お待たせ皇子様、出前です!

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31 山憂炎のはかりごと2

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 これは断れない雰囲気だと凛風が思っていると、意外や意外、義賊の青年は酷薄そうな唇に皮肉気な笑みを浮かべた。

「つまり、あんたの舎弟になれって? ハッ人に物を頼むんならまずは俺の仲間たちの縄を解けよ。それとも人質のつもりか? 大体自分より弱い男に従うなんて冗談じゃねえよ」

 黒蛇が嘲弄さえ浮かべてみせると、山憂炎は地顔のようだった微笑みを消した。
 傍では楊叡が「このたわけ」と誰に向けてか同情的に呟いた。

「……弱い? 僕が? 君より?」
「誰がどう見たってそうだろ、優男さんよ?」
「じゃあ試してみようか」
「――っ!?」

 パチリと扇子を畳んだ音がまるで開始の合図だったかのように、山憂炎はトッとごく軽く地面を蹴った――かと思えば縮地の如き超速で黒蛇に接近し、黒蛇が応戦に転じる暇さえ与えず、纏まった扇子の先でデコピンよろしく額を小突く。
 トン、とごくごく軽く後方へ押されただけだったが、どさり、と黒蛇は尻餅をついてしまっていた。
 一連がまるで疾風が通り過ぎたかのような流れに、黒蛇は自分の状況さえ理解していないようにポカンとなっている。

「僕は元武官だし、これでも仙人になるために修行した身なんだよ? いくら君が天然の道士だろうと、正規の修行を経た者たちとは雲泥の差だね」

 息一つ乱さず悠然として告げる山憂炎に、そう言えば彼は登場の仕方からして仙人だったと失念していた黒蛇は悔しそうに呻いた。

「ふふっ僕の指摘に驚いていないのを見ると、どうやら天然道士の自覚はあるらしいね」

 通常は苛酷な修練の末に仙人や道士の優れた能力を得られるが、ごく稀に生来から高い身体能力を有している人間がいる。
 そういう者は天然の道士と言われ、仙人直々に弟子にスカウトする事もあるという。
 しかしこの男は誰かに師事しているようには見えないし、この先しそうにも見えない。
 まさに野放しの天然道士だった。

(ああだからこの人すごく頑丈だし身体能力も尋常じゃないのね)

 一度ぶちのめした凛風なので妙に納得した。

「話を戻すけれど、僕が手を回さなかったら、少なくとも君は死罪かそれに匹敵する罪科を被っていたはずだ。そこの仲間たち共々、ね」

 率直な言葉を聞けば、まさに天敵に睨まれた蛇にでもなったように黒蛇は頬を硬くした。額にじわりと冷や汗が滲んでいる。
 直前まではひらりひらりと風に遊ぶ蝶のように軽やかかつゆったりとした気配を醸していた山憂炎からは、息苦しくなる威圧さえ放たれている。
 年季の入った仙人のというよりは、かつての猛将山憂炎の片鱗を彼は見せたのかもしれない。嘘か真かは知らないが、往年の彼には一睨みで数多の敵兵を失神または失禁させたという逸話まである。

「義賊とは言え盗みは盗み。官吏たちの間から君たちを捕まえてくれという奏上がなかったわけじゃない。けれど今まで君たちが捕まりもせず無事だったのは、高みに居らっしゃる誰かから見て見ぬふりをされていたからだ」
「高み……」

 三公たる彼が「居らっしゃる」と尊敬語を使った相手となれば、ぼかしてはいるがその誰かは絞られる。
 呟いて黒蛇はハッとした。答えを導いたのだろう。
 義賊を黙認しているという事は、その誰かは民を虐げる臣下を決して良くは思っていないのだ。
 黒蛇は盛大な溜息を吐いた。

「ったく、朝廷っつーのはいちいち難儀だな」

 山憂炎は苦笑するに留めた。

「民を思いやる志は立派だけれど、皇都内やその近郊だけで義賊を続けているのでは根本は変わらない。この国は広いし、大体にして彼らは盗られた分を補おうと懲りずにまた民を虐げるだけだ。君だってそこは気付いているだろう?」
「まあな」
「君は、義賊ではなく正式な身分で悪者を取り締まりたいとは思わない?」

 冗談とでも思ったのか、ようやく立ち上がりつつ黒蛇は嫌そうな面持ちでじっと山憂炎を見つめた。

「本来官吏の不正は皇帝が正すもんだろ。なのに何故しない? 官吏の不正も放っておくような朝廷に仕えるなんざ御免だぜ」

 存外落ち着いた声に山憂炎はちょっと困ったような顔をして、扇子の先でこりこりとこめかみを掻いた。

「うーん、そう言われると耳に痛いけれど、朝廷の良心たちだって決してただ座して見ているだけではないんだよ。陛下だって他の政務に忙しく不正の把握には限界がある。僕もさすがに中途半端な小者にまでは手が回らないしね。そこで、一目置いていた義賊の君の事を思い付いたんだよ」
「一目置くだあ? 何でだよ」

 山憂炎は扇子を開くと口元を隠し「ふふふ」と小さく笑う。

「これでも僕は朝廷のろくんでいる身だから、官吏が被害を被った窃盗事件について声を大にしては本音を言えないけれど、君たちって基本的にあくどい官吏から財を奪ってそれを貧しい下々にばら撒くだろう?」
「ああ、それが?」
「それを踏まえて少~しだけ私見を表せば、――悪徳官吏ざまあって思っていたから、君たちにはささやかながら感心してたんだ」
「……あんたはそんな見た目で、中々どうして食えない腹黒男だよな」
「ふふ、清濁併せ持つと言って欲しいね」

 少しどころかそこがまさに本音の大部分ではと思った凛風だったが、大人の事情を弁えて、そこは突っ込まなかった。
 黒蛇に限らず、その場の誰もが大いに呆れたような微妙な顔付きになっている。
 きっと思うことは直近の黒蛇の発言と大して相違はないだろう。

「何だ、つまりは減刑と引き換えにいぬになれってこったろ?」
「捉え方は任せるよ。俸禄ほうろくはきちんと出すし。それに、君の推挙があれば義賊仲間にも俸禄を出そう。何にせよ配下は必要だろう。どうかな、悪い話ではないと思うけれど?」
「仲間にも……?」

 黒蛇は思いもかけない言葉を聞いたように数度瞬いた。
 取引を蹴って自分が罪に問われるのは構わない。罪科が自分の中で妥当ならば刑に甘んじ、理不尽ならば脱獄してやろうと思っている。
 だがこの条件は黒蛇の心を動かした。志を同じくする仲間たちにも真っ当な立場を与えてやれるのだ。

「皇子様をダシに使ってここまでするくらいだ、どうせ俺に拒否権はねえんだろ」

 山憂炎と言う男は、おそらく自分を監視していて、今回の行動を巧く利用した。
 彼はそれには答えず微笑を浮かべ黒蛇の返答を黙してただ待っている。
 ここまで来ては、意地や矜持きょうじなど役には立たない。
 黒蛇は、天を仰いだ。

「わーかったよ! こっちだって正式に後ろ盾があった方が色々やり易いからな。あんたに協力すんのはやぶさかじゃねえぜ。ただし、約束通り手下どもの面倒もきちんとみてもらうからな?」
「話が早くて助かるよ。それでこそ僕の見込んだ男だ」

 自らの立場を理解して損得を勘定した黒蛇へと、山憂炎は満足そうににっこりとした。

「――で? 具体的にはどうしろってんだ?」

 縄を解かれた仲間たちが先に皇城から出されるのを承諾し、雷浩然に連れられていくその背を見送りながら、黒蛇は傍らの山憂炎へと早速問うた。仲間たちが口々に黒蛇の決めた事に従うと言ってくれたのは正直助かった。

「ああそれはさ、実はそこのほっつき歩くのが大得意な第一皇子殿下なんかも、毎回地方に出向いてはちょいちょい小悪党を捕まえていたりしてね。君には彼に倣って各地を回って欲しいと思っているんだ。そこで悪党を炙り出してもらいたい。これから子豪殿下は他の事で忙しくなるだろうからね」
「それは構わねえが、第一皇子が忙しくなる……?」

 黒蛇はキョトンとしていたが、肖子偉がハッとして口を開いた。

「山太師、それはつまり兄上が……?」
「そうだね。彼は近いうち太子に立てられる」

 凛風も、肖子豪本人も目を見開いた。
 楊叡は元々知っていたのかそれくらいでは驚きもしないのか、先程から静観の構えを崩さない。
 黒蛇はひょいっと両の眉を押し上げた。

「兄上、良かったですね。私は心から嬉しいです!」
「ぶっちゃけもっと先の話だと思ってたが」

 この展開を願ってきた肖子偉は素直に喜んでいたが、肖子豪は困惑を隠せないようだった。

「太子になれば今以上に束縛も多いし、陛下の傍で公務を補佐するだろうから、気軽には出歩けなくなる」
「なるほど、だから代わりが必要なのか。でもよ、マジであんたは俺で大丈夫だと思ってんのか?」
「勿論。そうでなければこんな七面倒臭い真似はしないよ」
「……今更だし俺が言うのも何だけどよ、もっと別の方法はなかったのか?」
「どうかな。僕が普通に頼みに行っても、どうせ猜疑さいぎ心の強い君は裏があると勘繰って応じなかっただろう? だったら貸しを作って更には損益の面から協力させるのが効果的かなって思ったんだよ。ふふふ、目論見通り動いてくれて良かった」

 薄く刷いたしたたかな微笑すら、この仙人に掛かれば優美だった。

 黒蛇との取引が一段落したと思ったのか、山憂炎はくるりと肖子豪を振り返った。

「そういうわけですので、子豪殿下にもご理解頂けると有難いのですけれど」

 山憂炎は、第一皇子が自分と黒蛇のやりとりを黙って聞いていても、受け入れていない様子だったのに気付いていたのだろう。
 肖子豪がこうなってしまっては黒蛇を極刑に持って行くのは難しいと感じているのは明白だ。
 そんな肖子豪は確信犯の山憂炎へと、苦々しいというより忌々しいと言った眼差しを送った。

「地方を巡る監察の人材が欲しいのはわかったが、その件とこの襲撃は並列にはない。そいつがまた子偉を狙わない保証はないからな。今見逃して子偉に何かあったらどうするんだ。どうせ改心なんてしないだろ」

 諦め悪く抗議する肖子豪の言いようが気に入らなかったのか、黒蛇は不機嫌そうにフンと息を吐いた。
 しかしそのすぐ後で意味深に口角を上げたかと思えば、舞踏のようにひらりとステップを踏んであっと言う間に肖子偉の背後に回り込む。

「子偉! ほらみろやっぱり!」

 黒蛇に斜め後ろから肩に凭れるようにして肘を置かれた肖子偉は明らかに硬直した。
 油断していたせいで弟への接近を阻めなかったのは、武人としても兄としても痛恨の極みだと肖子豪は歯噛みする。

「そうそ。改心なんてするかよ。狙うに決まって――ブゴオッ!」

 黒蛇がへらりとして愉悦を浮かべた矢先、狙いを過たず、その顔面中央にくつがめり込んだ。
 飛び蹴りをしての鞜裏の到達ではない。
 どこからどう見ても鞜単独、しかも片方だけで重さなど高が知れている鞜……なのだが、到底鼻が無事とは思えない音とめり込み具合だった。
 その場の男たちは、仙人の山憂炎ですら例外なくぞっとしたように息を呑んだ。

 慄くような視線を集めるここでの紅一点、そして投擲とうてき主の少女は、あたかも王者が凱旋するような足取りで以って仰向いて倒れた黒蛇の所へと向かう。
 肖子偉の方は耳横すれすれを物凄い速度の物体……つまりは鞜が通り過ぎた風圧で、見事に髪が乱されている。
 鼻から血を流し大の字に地面に伸びた黒蛇は、鞜を拾って履き直した凛風から再び足蹴にされた。睨むでもないただただ底冷えした零下の眼差しが天からの鉄槌のように彼に突き刺さる。

「子偉殿下を二度と狙うな」
「……ッ、わっわかった金輪際害さないと誓うぜ! 俺の天女いや姐御!!」

 この世のどんな素直な子供より聞き分けの良いだろう返事が上がり、国のド偉い宰相のように威厳たっぷりに小さく頷いた凛風は、また嬉しそうに足にすがられては堪らないと無言で足を退けさっさと離れた。
 主人を見送る忠犬のような目で黒蛇が名残惜しそうに見てきたが、継続するマジ怒りのままに「さっさと立て」と命じれば、バネのような全身を使ってすっくと立ち上がった。

「今のはただ少しカチンと来てふざけただけなんだよ。そいつへの憤りなんてすっかり彼方に行ってたっての」

 彼は鼻血を拭いつつどこか叱られた子供のように一人でいじけた。

「子偉殿下、どこも怪我させられていませんよね?」

 黒蛇に害意はなかったようなので平気だとは思うが一応確かめれば、彼は大事はないとコクコク頷きつつも、笑みが引きり随分と青い顔をしていた。




 ――おめえら、この先も俺に付いて来てくれる気があるんなら、今回の事はそこの優男に感謝して、ここを出る間も決して暴れるなよ。俺が戻って指示出しするまでは悪党相手でも盗みも他の何やかやも働くんじゃねえぞ?

 雷浩然の後ろをぞろぞろと付いて来る盗賊団たちは、そんな風に団の頭領に言い含められて今はとても大人しい。
 しかれども、雷浩然は本当に背中に目でも開きそうな程に、全力で意識を傾けていた。彼は会って間もない荒くれ者を何の疑いも持たず信用できる程寛容でも軽率でもなかった。

(し、失敗した。訓練された兵士を呼んで頼むべきだったかもしれない)

 待機場所から彼らを雪露宮まで連れて行ったのが自分だったので、門まで送る役目も何となく自分が引き受けてしまった。
 山憂炎は黒蛇と話があるようだったし、娘や皇子たちはずぶ濡れで、着替えもしない状態のままで付き合わせるわけにもいかなかったし、まさかしゅうとの楊叡にお願いするわけにもいかなかった。

(万が一ここで暴れられたらどうしようか。咎めを受けるのは仕方がないとしても、関係ない者たちに危害が加えられたりしたら最悪だ)

 今回に限ってそれは完全に彼の杞憂だが、無駄に神経をすり減らしている雷浩然は生真面目過ぎて時々そんな気苦労をする。
 結局何事もなく男たちを城門まで送り届けた彼はドッと疲れを感じながらきびすを返した。

 彼は昨日の朝叩き起こされ、この計画に引っ張り込まれた。

 起こし主は楊叡で、まだ日の出が少し遠い暁闇ぎょうあんの時分にやってきた。
 日が昇ってからでも遅くはなかったのに敢えて来たのは、老人は朝が早いと言うからか、単にせっかちだからか、はたまた彼の愛娘白紫華を娶った自分への嫌がらせかは、訊く勇気はなかった。

 一体何の用かと思えば「明日の生誕宴を狙った襲撃計画が存在する」と、全く予期していなかった皇城の危機を告げられた。

 しかも主犯と目される男を泳がせるなどと言われて、本心では賛同しかねていた。それでも山太師に何か考えがあるとも聞かされて渋々従い、当日の早朝から義父楊叡と共に皇城内を見回り、火酒入りの酒甕が隠されていた場所へとのこのこ現れた手下たちを捕まえたというわけだった。

(まあ見回ると言うよりは案内させられたと言った方が正しいかもしれないが)

 どうしてか昔の皇城なら知っているらしい楊叡だが、度重なる増改築を経ているせいか、彼が人間だった当時とは異なる部分が多々あるそうで、死角や細かい道などは現役官吏の自分の方が余程精通している。
 故に不審物――不自然に隠された酒甕だった――の捜索のために戦力としてはほとんど役に立たない自分が同行させられたのだ。
 内密の任務だったので、楊叡が関わらせるのを是とできた人員が他にいなかったというのも、一つの理由かもしれない。

「それにしてもお義父さんと山太師はどのような関係の知人なのだろうな。単なる仙人仲間というには随分と互いに気安いようだし」

 雪露宮へ戻る道すがら、雷浩然はしかし詮索はよくないと自分を窘め、一方では一件落着したのだから少しゆっくりしても罰は当たるまい、と足取りものんびりとして青空を見上げた。
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