婚約破棄の現場に遭遇した悪役公爵令嬢の父親は激怒する

白バリン

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第一部

30,ドジャース商会〔2〕

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 遊戯関係以外には日用品で、たとえば石けんなどはそうである。ある程度満足のいくものができている。これに加えて歯ブラシや耳かきや皮むき器などもある。

 石けんの場合はパッチテストなどを慎重に行い、肌荒れの問題も考慮した。
 馴染みのある白い石けん以外にも、透明で綺麗な石けん、香りの異なる石けんなど、様々な社会層に向けて作った。小学校に導入するというのも、宣伝効果を狙っていた。

 その時に、キャッチフレーズも付ける。これは広告として大切なことだ。
 おっ、と思わせるものにしなければならない。

 炎上商法には良い印象はないが、この商法はまずは何よりも人に注目してもらうことに力点がある。

 哀しいことに、どんなに良い物であっても気づいてもらわなければ、当たり前だが気づかないし話題にもならない。
 「どうせ私の作ったものの価値なんてわかる人にしかわからない」と自分の価値を見出してくれる人を待っているようでは、ずっと誰にもわかられないままなのである。
 良い口コミでも悪い口コミでも、反応があるというだけで価値がある。

 たとえば、石けんにはこのような言葉と一緒に売り出す。


「あなたの臭いにあなただけが気づかない――ドジャース商会」


 「お前は臭い、汚い、けがららわしい」とストレートに言うのもいいが、刺激が強い。
 やんわりと、でも、「実はみんなも薄々気づいているんでしょう?」と自覚させる、いわば殺し文句としてのいである。

 こういう言葉は一過性ではなく、一度耳を通過して、心や脳の奥にまで染み渡ると、日々の生活の中でことあるごとに何度も反復されていく。

 「みんなはあなたの臭いに気づいている」でもいい。
 「みんなが」ではなく「みんなは」である。
 「みんなは」の「は」には「あなただけあなたの臭いに気づいていない」という前提を一字で示す働きがある。

 全般的に「みんな」とか「あなただけ」という言葉がポイントである。


 ただ、この方法には、いやそもそもこの商会を立ち上げていくにあたって、大きな、それはとても深刻な問題がある。

 香水というものがすでにこの世界にはあるので、これまで「臭い」というものに無頓着むとんちゃくじゃないにしても、あまり対策をしていなかった人たちに「臭い」という観念を新たに自覚させることになる。これは大変罪深いことだと思う。

 知恵の果実を口にし、パンドラの箱を開いて、「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番臭いのはだあれ? ――あなただけです」と言われてしまう災厄を招くようなものである。

 一度自覚してしまうと今後は「臭い」という恐怖におびえる人たちだって出てくるかもしれない。いや、確実に「自分のにおいが他人にはくさいと思われてしまう、でも自覚症状がない、それが怖い」という恐怖症の患者を一定数生み出す。
 現に地球にもそういう人たちはいた。罪深いとはそういう意味である。    


 私の世代なんかは、たとえば髪をシャンプーで洗うにしても毎日じゃなかった。
 これを言うと20代、30代の部下たちには大変驚かれたが、確か週に2、3回程度だったように思う。私よりも上の世代だともっと頻度は少ないだろう。
 それがいつの間にか、今では毎日洗っている。洗わずにはいられないと言った方が正確かもしれない。

 1980年代あたりから若者を中心に「きれい」信仰みたいなものが発生していった。

 有名な歌手がCMで「信じられる? ティーンの2人に1人が毎日シャンプーしてるって」ということを言っていて、これは私も当時見て、そうかと思ったものだった。「朝シャン」という言葉も流行った。

 だから、今回の石けんにしてもキャッチコピーにしても、ただ単に便利な商品を世に出すだけということ以上に強引に広げられた世界と意味があり、それは良くも悪くも人々の認識を変えうることである。
 認識はリセットできない、更新してしまうと二度と後戻りはできない。ふわふわのパンを一度口にしてしまったら、かちかちのパンを手にしようとはもう誰も思わないのである。
 この事実は重く受け止めた方がいい、私はそう考えている。

 少なくとも「石けんができました。わたしもあなたもみんなも世界も心も綺麗になって幸せだ」などと楽観視に終わるべきではない。

 ゲームの世界ならそれでいいのかもしれないが、現実には人々はそこに「人はみな綺麗であるべきだ」という巧みに隠された強迫観念のにおいをぎ取り、そうあらねばならないと無意識のレベルで行動が方向付けられていくからだ。

 そして、「綺麗ではないもの」が照らされて発見され、全ての元凶の犯人のごとく追いやられて追いやられて、かろうじてようやく見つけた最後の住処をも一挙に、ことごとく、ぶしつけに、無慈悲に、無遠慮に、そしてスタイリッシュにふんわりシュッとスプレーをかけていくかのようにすっかりしっかり排除して、その存在の形を消し、その存在の色を消し、その存在の重みを消し、その存在の名前を消し、その存在の記憶を消し、その存在の起源を消し、その存在を消した一見善意の行為をも、その存在を消した行為の無邪気な主体の存在をも見事に消して隠して隠れていく、人間の歴史とはそういうものだ。

 コインを横から見たら円形ではないように、すべての事象には必ず別の側面がひそんでいる。
 「活きの良い魚」は「死にたての魚」であり、「着やせ」するとは「脱ぎ太り」することであるが、人間というのは物事を自分の都合のいい面しか見ない傾向にある。
 よって、魚料理を出して「はい、死にたての魚です、美味いですよ」と、都合の悪い一つの事実が暴き出されることになる。

 大げさなようだが、世界を改革するというのは、私の私への、私のあなたへの、私のみんなへの、私の世界への、世界の私への、みんなの私への、あなたの私への認識を変革していくことであり、このような純然たる事実と数々の残酷な事例を心に、脳に、脳髄に、魂に深く刻み込みながら、矛盾や葛藤かっとう、不和、離反を抱えながらも、多くの人が傷つくとわかっていながらも、それでも新しい世界を切り拓いていく、切り拓いていこうとする、そういう行為なのだと私は思う。


 ははは、やはりなんだか説教じみてしまうな。このバカラの肉体になってから、よりはっきりと言えるようになってきた気もする。

 さて、他にはさらにはアルコール類もある。
 ケビンにも試飲してもらったが、顔を見るだけで答えがわかる。良い酒も着実にできてきている。

 ただ、これについてはまずは他国の商会と優先的に取り引きをすることにした。
 それほど大量にはできていないこともあり、そういうのに価値を見出す人々に先に売るのがいい。

 国内の貴族たちには王族も含めて良い印象などないし、そんな連中に研究者たちがここまで頑張って生み出した貴重な酒を先に呑ませたいとも思わない。

 夜の社交界にはアルコールも出る。酷い味だ。
 他国の貴族たちにまずこの酒の味を覚えてもらうのがいい。
 それに、国内だけじゃなく、他国にも関係を作って、ドジャース商会の名を売らなければいけない。むしろ、他国に支えてもらいたいという願いがある。
 いずれはドジャース商会の後ろには我がソーランド公爵家、その公爵家のバックには他国の支援がある、この国の人間にはそう思わせたい。

 他にもいくつか提案しているものがあったが、ケビンと打ち合わせをして終わった。

 こうしていくつかの仕事をしていたら、あっという間に新年を迎えて、春になった。
 この世界にやってきてから1年が経とうとしていた。
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