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第二章
1 婚約未然のデートの時間に
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「へえ、千年も行方不明だった王の声が聞こえたんだ。人間の土地から微かに、ね。ふうん、聖女を護るって叫んでいたんだ?」
「――――――」
「ああそうさ。これで確証になったろう? 少し前に言った君達の王は人間の元にいるとのね。人間に捕まっているんだよ。その聖女って存在が君らの王を狂わせているんだ」
「――――――」
「ああ、そうしなよ。迎えに行って、君らの王を連れ戻すといい。その聖女を殺してね」
「――――――」
「え? ははっ、君らなら余裕じゃないの? まあでも、もしもの時は僕が助力するよ」
「――――――」
「ああ、だから心配せずに行っておいでよ」
人間の土地からは遠い遠い魔物の領域で、彼は彼らを見送った。
「さてと、どうなるかな。国の大事な聖女を失ったらセオドア・ヘンドリックスはどうするだろう。泣いて惜しむ? うーん、それともヒロイン以外には涙一つもくれてやらないかもね。ふふふ、気の毒な聖女様。この世界に生まれたばっかりにね」
魔族とも悪魔とも言われる彼は、常闇の中、一人ほくそ笑んだ。
この度、あたし聖女アリエル・ベルと全宇宙の煌めきそのものスターライトセオドア・ヘンドリックス国王陛下は婚約をしまーす。
ひゅーーーーっパフパフパフッ!
この国の上流階級じゃ結婚するからには婚約、婚約するからには婚約式を執り行うのが慣例で、あたし達の場合それは臨時の王宮会議の日からおよそ一月後に決まった。
因みに、婚約式予定日は元々周辺国から国賓を招いての王宮舞踏会が予定されている日で、その機にどーんと婚約成立を公式発表して国内外に印象付けようって狙いもあるみたい。
結婚については婚約から最長一年以内にする方向でも決まった。最長っていうのは、いつ結婚するかの時期を明確には定めていないから、きっちり一年後かもしれないし三ヶ月後かもしれないってわけ。
婚約するのは別に箝口令を敷いたりして隠してないから噂は国内外へ俄かに広まっていくはずで、あたし達の行動は注目されると思う。これは正式発表する婚約式までは気合い入れて恋人やらないとねってセオ様とは既に互いの意思確認をした。
で、二人でどうデートするかとかを詰めたんだけど……あたし的に問題が生じていた。
「――アリエル、向こうから人が来る」
「えっ」
現在あたしと陛下は二人並んで広い王宮庭園を優雅に散歩中。
王宮図書館と同じで許可さえ貰えば貴族も入れる区域だから他にもちらほら散策者の姿が見える。誰が見ても見事な庭園だからか各地からこの庭園を見るためだけに来る好事家がある一定数いるって聞いたっけ。
後はまあ高級レストランなんかと同じような括りで貴族達の間じゃ公式デートのスポットになっているみたい。わざわざ王宮の許可を得て正装で訪れるってところが予約制のレストランと同じ感覚なのかもね。あたしだったら庭よりは美味しいレストランに行きたいけど。
セオ様の言葉通り花壇の間の白砂の敷かれた広い遊歩道の向こうから何人かの貴族達がやってくる。
ドレスが二つフロックコートが二つ。見た感じあたしと同年代だろう若者達だ。
あらあら~、ダブルデートねきっと。
向こうもこっちに、正体にも気付いたみたい。
最初、一瞬、令嬢達は揃ってあたしを睨んだ。
婚約する話が広まっているとは言え、あたし達はまだ現在婚約予定な二人。あたしに国王の婚約者って確かな肩書きがあるわけじゃない。
そして、まだ若くて健康体な病気とは縁のないだろう令嬢達には聖女なんて肩書きも大して重要じゃないらしい。
彼女達年代の貴族令嬢が最も重要視するのは優良な結婚相手探しって大体相場が決まっている。
デートしているとは言え、依然として未婚のセオドア国王陛下って存在は魅力的なんだろう。
そしてあたしはそんな優良物件様の恋人。
……あは、感じるわ、ジェラシーと侮蔑を。
連れの貴族令息だろう青年達はセオ様を前にして畏まったように背筋を正した。あたしへも目を向けて一応は表情を引き締めたけど、一人は蔑みを、一人は好色さをうっかり漏らしていた。
やっぱりね。あたしの平民って出自はこんな風に相手の態度に出るのよね。
まあ婚約したらわからないけど、令嬢達にしてもそれまでは言うなればただの恋人って立場に過ぎないあたしへの風当たりが強くなったのは確実だった。
パーティーとかでも露骨に睨まれるようになったし、さりげなく気付かなかったふりで会話や存在をスルーされる。平民のくせに早く別れなさいよって陰口を叩かれてもいるみたいだと憤慨した世話役達から教えてもらった。彼らには社交界で伝え聞いた情報は包み隠さず報告するようにって頼んであるの。それがあたしが傷付くような内容だろうとね。
何であれ別れるつもりはないわ。
それにしても予想はしていたけど予想通り過ぎて笑える。だって言動が無恥で幼稚。
はっ、平民が何か?
のんびり畑耕すファーマーな貴族も確かにいるけど、王都中心のあんたら都貴族はその平民がいなけりゃおまんま一つだって食えやしないのよ。着替えも自分じゃできない湯も沸かせない駄目女達が何を高貴気取って人様の悪口言ってんの? あ?
服を剥けば平民も貴族も変わらない猿だって知らないわけ? トイレだって同じようにするのよ、まああんたらがうんちもしないってんなら高貴な令嬢ってリスペクトしてあげるわよ。だって普通に考えて排泄しないなんて人間じゃないでしょ。人間ならぶりぶりするでしょ。あたしは今ぷりぷりだけどっ。
貼り付けた笑顔の裏でこの蒙昧な娘っ子共があ~~~~っ!……ってキレて暴れそうになる寸でのところでセオ様がさりげなく止めてくれるのがここ最近の社交界での定番になりつつあるわ。
因みに今日は婚約式まではまだ一週間あるってそんな時分。
見方を変えればあと一週間しかないとも言えるけど。
「アリエル、目が釣り上がっているぞ」
「はっ! あ、あら蚊に刺された所が痒くてついっ」
言ってピタリと聖女な笑顔の仮面を装着する。ラブラブな恋人とデートしているって体でね。
あとはセオ様と腕を組んで「皆さんご機嫌よう」って慎ましい声音で四人の横を通り過ぎる。
若い貴族達はその場で恭しく挨拶をして頭を下げたけど、背中を追ってくる視線には先に感じたお馴染みのものの他に下世話な好奇心も感じた。
まあね、それぞれの宮殿で生活してはいるけど、周りから見れば一つ屋根の下みたいなものだものね。あたしだってホントはセオ様と寝室が隣同士で、今夜は夜這い来る来ない?ってドキドキの毎夜を送りたいわよ、きゃはっ!
「アリエル」
「え、えへ?」
いいい言っておくけどまだ婚約すらもしてないんだからふしだらな事は何もないですーっ。やばーっやばーっまた煩悩全開したーっ。セオ様と契約結婚するってなってからこっち暴走気味なのよね。欲求不満なのかしらあたし。とは言え羞恥心は消えなくてただでさえ赤かった顔が火を吹くみたいになる。
それにしても、妄想と現実は全然感覚が違うぅ~。
妄想じゃ赤面する展開だって大盤振る舞いだったのにぃー。
ああもうっ、セオ様ってばまだこっち見てるしっ。心臓に毛が生えて早死にしたらどうしてくれるわけ~っ!
「その時は自己治癒をしたらいい。早死にはしないだろ」
「そっうっでっすっねっ!」
彼らに聞こえないよう絶妙に潜められた声にこっちも器用に小さな声で言い返す。自己治癒って、その通りだけど言いたい事はそれじゃない。大体にして、ただでさえ婚約式準備やお互いの公務に忙しいのにデートって必要なの?
しかも可能な限り毎日するとか!
現状これだと正式に婚約者になってからはどんな濃厚な連日デートが待ち受けているのかしらって心配になる。主にあたしの健康面が影響を受けるだろうから。
……本当に、そこまで必要?
なんて疑問がぼんやり浮かんだ矢先、セオ様が何故か急に足を止めたからその思考はどこかへ消えた。
「どうしたアリエル? 歩き疲れたか?」
はうあっ、あたしを覗き込んだセオ様のご尊顔がすぐ目の前にっ。不意であたふたと目を白黒させちゃったわよ。セオ様ってば面白がってるでしょ。こんな隠れ捻くれな性格があったなんて公式設定集めとんだ詐欺だわっ!
「また可笑しな想像を……。だがそうだな、ついでだからもっとアピールしておくか。私達の間に入る余地など微塵もないのだとあそこの者達に知らしめるためにも」
「え、ええ~……?」
嫌な予感。
立ち止まったと思ったら今度は持参していた綺麗なレース付き日傘を開いた。
必然あたしは組んでいた腕を外してそのまま横に立つ。
あたしが持ってきた物だけど彼は二人で歩き出して早々自分が持つって強引に手からさらってったの。だから今の今まで差せなかった。はああ~絶対日焼けしたわよね。紫外線は美白の天敵なのに。
十日前も三日前も昨日も時間は短いけど敢えて人目に付く場所でデートした。例えば、今日はオフ日だしルゥルゥと王宮池を眺めながらまったりしようかしら~って思ってると遣いの者がセオ様からのデートのお誘いレターだったり伝言を運んでくるのよね。あたしに拒否権はなし。
デート時間はまちまちで、それは互いの都合の合う時間が限られていたせい。
推しと過ごせて嘘偽りなく嬉しいわよ。
でも問題は、恋人演技するなら徹底的にってセオ様の完璧主義よね。
会うのが頻繁過ぎて興奮で精神の安定を欠きそうなんだもの。
だから今日は陛下のキラキラ推しパワーから少々遠ざかろうと日傘を持ってきたの。差せば距離ができるわよねって小細工したの。……アハハ、あたしの失策。どうせ思考筒抜けなのに何をやってたんだろ。
彼を避けたいわけじゃない。戸惑いが大きいのよね。
あたしにとって推しは見守って妄想してなんぼ。前の人生じゃずっとそうだった。それが当たり前だったから、それしかできなかったから、実際にこうしてお触りできるってなると、とっっってもハード……っ。
跳ねる胸を押さえるあたしを陛下は少し不思議そうな目で見てきたけど、少し上方に視線を向けると日傘のレース部分が気になったのかくるりと一回ししてみせる。
な、ぎゃーっ何その仕種それだけでも垂涎ものの光景なんですけど!? レア過ぎる! しかも陛下可愛いんですけと!? こんなお茶目な一面もあったなんて知らなかった!
「いや、こんなので興奮されてもな……」
可愛いなんて言われるのは不本意なのか彼は微妙に顔をしかめて一つ息をつく。ん? でもどうして日傘を開いたの?
「結構日射しがあるだろ。ほら入れ」
「そ、れはっ」
奇跡のシチュ、相合い傘……っ!?
それをてらいもなく! ほらじゃなあーいっ! もう何なの人の気も知らないで。ああいやまるっとわかってるんですけどねっ。
「アリエル」
「…………」
「早く」
「……っ、はい」
たっ確かにそんなに大きくない日傘だからすぐ隣に立たないと日光が当たっちゃうわ。けど雨でもないのに相合い日傘なんてしないでしょ。巷のカップル達だって女性は日傘を差すけど男性はそのままで並んで歩くのが普通だろうし。
しかもまた腕を組めとばかりに彼は片腕を持ち上げる。そりゃ二人で美白もありだけどおお~……腕上げストレッチかな、ストレッチよね、うん。
「そなたはホントにな……」
声には呆れというよりも笑いに近い響きがある。
「ストレッチじゃない」
彼はあたしの手を掴んで腕を組ませた。
「婚約式のためにも、もっと真面目に親密なのを練習しないと駄目だろう。わかっているのか? アリエルは何度腕を組んで歩いてもギクシャクし過ぎて不自然になるんだよ」
「そっ、れはそうですけれどももももも……っ」
「もも? 式じゃダンスもするのはわかっているよな?」
「ええまあっ」
聖女になってから練習させられたけど、近頃はその時よりもよりハードに練習させられて足がパンパンになる夜もある。これも偏にあたしがたった一人の聖女で国賓の前じゃ完璧さを要求されるせいだ。
お蔭さまでホホホあたしってばかなり優雅に踊れるようになったんじゃないかしらあ?
辛いレッスンの日々を乗り越えた自分を思い出して内心で鼻高々~に浸っていたら小さくふっと笑われた。
「じゃあどれだけ上達したか少し確認してみるか?」
「はい?」
え、まさかのここで!?
「見せ付ける、と言ったろう?」
言うや彼は日傘をパッと放り上げ、あたしの腰を抱いて華麗にステップを踏む。ダンスって言うにはとても短いステップを経て緩やかにターンしたところで落ちてきた日傘を片手で難なくキャッチ。
な、え、なにこれ? 劇団四季とかそっちの方の舞台演出?
何故かドラマチックに日傘の中で見つめ合う間に、遅れてあたしの銀髪がふわりと背中に降りる。突然だったけど無意識に足を動かしたあたしはボカはやらなかったみたい。彼は満足そうに口元を笑ませた。
向こうでやっぱりこっちを気にして盗み見ていたんだろう若い貴族達は呆気に取られた顔をしている。
「なるほど、大したものだな」
「どっどうも」
……セオ様って、セオ様って、図書館の床を壊したって聞いた辺りから実は薄々感じてはいたけど、物理の壁も心の壁も涼しい顔でドカーンって破るブルドーザーなとこがあるわよね!
ええ、ええ、愛する推しはブルドーザーでした。
びっくりしたのと絵になるカッコ良さに心臓が破裂しそう……っ。
でも、不意討ちはホントやめてほしい。
あたしは正直はあ~~~~って盛大な溜息をついてしゃがみ込みたかったけど、ちらっと見れば貴族達はまだ目を丸くしてこっちを見たまま棒立ちしている。四人共にやや頬を赤くしているのは王宮ビッグカップルの甘い光景に目を奪われたからかもしれない。
しっしっ見世物じゃないっての早く散れ!
羞恥の余りもう少しで睨みそうになったものの、セオ様があたしを見下ろしているのに気付いて堪えた。平常心平常心平常心平常心~~っ。
セオ様の思惑通り、見せ付けるのは大成功。
まだ公式には婚約発表してもいないのにこの大仰さは、大々的に宣伝したいって彼の思惑の表れで、尚且つ真面目さ故の行動なんだろう。
キョドるなってのは無理だけど協力者としてキョドり過ぎないようにしないとって思うわ。難しいけどね。
密かにすーはー呼吸を整えていると、陛下は感心したような目になった。
「アリエル、その調子で頼むよ」
「――っ、ええっ、それはもう!」
こにょ男おおぉ~っ。日傘の下の燦々たる太陽スマイルに、デートを始めてから見せるようになった美しい演技スマイルに、初めてそこはかとなく憎たらしさを覚えた。
心は筒抜けだけど周囲の目があるから顔には出さないように努めて庭園デートを再開する。
ははは、あたしこれでもだいぶ演技が上手くなったわよねー。耐えるって演技が。
「食事終わったぞアリエル~!」
澄まし顔で腕を組んでやって歩き出したところで、タイミング良くルゥルゥが飛んできた。
「あわわちょっとルゥルゥ!? 人前で飛んじゃ駄目って言ってるでしょ!」
この子がただのチビッ子じゃないってバレバレじゃないのーっ。
「早くアリエルに会いたかったのだ。いちいち曲がったり扉を開けたりするのは面倒だぞ」
たぶん餌場の王宮池から最短の直線ルートで来たんだろうルゥルゥは真っ直ぐあたしの胸に飛び込もうとして、日傘に遮られた。
勿論遮るように日傘を突き出したのはセオ様。彼が日傘を戻すと不機嫌ルゥルゥがそこにはいた。
何だろう、セオ様も時々大人げないわよね……って思ったら睨まれた。はいすみません、これは魔物全般に対する敵意や警戒ですよね。個人的に気に食わないとかじゃあないですもんね……って思っても睨まれたんだけど、何で!?
「アリエル~今日は聖女の仕事には行かないのか~?」
セオ様があたしに目を向けた隙にルゥルゥは抱き付いてきた。
「陛下っ、お気を付けを!」
ルゥルゥの食事にも一緒に付いて行き、常に動向を見張っている王宮兵達が遅れてわらわらと庭に現れる。花壇や灌木や生垣を飛び越えて来た彼らは皆一様に息を切らしている。御苦労様です。
さっきの若い貴族達はもう完全に足を止めて目を丸くして一体何事なのかって事の成り行きを見守るつもりみたいね。
ここが外部の人間もいる場所ってのを失念しているのか、あからさまに警戒を促す声を上げるルゥルゥ見張り隊の面々。実はこういうのは初めてじゃない。加えて、箝口令が敷かれたとは言え人の口に戸は立てられないのが人の世の常。
――王宮には竜がいて、聖女に飼われているらしい。
王都には既にそんな噂が広まっているってイザーク達が心配して教えてくれた。
だから聖女業を再開してから出先で少し不安そうな変な目で見られていた理由がわかった。まっ、あたしが聖女の奇跡を施した途端にそれは安堵に変わって消えるんだけどー。現金よね。
王都に広まっているって事は庭園に来ている貴族達だって知っているわけで、さっきまで国王陛下の手前露骨な真似は控えていた彼らは打って代わって嫌悪や不快さをその目に隠し切れないようにした。途中でルゥルゥが例の噂の魔物竜だって悟ったからだと思う。
「どうして聖女様は魔物などに……」
猜疑を孕んだ呟きも風に乗って聞こえてきて、あたしはルゥルゥを抱っこする腕に少し力を入れていた。この子を仲間に合流させるまで護ってあげたいって気持ちを改めて強くする。
あたしを非難するのはいい。でもルゥルゥは……。
魔物だから悪って偏見が納得できない。
対話できる魔物もいるんだって言ってやりたい。
「アリエル、今日はそろそろ切り上げ時だな。それのおかげで」
ルゥルゥへの皮肉を忘れないセオ様と、自分のせいで変な空気になってしまったと悟るルゥルゥが静かに睨み合う。
セオ様が意図してか、下げられた日傘が貴族達の姿を遮ってくれた。あたしの尖りそうだった思考も。
「……そうですね」
兵士達はあたしの手前か、もうルゥルゥをどうこうしようとはしなかった。
セオ様に促されるまま、あたしはもう貴族達を振り返りもせず庭園を後にした。
「――――――」
「ああそうさ。これで確証になったろう? 少し前に言った君達の王は人間の元にいるとのね。人間に捕まっているんだよ。その聖女って存在が君らの王を狂わせているんだ」
「――――――」
「ああ、そうしなよ。迎えに行って、君らの王を連れ戻すといい。その聖女を殺してね」
「――――――」
「え? ははっ、君らなら余裕じゃないの? まあでも、もしもの時は僕が助力するよ」
「――――――」
「ああ、だから心配せずに行っておいでよ」
人間の土地からは遠い遠い魔物の領域で、彼は彼らを見送った。
「さてと、どうなるかな。国の大事な聖女を失ったらセオドア・ヘンドリックスはどうするだろう。泣いて惜しむ? うーん、それともヒロイン以外には涙一つもくれてやらないかもね。ふふふ、気の毒な聖女様。この世界に生まれたばっかりにね」
魔族とも悪魔とも言われる彼は、常闇の中、一人ほくそ笑んだ。
この度、あたし聖女アリエル・ベルと全宇宙の煌めきそのものスターライトセオドア・ヘンドリックス国王陛下は婚約をしまーす。
ひゅーーーーっパフパフパフッ!
この国の上流階級じゃ結婚するからには婚約、婚約するからには婚約式を執り行うのが慣例で、あたし達の場合それは臨時の王宮会議の日からおよそ一月後に決まった。
因みに、婚約式予定日は元々周辺国から国賓を招いての王宮舞踏会が予定されている日で、その機にどーんと婚約成立を公式発表して国内外に印象付けようって狙いもあるみたい。
結婚については婚約から最長一年以内にする方向でも決まった。最長っていうのは、いつ結婚するかの時期を明確には定めていないから、きっちり一年後かもしれないし三ヶ月後かもしれないってわけ。
婚約するのは別に箝口令を敷いたりして隠してないから噂は国内外へ俄かに広まっていくはずで、あたし達の行動は注目されると思う。これは正式発表する婚約式までは気合い入れて恋人やらないとねってセオ様とは既に互いの意思確認をした。
で、二人でどうデートするかとかを詰めたんだけど……あたし的に問題が生じていた。
「――アリエル、向こうから人が来る」
「えっ」
現在あたしと陛下は二人並んで広い王宮庭園を優雅に散歩中。
王宮図書館と同じで許可さえ貰えば貴族も入れる区域だから他にもちらほら散策者の姿が見える。誰が見ても見事な庭園だからか各地からこの庭園を見るためだけに来る好事家がある一定数いるって聞いたっけ。
後はまあ高級レストランなんかと同じような括りで貴族達の間じゃ公式デートのスポットになっているみたい。わざわざ王宮の許可を得て正装で訪れるってところが予約制のレストランと同じ感覚なのかもね。あたしだったら庭よりは美味しいレストランに行きたいけど。
セオ様の言葉通り花壇の間の白砂の敷かれた広い遊歩道の向こうから何人かの貴族達がやってくる。
ドレスが二つフロックコートが二つ。見た感じあたしと同年代だろう若者達だ。
あらあら~、ダブルデートねきっと。
向こうもこっちに、正体にも気付いたみたい。
最初、一瞬、令嬢達は揃ってあたしを睨んだ。
婚約する話が広まっているとは言え、あたし達はまだ現在婚約予定な二人。あたしに国王の婚約者って確かな肩書きがあるわけじゃない。
そして、まだ若くて健康体な病気とは縁のないだろう令嬢達には聖女なんて肩書きも大して重要じゃないらしい。
彼女達年代の貴族令嬢が最も重要視するのは優良な結婚相手探しって大体相場が決まっている。
デートしているとは言え、依然として未婚のセオドア国王陛下って存在は魅力的なんだろう。
そしてあたしはそんな優良物件様の恋人。
……あは、感じるわ、ジェラシーと侮蔑を。
連れの貴族令息だろう青年達はセオ様を前にして畏まったように背筋を正した。あたしへも目を向けて一応は表情を引き締めたけど、一人は蔑みを、一人は好色さをうっかり漏らしていた。
やっぱりね。あたしの平民って出自はこんな風に相手の態度に出るのよね。
まあ婚約したらわからないけど、令嬢達にしてもそれまでは言うなればただの恋人って立場に過ぎないあたしへの風当たりが強くなったのは確実だった。
パーティーとかでも露骨に睨まれるようになったし、さりげなく気付かなかったふりで会話や存在をスルーされる。平民のくせに早く別れなさいよって陰口を叩かれてもいるみたいだと憤慨した世話役達から教えてもらった。彼らには社交界で伝え聞いた情報は包み隠さず報告するようにって頼んであるの。それがあたしが傷付くような内容だろうとね。
何であれ別れるつもりはないわ。
それにしても予想はしていたけど予想通り過ぎて笑える。だって言動が無恥で幼稚。
はっ、平民が何か?
のんびり畑耕すファーマーな貴族も確かにいるけど、王都中心のあんたら都貴族はその平民がいなけりゃおまんま一つだって食えやしないのよ。着替えも自分じゃできない湯も沸かせない駄目女達が何を高貴気取って人様の悪口言ってんの? あ?
服を剥けば平民も貴族も変わらない猿だって知らないわけ? トイレだって同じようにするのよ、まああんたらがうんちもしないってんなら高貴な令嬢ってリスペクトしてあげるわよ。だって普通に考えて排泄しないなんて人間じゃないでしょ。人間ならぶりぶりするでしょ。あたしは今ぷりぷりだけどっ。
貼り付けた笑顔の裏でこの蒙昧な娘っ子共があ~~~~っ!……ってキレて暴れそうになる寸でのところでセオ様がさりげなく止めてくれるのがここ最近の社交界での定番になりつつあるわ。
因みに今日は婚約式まではまだ一週間あるってそんな時分。
見方を変えればあと一週間しかないとも言えるけど。
「アリエル、目が釣り上がっているぞ」
「はっ! あ、あら蚊に刺された所が痒くてついっ」
言ってピタリと聖女な笑顔の仮面を装着する。ラブラブな恋人とデートしているって体でね。
あとはセオ様と腕を組んで「皆さんご機嫌よう」って慎ましい声音で四人の横を通り過ぎる。
若い貴族達はその場で恭しく挨拶をして頭を下げたけど、背中を追ってくる視線には先に感じたお馴染みのものの他に下世話な好奇心も感じた。
まあね、それぞれの宮殿で生活してはいるけど、周りから見れば一つ屋根の下みたいなものだものね。あたしだってホントはセオ様と寝室が隣同士で、今夜は夜這い来る来ない?ってドキドキの毎夜を送りたいわよ、きゃはっ!
「アリエル」
「え、えへ?」
いいい言っておくけどまだ婚約すらもしてないんだからふしだらな事は何もないですーっ。やばーっやばーっまた煩悩全開したーっ。セオ様と契約結婚するってなってからこっち暴走気味なのよね。欲求不満なのかしらあたし。とは言え羞恥心は消えなくてただでさえ赤かった顔が火を吹くみたいになる。
それにしても、妄想と現実は全然感覚が違うぅ~。
妄想じゃ赤面する展開だって大盤振る舞いだったのにぃー。
ああもうっ、セオ様ってばまだこっち見てるしっ。心臓に毛が生えて早死にしたらどうしてくれるわけ~っ!
「その時は自己治癒をしたらいい。早死にはしないだろ」
「そっうっでっすっねっ!」
彼らに聞こえないよう絶妙に潜められた声にこっちも器用に小さな声で言い返す。自己治癒って、その通りだけど言いたい事はそれじゃない。大体にして、ただでさえ婚約式準備やお互いの公務に忙しいのにデートって必要なの?
しかも可能な限り毎日するとか!
現状これだと正式に婚約者になってからはどんな濃厚な連日デートが待ち受けているのかしらって心配になる。主にあたしの健康面が影響を受けるだろうから。
……本当に、そこまで必要?
なんて疑問がぼんやり浮かんだ矢先、セオ様が何故か急に足を止めたからその思考はどこかへ消えた。
「どうしたアリエル? 歩き疲れたか?」
はうあっ、あたしを覗き込んだセオ様のご尊顔がすぐ目の前にっ。不意であたふたと目を白黒させちゃったわよ。セオ様ってば面白がってるでしょ。こんな隠れ捻くれな性格があったなんて公式設定集めとんだ詐欺だわっ!
「また可笑しな想像を……。だがそうだな、ついでだからもっとアピールしておくか。私達の間に入る余地など微塵もないのだとあそこの者達に知らしめるためにも」
「え、ええ~……?」
嫌な予感。
立ち止まったと思ったら今度は持参していた綺麗なレース付き日傘を開いた。
必然あたしは組んでいた腕を外してそのまま横に立つ。
あたしが持ってきた物だけど彼は二人で歩き出して早々自分が持つって強引に手からさらってったの。だから今の今まで差せなかった。はああ~絶対日焼けしたわよね。紫外線は美白の天敵なのに。
十日前も三日前も昨日も時間は短いけど敢えて人目に付く場所でデートした。例えば、今日はオフ日だしルゥルゥと王宮池を眺めながらまったりしようかしら~って思ってると遣いの者がセオ様からのデートのお誘いレターだったり伝言を運んでくるのよね。あたしに拒否権はなし。
デート時間はまちまちで、それは互いの都合の合う時間が限られていたせい。
推しと過ごせて嘘偽りなく嬉しいわよ。
でも問題は、恋人演技するなら徹底的にってセオ様の完璧主義よね。
会うのが頻繁過ぎて興奮で精神の安定を欠きそうなんだもの。
だから今日は陛下のキラキラ推しパワーから少々遠ざかろうと日傘を持ってきたの。差せば距離ができるわよねって小細工したの。……アハハ、あたしの失策。どうせ思考筒抜けなのに何をやってたんだろ。
彼を避けたいわけじゃない。戸惑いが大きいのよね。
あたしにとって推しは見守って妄想してなんぼ。前の人生じゃずっとそうだった。それが当たり前だったから、それしかできなかったから、実際にこうしてお触りできるってなると、とっっってもハード……っ。
跳ねる胸を押さえるあたしを陛下は少し不思議そうな目で見てきたけど、少し上方に視線を向けると日傘のレース部分が気になったのかくるりと一回ししてみせる。
な、ぎゃーっ何その仕種それだけでも垂涎ものの光景なんですけど!? レア過ぎる! しかも陛下可愛いんですけと!? こんなお茶目な一面もあったなんて知らなかった!
「いや、こんなので興奮されてもな……」
可愛いなんて言われるのは不本意なのか彼は微妙に顔をしかめて一つ息をつく。ん? でもどうして日傘を開いたの?
「結構日射しがあるだろ。ほら入れ」
「そ、れはっ」
奇跡のシチュ、相合い傘……っ!?
それをてらいもなく! ほらじゃなあーいっ! もう何なの人の気も知らないで。ああいやまるっとわかってるんですけどねっ。
「アリエル」
「…………」
「早く」
「……っ、はい」
たっ確かにそんなに大きくない日傘だからすぐ隣に立たないと日光が当たっちゃうわ。けど雨でもないのに相合い日傘なんてしないでしょ。巷のカップル達だって女性は日傘を差すけど男性はそのままで並んで歩くのが普通だろうし。
しかもまた腕を組めとばかりに彼は片腕を持ち上げる。そりゃ二人で美白もありだけどおお~……腕上げストレッチかな、ストレッチよね、うん。
「そなたはホントにな……」
声には呆れというよりも笑いに近い響きがある。
「ストレッチじゃない」
彼はあたしの手を掴んで腕を組ませた。
「婚約式のためにも、もっと真面目に親密なのを練習しないと駄目だろう。わかっているのか? アリエルは何度腕を組んで歩いてもギクシャクし過ぎて不自然になるんだよ」
「そっ、れはそうですけれどももももも……っ」
「もも? 式じゃダンスもするのはわかっているよな?」
「ええまあっ」
聖女になってから練習させられたけど、近頃はその時よりもよりハードに練習させられて足がパンパンになる夜もある。これも偏にあたしがたった一人の聖女で国賓の前じゃ完璧さを要求されるせいだ。
お蔭さまでホホホあたしってばかなり優雅に踊れるようになったんじゃないかしらあ?
辛いレッスンの日々を乗り越えた自分を思い出して内心で鼻高々~に浸っていたら小さくふっと笑われた。
「じゃあどれだけ上達したか少し確認してみるか?」
「はい?」
え、まさかのここで!?
「見せ付ける、と言ったろう?」
言うや彼は日傘をパッと放り上げ、あたしの腰を抱いて華麗にステップを踏む。ダンスって言うにはとても短いステップを経て緩やかにターンしたところで落ちてきた日傘を片手で難なくキャッチ。
な、え、なにこれ? 劇団四季とかそっちの方の舞台演出?
何故かドラマチックに日傘の中で見つめ合う間に、遅れてあたしの銀髪がふわりと背中に降りる。突然だったけど無意識に足を動かしたあたしはボカはやらなかったみたい。彼は満足そうに口元を笑ませた。
向こうでやっぱりこっちを気にして盗み見ていたんだろう若い貴族達は呆気に取られた顔をしている。
「なるほど、大したものだな」
「どっどうも」
……セオ様って、セオ様って、図書館の床を壊したって聞いた辺りから実は薄々感じてはいたけど、物理の壁も心の壁も涼しい顔でドカーンって破るブルドーザーなとこがあるわよね!
ええ、ええ、愛する推しはブルドーザーでした。
びっくりしたのと絵になるカッコ良さに心臓が破裂しそう……っ。
でも、不意討ちはホントやめてほしい。
あたしは正直はあ~~~~って盛大な溜息をついてしゃがみ込みたかったけど、ちらっと見れば貴族達はまだ目を丸くしてこっちを見たまま棒立ちしている。四人共にやや頬を赤くしているのは王宮ビッグカップルの甘い光景に目を奪われたからかもしれない。
しっしっ見世物じゃないっての早く散れ!
羞恥の余りもう少しで睨みそうになったものの、セオ様があたしを見下ろしているのに気付いて堪えた。平常心平常心平常心平常心~~っ。
セオ様の思惑通り、見せ付けるのは大成功。
まだ公式には婚約発表してもいないのにこの大仰さは、大々的に宣伝したいって彼の思惑の表れで、尚且つ真面目さ故の行動なんだろう。
キョドるなってのは無理だけど協力者としてキョドり過ぎないようにしないとって思うわ。難しいけどね。
密かにすーはー呼吸を整えていると、陛下は感心したような目になった。
「アリエル、その調子で頼むよ」
「――っ、ええっ、それはもう!」
こにょ男おおぉ~っ。日傘の下の燦々たる太陽スマイルに、デートを始めてから見せるようになった美しい演技スマイルに、初めてそこはかとなく憎たらしさを覚えた。
心は筒抜けだけど周囲の目があるから顔には出さないように努めて庭園デートを再開する。
ははは、あたしこれでもだいぶ演技が上手くなったわよねー。耐えるって演技が。
「食事終わったぞアリエル~!」
澄まし顔で腕を組んでやって歩き出したところで、タイミング良くルゥルゥが飛んできた。
「あわわちょっとルゥルゥ!? 人前で飛んじゃ駄目って言ってるでしょ!」
この子がただのチビッ子じゃないってバレバレじゃないのーっ。
「早くアリエルに会いたかったのだ。いちいち曲がったり扉を開けたりするのは面倒だぞ」
たぶん餌場の王宮池から最短の直線ルートで来たんだろうルゥルゥは真っ直ぐあたしの胸に飛び込もうとして、日傘に遮られた。
勿論遮るように日傘を突き出したのはセオ様。彼が日傘を戻すと不機嫌ルゥルゥがそこにはいた。
何だろう、セオ様も時々大人げないわよね……って思ったら睨まれた。はいすみません、これは魔物全般に対する敵意や警戒ですよね。個人的に気に食わないとかじゃあないですもんね……って思っても睨まれたんだけど、何で!?
「アリエル~今日は聖女の仕事には行かないのか~?」
セオ様があたしに目を向けた隙にルゥルゥは抱き付いてきた。
「陛下っ、お気を付けを!」
ルゥルゥの食事にも一緒に付いて行き、常に動向を見張っている王宮兵達が遅れてわらわらと庭に現れる。花壇や灌木や生垣を飛び越えて来た彼らは皆一様に息を切らしている。御苦労様です。
さっきの若い貴族達はもう完全に足を止めて目を丸くして一体何事なのかって事の成り行きを見守るつもりみたいね。
ここが外部の人間もいる場所ってのを失念しているのか、あからさまに警戒を促す声を上げるルゥルゥ見張り隊の面々。実はこういうのは初めてじゃない。加えて、箝口令が敷かれたとは言え人の口に戸は立てられないのが人の世の常。
――王宮には竜がいて、聖女に飼われているらしい。
王都には既にそんな噂が広まっているってイザーク達が心配して教えてくれた。
だから聖女業を再開してから出先で少し不安そうな変な目で見られていた理由がわかった。まっ、あたしが聖女の奇跡を施した途端にそれは安堵に変わって消えるんだけどー。現金よね。
王都に広まっているって事は庭園に来ている貴族達だって知っているわけで、さっきまで国王陛下の手前露骨な真似は控えていた彼らは打って代わって嫌悪や不快さをその目に隠し切れないようにした。途中でルゥルゥが例の噂の魔物竜だって悟ったからだと思う。
「どうして聖女様は魔物などに……」
猜疑を孕んだ呟きも風に乗って聞こえてきて、あたしはルゥルゥを抱っこする腕に少し力を入れていた。この子を仲間に合流させるまで護ってあげたいって気持ちを改めて強くする。
あたしを非難するのはいい。でもルゥルゥは……。
魔物だから悪って偏見が納得できない。
対話できる魔物もいるんだって言ってやりたい。
「アリエル、今日はそろそろ切り上げ時だな。それのおかげで」
ルゥルゥへの皮肉を忘れないセオ様と、自分のせいで変な空気になってしまったと悟るルゥルゥが静かに睨み合う。
セオ様が意図してか、下げられた日傘が貴族達の姿を遮ってくれた。あたしの尖りそうだった思考も。
「……そうですね」
兵士達はあたしの手前か、もうルゥルゥをどうこうしようとはしなかった。
セオ様に促されるまま、あたしはもう貴族達を振り返りもせず庭園を後にした。
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