囲われ姫は日々ほのぼの、時々撃沈~結婚式前騒動~

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1 リックの気持ち(前)

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 東の離宮には隣国の王女が住んでいる。

 その話を一番初めに耳にしたのはいつだったか。
 東の離宮を宛がわれる人物はこの国の歴代の王太子と決まっていて、だからこそ彼は最初耳を疑ったものだった。

 隣国の人質も同然の王女、しかも幼女が東の離宮を使うという異例な待遇が半ば信じられず、本当にかの王女が存在するのか確かめにこっそりと見に行った。

 何故なら彼はそこはきっと異母弟ユージーンが後々使うだろう場所だと思っていたからだ。

 まさか父王は異国の女に王位をくれてやるつもりなのかと想像して子供ながらに戦慄したものだった。

 だから一体どんな少女かと自分の目で見定めてやる、と意気込んで侵入したのだ。

 東の離宮に。

 忍び込んだはいいものの、肝心要の王女の姿は見当たらなかった。

 離宮勤めの者たちの声が聞こえて慌てて物陰に姿を隠して聞き耳を立てれば、どうやら庭先でかくれんぼをしているらしい。
 彼も庭先に行ってみる事にした。
 しかし使用人たちの姿は見えるが、やはり件の王女の姿はない。隠れているのだから当たり前かと思い直して、その遊びが終わるまで待ってみようと考えた。
 どこか適当な見つからない場所に身を潜めていようと少し歩いて良さそうな茂みを見つけた時だった。

 ほんの小さく泣き声が聞こえた。

 一瞬空耳かと思ったが彼は慎重に耳を欹てる。
 今度は確かに誰かの泣き声だとわかった。それでも声量は抑えられ一度目と変わらなかったが、手で口を覆っているのかくぐもって、誰にも聞かれまいとしているのだとわかった。存外近い位置だとも確信し、彼は抜き足差し足で近くの茂みに寄ると声の出所を覗き込んだ。

 そこには草葉に隠れるようにして、自分と同じくらいの小さな女の子が膝を曲げて蹲っていた。

 思った通りに手で口元を覆って嗚咽が漏れないようにしている。
 しかしながら覆われていないその両目からはぽたぽたと大粒の透明な涙が零れ落ち、それは止まりそうになかった。
 次から次に溢れる涙は彼女の頬を伝って口に当てた手指の間に染みるようにして消えるが、その下の顎先へと染み出しては滴り、彼女のドレスの色を濃くしていた。一体いつから泣いていたのか、曲げた膝部分のドレスの染みはだいぶ広かった。

 彼は、一時彼女が人魚ではないのが酷く不思議に思ったものだ。

 伝説では美しい人魚の涙は空気に触れると真珠に変わるのだ。

 人魚の実在や真偽はともかく、必死に堪えるように泣いている少女への同情か共感か、胸が苦しくなった。

 もう泣くなと思った。

「な、なあ、これ使っていいぞ」

 気付けば茂みに手を突っ込んで自分のハンカチを差し出していた。
 直後、ピタリと泣き声が止んだ。しかし何の反応もない。
 手の中のハンカチが離れた感覚もない。

 訝しく思ってもう一度茂みを覗き込めば、相手の少女は大きく目を見開いて硬直していた。

 向こうからすれば茂みから突如腕が伸びてきたのだから驚くのも無理はない。怖がらせたかもしれないと思い至れば何となくバツが悪くなった。

「お、驚かせて悪い。お化けとかじゃないから」

 言い訳のようなものを口に自らの無作法を取り繕いつつ、おそらく、いや絶対にこの少女が例の王女なのだろうと、彼は彼女の服装や身体的特徴からそう判断してもいた。

「その、何だ、このハンカチ綺麗だから安心して涙拭けよ」

 彼は彼にしては珍しくも慎重に命令する。ただいつものように主導的ではあるが横柄さは十全ではない。異母弟ユージーンに対しては妾腹である自分の立場を弁えてはいても、三つという年齢差的にやはり兄貴風を吹かせてあれしろこれしろと命令してしまうのだが、どうにもこの目の前の少女に対してはそうできなかった。
 強い態度に出ればもっと泣かせてしまうかもしれないと危ぶんだからかもしれない。
 少女の方はぼそぼそと声をかけて来る少年への驚きが少し薄れたのか、何度か瞬いてからおずおずと手を伸ばした。

「あ、ありがとう」

 ぐすぐすと泣きの余韻を引き摺りながらハンカチを受け取り、しかし彼女は何と自分のドレスの裾で目元を拭いてしまった。癖なのかもしれない。
 折角のハンカチは全く役目を果たさないまま彼女の手に握られている。
 彼女自身もそこにようやく気が付いたようで、彼の好意を無にしてしまったとハンカチと彼を交互に見てどうしようというやや焦った面持ちになる。

「あー、いいよいいよ、使わなかったならそのまま返してくれれば」

 彼は無難にそう告げ、彼女は受け取った時のようにおずおずとしてハンカチを返してきた。何だか無駄な事をしたなと一抹の虚しさを胸に、彼は茂みから腕を引き抜いてハンカチを仕舞う。
 その頃合いを見てか、彼女は茂みを覗き込む彼を見上げながら小さな唇を開いた。

「あ、あの……泣いていたって誰にも言わないでくれる?」

 こんな場所で一人でこっそりべそを掻いているのは皆に知られたくないからだろうとは、彼もとっくに見抜いていたので、彼女のお願いを不思議とは思わなかった。

「駄目?」
「別にいいよ。誰にも黙っていてやる」
「ありがとう」

 ホッとした弾みに微笑んだ彼女に彼も安堵した。
 笑っている方がきっと何倍も良いと、わけもなく確信した。

「なあ、お前アレだろ、隣国から来た王女様。ロジーナ姫」
「うん。……あなたは? ここの庭師見習い?」
「は?」
「え、違うの?」

 身長ギリギリで茂みを覗き込み腕を突っ込む彼は、今の自分の上等な服装は草葉にほとんど隠れて彼女からはろくに見えていないのだと悟った。その上、この離宮にいるのは使用人かその見習いくらいだし、自分のような子供なら尚更見習いと思われるのは当然だと。

「……ちょうどいいかもな」
「え?」
「うんにゃ、そうそう俺庭師見習いなんだよ。見習いだからまだ時々しか来ないけど」
「見習いってそういうものなの?」
「そうだぜ」

 果たしてそういうものなのかは知らないが、彼は不審がられないよう堂々とそう答えた。
 王族たる者時にハッタリは必要だ、と変な持論を展開した。

「だからさ、時々様子見に来てやるよ。その時は泣くなよな?」
「え? あ、うん。わかった」
「俺はリック。ちゃんと覚えとけよ?」
「う、うん、庭師見習いのリックね」
「……まあ、うん、庭師見習いのリックだ」

 何となく自分はこの国の王子だと名乗れずに、彼リックことリカルド王子は密かに東の離宮の住人と知り合いになったのだった。
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