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第六章 報仇の時
第四十六集 仇討ちの先に
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満月の下、枹罕城宮殿の屋根の上で対峙した趙英と何冲天は、もはや互いに語る言葉もなく、その剣を交えた。常人には捉える事も出来ない神速の刃同士がぶつかり、両者の間で文字通り火花を散らせている。
別人のように変わっていた呼狐澹と違い、趙英の方は先日に山道で立ち会った時と大きな変化はない。相変わらず技量、速度共に何冲天の方がわずかに勝っている。
このまま続ければ先日同様、わずかな隙を突いて何冲天が勝つであろう。だが趙英は焦る事がなかった。ただただ相手の攻撃を的確に捌く事だけに集中していた。
逆に勝利を焦っているのは何冲天の方と言えた。現状の戦力で二人がかりとなれば自分の方が不利となる事が明白である。
何冲天は確実に勝利を決める為、その内功を限界まで高め、重さも速度も文字通り全力を出していた。そこに一切の手加減も無ければ、また余裕も無かった。
そして迎えた確実なる一撃が、趙英の持つ剣を粉々に砕き、そのまま獄焔の刃はその首を捉えた。思わず笑みを浮かべた何冲天であるが、趙英の首はその赤き宝剣の刃を弾いた。
何冲天の顔から笑みが消え、逆に趙英の方が笑みを浮かべる。相手の攻撃を弾く為の硬身功であるのだが、何冲天ほどの内功の使い手、それも獄焔のような宝剣の一撃を防ぐには、趙英の全内力をそこに集中せねばならない。つまり最初から剣に内力など込めていなかったという事だ。
そこで何冲天はハッとする。趙英の持っていた剣は冰霄ではない。月明りの反射で気づかなかったが、それはただの量産品。恐らくは始め呼狐澹が持っていた物。
「澹兒、今だ!」
趙英のそんな叫びに何冲天が思わず振り返った時には、後ろから追ってきていた南匈奴の少年が目の前に迫っていた。その手に青白く光る宝剣を構えて。
何冲天が全身の内力を獄焔に集中させ、趙英の持つ剣を砕いて勝利を確信した一瞬の隙。趙英と呼狐澹は最初からそれを狙っていたのだ。最後の一撃は自分ではなく呼狐澹に任せるべきという趙英の配慮でもある。
何冲天が獄焔の刃を返すか、或いは相手の攻撃に対して内力を集中させ硬身功で弾くか、いずれも間に合うかどうかの刹那であった。
その刹那の一瞬を分けるとすれば、何冲天の生への執着であったろう。だが彼は自分に向かってくる少年の瞳を間近に見て、思わず笑みを零す。そしてその手に持った赤き宝剣を手放した……。
そんな何冲天の笑みに呼狐澹が気づいたのは、全身の内力が籠った冰霄の一閃が相手の首を捉えたと同時の事であった。
黒衣の大将軍は、どこか穏やかな表情で絶命して倒れ伏した。
流した血が宮殿の屋根を伝って流れていく。
ずっと願っていた仇討ちを見事に果たした呼狐澹は、倒れた仇敵の姿を改めて見つめた。爽快感も、達成感も、何も込み上げてこなかった。ただあるのは悲しみと哀れみ。
何冲天もまた、或いは自分自身の歩んでいたかもしれない道のひとつなのである。
もしも趙英と出会う事なく、独りで剣を学ぼうとしたなら、更に十数年も憎しみに突き動かされたまま生き続けたであろう。そんな人生を歩んだ先で、もしもずっと憎み続けた仇敵が過去を忘れて家族と平和に暮らしていたとしたら……。
呼狐澹もまた、何冲天と同じ事をしたかもしれない。そうして仇討ちを果たした後に、どんな人生を歩めばいいのか。
何冲天は恐らく、仇討ちを成した後に引き返す事が出来なくなっていた。何のために生きればいいのかも分からなくなってしまったのだ。ただ残ったのは、人を殺す為の技だけである。もうその道を進むしかないと自分に言い聞かせ、先の見えない道を進んでいたのだろう。いつか自分が殺される日が来るまで……。
そこに思いを馳せた呼狐澹は、自然と涙が溢れていた。
何冲天が家族の仇である事に何も変わりは無い。家族が殺された時の事を今でも夢に見ていたのだ。恨みが無いと言えば嘘になる。
だが同時にそんな仇敵の事も深く理解できてしまう。そんな自分の感情を持て余し、ただただ涙という形で表出させるしかなかった。
趙英もまた、涙を流して崩れ落ちる呼狐澹の姿に、今は亡き師母である趙娥の人生を思い出す。
家族の仇討ちを成した後には何もない。何をすればいいか分からない。何の為に生きればいいのか分からない。そんな隙間を埋めたのが、夫であった龐子夏であり、弟子である趙英だったのだ。
かける言葉も見当たらず、ただその背中を黙って見守っていた趙英であったが、当の呼狐澹は間もなく立ち上がると、まだ涙腺が緩んだままながら、趙英に笑顔を見せた。
何冲天は、或いは呼狐澹のひとつの未来だったかも知れない。だが現実には大きな違いがあった。何冲天はずっと孤独だったが、呼狐澹には趙英がいた。仲間がいた。こうして勝利を得た事も、仲間がいたからこそである。
二人がかりでの戦いに、彼らも心のどこかに卑怯な勝ち方ではないかという気持ちがあった事も事実である。だが仲間を作り、その協力を得る事、信頼の許に連携する事もまた、戦いに於ける実力の内である。
何冲天も最後にそれを悟り、自身の負けを認めたのであろう。
呼狐澹は、仇討ちを果たした青白い宝剣・冰霄を鞘に収めると、それを趙英に返した。
それを受け取った趙英は、足元に落ちている獄焔を拾い上げ、何冲天の腰から引き抜いた鞘に収め、黙って呼狐澹に差し出した。
一瞬戸惑った呼狐澹であったが、間接的ながら同じ技を会得し、悲しき因縁とは言え同じような人生の始まりを経験した相手である。それを受け継ぐのは自分であるべきだと呼狐澹も思い至り、神妙な面持ちでそれを受け取るのであった。
こうしてひとつの因縁の戦いは終わりを迎えたが、涼州の動乱はここからが本番であった。
故郷の乱を収束させて平穏を取り戻す為、趙英の戦いは更に続くのである。
別人のように変わっていた呼狐澹と違い、趙英の方は先日に山道で立ち会った時と大きな変化はない。相変わらず技量、速度共に何冲天の方がわずかに勝っている。
このまま続ければ先日同様、わずかな隙を突いて何冲天が勝つであろう。だが趙英は焦る事がなかった。ただただ相手の攻撃を的確に捌く事だけに集中していた。
逆に勝利を焦っているのは何冲天の方と言えた。現状の戦力で二人がかりとなれば自分の方が不利となる事が明白である。
何冲天は確実に勝利を決める為、その内功を限界まで高め、重さも速度も文字通り全力を出していた。そこに一切の手加減も無ければ、また余裕も無かった。
そして迎えた確実なる一撃が、趙英の持つ剣を粉々に砕き、そのまま獄焔の刃はその首を捉えた。思わず笑みを浮かべた何冲天であるが、趙英の首はその赤き宝剣の刃を弾いた。
何冲天の顔から笑みが消え、逆に趙英の方が笑みを浮かべる。相手の攻撃を弾く為の硬身功であるのだが、何冲天ほどの内功の使い手、それも獄焔のような宝剣の一撃を防ぐには、趙英の全内力をそこに集中せねばならない。つまり最初から剣に内力など込めていなかったという事だ。
そこで何冲天はハッとする。趙英の持っていた剣は冰霄ではない。月明りの反射で気づかなかったが、それはただの量産品。恐らくは始め呼狐澹が持っていた物。
「澹兒、今だ!」
趙英のそんな叫びに何冲天が思わず振り返った時には、後ろから追ってきていた南匈奴の少年が目の前に迫っていた。その手に青白く光る宝剣を構えて。
何冲天が全身の内力を獄焔に集中させ、趙英の持つ剣を砕いて勝利を確信した一瞬の隙。趙英と呼狐澹は最初からそれを狙っていたのだ。最後の一撃は自分ではなく呼狐澹に任せるべきという趙英の配慮でもある。
何冲天が獄焔の刃を返すか、或いは相手の攻撃に対して内力を集中させ硬身功で弾くか、いずれも間に合うかどうかの刹那であった。
その刹那の一瞬を分けるとすれば、何冲天の生への執着であったろう。だが彼は自分に向かってくる少年の瞳を間近に見て、思わず笑みを零す。そしてその手に持った赤き宝剣を手放した……。
そんな何冲天の笑みに呼狐澹が気づいたのは、全身の内力が籠った冰霄の一閃が相手の首を捉えたと同時の事であった。
黒衣の大将軍は、どこか穏やかな表情で絶命して倒れ伏した。
流した血が宮殿の屋根を伝って流れていく。
ずっと願っていた仇討ちを見事に果たした呼狐澹は、倒れた仇敵の姿を改めて見つめた。爽快感も、達成感も、何も込み上げてこなかった。ただあるのは悲しみと哀れみ。
何冲天もまた、或いは自分自身の歩んでいたかもしれない道のひとつなのである。
もしも趙英と出会う事なく、独りで剣を学ぼうとしたなら、更に十数年も憎しみに突き動かされたまま生き続けたであろう。そんな人生を歩んだ先で、もしもずっと憎み続けた仇敵が過去を忘れて家族と平和に暮らしていたとしたら……。
呼狐澹もまた、何冲天と同じ事をしたかもしれない。そうして仇討ちを果たした後に、どんな人生を歩めばいいのか。
何冲天は恐らく、仇討ちを成した後に引き返す事が出来なくなっていた。何のために生きればいいのかも分からなくなってしまったのだ。ただ残ったのは、人を殺す為の技だけである。もうその道を進むしかないと自分に言い聞かせ、先の見えない道を進んでいたのだろう。いつか自分が殺される日が来るまで……。
そこに思いを馳せた呼狐澹は、自然と涙が溢れていた。
何冲天が家族の仇である事に何も変わりは無い。家族が殺された時の事を今でも夢に見ていたのだ。恨みが無いと言えば嘘になる。
だが同時にそんな仇敵の事も深く理解できてしまう。そんな自分の感情を持て余し、ただただ涙という形で表出させるしかなかった。
趙英もまた、涙を流して崩れ落ちる呼狐澹の姿に、今は亡き師母である趙娥の人生を思い出す。
家族の仇討ちを成した後には何もない。何をすればいいか分からない。何の為に生きればいいのか分からない。そんな隙間を埋めたのが、夫であった龐子夏であり、弟子である趙英だったのだ。
かける言葉も見当たらず、ただその背中を黙って見守っていた趙英であったが、当の呼狐澹は間もなく立ち上がると、まだ涙腺が緩んだままながら、趙英に笑顔を見せた。
何冲天は、或いは呼狐澹のひとつの未来だったかも知れない。だが現実には大きな違いがあった。何冲天はずっと孤独だったが、呼狐澹には趙英がいた。仲間がいた。こうして勝利を得た事も、仲間がいたからこそである。
二人がかりでの戦いに、彼らも心のどこかに卑怯な勝ち方ではないかという気持ちがあった事も事実である。だが仲間を作り、その協力を得る事、信頼の許に連携する事もまた、戦いに於ける実力の内である。
何冲天も最後にそれを悟り、自身の負けを認めたのであろう。
呼狐澹は、仇討ちを果たした青白い宝剣・冰霄を鞘に収めると、それを趙英に返した。
それを受け取った趙英は、足元に落ちている獄焔を拾い上げ、何冲天の腰から引き抜いた鞘に収め、黙って呼狐澹に差し出した。
一瞬戸惑った呼狐澹であったが、間接的ながら同じ技を会得し、悲しき因縁とは言え同じような人生の始まりを経験した相手である。それを受け継ぐのは自分であるべきだと呼狐澹も思い至り、神妙な面持ちでそれを受け取るのであった。
こうしてひとつの因縁の戦いは終わりを迎えたが、涼州の動乱はここからが本番であった。
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