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1 妖精姫、結婚式に乱入する

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 高い天井の荘厳なチャペルではこの日結婚式が執り行われていた。

 昔から幾度となく国境を侵していた魔族を今回の戦いで完全に退けた国の英雄ロザリオ大公の晴れの舞台だ。

 数年前、若くして大公位を継いだ彼は国王に次ぐ広大な領地の統治者でもある。現在は二十二歳になる。
 しかし領地では式を挙げずこの王都で執り行うのは、国王への忠誠心を示すため、或いは臣下でありながら幼少期を共に過ごした俗に言う幼馴染兼友人でもある国王への配慮の表れとも言われるが、その心は大公本人にしかわからない。

 青空には、天も祝福しているのか白鳩が飛び、列席者達はお手本のように軒並み笑顔を崩さない。

 祭壇の前ではちょうど誓いの最終段階だ。

「汝、彼女を生涯愛することを誓いますか?」
「………………、誓いま――」

 神父の問いの言葉に、満員の出席者に背を向けて立つ金髪の青年大公が何故かたっぷりの間を取ってから答えんとしたその時、

「――ロバート・ロザリオオオ! あなたなんて、あなたなんてっ、末代まで呪ってやるーーーーっ!」

 ドバーンとチャペルの両開きの扉が勢いよく開けられたと同時に、鬼のような形相をした平民服のまだ十代だろう若い女がズカズカと土足で(と言ってもこの場の皆靴を履いているのだが)踏み込んで来ながら叫んだ。

 結ばれていない薄いピンクの長髪が動きに合わせて左右に躍る。

 唖然としたその場の誰もが女を制止できず、平民服の女は目尻に涙さえ浮かべて豪華な白い衣装に身を包んだ新郎新婦プラス年配の神父の前まで近付いた。

「アビー」

 新郎の青年大公が女へと彼女の愛称を優しく呼び掛ける。
 それが彼女には恋人を置いて別の女性と結婚する彼が気まずさを押し隠したご機嫌取りの猫なで声にしか聞こえず、水色の瞳を逆三角に見開いた女の頭に益々血が上る。

「もう金輪際気安くあたしの名を呼んだりしないでっ! はっ、と~っても盛大に飾り付けられた豪華な会場ですこと! 良かったわね、お花みたいに綺麗なやんごとなきお家の花嫁さんと結婚できて!」

 彼女は彼がいつも街の庶民向け菓子店の焼き菓子を手土産に、彼女の暮らす小さな家に遊びに来てくれるのが嬉しかった。
 森で出会ってから友人として付き合って、好きだけれど気持ちは告げられずにいた。お前は彼には釣り合わない、夢を見るな不幸になりたいのかと周りからはよく言われていて、彼女も自覚していたからだ。自分は人々の英雄ロバート・ロザリオ大公には相応しくないと。

 友人として傍に居られればそれで満足だと言い聞かせていた。

 ある日彼の方から愛を告げられるとは思いもよらずに。

 なのに彼は彼女とではなく別の女性と結婚しようとしている。
 もう式もスムーズに進行したようで終盤で、誓いの言葉と誓いのキスを残すくらいだ。

「アビー、君はどうしてここに?」
「はっ……はは、あはは、どうして、ですって? ……白々しい!」

 アビーと呼ばれた女――アビゲイルは空笑いをするや、むんずとロザリオ大公のタキシードの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
 やや背の高いベールの花嫁は恐れているのか驚いているのか動けないようで制止する気配はない。式を執り行う壇上の神父も同様だ。

 次に、彼女は正面から彼を睨みながらもぐぐっと掴んだ胸ぐらを更に引き寄せるや、何と、無理やり、自身の桜色の唇を大公のそれに押し当てた。

 キスをしたのだ。

 その瞬間、二人を淡い黄金のキラキラした光が包み込む。

 それは幸運をもたらすと言われる妖精の祝福の光だった。

 アビゲイルは顔を離すと泣きそうなのを堪えた表情で、強がりに口角を上げてみせる。

「へんだっ、せめてもの嫌がらせよ。花嫁との誓いのキスの前に邪魔してやったのよ。ふんだっ、精々お幸せにっ!」

 乱暴に手を離そうとするとその手を逆に掴まれた。ロザリオ大公――ロバート・ロザリオ本人に。

「待って。……今のは、祝福のキスだよね。どうして祝福のキスを僕に……?」
「最っ高にムカつくけど、あなたには幸せでいてほしいからよ! ごっ誤解しないでよ、これで差し入れてくれたお菓子の借りは返したって思って! 国のために馬車馬のように働いてくれた英雄様への贈り物って思ってくれてもいいわ!」
「それは、つまり、君は僕を愛しているから?」
「なっ話聞いてた? ……ってああもうどうとでもっ! どうせあなたとはもう関係ないしね!」

 ぬけぬけとよくもまあ、と憎たらしく感じつつも彼女にはそこだけは生憎否定もできなくて、じわりと大粒の悔し涙が目尻に滲んだ。せめてものプライドで捨て台詞を口にしたくらいか。心にもない憎まれ口は叩けるのに、心にもない「大嫌い」は言えないのがまた情けなくて泣きたい気持ちに拍車をかける。
 それでも彼女は未練を断ち切るように掴まれた手を振り払い背を向けると、肩を怒らせて叫んだ。

「それじゃあねロバート! もう二度と会わない事を願うわ!」

 粗野な少年のように雑に袖で目元を拭って駆け出したそうとした矢先、

「――それは困るな」

 後ろからロバートに抱きすくめられた。バックハグだ。ぎゅううっと腕に力を込められて捕まえられて、これではさすがに走り出せない。

「ちょっ!?」
「アビーは絶対来ると思ってた。来てくれたなら、――僕の勝ちだ」
「は? な、何なの急にわけのわからない事言っ……――えっ!?」

 肩越しに振り返ったアビゲイルの視界に花嫁がベールを取ったのが見えた。

「ママママークさん!? 何で女装なんて!? そ、そ、それにああああなた既婚者ですよね!?」

 奥方はとても美人だったと記憶している。
 愕然として言い放つと大公の側近たる男性秘書はとても済まなそうに、それでいて自らの格好を一度見下ろして色々諦めた顔になった。影に斜線が見えるようだ。
 年齢は三十代と聞いたが歳よりも若く見えるマークの、今だけは歳相応に見える色々疲れた顔、それだけで彼女には全てわかった。
 因みに側近と言っても彼はロザリオ大公領の財政や政策などに関わる文官だ。荒事には向かない。

「アビー、今は、……いや今もこの先も別の男になんて気を向けないでくれ。それが百歳の男だろうとね」
「ひゃああっ!?」

 不意に首筋から耳元にかけて息を掛けられてアビゲイルは擽ったさに飛び上がりそうになったものの、がっちり抱き締められていて動けない。

「はっ放して! 何が何だかわからないんですけどっ、どうして花嫁がマークさんなの!?」
「彼は代役と言うか、言うなれば囮かな」
「はい? なら本物の花嫁の人は体調不良か何かで都合悪くなったのね?」

 大公の秘書というだけで身代わり花嫁なんてやらされてしまったマークへの同情を禁じ得ない。思考の片隅で気の毒にと涙する彼女は話しながらぐいぐいと力を入れて抜け出そうと試みるのに、ロバートの腕は土の精ノームの出した頑強な蔦のように絡み付いて離れない。

「僕の花嫁ならこうしてちゃんと抱き締めてるよ。逃げられたら困るからね」
「う……ん?」

 何やら理解したらいけない言葉を言われた気がして、彼女はこれ以上問い掛けるのを躊躇った。
 それでも脳みそはとっくに彼の言葉の意味を理解していて、心臓がいやがうえにも高鳴る。
 相手に絶対伝わっている鼓動が恥ずかしくて悔しくて、でも相手の鼓動も早いのを認識して、まさか、と呆然とした心地で疑った。
 拘束を解かれたかと思えば単に向きを変えるための緩みで、またすぐに彼の両腕の中に囚われる。

「アビー、君からの二度目の妖精のキスは三度目の方もOKだと思って良いって意味だよね? 三度目をしたらもう引き返せないってわかってて先のキスをしてくれたと思って間違いないね?」

 最早問い掛けると言うより断定口調で語りかけられて、アビゲイルはそれを否定できない。
 最後に自分のできる限りの事をしてロバートを祝ってやって想いを吹っ切りたかったのは事実。

 アビゲイルは半分妖精で、妖精は人間に祝福を授けられる。

 それは半分の血でも可能なのだ。
 しかも、なれるなら彼の伴侶として隣に立ちたかったのもまた事実。

 三度目――生涯の愛を捧げると誓うキスをして。

 ロバートは赤くなり動揺するアビゲイルを見下ろして、幸せそうに微笑んだ。

「アビー、もう突っぱねても放さない。君のためなんて無理して猶予を与えて試したりしない。もう君がここに足を踏み入れた時点で君は退路を断たれたんだよ。もう僕だけのアビーなんだから。この先も僕だけを愛するのしか許さない。……僕だけに愛されるのしかね」
「ロ、ロバート……?」
「まだわからない? この結婚式は、君をおびき寄せるために仕掛けたものだ。そして本当の僕達の結婚式にするつもりでね」

 彼は、やや伏し目がちにして真っ直ぐ彼女を見据えながら、すり寄るように顔を近付けてくる。

「もう遠慮なんてしないから、僕の花嫁――」
「ロロロロバートあのっ……」

 お返しとばかりに頬にちゅっと口付けられて思ったのとは違って瞠目する彼女へと、彼は際どくもまた唇ではない場所へキスをしてくる。

「レレレのレーっ! ままま待ってロバート……っ、ふふふふざけないでっ!」
「……ぶざけてなんかない。ふざけたのはアビーでしょ。まあそれはともかく、ここまでテンパられると悪い事した気分になるなあ。仕方ない、君に本当に最後の猶予をあげる。逃げるなら今しかないよ」

 唇を寄せ甘く頬に這わせながらそんな真逆な台詞を囁く彼は逃げ道を徐々に確実に狭めていく。唇ではないが程近い場所へのキスを重ねていく。
 触れられる毎に痺れ薬でも飲まされたみたいになるアビゲイルは、それでも彼女にだって言いなりにはならないと跳ね返す矜持はあった。狼狽しながらも「ホントにふざけないでっ」と顔を俯けキスを封じる。
 しかし彼は下から覗き込みまんまと顎にキス。反射的に彼女は顔を上げてしまって振り出しだった。
 今度は思わず息を止めてしまうくらいに至近距離で目と目が合って、彼は蕩けるような笑みを浮かべた。

「アビー、好きだよ。愛してる」
「ずっ狡いよその言葉、あっ……」

 瞼に口づけられ、けれど抵抗らしい抵抗も一瞬だけ。弱く押し返しただけだった。

 妖精の血を引く者にとって同じ相手との三度目までの唇へのキスはとても重要な意味を持つ。

 一度目は親愛を。
 二度目は祝福を。
 三度目は生涯の愛を捧げる。

 その相手以外を愛せなくなるのだ。
 故に、実は愛のない相手にしてしまっての悲劇も多く、彼女は同じ轍を踏まないように慎重に生きなければならなかった。周囲からもよくよくそう言われてもきた。
 されど、彼女の愛する男は、最終的には彼女が選択するのを根気強くも待っていた。
 こんなチャペルを使った大掛かりなトラップさえ仕掛けて。
 万一失敗すれば魔族や魔物討伐の華々しいキャリアが台無しになるような世間からの嘲笑の的になる、そんな捨て身の賭けまでをして。

「はい、時間切れー」
「ええっ早っ」

 ふ、と青年大公は顔を離して笑うと、それまでの柔い表情を消した。その両眼に確固たる意思を宿す。

「改めて言うよ。僕と結婚してほしい、アビー。アビゲイル・リリー嬢、僕の妖精姫」

 ロバートはアビゲイルの華奢な両手を彼の剣だこのある男性的な両手で包み込むようにする。気が立った猫状態のアビゲイルはけれど躊躇ってしまって振り払えなかった。それでも尖った声をぶつけてやる。

「あ、あなたを諦めようと思ったのにっ、本当に何度も何度も思ったのにっ! どうしてこんな風なのよ……っ、友情を裏切ってたのも別れようとしたのもそっちのくせにっ、どうしてあなたの求婚を信じられると思うわけ!? 振り回さないでよ!」
「うん、ごめんね、嫌な思いをさせて。僕の傲慢、あと勇気が足らなかったせいだ。悔い改めたから、諦めるなんて二度と言わないで。お願いだ」
「あなたの結婚式の話を聞いて、あたし、ショックで自分が死んじゃうかと思ったのよ本当にっ! どれだけ泣いたと思ってるのよっっ!」
「それもごめん。今更だけど僕は自分の事ばかりだったね。だからこそ僕の全力でアビーの心の痛みの全部に償いをすると誓うよ。もう君を悲しませない」
「――っ、きっとそれも嘘なんでしょ! 研究のために懐柔するつもりなんでしょ!」
「違うよ! 僕が最低の嘘つきでもこれだけは嘘じゃない。アビゲイル、君を愛しているんだ!」

 アビゲイルの額にロバートのそれがコツンと当てられる。彼は静かに神に祈りを捧げる者のようだ。触れたところから想いが伝われとでも言うようだった。
 ロバートの存外長い睫とアビゲイルの睫がぶつかりそうだ。もう駄目だった。抵抗するだけ無駄だった。突き放すのは無理だった。
 ずっと心から望んでいた言葉に、彼女は瞳を揺らして唇を震わせる。

「本当に?」
「本当に。だから、僕と結婚して、アビー」

 互いの瞳には最早互いしか映ってはいない。
 アビゲイルは潤んで満天の星のような輝きを宿す瞳をゆるりと瞬いた。一筋の涙が押し出される。
 それは目の前の青年によってすぐに嘗め取られた。
 小さくあっと声を上げてしまって彼女は恥ずかしさに首を竦める。

「アビー、返事をして? でないと僕は……今にも強引にしてしまいそうだよ」

 熱っぽい眼差しが危険な香りを帯びた。彼の吐息が微かに荒くなる。唇スレスレで熱が停滞する。

「……っ、あのっ、や、ちょっと待って、ロバートと結婚っ、するっ、からっ!」

 言い終わると同時に彼の目に最高に望むものを手に入れた歓喜が渦巻いた。

「だ、そうだよ神父。僕は生涯アビゲイル・リリーを愛すると誓うよ」
「あ、神父様あたしも誓いますっ」
「……ふ、ははは、誓うって、何を誓うの? 神様の前なんだしちゃんと詳しく言わないと?」

 くすりとして彼から意地悪にも尋ねられ、意地悪だと思う反面、今のでは実は本当に不十分なのかとも彼女は焦った。神父を見れば「うむ」とか言い出しそうに重々しく頷かれた。実はこれも大公に沿うよう買収された神父の演技だが彼女は気付かない。

「しっ生涯っ、朝も昼も夜もっ、ロバート・ロザリオを全力で愛しますっ!」

 声を大にして宣言しいつになく照れた様子の彼女へと向けられるのは、少し揶揄からかったら思った以上にぐっときてしまった彼女の可愛い宣誓に内心悶える彼の、その奥に男の衝動さえ孕んだ眼差しだ。彼はちらと神父へと促すように視線を送る。

「それでは二人は最後に誓いのキスを」
「アビー、いいね?」
「う、うん……だいじょぶ」

 いつも穏やかで日向のような彼から見え隠れする妖しい色気に驚き戸惑いながらも、それも愛する男の一部だと思えばくらくらする。ドキドキ最高潮で彼女の中の甘い本能が囚われたように彼に従う。

 顎先に片手を添えられそのまま口付けられ――――る寸前だった。

 ドバーンと式場の扉が先のようにまた騒々しく開け放たれた音で惜しくもキスは遮られた。

 ロバートは平気そうにしていたが、アビゲイルの方がびっくりして飛び上がったのだ。彼女は大きく振り返って、彼は彼女が見ていないからと不愉快全開な顔をして目だけで扉の方を見やる。近くで存在感を消していた女装中秘書のマークなどはロバートから殺気さえ感じ取って震えた。

 会場の方は、今度は誰だと全員の目がそちらに向く。

「――ロバート・ロザリオオオオッ!」

 デジャブだ。会場の誰もがそう思っただろう。

「貴様さっさとアビゲイルから離れんかーっ! この結婚は断っじて認めん! 認めないぞーーーーっっ!」

 それは中年の男だった。
 彼はもう少しで若い二人がキスをするという場面を目の当たりにすると「んなぬぅいいいー!?」と叫んでくわわっと目を剥き出しにして怒った。
 ズカズカと土足で(と言ってもこの場の皆靴を履いているのだが)踏み込んでくるとアビゲイル達の真ん前まで進み有無を言わせず彼女を青年大公ロバート・ロザリオから引っぺがす。

「お、お父さん!?」
「結婚など当分早い、お前はまだ十八、あと少しで十九だが全然まだまだまだまーだ子供なんだ! さっさと帰るぞアビゲイル!」
「えっ!? でも!?」
「お待ち下さいお義父さん」
「だぁ~れが娘を勝手に攫ってこうとする礼節も礼儀も知らない腹黒で姑息な野郎の義理の父だってんだ! 大公様だろうとそこは簡単には譲れない!」

 好いた娘の父親から殺気駄々漏れにガンを付けられてさすがに青年大公も余裕で平静とはいかないようだ。心に思い切り疚しいところがあったのかたじろいだ。
 だからこそ聡明にも状況の最善を悟って彼は恋人へと伸ばしていた手を脇に下ろした。

「……あと一歩だったのになあ、彼女を完全に僕だけの虜にするまで」

 周囲には聞こえないよう独り言ち、しかし彼は偏執的本心をおくびにも表情には出さず爽やかに苦笑を浮かべる。
 彼女の父親までが乗り込んで来るなど些か想定外でもあったが、彼女は父親を愛している。故に乱暴につまみ出すなど到底無理だ。彼女に嫌われるかもしれないリスクを負うようなヘマはもうやらない。
 アビゲイルのは言うまでもなく家族愛なのだが、心の狭いロバートにはそれすらも不愉快だった。勿論彼は言わないが。
 彼女の父親は一言で言ってウザい、いや手強い。
 今だって彼女との進展を僅差で邪魔をされた挙句ぶち壊された。
 だがしかし将来的には身内になるのだから多少の失礼は大目に見るべきなのだろうとロバートは我慢する。その分彼の娘をとろとろに甘やかして自分しか見えないように溺れさせてさっさと父離れさせてやると意気込んだ。意趣返しにもなる。
 それ以前に、彼女には盲目的に自分を愛してほしいと彼は病的にも望んでいる。きっとそれは遠くないとロバートは自信を胸にする。

「お父さんっ、ロバートに失礼でしょう! 謝って!」
「ふんっ、どこが失礼なものか」
「つーんとしても駄目! 父に代わって謝るわ。ロバートごめんなさい!」
「大丈夫、今日はとりあえず帰りなよ。お義父さんに認めてもらえるように何度だって対話するから」
「でもっ」
「僕達の愛は誰にも壊せない、そうだよねアビー? ……それとも罰を受けたいなら、僕は君に何をしようか」

 意味深な言葉と色気ある声音にアビゲイルは恥じらうように瞼を少し伏せる。自分の恋人は可愛過ぎるっ猛烈に辱めたいっとロバートは内心天にも昇る気持ちで思ったがぐっと堪えた。彼女の父親もいるし彼女自身も恋愛に関してだけは奥手でスローペースな娘なので、怖がらせたくない。故にガツガツしない。プラス、そこを顔にはおくびにも出さない。紳士的でいる。時が満ちるまでは。
 それでもやはりロバートの本音としては、アビゲイルと今日結婚できないのがとてもとてもとてもとても悔やまれた。朝も夜も焦がれて止まない恋人が名実ともに自分のものになるのがお預けなのだから当然だ。

「アビー、必ず君を迎えに行くよ」
「うんっ、あたしもあなたを攫いに行くわロバート!」
「ふふっ、行き違いになっちゃうよ?」
「平気よ、ならないもの」

 ふふっと目と目で睦み合う恋人達。

「だああああっイチャイチャすんなーーーーっ! 娘はやらんと言っているだろう! うちに来ても入れてやらん! 最高レベルでブロックだブロック! 大体にしてアビゲイルにも会わせないっつーの! さあ帰るぞアビゲイル!」

 済まなそうにしながらもアビゲイルは父親に連れられてチャペルを出ていく。扉を出る際ひらひらと手を振った。
 青年大公は手を振り返しながら笑顔で見送って扉の向こうに二人が完全に見えなくなると……チャペル内の招待客達の上へと視線を巡らせた。
 彼の視線だけでチャペル内の温度が五度は下がった気がする客達だ。急激な緊張に息を潜める彼らは全員が全員、彼の配下も同然だった。
 唯一の例外は友人兼国王である青年だ。

「陛下にはこの機会に僕の妻としてアビーをちゃんと紹介したかったんですが、また今度、と」
「ああそれはいいが、残念だったな」
「ええ、望まずも」

 笑顔のロバートから得体の知れない威圧が放たれたので、青年国王は頬を引き攣らせた。魔族や魔物と戦う際に有効なロバートの威圧は生身の人間にも有効なのだ。

「と、ところでロバート、平気か? 未来の嫁の父親から相当嫌われているようだが。率直に言わせてもらうが婚姻できる雰囲気ではなさそうだったぞ。あの手の男親は手強いぞ。何か策はあるのか?」

 ロバートは「勿論」とにっこりと微笑んだ。

「陛下にも必要とあれば協力をお願いしますし、それに……僕には沢山の味方がいますから」

 彼は会場に着席している者達の顔をザッと見渡した。

「さてと、清々しいくらいに失敗しちゃったし、新たにアビー奪還計画を開始する。皆にはあらゆる協力をしてもらいたい。いいな?」

 喜んでお仕え致します、と緊張に力んだ声が揃って上がる。

「ロバートは相変わらず抜かりが無さ過ぎて怖い男だよ。……まあ今回は例外なようだが?」
「陛下黙らせて差し上げましょうか?」
「……はあー、わかったよ。お前が敵ではなくて心底本当に良かった。これからも是非サポートを頼むぞ」

 やれやれと苦笑し溜息すらつく国王へと大公ロバートは意味深な眼差しを向ける。

「ええ、それは勿論。……あなたが僕のアビーに横恋慕しない限りは」
「ははは、するかっ。王妃に殺されるっ。というか、リリー嬢の事となると本当にクレイジー過ぎて怖いよお前って……」
「そうでもしないと、彼女はこの手からするりと消えて妖精の国に行ってしまいそうですからね。……そもそも彼女の愛らしい唇が人間だろうと妖精だろうと他の男に奪われるのは我慢ならない。灰色だった人生でやっと巡り会えた僕の唯一の光なんだ」

 最愛のアビゲイルには絶対に見せない薄暗く病んだ目をする国の英雄に、国王は何かがまかり間違っても決して絶対にアビゲイル・リリーという娘とだけは無難に接しようと、加えてこの国の安寧のためにもロバート・ロザリオとアヒゲイル・リリーは必ずくっ付けなければならない、との使命を固く自身の胸に刻んだのだった。
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