじゃないか? あの日記は動いて喋るけどそれだけで、あんたみたいに便利な魔法を使えるわけじゃないみたいだし」

 ノックは出来るがドアすら誰かに開けてもらわなければならず、見つからないように移動するにも気を遣うだろう。

「確かにな。しかしこうも全く音沙汰がないと、送り込んだ意味がない。日記を一度こちらに戻した方がいいだろうな」
「だけど、公爵がそれに応じるかは半々だ」

 ウィリアムは僅かな頷きと小さな嘆息で同感の意を示した。
 アイリスの物だからと送り付けたも同然の物をやっぱり送り返せなどと言っても、怪しまれるのが落ちだろう。その上で応じてくれるかは本当に相手次第だ。

「悪かったな。僕が無謀な案を出したせいだ」

 自責に落ち込むマルスの頭をウィリアムはべしっとやや乱暴に叩いた。
 漫才でツッコミ役がよくやるあれだ。

「何だよ……?」

 頭を押さえて目を白黒させているマルスへと、ウィリアムはふんと不機嫌に鼻を鳴らして腕組みした。

「それなら賛同した俺も同罪ということになる。お前から反省を促されるのは気に食わない」
「あんたなー……」

 呆れた半眼でウィリアムを見やったマルスは、いつまでも休憩している暇はないのだったと思い出し気を紛らわすように軽食を口に運んだ。
 そんな彼の前に押し出すようにしてウィリアムは一通の封書をテーブルに載せると立ち上がる。

「これは?」
「お前の父親の消息に関するものだ」

 マルスはハッと驚いたように息を呑む。噎せなかったのは幸いだった。

「掴めたのか?」
「ああ」

 マルスはウィリアムから父親の話が出てから、彼の行方を調べて欲しいと頼んでいたのだ。
 それとは別にマクガフィンの地を一度訪れるようにも言われていたが、まだ行ってはいない。アイリスのことが落ち着かないので王都を離れられなかったのだ。

「ありがとう。けど親父殿のことは今は後回しだ」

 わかる人にしかわからない微細な変化で嬉しそうにして、封筒を受け取って一旦は封を開けようとしたものの、マルスは結局中身を見ずにテーブルに伏せた。そうして顔を上げる。

「見るだけ見ておけばいいだろうに」
「いいんだ。見たらそっちの方も気になって、大事な時に集中出来ないかもしれないから」

 本人がそう決めたのなら口は出すまいと、ウィリアムはそれ以上は特に何も言わなかった。

「ウィリアム、僕はもうただ待っているだけなのは、やめた。手始めに日記を取り戻しに乗り込もうと思う」

 ウィリアムは口角を上げてにやりとした。

「ふっ、何だ気が合うな」

 実は彼も書類の他にその宣言のために今夜はこの店を訪れたのだ。
 相手の出方に任せて穏便に済ませようという気など、最早さらさらなかった。
 要はもう四の五の言っていられないと業を煮やした二人だった。

 若者二人が決意を交わし合ったそんな時、室内に異変は起こった。

 二人の間の空間が歪んでその中から一枚の栞のような物が出現し、舞い落ちてくる。

 散る花びらのようにひらりひらりと不規則な動きをするそれを、ウィリアムは難なく指先でキャッチした。

「これは俺の仕込んだ魔法符か。日記からの報告だな」

 自分で仕込んだ魔法具なので彼は即座にそれが何かを判別できた。
 出現地点を自分の現在地に設定しておいてちょうど良かったと彼は思った。
 すぐさまマルスと二人でその報告を聞く。
 報告の開始と同時に宙に浮かんだ魔法符が、端から燐光となって消えていく。

「……アィ、リス……神殿……」

 ただ、二人の予想に反し、日記の報告は何かの妨害にでもあったようにとても短く、そして不明瞭だった。
 それでも「神殿」とだけはハッキリと聞こえていた。
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