西涼女侠伝

水城洋臣

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第二章 孤立の城

第十五集 趙英の危惧

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 すっかりと陽も落ち、満天の夜空が広がる。
 風もない穏やかな夜である。

 官軍の軍営は所狭しと灯された篝火かがりびが明るく照らして敵の侵入を許そうとしないが、軍営の外は真逆に夜の闇に包まれている。
 その闇の向こうから絶えず聞こえる虫の声に紛れて、時折聞こえる獣の声と草を踏み分ける音が、見張りの兵士たちの肝を冷やしていた。

 張郃ちょうこうに連れられた一行は、そんな軍営の中で夏侯淵かこうえん徐晃じょこうに引き合わされた。周囲には配下の兵士たちが数十人ほど取り囲んでいる。

「策の内容は分かった……。しかしその中心となる者に全てが託されるってわけだ。どうもこの目で見ないと心配で仕方がねぇな」

 夏侯淵が顎鬚あごひげをさすりながら、ぶっきらぼうな濁声だみごえで苦言を呈した。その返答を予想していた様に、張郃は背後に立つ趙英ちょうえいに目くばせをすると、徐晃に向けて声をかける。

「徐将軍。それでは彼女と手合わせをお願いできるか?」

 夏侯淵と同様の疑問を抱いていた徐晃は、特に悩むでもなく承諾した。

「いいだろう」

 そう一言だけ言って頷くと、ゆっくりと立ち上がる徐晃。

 かつては李傕りかく配下の楊奉ようしんの下にいた将であるが、長安を荒廃させた李傕・郭汜かくしの暴挙、そして冷遇される後漢皇帝を見かね、長安から皇帝を連れ出すよう進言したのが、この徐晃であった。
 曹操そうそうが皇帝を保護した際に、徐晃もまた曹操軍の配下として仕える事となったわけだが、以来その才を遺憾なく発揮して名を上げた名将である。
 間者を用いた情報戦を重要視し、常に失敗した時の対策を講じてから戦いに臨むなど、将としては堅実な用兵に定評があるが、百五十きん(約三五キロ)を超える大斧を愛用するなど武功の鍛錬にも余念がない武人でもあった。

「それでは、お手合わせを」

 丁寧に包拳礼をした徐晃に、前に進み出た趙英もまた包拳礼で返す。
 張郃の背後で見守る緑風子りょくふうし呼狐澹ここたんは、ほとんど心配する事もなく事の成り行きを見守っている。

 微笑みながら拳を上げて構えを取る徐晃に対し、趙英は視線を外さぬまま一向に構えようとはしない。

 両者が睨み合ったままいると思った次の瞬間に、徐晃が一気に踏み込むとその拳を突き出す。

 拳は趙英の眼前で止まった。
 その勢いが風圧となり、趙英の髪を揺らす。

 周囲の兵たちは騒めき、趙英が反応すら出来なかったと呟く者もいたが、徐晃はそう思っていなかった。武功の心得が無い者でも反応できる程度の速度に加減しており、常人ならば手で防御しようとしたり、或いは顔を伏せたりするものである。だが趙英は、拳を見つめたまままばたきひとつしなかった。呼吸すら全く乱れていない。

「何ゆえに避けなかった?」

 今の一手に対する趙英の対応で、徐晃は相手が相当な使い手であると理解していた。答えを既に分かっていながら、あえて訊いた徐晃に対し、趙英は落ち着いた様子で答える。

「初めから拳を止めるおつもりでしたでしょう? 踏み込みで分かります」

 徐晃は一歩下がると再び包拳礼をして謝罪する。

「大変失礼をした。それではこちらも本気で行かせてもらおう」
「ご指南お願いいたします」

 そう言って趙英もまた包拳礼を返し、今度は双方が構えを取った。

 先に動いたのは今度は趙英の方であった。周りの兵たちの目にはその踏み込みの予備動作がほとんど見えず、次の瞬間には徐晃の懐へ飛び込んだ趙英の姿があった。
 趙英の手刀が徐晃の首元の手前で止まっていた。その手首を徐晃がガッチリと掴んで止めていたのである。

 趙英は右手を掴まれたまま、空いた左の掌底で腹部を狙うも、徐晃もそれに対応して右膝を持ち上げて趙英の掌底を受け止める。

 片足立ちになった徐晃の隙を見て取った趙英は、その左足を掬おうと左足で足払いを狙うが、徐晃はその動きを読んで趙英の左足が浮いた瞬間、右足を一歩前に出すように即座に下ろして防御する。ここで一歩前に出た事により、徐晃は右肩を趙英の懐に入れる形となる。

 趙英がしまったと思うが早いか、徐晃は左手で掴んだままの趙英の右手首をそのままに、右手で趙英の右腕を掴み、趙英の体を背負うように空中に投げ飛ばした。

 投げ上げられた趙英は、右手を掴んでいた徐晃の左手が離れた瞬間、今度はその右手で徐晃の左手を掴み、引き寄せるようにして再度飛び込もうとする。趙英は飛び込む勢いを利用して左手で掌底を叩きこむ構えを見せた。徐晃もまたそれを見越して同じく空いた右手で掌底を打ち出す。

 互いに内力の籠った掌底が空中でぶつかり、弾けるような激しい音が響いた。
 徐晃は衝撃で一歩あとずさり、趙英は再び飛ばされた後、空中で回転するように体勢を立て直し、砂煙を巻き上げて着地する。

 ここまでの五手が、わずか一呼吸の内に行われた。
 勝負は全くの互角。

 両者睨み合って再び構えを取ると、夏侯淵が膝を打って制した。

「そこまで! もう充分だ。まさか徐将軍を相手に一歩も引かんとはな」

 趙英と徐晃は互いに黙ったまま笑みを零すと同時に包拳礼をした。周囲の兵士たちから感嘆の溜息と共に、自然と拍手が沸き起こる。

「では策は計画通りでよろしいので?」

 張郃は不敵に笑いながら問うと、夏侯淵は呵々大笑して頷いた。


 その作戦とは、食料が困窮している藍田らんでんに、民の為という名目で食料を運び入れる事。相手の警戒を解いて油断させるため、城内に入るのは女性のみという条件を付けるという物であった。

 その後の準備は、近くの村から協力者となる娘を集める事であったのだが、事は予想以上に簡単に進んだ。

 血の気の多い男たちは率先して志願兵となって功を挙げ、先鋒の切込み部隊に選抜されたり部隊長に出世するなどするが、徴兵となるとそうでない者が大半となる。特に歩兵ともなれば、元は争いが苦手な男がほとんどである。
 しかし逆に女子おなごとなると、儒教社会に於いて戦場に出る事は不文律として許されず、徴兵される事もない。戦働きに憧れる男勝りで血の気の多い娘は、むしろ余っていると言えた。

 しかも人質に取られている藍田の民の中に友人知人がいる者もいれば、賊軍によって家族が殺された者もいる。更に官軍には食糧配給の恩まであるのだ。

 或いは命の危険があるかもしれないと言われても、自ら志願する娘たちは数十人に上り、わずか二日で作戦には充分な数が集まったのである。


 さて趙英であるが、策の実行を渋っていた最大の理由に直面していた。
 ずっと男装で過ごしていた者が、女性物の服と髪型にする事になるわけだ。最後に着たのは子供の頃の事であり、むしろするような気恥ずかしさを感じていたのである。

 天幕の外で趙英の着替えを待っている緑風子と呼狐澹。天幕の中では趙英の弱々しいボヤキと、作戦に参加する村娘たちの笑い声が聞こえていた。

 作戦の中核であり、武勇を以って知られる勇将・徐晃と女だてらに互角の勝負をするほどの達人。その上に男装の麗人である趙英が、服の着付けにほとんど慣れていないという事で、気恥ずかしそうに指南を乞うてきたわけだ。
 当然のように娘たちは面白がって群がり、張郃が用意させた服の中から可愛らしい物を選んでは趙英に着せ、口々に騒ぎながら髪結いや化粧を施していったのである。

 しばらくして天幕が開けられ、すっかり精神を擦り減らした趙英が出てくると、緑風子と呼狐澹が同時に振り向く。その瞬間、呼狐澹は肩を震わせて噴き出す。

 普段の趙英は、長い髪を頭上で縛って後ろに流しただけの男性によく見るもとどりで、その服も上は交領こうりょう短衣たんいえりを交差させて帯で結ぶタイプの、すそが腰のあたりまでの上着)、下は動きやすい胡袴ここ(革ズボン)といった出で立ちで、化粧っ気もまるでない物である。

 一方で今の趙英はというと、髪は双髻そうけい(いわゆるお団子ツインテール)にまとめられ、これ見よがしに頭飾りが光っている。
 服は絹で出来た桃色の襦裙じゅくん(薄く短い上着と、長い巻きスカートを腰帯で留めたツーピースドレス)を足元まで引きずっている。化粧も白粉おしろいから紅までかなり厚く施されていた。

 しかしながら十歳頃の成長期から練功に励んだ趙英は、女性としては骨格も立派に育ち、細身ではあるがその分だけ体脂たいしが少ないため、首から肩、そして腕にかけて、しなやかな筋肉が浮き出ており、胸も非常に平坦だ。ともすれば上半身裸で出歩いても、道行く人には少年と思われて見とがめられなそうな体格である。

 その少年のような体格と、芸妓のような華やかな服飾の不釣り合いが、本人の危惧していた通りの滑稽さを生んでいた。後ろで控える娘たちも肩を震わせている。

「ど、どうだ……?」

 白粉を塗った上からでも分かるほどに赤面して引きっている趙英の質問に、緑風子と呼狐澹は笑いを堪えながら答える。

「やっぱり、少し方が……」
「あと肩に何か掛けた方が……」
「悪かったな!」

 天幕の中の娘たちも同意見だったらしく、三人のやり取りを聞いて声を上げて笑っていた。




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