西涼女侠伝

水城洋臣

文字の大きさ
69 / 75
第七章 訣別の祁山

第五十二集 嵐の前

しおりを挟む
 馬超ばちょう軍が去った後の城では、漢中かんちゅうへと逃れた馬超が必ずや戻って来ると確信し、即座に対抗策の準備が始められていた。

 冀城は周囲が開けた平地に建てられており、また大河である渭水いすいに近い事もあって水運も良い。そうした交通の要衝である為に、治世における経済的な発展を考えればりょう州の中心地として州府が置かれるのも当然と言えた。
 しかし世が乱世となれば、それは軍事的に非常に守りにくい事も意味しており、先年の包囲戦で苦しんだ事も記憶に新しい。

 馬超が攻めてくるのが漢中からと知っている現在の状況であるならば、侵攻してくる経路もある程度は決まっている。それならばわざわざ本拠地である冀城で迎え撃つ必要などない。もっと有利な場所で戦うのが道理である。

 漢中から涼州に至る山岳図を卓上に開いた旧涼州の者たちは、馬超の通るであろう経路、更には武都氐ぶとていの出没するであろう地点などを検討し、迎撃地点を絞り出していく。
 そんな中で、楊阜ようふ王異おうい、旧涼州派の中でも生え抜きの智者である両者が同時に指し示した地点が最も有効であると満場一致に至ったのである。

 秦嶺しんれい山脈の出口となっている谷間。漢中からの軍勢や武都氐などが侵攻してくるであろう山道の収束地点であり、そこに蓋をするような形になる位置。逆に冀城からは西せい城やれき城を経由して補給が可能な場所。

 祁山きざんである。

 谷間とは言っても幅は数百歩はある為、大軍勢の通り道としては非常に有効で、同時に左右は切り立った山岳地帯だ。ここに壁のような城壁を築いてしまおうというわけである。
 後の歴史においても、戦略的要地として様々な軍勢が幾度となくぶつかる事となるのだが、そんな祁山に初めて軍事要塞が作られたのが、この時であった。

 馬超が再侵攻してくるまで、さほど時間が無い。船を使って渭水流域の木材を集め、それまで何もなかった谷間に急造の砦を建設していく。

 木材を切り出して船で運び込むという作業において、渭水賊であった莫浪風ばくろうふうとその一派が腕を振るっていた。こうした急造建築では、資材輸送こそが早さを分ける。
 彼らがいなければ祁山砦の建築は間に合っていなかったであろう。

 濁った声を張り上げて、部下へ指示を飛ばしている莫浪風のもとへ、緑風子が訪ねてきた。

「やぁ」
「何だコラ、クソ道士。今はお前ェに構ってる暇はねぇ!」

 ぶっきらぼうな態度の虎髭の大男を前に、道家の優男はいつもの笑顔のまま懐に手を入れた。取り出したのは五銖銭ごしゅせんを束ねた緡銭びんせんである。それも数束。それを黙って莫浪風に手渡した。

「……何の真似だ?」
「いつぞや君にお金だよ。まさか忘れてるわけもないでしょ? こっちも事情があってさ、流石になますになって食べられてあげるわけにもいかないし、色を付けてお返しって事だよ」
「まるでもうすぐ死ぬみてぇな口ぶりじゃねぇか」

 冗談めかして皮肉を言った莫浪風だったが、当の緑風子はそれに返すでもなく、珍しく笑顔を曇らせた。

「そんな気はないけど、そうなるかも知れなくてね……」

 表情を変えぬまま、互いに見つめ合う両者。そのまましばらくの沈黙が続いた後に、莫浪風がため息を吐いた。

「まぁ、いいだろ。これでチャラだ。でも死ぬんじゃねぇぞ。お前の事は嫌いだが、嬢ちゃんや坊主を悲しませるなよ」

 そんな莫浪風の言葉に、緑風子は笑顔を見せて頷くのであった。



 一方その頃の漢中では、馬超軍もまた再出兵に向けての準備を進めていた。そんな中で馬超は、息子の馬秋ばしゅうを呼び出した。
 馬秋の母、すなわち馬超の妻である浥雉ゆうちがどのようにして死んだか、そこに至るまでに、趙昂ちょうこう、王異、趙英ちょうえいら趙家の者たちが、どのような態度であったのかを滔々と語って聞かせた。

 当然ながら馬秋はそれを、自分と趙月ちょうげつの仲を裂こうとしているのだと感じた。

 馬超は、息子が趙家に騙されていると主張したが、当の馬秋はそれを受け入れなかった。確かに初めは敵の子として疑っていたが、時間をかけて友情を結んだ趙月が最初から騙して近づいていたとはどうしても思えなかった。先日に趙月の姉である趙英とも会っているが、やはりそこでも策略は感じられなかった。
 ましてやあの日、人の気配を感じて部屋の奥に隠れた彼の存在を趙英は知らずに趙月と会話を始めた。その内容は純粋に趙月の身を案じる物であったのだ。
 もしも趙月を含め、趙家の者が自分を陥れようとしているならば、何らかの失言があって然るべきであるが、それが一切なかったのだ。

 だが馬秋はその事を父には言えなかった。馬超からすれば、侵入した敵を前にして黙って行かせた形となるのだから。その意味では、確かに馬秋は父に背いていた。

 話は平行線のまま終わり、その後に馬超は当の趙月を呼び出した。同じように詰問する馬超であったが、趙月の答えはやはり同じである。

「両親とは関係ありません。自分と伯葉はくよう、二人だけの問題なのです」

 そんな趙月に対して、馬超が出した要求はひとつ。今度の出兵に参戦する事である。

「お前には役に立ってもらう」

 馬超のその言葉に、趙月は歯噛みしつつも黙って従った。
 恐らく前線には彼の両親や姉が参陣しているだろう。自ら家族と戦う事によって潔白を証明しろという事だと、趙月は受け取った。

 趙月が参陣するという話を聞いて、それならば自分も行くと申し出た馬秋は、逆に参陣を許されなかった。
 馬超の立場としては内通をほぼ確信していた以上、真っ先に標的となる息子を戦場に出すわけにはいかなかったのである。息子が勝手に来ないよう、部下に命じて半ば南鄭なんていの邸宅に軟禁させるほどであった。
 息子を案じたこの行動が、後に親子の溝を決定的な物としてしまうとは、この時の馬超は思ってもみなかったであろう。



 さて、決戦を控えた冀城の趙家では、枹罕ふかんでの戦いの後、九天神功きゅうてんしんこうの反動で未だに立ち上がる事が出来ぬ呼狐澹ここたんが床に就いていた。
 彼を見舞った趙英ちょうえいとしては、このまま後遺症で立てなくなったりしたらと思えば気が気ではない。
 しかし当の呼狐澹は、酷く疲れてるだけみたいなもんだから大丈夫と、弱々しいながらも笑顔を見せた。むしろ冀城の皆が総出で祁山砦の建築に勤しんでいる中、最後の戦いを手伝う事が出来ない事を申し訳なさそうにしていた。

「気にするな。お前はお前の戦いに決着を着けたんだ。だから今はゆっくり寝ていろ」

 そう言って立ち上がった趙英を、呼狐澹は呼び止める。未だに力が入らず震える手を上げ、拳を突き出して笑みを浮かべた。
 余計な言葉はいらなかった。「この戦いが終わって二人とも生き延びたなら……」という、いつぞやの約束の通り、必ず勝って、必ず生き残れという意図を受け取った趙英は、微笑んで同じように拳を突き出して答えたのだった。





しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...