男装したら腐友人がBLさせようとしてくるようになった件

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番外編 姉のために男装して騎士団に入ったら男色王太子に気に入られて暴かれた新キャラの話2

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 クラウス・アドレア公爵子息。

 エドウィンが必要なら呼ぼうと言ったその人だ。彼には常時王宮へ入る許可があるのでここに居たところで咎められはしない。
 ただし、何故この有事のタイミングで彼がここにいるのかは厳しく問うべきかもしれな……いや、問わずともいいだろう。

 金髪に赤眼で獅子のような野生味のある男らしい色気を醸すアーチボルトとはまた違った、まさに貴公子のお手本のような涼やかな見目麗しい彼の甘い、甘過ぎる優しい眼差しにアーチボルトも含めたその場の騎士達は究極に生温かい目になる。

 唯一の例外は彼のその蕩ける笑みを向けられたエドウィンか。

 少年騎士はみるみるうちに顔を真っ赤にした。そして嬉しそうにも。

 社交界で二人は同性の恋人同士として有名だ。

 ただ、クラウスには婚約者がいるので結婚後エドウィンは日陰の身になると囁かれる、そんな関係だ。話は逸れるが令嬢の中には眼福と二人を愛でる者達もいる。クラウスの妹レティシアがその筆頭だ。

 彼女にはアーチボルトの腹違いの弟で第二王子のフレデリックをエドウィンのためにフルボッコにしたと言う武勇伝がある。

 お忍びではあったが実はその場に居合わせていたアーチボルトはかなりカッコ良く尾ひれが付いているのを知っているが、どちらにせよ目撃時はとても痛快だった。

 王家の兄弟仲は決して宜しくはないのだ。

 そして公然で王子を傷付けたレティシアは糾弾されなかった。フレデリックが文句も言わず口をつぐんでいるのが大きい。その場にはクラウスもいてフレデリックと言葉を交わしていたので理由には深く考えずとも見当が付く。
 アーチボルトには遠くて内容は聞こえなかったが、双方の表情から察せられたのだ。どうせフレデリックのは自業自得なので少しは反省しろと清々したものだった。

 ただ、敵の敵は味方という構図がいつも当てはまるわけでもない。

 目の前のクラウスはアーチボルトに対して明らかに敵意を抱いている。

「エド、駄目だよ。殿下の部屋なんかに泊まるのは。今日はきちんと自分の部屋に帰るんだ。いいな?」
「でっでもルイスが……。一人にしたら何をされるかわからないですし……殿下に」
「怪我人に何かする程俺はおんっ……いや男に不自由してないっ!」

 不名誉を冠されそうになったアーチボルトが反射的に喚いたが、二人にはそんな言葉も聞こえていないようだった。会話が進んでいく。

「大丈夫。そこは人目を絶やさないように手配してもらうから。正直に言うと、殿下の男臭の漂った汚い微妙な寝室なんぞに大事な君を泊まらせるわけにはいかない、というか泊まらせたくない」
「汚い!? 微妙!? おい何だその言い種は! 毎日掃除はさせているし立場上身嗜みには一際気を遣っているが!?」

 つかつかと歩いて怒鳴るアーチボルトを越してエドウィンの正面まで近付くと、クラウスは身長差の分だけ少し身を屈めて同じ目線の高さにする。

「いくら同僚の看病のためとは言え、俺以外の男の寝室で夜を明かすなんて……ジェラっちゃって何をするかわからない。思い余ってロープなんかを使ってしまうかもな。これでも結構嫉妬するんだよ。ことエドに関して俺は心が狭いから」
「えっ王宮の備品は高価で貴重な物ばかりですよ!?」

 暴力や破壊行為でも想像したのか、青くなったエドウィンを彼はちょっとだけ残念そうに見据えた。

「……そこは是非とも赤くなって欲しいところなんだけど」

 レティシアお薦めのBL小説にあるような鬼畜攻めの束縛ラブ的な方面で動揺してほしかったらしいが、エドウィンには全然その気配がないようだ。恋愛事に疎いので思いも付かないのだろう。

「ははっ、まあ冗談はさておき」
「な、何だ、冗談ですかー」

 ほっと胸を撫で下ろすエドウィンを余所に、冗談じゃないだろそれ、と的確に察していたエドウィン以外のその場の皆は心で突っ込んだ。

 クラウスがエドウィンの頭を撫でるようにして横髪を耳に掛けてやる。よくされているのかエドウィンは避けるでもなく擽ったそうに目を細めた。
 その様子を見たクラウスが余計に醸す空気を蕩けさせる。
 見つめ合う二人は今にも濃厚なキスでも始めそうだ。
 見ている方が赤面する甘々な空気には、さすがのアーチボルトも直接的な文句を口にするのではなく目を逸らして咳払いした。ただその顔はここがどこかを早く思い出せと言わんばかりだ。
 クラウスは横目でアーチボルトを冷淡に一瞥する。その顔は文句があるなら尚更邪魔者はさっさとどこかに行けばいいだろと言わんばかりだ。

「とにかくエド、そこのルイス騎士隊長のようにエドまで無茶をやらないように。わかった?」
「あ、はい、クラウスさん、あいえ、クラウス様」

 じっとクラウスがエドウィンを見つめる。
 たった今までとは異なるやや不服そうな眼差しだ。
 エドウィンは明らかな困惑を浮かべた。そこは周囲も同じだった。上機嫌だったのが急に不機嫌になったのだ、原因がすぐには思い当たらない。

「付き合って一年は経つのに、エドはまだ俺をクラウスって呼んでくれないのか? 未だにさん付けなんて寂しいよ。周りにも俺達に付け入る隙はないって示す事にもなるし、そろそろそう呼んでほしいんだけど俺としては」
「えっ、いえでもそこはプライベートの領域ですし……」
「そのプライベートでもまだ呼んでくれてない」
「……あー、その、ええと、言い慣れてなくて照れるので、そのうち~……」
「慣れの問題なの?」
「え、ええまあ」
「ふぅん。どうしてもまだ無理?」
「は、はい」
「本当に、ダメ?」
「は、はい」

 赤くなりつつも煮え切らない態度のエドウィンの耳元へとクラウスは顔を近付けた。
 周囲には聞こえない声でエドウィンにだけ囁く。

「……ならエマがそう呼んでくれるまで、今ここで何度もキスするけど」
「えっ!?」

 ぎょっとして慌てて下がろうとしたエドウィンの細い腰をクラウスが逃がさないとばかりにその腕を回して捕まえる。

「皆の前で呼んじゃえば、慣れもするだろうし?」
「なっなっ正気ですかクラウスさん!」
「正気も正気。さあ呼んでみて。さもないと~……」

 クラウスがエドウィンへと顔を近付け傾ける。

「ちょっと待って下さい、あの、皆がいる前ですし、ホントにこれはまずいですよっ」
「何がまずいの?」
「え?」
「俺はキスを見せつけるくらい全然まずくないよ。それともクラウス呼びがまずいのか? それだって俺は望んでいるんだし、躊躇うことないだろう? どうして呼べないんだよ?」
「そそそれは、だって……っ」

 どう見ても口付けの兆候に、とうとう耳まで真っ赤にしたエドウィンがしどろもどろでクラウスの胸を押し返しつつも、それは抵抗にならない抵抗だ。
 呼び方で痴話喧嘩をしているようだが、二人の間で何が交わされたのか全部は聞こえない周りは唖然とするしかない。

「キスとクラウス呼びのどっちがいい?」
「ずず狡いですその選択肢っ」
「選べないなら、キスだな」
「クラウスさん!」
「クラウス」

 攻めのクラウスがすれすれまでエドウィンの唇へと彼のそれを寄せた。
 周囲は最早舞台のラブシーンでも観るように目を皿のようにしている。ポップコーンが彼らの手にないのが不思議なくらいだ。

「あ、駄目ですっ、ホントのホントにっ、やめ……っ、……っ――クラウス!」

 攻防は決した。

 勝者は、クラウス・アドレア公爵子息。

 恋の力は偉大だ。
 若くして剣の実力がありいつも沈着で取り乱す場面など稀なエドウィン少年を、まるで別人のように赤面させるその手管は是非とも見習いたい、と周囲は密かに思って後で教えを乞おうと決めた。

 アーチボルトは天使の顔を持つクラウスの腹黒さを知っているので手玉に取られるエドウィンを気の毒に思いながらも嫌そうに顔をしかめた。

 周囲は全く気にならないらしいクラウスはとびきりの笑みを浮かべる。

「良くできました」

 一方のエドウィンは両手で頬を押さえた。時にそんな乙女な仕種も彼には似合うのだとこの場の男達は例外なく確信する。
 自分はこの男色王太子をはじめとしてその手の団員が比較的多い下弦の月騎士団にあって、しかしノン気だったはずだがどうしたわけだ……とドキドキする胸のうちを感じて新たな嗜好に目覚める者もいた。念のため言うと王太子の腹心は妻一筋なので除外される。

「も、もう知らないですよ、クラウス」

 エドウィンがクラウスを少し睨むようにする。その目元は照れのせいで赤くなっている。

「クラウス呼びを渋っていたのは、そう呼ぶようになってしまったら、もうもっともっともーっとあなたを好きになって欲張りになって、節操なく触りたいのを我慢できなくなりそうだったからです。今だって皆の前なのに、キス……寸止めで残念だなんて思ってて、これから先絶対に大変になるからだったんです」

 エドウィンは腹を決めたら物凄くストレートだった。
 クラウスは言葉もないようで、目を大きく見開いている。その頬が見る間にエドウィンと同じかそれ以上に染まっていく。

「クラウス、私にあなたを好きになり過ぎさせて後悔したって遅いんですからね。何があっても別れてやらないんですからね。どころか浮気なんてしたら文字通りの刃傷沙汰ですよ!」

 がくりと、クラウスは両膝を突いた。顔を覆って力なく呟く。

「……もう、何なんだ。この可愛い生き物は……っ」

 周囲は悟った。真の勝者はこのエドウィンなのだと。

「え、あの、クラウス? 大丈夫ですか?」
「や、色々大丈夫じゃない……」

 彼の頭から湯気が見える。暫し、同情的な空気が漂った。
 



「まあ、そんなわけなので、ルイス騎士隊長を運ぶならどーぞどーそ運んで下さい殿下。けど、くれぐれも俺のエドをあなたの汚部屋には入れないように」

 こんな場所で溶けていられないと胆力ですっかり気を取り直したクラウスがアーチボルトに温度のないスマイルを向ける。

 彼は恋人をこの上なく愛でたい欲求が募りまくっていたが、照れているエドウィンは尋常じゃなくヤバイので性別が冗談抜きにバレかねないし、新たな恋のライバルを作りかねないので悪ふざけはよそうと反省した。
 甘やかしも我が儘も二人きりの時に限る。そして早く仕事を片付けてその時間を作ろう、と強い決意を胸にもしている。

 余談だが、その結果今回の王都への魔物襲来騒ぎが三日は早く収束した。

 王宮騎士団に協力した実力派の魔法使いクラウスと有能な王宮騎士エドウィンがそれぞれ、クラウスはデート時間確保の私欲のため、エドウィンは同僚ルイスを傷付けられた怒り起因の騎士たる使命感のため、魔物は一匹も逃す事なく討伐される事になるのだ。

 話は戻るが、アーチボルトは頗る嫌そうに目をすがめた。

 昔から知っているだけにクラウスの内面が透けて見えたからだ。彼といると自分が年長者だと忘れそうになるのもまた複雑でもある。

「わかったよ。全く、ふてぶてしい奴だ」

 王太子の彼としては公爵令息の命令に従うようで少々気に食わないが、クラウスのような食えない男との口論は面倒でしかないのでやめにする。
 別の意味でも絶対にクラウスだけは食いたくないとも改めて思う。
 エドウィンなら、と考えて即座に思考を霧散させる。今はここに怖い地獄の番犬がいるのだった。冗談抜きに死にかねない。
 ルイスを抱いたまま「行くぞ」とエドウィン以外の騎士を引き連れてさっさと歩き出す。

「改めて言うが、エドウィンは付いてくるなよ。俺の部屋への入室も禁止だ。ルイスの事はしばらく忘れていろ。快復までこっちで全面的に世話をする。それまでは面会も禁止だ。わかったな?」
「なっ! それ酷くないですか殿下!」
「お前の恋人のたっての願いだ」

 文句を言うならそいつに言え、と最後に言い置いて彼はエドウィンをクラウスに任せてその場を立ち去った。せめてお見舞いだけでもと不服を申し立てるエドウィンだったが、最後には諦めたのか口を閉じアーチボルト達が角を曲がるまでずっと心配そうに佇んで見送っていた。
 エドウィンの人間性は真面目で素直で好ましい。

「しかし、魔物より厄介過ぎる番犬がな……」

 誰の事とは言わない。
 日陰の存在になると囁かれているエドウィンをアーチボルトは正直不憫だと思う。相手がクラウスでなかったなら彼は普通に想う相手と幸せになれたのではなかろうか。
 下弦の月騎士団に新規に加わった赤毛の青年騎士もどうやらエドウィンに好意を寄せているようなので、何なら彼が恋人でもいいではないかとアーチボルトは考える。
 しかし詮なき事かと、微かにかぶりを振った。
 恋心は他者がどうこうしたところで中々どうして思い通りにはいかないものだ。

 現在のアーチボルト本人のように。

 エドウィンを遠ざけたのは、ルイスの秘密をまだ彼には知られたくなかったのも少しある。

 男装女だったのか、今まで騙されていた……とルイスを責めるかもしれないと思ったからだ。
 ルイスが性別を偽っていた理由はわからない。
 しかし真実を知った直後も彼女を責めたい気持ちは湧かなかった。ただただ驚いて、同時にああそうなのかと妙な感慨を以てして府に落ちたからかもしれない。きっとおそらくこれまで無意識下の違和感がルイスへとあったからだろう。事実時々男には見えなかったので戸惑った記憶がある。

「もう無茶するなよ、馬鹿者が」

 ルイスを男と思っていた頃も実は何度か押してみた事がある。見事にかわされたが。モーションを掛けたのは彼を眩しいと目を細める瞬間があってそれが好きだったのだ。自分でも初めて感じた感動だった。より近くで彼を見つめて知りたいと欲したのだ。
 言うなれば、やっと理想の男を見つけたと思っていた。
 だから何度袖にされても諦めずしつこくちょっかいを掛けていた。

 だが、ルイスは女なのだ。

 男ではないのだ。

 なのに彼は初めて女性を思うままに抱き締めたいと感じた。
 護りたい、そして天よ護ってくれと願った。
 ああまで切実に願った事などあっただろうか。
 今までの恋人にもない。
 ルイスにしかそう思わない。
 そもそもアーチボルトの中ではルイスに関しては性別など関係ないのだ。

 一人の人間が一人の人間に本気で恋をした。

 ただそれだけの事。腕の中の彼女の重みと温もりを感じながら、アーチボルトは落とさないようしかと自分に引き寄せた。
 まだ本当の名さえ知らない彼女を慈しみながら。




 エドウィンこと男装少女のエマは取り残されて不貞腐れていた。もうすっかり顔の赤みは引いている。

「もう、あなたは変なところを気にし過ぎです。殿下くらいならもしもの時は撃退できますよ。ルイスの看病できなくなっちゃったじゃないですか」
「そこは悪かったよ。でもどうしたって面白くないものは面白くない」

 頑固にも言い張るクラウスはしかし、しょんぼりとしてもいた。エマの弱点を彼はよくわかっている。実際彼女は責める言葉を呑み込んだ。実にエマ限定でしたたかな男である。彼はエマと添い遂げるためなら悪魔にでも魂を売るだろう。

「そもそもどうしてここに? 魔物の襲撃、そっちの方は平気そうなんですか?」

 クラウスの実家アドレア公爵家は広大な領地に建つ豪華な邸宅の他に王都にも街屋敷を所有していて、エマの騎士団入団とほとんど同時に彼はそこで生活するようになっていた。
 エマは王都にある王宮騎士の宿舎で寝起きしている。要は好きな子の傍に居たいのだ。

「ああ、うちの使用人達は皆強いから任せてきた。俺は君が心配で堪らなくてつい飛んで来ちゃったんだよ」

 エマは「心配はありがたいですけど」と少し不思議そうにする。

「同僚の大半はまだ王宮の外で私が戦っていると思っているでしょうに、どうして私が王宮にいるとわかったんですか?」

 奇妙な沈黙が続いた。

「クラウス?」
「ええと、魔法で……」
「魔法って、位置把握の魔法ですか? でもいつの間にそんな魔法を?」

 探検家が探検の際に仲間同士でよく使うのがその魔法だ。クラウスからそれを掛けられた覚えはないし魔法状態でもなさそうだと感じるエマは、心底疑問顔をする。
 クラウスは慌てた様子でパンと両手を合わせた。親しい友人や恋人、家族の間で使われるフランクな謝罪のポーズだ。

「ごめんエマ! 実は俺とエマの揃いのペンダントに位置追跡魔法が込められてて、持ち主の緊急時に互いの場所がわかるようになってるんだ。勿論通常はわからないし、今回以外、これまで一度も使ってないからそこは安心してほしい」

 ペンダント。
 エマが今も首に掛けて常に身に付けているそれだ。
 王都の商業通りに一緒に出掛けた日の別れ際、クラウスからペアでしようと贈られた。
 彼の希望で魔法アイテム全般を取り扱う店に立ち寄って、彼がその店で購入した物で、まさかそれが自分への贈り物だとはその時は思いもしなかったエマだ。
 しかもまさかそんな秘密があったとは知らなかった。

 例えばエマが酷く動揺したりして心拍数などが正常値を大幅に逸脱した場合にシグナルがクラウスのペンダントに表れる仕様らしい。

 その逆もまた然り。今回は事実そのケースだった。仲間のルイスの怪我の知らせにエマが取り乱したせいだ。
 いくら王都に魔物が襲来したとは言っても、通常ならクラウスもエマを案じつつも自分の仕事を片付けていただろう。彼はエマの実力を信頼しているのだ。だがペンダントが変化した。故に通常とは違う何か危機的な状況にあるのかもしれないと、彼は焦ったのだ。

 クラウスは見るからに顔を青くして項垂れている。

 今度は先のようにエマが赦してくれるのを考慮に入れた小狡いしょんぼりではなくて、本格的な落ち込みだ。
 それも当然だろう。婚約者とは言え勝手に追跡装置を持たせるなど、場合によっては本気で別れ話を切り出されかねない。

「本当にごめん。御守りを渡すような軽い気持ちだったんだ。幻滅とか失望とかされても文句は言えない、けど…………俺は別れたくない」

 彼としてもまさか実際に使う状況になるとは思わなかったのだ。
 さっきは信じられないくらいにエマに攻めの姿勢で甘く囁いてきた唇を、今は固く引き結んでいる。

 一方、クラウスを見ていたエマは猛烈に腹が立ってきていた。

「クラウス呼びまでさせたくせに」

 ネガティブな言葉が続くと覚悟したクラウスはぐっと体に力を入れた。

 普通如何なる鋭い言葉も心理的な衝撃であって物理的な打撃を被るわけではない。なのにあたかも物理的な衝撃に耐えようとするかのようにだ。

 つくづく人間の体は複雑だな、と関係のない事をぼんやり思考の片隅で考えてしまったエマだ。
 剣術の精彩に気持ちが影響するのと同じかもしれない。

 彼女はクラウスへと手を伸ばした。

 指先をそっと彼の唇に当てる。

 唇という敏感な場所にエマの方から触れてきて純粋にびっくりしたのは言うまでもなくクラウスだ。指先を当てられているせいか口を開きはしないが小さな子供のように目を丸くしている。

 恋人のスキンシップに慣れたのか、エマはこうしてクラウスに嬉しい驚きをくれる時がある。

「私言ったじゃないですか、何があっても別れてやらないって」

 指を離したエマはペンダントを引っ張り出して鎖を軽く振ってみせる。

「ですから、私にも万一の時の位置把握の仕方をちゃんと教えて下さい。起動に魔法が必要なら、基本的に私は魔法を使えないので私でも使えるようにあなたがどうにか魔力を込めておくとかして、使えるようにして下さい。宜しいですか?」
「エマ……。それは勿論そうするよ。けどそんなあっさり赦してくれるのか? いいのか? 無理してるなら、思う存分怒って罵ってくれて構わないんだ」
「……あなたって実は私の言葉にだけはガラスのハートなのにですか? 耐えられます?」
「う……さすがは俺をよくわかってるな。それは、だけど、我慢させてそのせいで後々嫌われたくないから、今耐える」

 率直な恋人達は見つめ合う。
 一人は落ち着いた瞳で。
 一人は痛みを覚悟した揺れる瞳で。

「じゃあ、私も言いたい事は言って、我慢はしません」

 エマは一度きょろりと辺りを見回した。
 現在、回廊周辺には誰も見当たらない。
 彼女はつい、と僅かに爪先を上げた。

 小鳥がちょんと花弁を突っつくようにして、恋人へと愛を伝える。

「――っ、エマ!?」
「ええっとですねえ……ここしばらくお互いに忙しくてろくにデートもしてなくて、これ、してなかったから」

 大胆な自覚はあるのだろう。いつもキスをするにしてもそういう雰囲気になってからはクラウスの方に主導があった。落ち着いたはずのエマの目元がまた赤らんでいる。

「私を案じて来てくれてどうもありがとうございます。これから私は手が必要な現場に応援に行きますね。あなたも気を付けて屋敷まで帰って下さい。これが片付いたらまたデートに行きましょう!」

 クラウスは王宮の騎士ではないので公爵家の防衛以外に魔物討伐に参加する必要はないのだ。エマの言葉通りこのまま真っ直ぐ街屋敷に帰るだけだった。
 赤くなりつつもハキハキと言った彼女は一流剣士の呼び名に違わない優美で素早い身のこなしでくるりと踵を返した。爽やかにとも言う。
 令嬢達が見ていたなら黄色い悲鳴で美少年騎士エドウィンを称えたに違いない。

 見惚れる光景の中、止めるのも思い付かないクラウスへとエマは「あ、言い忘れてました」と足を止めて肩越しに振り返る。

 雲間から射した明るい昼の光の下、彼女の淡く照らされた短い黒髪がふわりと舞う。彼女自ら髪を切ったあの夜会トラブルの日から一定以上には伸ばさなくなっていた。ロングも良かったがショートでも全然良いとクラウスは思っている。何度綺麗なうなじにキスしたいという衝動を堪えただろうか。
 たったの今だって……。
 そんな不埒な彼の目の前で柔らかくはにかんだ笑みが翻った。

「――大好きです、クラウス」

 最もシンプルで強烈な殺し文句を言い置いて、彼女はまた背を向け颯爽と駆けていく。
 うっかり惚けていたクラウスは忘れかけていたが、王都はまだ魔物を退ける戦いの最中なのだ。甘酸っぱいというか甘さしかない青春をおちおち堪能している暇などないのだ。
 だがしかし、時に人の心は当人の思うようにもいかないものだ。麻薬にも似た止められない依存性が彼の胸を締め付ける。

「くっ、……可愛い過ぎてもうマジで心臓止まりそうだって」

 エマが見えなくなった瞬間に大きくよろけしゃがみ込んだクラウスは、どうしようもなくて頭を抱えて悶えたのだった。
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